4話 前編
――どうか助けてください。
祈る人間がいた。命を乞う人間がいた。
――が、どうなっても構いません。
その為に差し出すものがある。
――どうかどうか。
懸命な祈りは届くのか。体を折り、地に伏してただただ願う。
――助けてください。
それが聞き届くことを願い、何度も何度も額をこすりつける。
人は縋る。
最後の時、自分の力の及ばぬ時、何かに縋る。
それが神なのか、悪魔なのか、どちらでも構わないのか。
果たしてそれはどちらなのか。どちらでもなく、同じものなのか。
――助けてください。
祈りは届くのか。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
青々と茂った稲穂と、白く大きな入道雲――そしてそれらを動かす風が強く吹いた。
常山奈津夫は腰を両手で押さえながら体を反らせた。
彼が勤務するのは名の知れた家電メーカーだ。
小さな半導体の制作工場が母体となって、ここ何十年かけて一流企業として成長、日本だけでなく世界でも名前が知られている。
奈津夫はその会社の海外事業部で働いていた。開発が進みつつある市場に先んじて居を構え、工場や取引販売店を確保する部署。そこでの仕事を仲間たちとこなし、たまに日本に帰る生活を続けていた。
今の彼がのびをしているここは地元近くの系列参加の販売店。周りは田んぼが囲み、巨大な駐車場にはトンボが自由に飛び回っている。
「日本の夏はやっぱ蒸すなあ」
つい最近までいた中東アジアも温度は高かったが、日本とは湿度が雲泥の差だ。まだ外に出たばかりなのにシャツが汗で張り付いている。
「でも自販機があるのは最高、ってね」
店舗脇に設置してある自動販売機から缶コーヒーを購入し手に取る。冷たい飲み物が恒にある自国に感謝し一口。ベンチに座ってタバコに火をつける。
結構な無理を通したと思う。
奈津夫は会社ではそれなりにキャリアを積んできた。勤務先を選ばず、何年にもわたる単身赴任も出世と手当の為に受け入れてきた。中東エリアが軌道に乗ればかなり良いポストを得られる予定でもあった。
ふと雲の合間に隠れた太陽を眺める。
日差しはそれでも目を焼き、網膜に跡を刻む。
――自分自身海外勤務を楽しんできた節はある。いろいろな国を見て回れるのは楽しい。
彼は昔、それこそ中学生くらいの時から、思い立ったら自転車で旅をするような少年だった。見ず知らずの人に声をかけることも厭わず、あまつさえ泊めてもらったりもしていた。
そういう性格が海外での生活とあっていたのだろうと思う。
もちろん海外での生活は家族にめったに会えない寂しさがあったのは言うまでもないことであるし、今回の異動も家族の、妻の陽乃の為だった。
彼女は二つ下で、たまに顔を見る程度の付き合いだった。
高校生の時、いつものように長期休みを利用して自転車で旅をし、地元に戻ってくると、彼女がカルミアの前で掃除をしていたのだ。ふと目が合い、なんとなく知っているくらいで会釈をすると、柔らかい笑顔を奈津夫に向けた。
「おかえり」
たった一言だったが、その言葉に、その時の表情に惹かれ、奈津夫はカルミアに通うようになる。
陽乃はたまに店番をしていて、機を伺いながら顔を出し、彼女と話す。内容は他愛のないことだが、街の話が多く、しかし退屈せずに奈津夫はその声に耳を傾けていた。
田舎町にいつまでもいることが耐えられなかった少年は、自分の街の事を知らなかった。知っていて当然の話が、新鮮に感じた。
変わりと言って、奈津夫は出かけるたびに帰りにカルミアに寄り、思い出話を伝える。
そこに私もいつか連れてってくれる? と、はにかむ顔を何時までも見るため、奈津夫は一緒にいてほしいと彼女に伝えた。
大学で都会に出た時も交際は続き、就職したのちしばらくして結婚した。喫茶店を継いだ彼女のもとへ婿養子に入り、ほどなくして朝太が生まれる。
奈津夫は幸せだった。妻も子供もいて。全部順調だった。
――娘たちが生まれた時、悲劇が常山家を襲った。
生まれた女の子は二人とも生まれつき肺が弱く、何年も生きられないと診断された。手術を施しても生存する確率は低いと、申し訳なさそうに告げる医師の胸倉をつかんだことを覚えている。
奈津夫は絶望した。生まれてきてすぐなのに。こんなに小さな子供の命が消えるのか、と世界を恨んだ。
陽乃は気丈だった。やけになる自分をなだめ、朝太の面倒をみながらも足しげく病院に通い、娘たちの無事を、成長を祈った。
娘たちは成功確率のわずかな手術を受ける。奇跡的に二人ともが成功し、今では元気に走り回っている。
だが、それで終わることはなかった。
今度は陽乃が時々胸を抑える程苦しむようになった。医者に見せても異常がないという。原因不明の狭心症だという。ストレスなどの精神的なものだという。徐々に彼女を蝕む病魔がなんという名前なのか、わからない。わからないから対処ができない。
そして妻から、体調の悪化の報告を受け、出世や同僚たちを置き、日本に帰ってきた。
もう、長くないかもしれない――。
「なんでおれの家族ばかり……。ふざけやがって」
もう何度目かわからない呪詛を空に向かって吐く。言葉と共に出た煙を風がかき消し、太陽を受ける稲をなでていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「諸君、よく集まってくれた。礼を言おう。」
そう言う厳造寺の顔に感謝という感情は浮かんでいない。さも当然といった態度に朝太は、慇懃無礼というのはこの男の為の言葉なのだと確信する。
夏休みが始まりしばらくした昨夜、朝太、葵、金杉は一斉に厳造寺に呼び出された。葵の部活が終わる時間を待ち、重大案件だという言葉に乗ってみなカルミアに集まった次第だった。
「早く言いなよ」
金杉智香が興味なさげに問う。ストローでレモンスカッシュを飲みつつ、夏休みに入ってすぐ染め直したという、明るさが増した髪をいじっていた。
「頼みがあるんだ。一週間後に控える夏祭りなのだが、僕の父が出し物の企画を任されていてね」
厳造寺の父親はこのあたりでは知らないものがいない名士で、議員もしている有名人だ。彼の生家はかなりの敷地を備え、周辺の土地、山などを数多く持っている。
「その企画、一切考えていなかったらしい。そこで僕に丸投げしたんだ」
「お前も毎度災難だな」
いつもの堂々とした表情ではあるが、少し苦み走ったかのように朝太には感じられた。
付き合いが割と長い朝太は知っているが、厳造寺の父はいたずらにこうやって息子に無理難題を押し付ける人物だった。息子の成長の為というが、半年前の議員選挙のスピーチを息子に考えさせたりと、やることが常識外れだ。
その頃の厳造寺は、いつものクールぶった表情を保てず、何日も頭を抱えて唸っていたのを朝太は覚えている。同情しても助けることができず、みるみる痩せていく友人を哀れに感じた出来事だったから。
それに比べれば今回は大した課題でもないように聞こえる。
「何か案はあるの?」
葵が心配そうに問いかけた。
「そこは問題ない。今回は僕の趣味を兼ねての本格肝試しを開催することにした」
「なんだその明らかに怪しい趣味は」
「最近は黒魔術やらオカルト、UMAと言ったものがどうも気になってね。それら知識をふんだんに使ったいい出し物になるだろう」
ひきつった笑みしか出ない朝太。大門の正体をこの男に知られると厄介だと直感する。
「僕の呼びかけに応じた運動部に有志を募って来てもらうことになったのだが……」
おかしな言動とはそぐわず、厳造寺は教師の受けがいい。成績優秀で、スポーツも万能、いくつかの運動部掛け持ちをしていて、弁がたつ。教師や生徒会、果てはOB、父母会まで彼の名は知れ渡っている。
女子の人気はいま一つだが、金杉の言によれば顔も悪くないそうだ。朝太には今一つピンと来なかったが。
「その有志のひと? が居ればいいんじゃないの?」
厳造寺が困ったように肩をすくめた。芝居ががってうさん臭く感じる。
「恥ずかしい話、僕が張り切って案を出したはいいんだが、いかんせんこだわりが過ぎてしまってな。もはや猫の手も借りたいほど人手が足りてないんだ。君たちには文字通り力を貸してほしい」
「はい、解散」
たかが町内会の肝試しに本格的に騒いでいるのは自分のせいである。自業自得だ。
「待て待て待て。常山、きみはアルバイト漬けらしいね。給与をだす。二人も例外じゃないぞ」
「シフト入ってるから空いているときならいいぞ」
「常山のそういう守銭奴なところ、僕は大好きだ」
即答した朝太は早速いくらもらえるかの交渉に入る。成立し厳造寺と熱い握手を交わした。
「二人はどうかね?」
「私は部活があるから、終わってからでいいなら」
「え? あたし? 一人でいくのはちょっとやだな。知らない運動部の中に一人はさすがに勇気いるよ」
みな気のいい仲間たちだぞ、と厳造寺が大仰に手振りを添える。僕もいるからな、とも。金杉はそれには答えない。
「じゃあ私が行くときに一緒に行くのは?」
「それならいいけど」
そっと触れた葵の手をそっぽを向きながら握る金杉。
先の変質者事件の後、彼女らの間で何かあったようで二人の距離が近い。朝太は気づいていたが、葵が話さないのなら聞くだけ野暮だと気にししないことにしている。
「でもお前、そこまで頑張って設営して、当日雨でも降ったらどうするんだ?」
「ぬかりない。これを見てくれ」
厳造寺が携帯電話を起動しそこにある画像を皆に見せる。そこには豪奢な日本家屋が写っていた。厳造寺家の家屋の一つのようだが、軒先に何かが無数に――ゆうに百は超える数がぶら下がって見えた。
その画像をアップしてみると、それは赤や黒、さまざまな色をした人形が首から下げられているのがわかる。
「怖っ」
「てるてる坊主だ。この数あれば当日は晴れる。ちなみに夜はLEDが光って目にも楽しい仕様だ」
イルミネーションが地獄絵図にしか思えない。
「キモすぎ……」
「ひどいな金杉。一生懸命作った力作だぞ」
「そんなことしてるから人手足りてないんじゃ……」
それで晴れると言い切っているこの男の怖さを改めて確認した朝太だった。
「……これ、いちいち集まってやることだったか? 携帯で連絡すれば良かったんじゃないか」
「何、皆の顔もみたかったんだ。それにこういうことは面と向かって頼んだほうが断りにくいものだろう?」
「承諾してから言うっていい性格してるよな」
褒めていないのに自慢気に髪をかき上げる厳造寺。そのまま店内を見まわす。
「しかし今日来て大丈夫だったのか? 見たところ客はいないが」
「今日は午後から休みなんだよ。母さん病院行ってて」
「どこか悪いの?」。
「昔からたまに行ってるんだ。特段何かあるわけじゃない」
葵は陽乃とも仲がいい。心配そうにする葵を切り替えるためにも朝太は少し声を大きくして皆に問いかけた。
「そうだお前ら、何か食うか?」
夕食には少し早いが、せっかく店を使わせてもらっている。ここで食べるのもいいだろう。
「え? いいの?」
「おう。メニューから選んでくれ。ちなみにカレーだともう用意もできてるし、洗い物も少なくて済む。予算的に考えて、ここを貸してくれている母さんが助かる」
「選択肢ないよね?」
まあいいけど、と金杉が答えると厳造寺はうなずくだけだった。
それなら、と朝太は家にいる妹たちも呼んで店で一緒に食べていいか、クラスメイトに提案した。
しばらくして散歩から帰った大門を迎え、妹たちも含めてカルミアの店内で夕飯をとることになった。
「話には聞いていましたが、あなたが大門さんですか。初めまして。朝太くんと同じクラスの厳造寺桃介と言います。」
厳造寺が恭しくお辞儀をする。正直朝太は気が気でない。厳造寺と大門は近づけると化学反応を起こして周囲を巻き込んだ大惨事が待っている気がしてならなかったからだ。
「朝太が世話になっているな。よろしく頼む」
なぜか大門が朝太を世話しているような話だが、妙な挨拶をしてないことに胸をなでおろした。黙ってカレーを配膳していく。
この店のカレーはもちろん店主の陽乃お手製である。その伝統は古く、カルミアの創業者、朝太の曽祖父から引き継がれている味なのだという。曰く海軍式なのだとか。真偽を確かめるすべもなく、仰々しいのでメニュー上はただのカレーライスであるが、両親がその昔に本人から聞いたそうだ。
「うむ。やはり欧風は香りがよく、口当たりがまろやかである。日本人の舌にあうようマイルドにアレンジしてあるが……。これは少し辛みを抑えて酸味を増やし、今日の暑さによる食欲の減退を上手く補助している。やりおるわ……。そして変わらず、美味であるな」
御託を並べながら誰よりも早い勢いで食べていく大門。
その光景を初めて見る金杉と厳造寺はスプーンを持つ手が止まっていた。朝太と妹たち、葵は特段気にした様子はない。
「お前ほんとカレー好きだな」
「たくあんもだよねー。持ってきてあげよっか?」
まひるが言うと、よろしく頼む、と言いながら立ち上がりお代わりをつぎにカウンターへ入っていく。
「浮世離れした御仁に見えたが、なんともこう、アットホームというか変わった方というか」
「あんたが言うか」
金杉の反応に皆が笑う。朝太も笑いながらふと窓から店外を見た。
夕方になっても外はまだ明るい。熱気はまだまだ収まる気配はなさそうだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
白い電光板に黒の写真を並べ、白衣を着た男が沈黙している。
陽乃は何度行ったかわからない検診を終え、かかりつけ医師の言葉を待った。
「……異常なし、です」
言う医師の声に覇気はなく、落ち込んでいるように見える。
陽乃も同じ気持ちだった。
「……ごめんなさい。いつも」
謝罪する陽乃に医師は少し後退した額の汗をハンカチで拭う。
「常山さんが謝ることではありません。こちらの力不足、ですから」
苦々しく言う彼と患者の作り出す、重苦しい空気。それを若い看護師は理解できずにいたのだろう。きょとんとした顔で傍らに立っていた。
「……その他の検査もありますので結果が出次第、連絡します」
それも異常はないのだろう。陽乃には予想できたことだった。
通院するのも今年で十年になる。
異変が感じられたのはまず呼吸だった。ほんの少し、違和感程度だが、息苦しさを覚え、次第にめまいや心臓のあたりの痛みを感じるようになった。
周期は様々、不定期だったが、年月を重ねるごとに狭まってきていた。そのせいで眠れぬ日も何度もあった。
しかし、どこの病院で――大きな大学病院で検査を重ねても異常がみられない。数値上だけでなく、どの検査を行っても健康そのものだといわれていた。
「お加減はどうでしょうか」
「――胸が痛む頻度が増えたように感じます。立ちくらみはしょっちゅうで」
声も掠れている気がした。
「点滴、していきますか。こういっては何ですが、気休めにしかならないかもしれませんが」
落ち込んだ様子の医師へ陽乃は力なく微笑んだ。
「針の跡は、娘が心配するので」
ごめんなさい、と厚意を無下にしてしまったことを詫びると、医師は頭を振る。
「しかしやはり、貴方は衰弱していっています。お食事はとられていますか?」
首肯した陽乃はぼんやりとその衰弱といった言葉を頭に浮かべた。まさしく自分は衰弱していっている。病名もわからず、治療法もない。心的外傷が原因だと言われたこともあった。
心的要因などと言われてもピンとはこない。ただただ弱っていくように感じる。
痛みや苦しみがどんどん増し、時に立っていられないこともあった。この症状のせいで気が滅入っているのは確かだ。
病院をあとにする。夕焼けが目に入った。
携帯電話の電源を入れると、夫である奈津夫から心配をするメッセージが届いていた。
子供達にはこの事を伝えていない。余計な心配を与えるのが嫌だったので、病名や原因が分かるまで黙っていようと夫と決めた。
結果的に判明せず、黙ったままでいた。勘のいい長男は気が付いているかもしれなかったが。
沈みかけた日を見る。子供たちにつけた名前は陽の呼び方。奈津夫が陽乃の子供だからとつけたがった名前。自分としてはハルとナツで季節の名前を付けたかったのだが、三人も授かったことで、夫の先見の明が勝っていたのだろうか。
――みんながいるから、大丈夫。平気、平気。
体に異常は感じられなかった。だが心が少しずつやせ細っていくような不安を感じ、家族の姿を思い浮かべる。
傾く太陽は山の影に隠れていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
この街は林や山が多く、子供たちにとってはそのどれもが遊び場になっていた。
その中でも自宅の近くの神社はまひる達小学生のたまり場になっている。境内近くでは大人たちが翌日に迫った夏祭りの準備をしているので、長い階段の下の広場でそれぞれ遊んでいた。
アブラゼミが自己を激しく主張し、本能のままにがなり立てている。音が響くたびに猛暑を助長するが、小学生にとってそれはただの環境音でしかない。
まひるは男子に混ざってドッジボールに参加していた。妹のゆうひは女の子たちと木陰で座って話している。
開始早々ボールに当たったため、暇そうに外野にいるまひるに、色の黒い男子が話しかけてきた。彼は須藤信也といい、まひるとゆうひのクラスメイトだ。
「夏祭りで肝試しするの知ってるか?」
「うん。お兄ちゃんの友達がシュサイシャ? だって言ってたよ」
「へー。ま、あんなの怖くないに決まっているけど」
特にすることもなくボールを目でおいかけていると信也が話を続けた。
「お前、怖がりだから泣いちゃうんじゃないの」
何が言いたいのか。顔も見ずに生返事をする。
「おい、聞いてんのかよ。ユーレイ、怖いんだろう。あんなのいないのにな」
やけに突っかかってくるのが少し癇に障る。彼は事あるごとにまひるにちょっかいをだしてくるのだ。いつもなら返事もろくにしないで立ち去るのだが、今はゲームの最中なので逃げ場はない。
「ほんとはあんたが怖いんじゃないの? まひるは怖いテレビみれるもんね」
先日やっていた心霊特集のテレビ番組を家族と見ていたが、少し前と違い、怖くて目を背けることはなかった。兄はすぐに自室に行ってしまったが。
なにせ今自分は本物のアクマと住んでいる。そのアクマが気の優しいおじさんにしか思えなくなったまひるにとって、ユウレイの写真など子供だましにしか思えなくなっていた。
「な、なんだよ。強がったって意味ないんだからな」
ゆうひの態度に気を悪くした男の子は小突いてきた。
「なに、もう。まひるにそういうことすると、アクマが仕返しにくるからね!」
思わず口から出てしまった。兄から大門の事は秘密にするよう言われていた事を思い出し、慌てて口をおさえたが、信也はそれを見逃さなかった。
「はー? アクマー? いるわけないじゃん。ガキだなー!」
鬼の首でもとったかのように彼は囃し立てる。売り言葉に買い言葉、まひるも対抗した。
「いるもん。ユーレイはいない、かもしれないけど……アクマはいるもん!」
「だったらショウコ見せてみろよー。できないんだろ?」
その騒ぎでドッジボールは一時中断、女子たちも集まってきた。まひるは助けを求めるようにゆうひを見た。
しかし妹は援護射撃をすることなく、目をそらしてうつむいてしまった。
「ゆう……」
「おい! なんとか言ってみろよ!」
まひるの目に涙が浮かんできた。滲む視界の先の妹は答えてくれない。
「ちょっとやめなよー。先生に言ってやるから」
「今夏休みだから先生はいませーん」
いつの間にやら男子対女子の言い争いに発展し、広場が騒然とし始める。蝉の音と、喧騒、秘密を公言した罪悪感。そして何より妹が味方になってくれないことが、まひるを激昂させてしまった。
「……知らない。もういい! あんたなんか大嫌い!」
まひるは信也を突き飛ばして駆けだした。信也の文句を聞かないまま、走る。
その言葉が彼に対するものか、それとも妹に対しての言葉なのか。神社を飛び出したまひるを追いかけるものはいなかった。
――
気まずさなのか、その後すぐに解散した友達と一緒に帰ることもなく、ゆうひは足元を見ながら歩いていた。今日は女子のみんなと駄菓子屋に行く予定だったのだが、まひるがいないことに後ろめたさを感じて誘いを断ってしまった。
帰りがけに通る河川敷では、大人たちと少年たち――ゆうひよりも幾分大きいので中学生くらいの子供たち――が野球をしている。
その広場から少し離れたベンチでまひるがぽつんと座っているのが見えた。かける言葉が見つからないままだったが、ゆうひはそこに向かっていく。
こちらに気が付いた姉がそっぽを向くが、構わずとなりに座ると何? とだけまひるが口を開いた。声はしゃがれており、見づらいが目は腫れていたように思える。
しばらく時間がたち、ゆうひが意を決して謝ろうとした。さっきはごめんね、そう言おうとしたその言葉を遮るようにまひるが口を開いた。
「なんで助けてくれなかったの?」
「それは……まあちゃんが、大門さんのこと、しゃべっちゃったから……」
ゆうひは間違っていないと思う。再三家族から言われてきたことを姉が口を滑らしてしまったのだ。
「……うらぎりもの」
「なんで、そんなこと、いうの」
謝ろうと思った。助け舟が出せるとは思っていなかったけど、何か言うべきだったと。なのに……。
「まあちゃんが悪いんだもん。言わなかったらよかったのに!」
「だってシンヤがバカにするから! でもゆうは助けてくれないんだからうらぎりものでしょ!」
「そうやっていつもゆうのせいにする」
「いつもって何! そんなことしてない」
お互い熱くなっての口論になってしまった。相手の顔がくしゃくしゃになっているが、自分も同じようになっているのを鏡を見ずともわかっていた。
「どうしちゃったの、ふたりとも」
ヒートアップして周りが見えてなかったようで、気が付くと葵が二人に割って入っていた。部活終わりなのか高校指定のジャージ姿である。
さんざんわめいていた二人が押し黙ってしまったことに葵は動転したのか、しゃがみこんで二人を見比べるだけだった。
「何があったのか、教えてくれる?」
答えはない。らちが明かないと悟ったのか、葵はふたりの手を取り、立ち上がった。
「……一緒に帰ろっか」
ゆうひは力なくうなずく。見てはいないが、まひるも同じように従ったのだろう。
無言で坂を登る。振り返ると大人たちは汗だくになりながらも楽しそうに笑っている。それが、ゆうひにはひどく羨ましく思えた。