表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/25

interlude 2 信念―belief―


 互いに久闊(きゅうかつ)じょする、とはならなかった朝食の喧騒。夕食まで家族団欒に水を差してはなるまいと、九太郎は自室に籠り、たまに床を突く笑い声にほっと胸を撫でおろす。


 小さな満月が、横寝したベッドから丁度窓の向こうに見える。


 「痛ってぇなあ。」


 頬を指で押してみて呟く。当然のことながらそこは赤黒く痣になっていた。


 「当たり前よ。ワイドももう大人の男なんだから。」


 「でもあのひょろひょろだぜ。」


 「あんな挑発の仕方して……それにしてもワイド、レーダのこと好きなのかしら。」


 九太郎は朝のやり取りを思い出し、これは良いからかいの材料を得たとにやりとする。


 「あのむっつりすけべ。レーダは胸おっきいからなあ。」


 「ああ!そういえば朝、レーダの胸触ってた!浮気だ浮気!しかも倫理にもとる!やっぱり自分と同じ黒髪が好きなんだぁ!」


 「……カミラの時は何も言わないじゃん。」


 「否定しないのね……。なんかあの人は、なんか数に入らない感じ。」


 「分かんねえなあ。」


 「……ねえ、九太郎。」


 「なに?」


 「……ありがとう、ね。」


 夜の寝室で、仲睦まじく囁き合っていたつがいの声が途切れる。毛布の中で九太郎が寝返りをうち、衣擦れのような音が互いの耳を占める。


 そして小さな舌打ちの音。


 「いいって、いいって。ったく、お前は恥ずかしい奴だな。」


 「へへ……本当に、ほんとうに、ありが……と、うっ、……ふぇぇ、ううっ。」


 「泣くなよ、くだんねえ。相変わらず可愛い子ぶった泣き方しやがって。」


 「 ……いいじゃんか。私、可愛いんだから。」


 二人はにらみ合って、それから微笑み合った。あんな一日の始まりだったにしては良い夜だ――九太郎がそう思っていると、凛とした声が直接頭に響き、心地よく浸っていた余韻を躊躇なく裂く。


 ――だから、もう逃げて良いんだよ。


 その言葉は九太郎の頭を痺れさせる。悪魔の囁きなるものはどうしていつもこう甘美なのだろうか。


 九太郎は鼻を激しく啜り、毛布に顔を埋める。その丸くなった背中に女の手がゆっくりと重ねられる。


 「いや、俺はいいんだよ。本当に、何も感傷に浸っている訳じゃない。俺は偶然ってのがやっぱり嫌いなんだ。自分の信念を天に奉じて、ここで終わりにするんだ。」


 「キュウ、レーダには偶然の美こそが真理だって豪語してたじゃん。そこを掘り返す奴は馬鹿だって。何も埋まってなんかないって言っていた。」


 慈母のように、鼓動に合わせて背中を叩く。依怙地になった子をあやす様な、人に許しを与える懐の深い声。


 「ああ、そんな奴は土を馬鹿みたいに掘っている犬と同じ。……だから、俺はそれでいいよ、俺は、それでいいんだ。」


 「今キュウがいなくなっても、遠い先、よぼよぼになってからいなくなっても、何も変わらないよ。どっちも悲しいし、美しくもない。」


 「そうだろうなあ。でも、もうだめだ。俺は今消えるのが一番美しい最後だって、最も価値があるって信じ切っちゃってるから。俺の得意なことだ。自分に酔ってるんだよ、アル中らしく。他に何か信じる物も、依るべき物も、俺にはないからさ。だから、異邦人なんだ僕は、この世に、そう、生まれた時から。」


 「頑固……だね。」


 「じゃなきゃ自称芸術家なんて言えないよ。お前の願いを叶えて、死ぬんだ。病気で死ぬのも、事故で死ぬのも、俺にはやっぱり耐えられない。…………そろそろ寝よう。久々にこんな時間にベッドに入ったんだ。それも一人で。」


 「……私、いつも待ってるのになあ。」


 それからも夜が明けるまで、九太郎の寝息をじっと聞き続けた者がある。


 月光に照らされ夜伽よとぎする女の肢体が部屋に現れる。ベッドの脇に膝をついて、九太郎の手を毛布の中で握っている。


 画材の鼻を突く匂いが充満している部屋の一面、そこに直接描かれた大きな絵画がそうして寄り添う2人を祝福していた。


 「愛してる……。愛してる……よ。……このまま私が殺してあげたいほどに。」


 その声は果たして九太郎に届いただろうか。


 女の涙は零れる鱗粉となって青白く床に積もる。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ