春ウララ
春の快い日には、心穏やかにゆっくりのんびりと過ごしたいものですね。
プロローグ
いったい何処から来たのか、誰も追い出したり騒がないのをいいことに、いつの間に家に住み着いて一か月ほどになる。
フラーッと軒先に顔を出した猫だが、どこかで飼われていたようだ。全身を覆う黒い毛並みに艶があった。猫の飼い主が丁寧にブラッシングしていたのだろう。全身真っ黒だったが、鼻の頭から鼻の脇部分にかけて一円玉くらいの大きさの、白い模様がポツンとあった。一寸見たときに白い粉でも付いているのかと思い、嫌がる猫の口元を押さえ指先で摘んでみたが、やはり白い毛だった。
しかしずいぶん太っていて大きな黒猫だ。十キロ弱程度はあるだろう。少し小さめのコーギー犬ほどもある。気の弱い犬なら「どうぞ」と道を譲りそうだ。
外国産の猫と日本猫との交配種か、目玉が金色に光っていた。まだ歳若い猫のようだったが、眼光鋭かった。一歩足を繰り出すごとに左右の肩を揺らし闊歩する姿に、妙に貫禄があった。
シッポをピーンと立てて歩くその下に、黒い毛で包まれた立派なタマタマちゃんが二個付いていた。
(1)
博也は、妻、久美子が、ガタガタと音を発てて雨戸を一気に開く喧しい音と、目の中に飛び込む朝の日に寝床の中で重い瞼を開いた。
博也は寝床の中でチィと口先で舌を鳴らした。
「たまの休日、ゆっくり寝かせてよ」
縁側で雨戸を開ける久美子の背中に向かって口の中でブツブツと呟くと、重い瞼を指先で揉み解すように摘まんだ。
昨夜の深酒が祟り頭が重かった。少し両方のこめかみ付近がズキズキと脈打つように痛かった。
博也は左手をこめかみに当て指先で何度か揉み解した。二日酔いが嫌で何度も飲み過ぎないように「するぞー」と、自分に何度も誓っていた。
家族、奥方久美子、今年二年生になる長男敏男と、今年の春から幼稚園の年長組みになる長女の真紀子にも宣言していたが「うんうん」「あーそうなの、それは良かったわね」と、耳にタコが出来たような顔をして、聞き流されるようになっていた。真紀子まで「アーソ」などと博也の誓いを信じようともしない。
こめかみに手のひらを当て博也は目に眩しい朝日を遮るように目を細め、目の先でボンヤリト庭先を眺めた。猫の額ほどの小さな庭だったが、同居する爺ちゃん仁三郎が、当場所に住まいを構えた記念に桜の苗木を植えた。
十数年を迎えた桜は枝を広げ、道行く人の目を楽しませていた。その桜が満開、柔らかい朝の日に包まれピンク色に染まっていた。
清清しい朝の気配にチィッと舌を鳴らしてみたが、博也は重い頭を振り払うように首筋に手を這わせ、二度三度、首を左右に振った。寝床の中から目の先を伸ばし空を見上げると、ここ二三日、はっきりしない空に雲のかけらが一片も無かった。澄んだ青空が目に優しく広がった。
博也は布団の中で腕を組み、首を伸ばして空を覗いていたが、おっとりと布団の中から這い出し た。布団から抜け出すとき子供部屋に耳を澄ましたが、子供たちは昨夜から歩いて十数分の所にある親戚のお祝い事に爺さんと一緒に呼ばれ、そのまま泊まったようだ。
「ふっふ」
博也は口元を綻ばした。
どうりで静かな朝だった。
チッチッ。
耳を澄ますと小鳥たちの囀りが聞きえた。
学校が休みになると急に元気になる二人の子供たちだった。
「学校に遅れるから早く起きなさい!−」
登校日、久美子に大声で叩き起こされるまで布団の中でグズグズしている子供たちだったが、休日になると決まって目覚めが早い。
「ご近所の家、まだゆっくりとお休みだからもう少し静かに寝ていなさい」
と、起こされもしないのに早朝からガチャガチャとうるさい。
「たまの休日、子供たちも居ないから、少しゆっくりとしない」
博也はチラッと久美子の背中を目の先で伺った。
子供たちが居ない間に掃除でもと、掃除機を片手に忙しい久美子だった。
ここで余計なことをいって奥様の邪魔をしては後が怖い
博也は縁側に立つと「ファ〜」と背を伸ばし欠伸を漏らした。
早朝の爽やかな空気が深酒に焼けた臓腑の隅々まで染み入り気持ちが良かった。
大口を開け背を伸ばす博也の目の先で、桜の木の枝先まで花が開いていた。その花数片が軽風にひらひらと舞っていた。「ふぁ〜」
何度か背伸びを繰り返し、博也は「ちょっとそこの公園まで散歩に行ってくるね」と、久美子の背に声をかけサンダルを引っ掛けたときだった。
いきなり玄関の影からニューッと大振りで黒い猫の顔が突き出た。
(2)
近所の公園の木々に隠れ野良猫が居た。
公園に居る十数匹の猫の顔は大体覚えている。
早朝、出勤前の十数分の散歩。健康の為にと数年前から始めていた。
「よしッ。今日から雨が降っても槍が降っても、毎日絶対に散歩することを誓う」
と、深酒と同様家族一同に誓ってみたものの、雨が降れば休み。気分が乗らないときには中止。と、言うことで、やはり家族に嘘つき嘘つきとソッポを向かれていた。そんな理由により、あまり健康のためには役立っているとは思えなかったが、それでも、散歩を終えたときには気分が良かった。
散歩時、公園で顔を見合わせるお馴染みの猫。
立ち木の陰に隠れたり、のんびりと草の上で寝転んでいる十数匹の猫の顔は、身体の模様とか尾の長さなどで、一匹一匹だいたい判別できた。
散歩の道すがら『猫、犬に餌を与えないでください』の、注意書きを横目にポケットに餌を忍ばせていた。 歩きながら目だけ動かし、辺りに人の影が無いのを見計らい、猫の鼻先に餌を投げた。
当初、餌を投げるたびに警戒していた猫たちも、最近、足音で博也と分かるようになっていた。散歩する博也のその先で十数匹の野良猫がヅラーッと首を長く伸ばし腰を下ろしていた。
(3)
「あれー」
素早く頭を巡らし公園にたむろする猫たちの顔を思い浮かべたが、玄関口に顔を覗かせた黒猫の顔に見覚えが無かった。
首をかしげる博也の足元で黒猫は、博也を恐れる風も無く表から敷居越しに右前足をニューッと伸ばした。
「はて?…」
腕を組んだまま博也は黙って黒猫を見下ろしていた。
そんな博也を無視するかのように黒猫は、伸ばした前足で二度三度、敷居の感触を確かめているのか、叩くような、爪で掻くような素振りを繰り返した。
何をしているのだろうと半ばあっけにとられ、博也は腕を組んだまま息をするのを堪え黒猫を眺めていた。 黒猫は博也が目前に立っているのを知っているはずだが、博也の存在にまったく臆する事無く、その身体に似合わず、しょおぃと敷居を跨いだ。
猫の行動を目の先で追っていると、ずうずうしくも黒猫は、博也の足元を擦り抜け、玄関から続く縁側にゆっくりと足を運んだ。そんな図々しくも厚かましい黒猫だったが、図体はでかいが、やはり公園でたむろする猫たちと同じだな。と、博也の頬が思わず綻んだ。足元を擦り抜けるとき、博也に挨拶でもするように二度三度、身体をグリッと擦り付けた仕草がなんとなく愛らしかった。
生来の猫好き「ふっふ。やはり猫は猫だな」なんて、笑う場面でもないのに博也の口元が綻んだ。
口先から漏れる笑みを堪え玄関口で立ったまま、目で黒猫を追っていると、黒猫は、シッポをピーンと立て家の居心地を探るような目付きで顔を左右に振り、縁側に入り込んだ。
「面白い猫だな。黙って人の家に上がりこんで」
博也は猫を目で追っていると、黒猫は久美子が縁側に日干しして置いた座布団の上に身体を丸めてしまった。身体を丸めるとき、ジロッと金色に光る目だけ動かし「もんく、あっかー」とでも言うように博也の顔を一瞥した。
博也は黒猫の鋭い目線に一瞬たじろいだようにドキッとしてしまった。
黒猫は博也の思惑を知ってか知らず、ファーっと大口を開けると、座布団の上で顔を小奇麗に撫で上げた。 そして黒猫はノホホントした顔、いやいや、堂々とした態度で背を丸めると、やんわりと目を閉じた。
博也は嘘のような本当の様な猫の行動に虚を突かれた。ただボンヤリト猫を目で追っていたが、台所で炊事する久美子の発てる物音に、はっと我に返った。
猫嫌いの久美子に見つかったら一大事だ。箒を振り上げて追い回されるに決まっている。
「なんて猫なのだ。他人様の家に黙って上がり込んで、早く家に戻らないと大変だぞ」
と、ぼやいてみても、生まれ付いての猫好き。
「まーいいや、散歩から俺が戻る前には、飼い主のところに帰っているだろう」
と、呑気に構え玄関の敷居を跨いだ。
(4)
小一時間ほどの散歩を終え家に戻ると、親戚の家から戻った敏郎が猫を胸の中に抱えていた。
歳の割には少し小柄な敏郎の懐に抱えられた黒猫は、迷惑そうな顔をして敏郎の二の腕から逃げようと必死にもがいていた。そうはさせるものかと敏郎はますます強く抱きしめた。
それ以来、黒猫は我が家に居ついている。と、いってもまだ一ヶ月ほどのことだったが。
博也の家では、爺ちゃん婆ちゃんを含め家族六人全員、猫、犬が大好きだった。いや、久美子を省いてだが。
いつも子供たちが「猫か犬を飼って。犬を飼ったらぜったい、ぜったい。ぜったい。毎日、毎日、ぜったいに散歩に連れて行くから。ぜったい、ぜったい。ぜったい約束する」と口うるさく博也に纏わり付いていた。 しかし、そんな約束は、どうせ二三日だけのこと。
自分の子供時分を顧みても「散歩なんかすぐに飽きる」それに違いないと博也は確信していた。そして、子供にせがまれ止む無く犬を飼った近所のお宅を拝見しても、犬の世話は結局は親がしなくてはならなくなる。
犬は三度の食事より散歩が好きだ。犬にとって毎日の散歩は欠かせない。犬嫌いの家内は家事に忙しく、爺さん婆さんは足腰が弱り十数分の散歩はとても無理だ。久美子は、犬と聞いただけで「だめー」の一言。
と、言うわけで、犬の散歩のお役目は当然、博也が被うことになる。そんな煩わしいことを思うと、犬は好きだったが飼う気にはならなかった。
犬が駄目なら子供の教育のためにも猫の一匹でも飼ってみるか。と、思った事もあったが、あいにく久美子が「猫の糞は臭くて嫌」といい返事をしない。
そんなこんなで、我が家では犬猫は飼ったことが無かった。
「まー家内が騒がないうち、すぐに出て行くだろう」
博也は台所からコンコンとまな板を叩く音に耳を傾け、足跡をしのばせ猫を置いたまま玄関を後にした。
本来の飼い主も探しているだろうにと、散歩の道すがら電柱に張られた行方不明の『猫、犬を探しています』の、ポスターに注意を凝らしたが、今のところお尋ね者の様子が無い。
そんなこんな訳で、「では元の飼い主が現れるまで家で飼うことを許可する」と。あからさまに眉を曇らせ 口元をへの字にひん曲げ反対する久美子を説得する次第になった。
(5)
何処が気にいったのか、上がりこんだ当初から図々しく振舞っていたが、いまでは我が物顔でノッシノッシと家の中を歩き回っている。
飼い主が現れるまで、我が家に居る間だけでも名前を付けようと、敏郎、真紀子の提案で家族一同頭を捻った結果。
この黒猫、ふーうてんのトラさんのようにフラーッと我が家に来たのはいいが、また何時なんどきフラーッと居なくならないとも限らないからトラさんとした。
仮面ライダーの大ファン。敏郎は「ライダーライダー」にしようと散々ごねていたが、「名は身体を現す」と、爺ちゃん御託もあり、しぶしぶ敏郎も承諾した。
ふうてんの「トラさん」
うーん。ピッタリ。
黒猫は「トラさん」なんて名前が気にいらないのか、始めは「ふーうてんのトラさん。トラさん」と何度呼んでもソッポを向き知らん顔をしていた。
そんな猫だったが、餌の用意が出来「トラ。トラさん」と呼ばれ手招きされているうちに、いくら名前が気に入らなくても知らぬ顔をしていては、あまりにも大人気ないと思ったのか、それとも匂いに勝てないのか、居合わせた人の顔を覗き込むように餌皿に顔を埋めていた。
ただ例外はあった。
「トラさん」
と一回呼ぶと何処に居ても太った体型に似合わずビューンと一気に跳ね飛んで来るときがある。トラさんの大好物の焼きイワシを手にしてトラさんの名前を呼んだときだ。鼻面と耳をピクピクと震わせわき目も振らず餌に喰らいつく。
そうそう、それと隣家で飼われているメス猫のマミが、屋根の上で甘い声(?)で「ミャ〜ミャ〜」と鳴く時きだった。
いつもドテッとしているその図体に似合わず、マミに駆け付けるその機敏なること、まるでアフリカの大草原を疾走する黒ヒョウだった…。もちろんその体型、外見は丸に近いトラさんと黒ヒョウとでは、相当隔たりがあるのは当たり前の話だったが。
(6)
「ファ〜ア〜」
猫のトラさんは、春のポカポカ陽気に大きな口を開けモゾモゾと身体を蠢かし目を閉じていた。
頭を手足の間にうずめ、身体の割には長目のシッポをポンポンと縁側の床に打ち付け、シッポの先を2,3度ブルブルと震わせた。
寝心地が良いのか、トラさんは「ファ〜ア〜」と顔中口にして何度も欠伸を漏らし、身体中が真っ黒な毛並みに包まれているのに、そこだけが白い鼻面をもぞもぞと左右に蠢かし寝てしまったようだ…。
猫でも夢を見るのか、時々首を小刻みに振り鼻をモゾッと蠢かし、時にはフーッと長い吐息を吐き出していた。
「ただいまー」
玄関のドアをガラッと開けると同時に敏郎は上がり口にカバンをポンと放り投げた。
敏郎の声が聞こえた途端、トラさんはピックと耳を起こし顔を上げた。
「まずい″」と、トラさんは声のする方を凝視した。
トラさんは辺りに首を振り隠れ場所を目の先で探り、首を竦めた。トラさんが身を隠す所は 敏郎に全部発見されている。トラさんは機敏な動作で身体を起こし一目散、縁側から逃げ、庭の立木、桜の木に駆け昇った。 そのままトラは桜の葉の陰に隠れ敏郎の声を目で追っていた。
トラが桜の木に昇ったとき、今は満開と咲き誇る桜の花びらがヒラヒラと零れた。
花は軽い風に吹かれ宙を泳ぐように屋根の上に舞った。
「トラートラー」
敏郎は、学校から帰って来るとカバンを放り投げトラの行方を探すのが日課になっていた。
敏郎はトラが大好きだった。トラを抱えると柔らかい毛並みが気持ちが良かった。いちど捕らえたら何時までも抱えていたかった。
トラも敏郎のことが嫌ではないようだったが、いったん懐に抱え込まれたら「いつまでも猫と遊んでいないで宿題を済ませなさい」と、叱られるまで二の腕で抱えられた。頭を撫でられるのは別に嫌いではなかったが、敏郎のように力の加減を知らず、ギュギュと撫でられたら堪らない。そして、手足を思い切り左右に広げられ、ギュ−とシッポを引っ張られるのには閉口した。
敏郎は敏郎なりに可愛がってくれているとトラにも解っているようだ。それも限度というものがある。そんなこんな訳で、いまも、トラは捕まっては適わないとばかりに大急ぎで、爺ちゃんの自慢、桜の木に駆け登った。桜の花の陰に実を隠した。
敏郎はトラさんの姿が見えないので、台所、机の下をキョロキョロと探し回った。
いつもの隠れ場所を熱心に探ったがトラの姿がなかった。
「お母さん、トラ、知らない?」
洗濯をしている母親、久美子の前に回り込み顔を覗き混み訊いた。
「トラ?知らないわよ」
久美子は忙しそうにパタパタと洗濯物を振った。
「ふ−ん、しらない、ん。だ…」
敏郎は、唇の先を突き出し洗濯機の後ろに回り込み隅の隙間を覗き込んだ。
「そんなところにいないわよ」
「あまりトラさん、トラを抱いたりしないほうがいいわよ。猫って触れられるのが余り好きじゃないのだから」
久美子は洗濯物を洗濯機の中に放り込みながらいった。
「ううん、さすがお母さん。いいことをいう」
桜の木の上から下の様子を伺っていたトラは「ファ−」背を伸ばした。何度も欠伸を繰り返し木の枝に座ったまま前足で顔を撫で回し、舌先で丹念に毛並みをととのえた。
(7)
「どこにいったのかな−」
敏郎は庭に降りると、
「とらーとらー」
と、声を出し探し回った。
「はいはい、敏ちゃん、ここにいますよ」
トラは目の先で敏郎を追い毛繕いをしていた。
ますます陽気はポカポカと暖かくなった。
快い日差しに「ファ〜ア〜」ますます眠くなってきた。
トラは手足を前後に長く伸ばし何度も欠伸を繰り返した。
「ただいま−」
近所の店に買い物に出た爺ちゃんが戻ったようだ。
「爺ちゃん」
トラは爺ちゃんの声に毛繕いをしていた顔を上げた。
トラは爺ちゃんが大好きのようだ。爺ちゃんが座布団の上に腰を下ろし、新聞とか将棋をしていると、決まってその膝の間に丸まっている。爺ちゃんは太ったトラさんが重いはずなのに、そんな素振りを少しも見せずにニコニコとトラの背中を撫でていた。
ただ、敏郎が爺ちゃんの背中から忍び寄り、いきなり掴み掛かかるのには閉口しているようだ。
今日も敏郎に発見されないように用心して爺ちゃんの膝に這いより丸くなった。快い爺ちゃんの膝にトラも油断していた。
後ろから這いより、いきなり腕を伸ばした敏郎に捕まってしまった。
「フギャーフギヤー」
喉の奥を絞りトラは必死に抵抗したが、敏郎の奴、お構いなしだ。トラを絶対に離すものかと、ますます強く抱いた。そんなとき少しだけ本気を出してトラは歯を剥き出した。
「ギャ−」
と、敏郎の指先に喰らいつき爪を剥き抵抗したが、敏郎はお構いなしだ。
「フギャーフギャーギャギャギャギャ−」
なんて、トラが嫌がっているのを知っているのかいないのか、敏郎はことさら声を上げ、トラの鳴き声を真似た。トラさんを抱いたまま、絶対に離さないぞと床の上を転げ回っていた。
ほんとうにトラには迷惑な話しだ。
映画に出てくる本物の寅さんなら、敏郎の奴とっくに頭の二、三発殴られている。
そんなとき、爺ちゃんはただニコニコしながら眺めているだけだった。
しかしさすがは猫のトラさん、隙を見て一気に逃げ出してしまう。敏郎の奴、剥きになって追いかけていたが、太った身体に似合わず俊敏なトラに適うはずは無かった。逃げだしたトラは、何食わぬ顔をして木の上で毛並みを揃えていた。
トラが桜の枝に駆け上がるとき、今は満開と咲き誇る桜の花がヒラヒラと舞った。
敏郎は暫くの間木の下でトラを睨んでいたが、そのうちに諦めたのか外に遊びに行ってしまった。
「やれやれ」
トラさんは、しばらくは木の上でゆっくりと休むことにしたらしく「ファーアー」と何度も欠伸を繰りかえし、丹念に毛繕いをした。
そんなときだった。隣のマミちゃん猫が甘い声で「ミャーミャー」と、屋根伝いにトラに寄ってきた。
トラの奴、そんなとき、どこからそんな声が出るかと思うほど猫なで声?…初めから猫だったか…。
「ニャーゴ、ニャーゴ」
だなんて、いい気なものだ。
そのまま二人、二人連れ添い…と言っていいのかどうか…二匹は肩を並べ、いったい何処に行くのやら家に戻ってくるのは決まって夕食どきだった。
ま−そんなこんなで夕食の時間になると、トラさんは決まって爺ちゃんの隣にチョコンと腰を落とした。爺ちゃんが箸の先からポトッと落とす食べ物を爪先に引っ掛け、口に運んでいた。
食べる合間に、みんな、ちゃんとご飯たべているか−なんて、グルッと家族を見回しては「フニャ−」何て尻尾の先をポンポンと床に打ち訳の分からない声で鳴いていた
映画のふーうてんのトラさんのように何時まで家に居るのやら、少し気になるが、猫に「何時までいるの」なんて聞いても始まらない。
そして、夜、寝るときに喧嘩ばかりしている敏郎の布団の中に、いつも潜り込むのも不思議な話だった。
終わり
犬、猫が大好きです。投稿文も犬とか猫を題材にしたものが文が多くなってしまいます。拙い文ですが、犬猫の好きな方によう読んでコメントでも頂けたら嬉しいです。




