1 クマ
自称進学校の嫌な点は受験受験と騒ぎ立てることだ。本当の進学校ならば受験を嫌がる俺のような生徒はいないはずなのだ。全く実力がある生徒がいるわけでもないのに何故そんなに大学受験をさせたがる……。
と理屈をこねていても、大学受験が一年後には控えている現実は変わらないわけで。しかも文武両道が校訓な癖にスポーツ推薦のコネはなく、俺が中学から打ち込んできた陸上は何の役にも立たない現状だ。
「難しいな……」
放課後の教室には誰もいない。ほとんどの生徒は学校内で開かれている外部講師を招いての講義か、塾に行っている。勉強に関心がない一部の生徒はそもそも家に帰っているか、部活をしている。教室に居残ろうなんてやつは高校2年生の2月になっても塾にも行かず、部活もやらず、家に帰ってもやることがない俺ぐらいなものだ。
「大辻先輩」
「櫻田さん」
進学校なだけあって、部活を3年にはいってからも続けるという人は少ない。俺は高校2年の夏の大会終わりに引退してしまった。受験勉強のためという名目での引退だが、実際は何もしていない。
するといえば俺を追うようにして辞めた後輩と一緒に帰るぐらいなものだ。何故一緒に帰るかって? それは様々なことがあって一緒に帰るようになったのだ。彼女は運動もでき、勉強もでき、そして性格的にも優れている美女という非の打ち所がない素晴らしい後輩なのだが、俺と一緒に帰っているという事実だけは彼女の学生生活の汚点となりうるだろう。さんをつけているのは後輩である以前に尊敬すべき人だからだ。
ここで察しのよい人なら思うだろう。もしや、櫻田さんは俺のことが好きなのでは? ということだ。俺も思っている。だが、櫻田さんは鉄壁の人なのである。好きという素振りを見せない。いつも普通に話しをして駅で別れるだけ。そこで『今日は帰りたくないんです』とでも言ってくれれば俺の方も覚悟を決めることができるのだが、櫻田さんは言ってくれない。
俺は足るを知っている男だ。今のところは現状維持。焦って告白して断られたらお互いが不幸せになるだけだ。俺が告白するのは俺が卒業する時、失うものが何もなくなってからだ。俺のことをチキンと笑ってもらってもかまわない。事実俺はチキンなのだから。
そう思っていたのだが、バレンタインという行事が2月にはあるということを最近知った。バレンタインだなんて行事、俺とは一生関わりはないと思っていた。うちの家は古武術の道場をしているので、母親からもバレンタインのチョコはもらったことがない。古武術の道場とバレンタインのチョコと何の関係があるのかと疑問に思っておいてくれ、話は先に進む。
そこでだ。櫻田さんは俺にチョコをくれるのではないだろうか。本命チョコを。奥手な櫻田さんでも冬のバレンタインに乗っかれば俺に本命チョコを渡すぐらいのことはしてくるのではないだろうか?
その時が俺の真の男気というものを魅せる時だと思っている。
そして本日は2月13日。運命の日は明日。俺は櫻田さんが本命チョコレートをくれるものだと確信している。最近将来に関して真剣に考え始めたのは、櫻田さんと結婚した時のことを考えてのことだ。
そんな俺の未来予想図はあっけなく粉砕された。
櫻田さんからチョコレートをもらえなかったわけではない。
チョコレートをもらう前に、俺たちはある出来事に巻き込まれ、気づいたら俺はクマになっていた。
クマといえばそう、テディベアだ。プから始まるキャラクターを思い浮かべてもらってもいいが、可愛らしいものをイメージする人も多いだろう。
しかし俺というクマは全く可愛くなかった。鋭いツメに灰色の毛、鏡に映る自分の額には一本の短い角が生えていて、顔つきはいかにも猛獣って感じだ。この短い角はどのような進化を遂げたら生えてくるのか非常に気になるが、今気にするのはそこではない。
何故俺がクマになったのかを振り返ってみよう。
「先輩、今度あの新しくできたメキシカン料理屋さんに一緒に行きましょう」
「メキシコというと……ナチョスにサルサ、タコスにルチャだな。腹が減ってきた」
「ルチャ? って料理は知りませんでしたけど、タコスは美味しいですよね」
いつもはきちっとしている櫻田さんだが、ご飯の話をしている時はゆるっと表情が崩れて幸せそうな顔する。こんな櫻田さんと家庭を築いていきたいと心の中で思っていたのだが、突如暴走トラックが俺たちに向かってゴーイングマイウェイと言わんばかりのスピードで突撃してきたのでとっさに櫻田さんをかばって俺は死んだのであった。
そう。俺は死んだ。その時のことを思い出すとちょっと凹むが、櫻田さんが巻き込まれなくてよかった。櫻田さん、俺のことなんて早く忘れていい人を見つけろよ。
「ううぅ……櫻田さん……」
「なんですか? 先輩?」
こりゃ驚いた。
死んだはずの俺の目の前にはいつも通りの櫻田さんがいた。
綺麗で長い黒い髪にきっちりとしたセーラー服。身長は160cmと女子にしては少し高めで足が長い。胸は控えめだが、ないというわけではない。目はぱっちりしていて、鼻筋はすっと通っている。大学に入ったら間違いなくミスなんとかに祭り上げられ、おしとやかな美女としてタレントデビューをはたすだろう。
「いや、櫻田さん。トラックは?」
「先輩が突き飛ばした先からもう一台のトラックがきてたんですよ」
なんという偶然だろうか。いや、俺が突き飛ばした方向が車道だったのだろうな。死の直前だったからあまり覚えていないけど。
「ごめん。助けられなくて」
「こちらこそ、ありがとうございます、先輩。お互い五体満足だったのを喜びましょう。……あ、すみません。先輩は……」
うん? 確かに五体満足なのは良かったがまさか俺のどこかが欠けているというのか? 俺には勇気が欠けているとかいうオチではなさそうだ。後輩を助けるために命を張ったんだから勇気がないとは言わせない……と言いたいところだが、無我夢中だったので勇気があるとはいえない。俺の本能的な櫻田さんを守りたいという欲求が行動となって現れたのだろう。
櫻田さんがごそごそと取り出した小さな丸いものにはクマの写真が貼ってあった。
「クマ?」
写真かと思ったら映像だったようだ。映像の中の口をモゴモゴと動かして首をかしげている。こんな形のスマホがあったなんて知らなかった。それともスマホじゃないのか?
「そうです。クマです」
クマだな。
別にクマに思い入れがあるというわけではないが、ここに映っているクマにはどこか親しみを覚える。どこかで見たことのあるようなアホ面。人間味を感じさせる表情をしている。
「面白いな。このクマ」
「先輩?」
何を怪訝そうな顔をしているんだろう。そういえば櫻田さんがいつもより小さく見える。
「あの……これ鏡ですよ」
うん?
よくよく見ると鏡だ。確かに、鏡なんだが……そこに映っているのはクマだった。
よろしくお願いします。ノリと勢いで書きました。
次回更新は本日午後7時を予定しています。
キャラ
・大辻琢磨
高校3年生。一応校則違反はしてないが、抜き打ち検査があると一発で引っかかってしまうほどの規律意識を持っている。クマになった後の方が親しみやすい容姿をしている。元陸上部だが、走ることが好きなわけではない。特に何も考えていないため友達は少ない。
・櫻田唯
高校2年生。国公立受験を目指しており、部活は高校2年生の終わりにやめる。周りの陸上部の友達とは仲が悪いわけではないが、帰る時間が変わってしまったので大辻先輩と帰っている。勉強はでき、足は速く、美人でクラスメイトからも先生からの人望も厚く、性格的にも欠点といえるような欠点はない。完璧超人に見えるが、決して完璧超人なわけではない。
次回予告
突如現れた謎の人物。綴られる長文説明。理解できないクマ。後輩と謎の人物との間でかわされる謎の戦い。それについていけないクマ。果たして彼の脳みそはクマになったことで劣化してしまったのか。そして後輩のユニークジョブ『ダンジョンメイカー』とは一体。
お楽しみに。




