決別
レア・アウリウスとフィア・アウリウス。サルベード家の幼く愛らしい双子は、教会の裏の木立の中に自分たちの秘密基地を拵えていた。木造の簡易な掘っ立て小屋で、元々は彼女たちの姉であるポン・グレコが使用していた場所だが、2人が余りにも頻繁に邪魔をしに来るのでポンの方が双子に譲ったのだ。
建物の中には木枠が剥きだしのベッドが1つと、数冊の本が納められたままの本棚、それから薪のストーブが置いてあるが、これはワイドに使用を禁じられている。
2人はそれぞれ毛布に包まりながら密談をする。
「ワイド兄ちゃんがもう駄目だって言ってた」と、少し大人ぶってはきはきと話すのは姉のレア。
「でもいや!ここにいたいの……。」妹のフィアはふっくらした頬まで毛布に埋まって駄々をこねる。
「寒いと死んじゃうって、死んじゃってもいいの?」
「やだ!……これがあれば温かいもん。」
フィアは顔の脇で揺れる、三つ編みにされた二房の髪を鼻の前でつつき合わせる。
「もう行かないとだめだって、フィア、お姉ちゃんの言う事聞いて!」
レアが木の枝と紐で出来た自作の人形でフィアの説得にかかる。本当はレアだって秘密基地を出たくはなかった。教会に戻るのはまだ良い。ワイド兄ちゃんもいるし、教会の工事をしているおじちゃんたちもいる。ただここを出ると家に帰る時間が近づくようで嫌なのだ。
姉たちが帰って来てくれたからといって、九太郎が居なくなるわけではない。
むしろ家族が揃った時の方が諍いが増えて、2人にとっては肌をひりりと焼くようなその暗い雰囲気がどうしても苦しくて逃げたくなってしまう。
普段であれば九太郎が家に帰ってくるのはお昼ごろ。その時刻は教会の学校に来ているし、家に帰る頃には九太郎はまだ部屋で寝ている。そうしてすれ違いの一日の内で父親と顔を合わせるのは夕食の時ぐらいだった。
レアもフィアもワイドを父のように慕っているし、ロッドも母親かつ姉のような存在であるから寂びしい思いをすることはない。それに教会には友達がたくさんいて、一緒に勉強する時間は何よりも楽しい。
友達のほとんどは家族がいない。それに比べれば自分たちはなんて幸せ者なんだと、双子は子供なりの敏感さで察知していたが、それでも大きな声で言えないだけで、家族を持つが故の哀しみだって当然のごとくある。
レアはポンに叩かれたことを思い出さずにはいられない。それからレーダに悪戯をする九太郎、怒るメアリと、自分たちには絶対にしてはいけないと言った暴力を振るうワイド。
家族が集まるといつも誰かが誰かに怒っている。レアの数少ない記憶の中、まだ『お母さん』のいた頃、喧嘩はいつだってお母さんが止めてくれた。そして最後には1人1人をぎゅっと抱きしめてくれるのだ。
ほとんど覚えていることなんてないけれど、その柔らかい、包まれる様な体の感触と、背中を擦ってくれる手の温もり、それから耳に囁く厳しくも穏やかな声。それは今もレアの、そしてフィアの心をふとした時に支えてくれている。
レアがなんとかフィアを立たせようと躍起になって、直接腕を掴んで引っ張る。しかしフィアはその手を払い除け、
「……いやだあ、帰りたくない、帰りたくない……うっ……ふぇ……ママぁ、ママぁ……!」
フィアが泣き出すと、その声がレアの心の鈴も五月蠅く鳴らし始めて止められなくなる。
「フィアのばかぁ!ママって言うなぁ、ばかぁ……。」
2人は鼻を突き合わせるようにして座り込みながら、相手の頬を打つように互いに声を張り上げ続ける。次第に呼吸が乱れ、しゃくりあげるようになり、流した鼻水や涙を互いの肩で拭うように抱きつく。
海風が壁の隙間から入り込み、双子の頬は擦り切れたように赤くなる。秘密基地に漏れ射る斜光が時の経過を示し、気温も徐々に下がってゆく。
「……もう少ししたら私が行きますよ。」
小屋の外で双子の様子に聞き耳を立てていたのは二女のポン・グレコである。今日も真っ赤なコートを着て、頬の刺青を隠すようにフードを被っている。
小屋の裏手で壁に背を凭れながら、コートが汚れることも気にせず地べたに座っている。
「少しは父親の自覚が出てきましたか?」
同じく隣に腰を下ろしていた九太郎は黙祷でも捧げるように目を閉じ、口を緘していた。ポンの問いに答える気はないらしい。
最初に双子の秘密基地に着いたのは九太郎の方だった。そこにワイドの頼みで双子を迎えにポンがやってくると、見慣れた人影が微かに基地の奥に見えたのである。
九太郎は普段からそうして双子の様子を陰から見守っているのか、それとも今日たまたまのことなのか。ポンは後者の可能性を採った。今日の今日までばれずに済むとは思えない。双子はよく裏手の小さな森で遊ぶし、ワイドや教会の友達だって声を掛けに来る。
何の心境の変化だろうかとポンは訝る。やはりいつもの帰省と今回とでは何かが明らかに違うのだ。
上の三姉妹が一斉にエルターニャに帰って来ることはそう珍しくない。そもそも九太郎がいなければポンとメアリはそれほど仲が悪い姉妹ではなく、むしろポンにとっては姉のレーダの方が苦手なのである。そして仮にあからさまな態度をポンがレーダに対して取ったとしても、長姉の彼女がその程度のことで機嫌を損ねたりはしない。ゆえに三人でいる時は話が盛り上がったりするようなことこそないが、そうかと言って全く無言で過ごすということもほとんどない。
誰かが帰省するという話になれば、三姉妹は自然と連絡を取り合って日程を合わせることぐらいはするのである。
帰郷を提案する頻度はポンが最も多く、次にレーダ、そしてメアリである。今回は半年の間が空いてしまったが、ポンは丘の教会の再建作業を手伝っている関係上1人だけで帰ることも多い。レーダは純粋に九太郎に顔を見せるためで、メアリに関しては家を忌避しているというよりも軍の修練が過密で時間が見つけられないのである。
しかし今回は初めて、九太郎が王都に手紙を送って寄こしてまで帰郷を頼んだのである。
演奏会にいったいどんな思い入れがあるのか、ポンは暇を見つけては考えを巡らしていたが、まだ尻尾は掴めていない。
……当日になれば分かるに違いない。
何ら反応のない九太郎をそこに置いたまま、ポンはつまらなそうに尻を払って立ち上がり、秘密基地の入り口をノックする。彼女に引っ張り出されてきた双子は手を取り合って、ポンの後ろに付きながら教会へと戻って行った。
ラゴナの丘、そこから一望するエルターニャの街並みは筆舌に尽くしがたい。右手では白く雪を被るレイネ山脈が空を分断しており、その遥か向こうの平原に位置する王都を仰々しく幕の後ろに隠す。一方左手には多くの孤島が浮かぶ海洋が広がり、空の群青を海面に写し取って輝いている。――女神の渡れぬ海原。近頃になって人はその海をこう呼ぶようになった。
丘にある教会はエルターニャ事変の際に被害を受け半壊していたが、サルべード家長男のワイドがその人徳によって再建へと話を漕ぎつけた。そして教会を直す傍ら、ワイドは『名無し』の孤児を対象にした学校も始め、今ではレアやフィアも含め100人ほどの大所帯となった。そして彼の必死の交渉により教会組織からの援助も決まり、なんとか食い扶持を賄っている現状である。
ゆえにラゴナの丘にはその子供たちのための長屋に似た学舎が二列並び、他にも炊事場や小さな運動までもが出来ていた。子供たちの大部分はここで寝食を共にし、共同生活を送っている。
それらの施設もまた、当然ワイドと街の大工たちによってこつこつと地道に造られたものである。ゆえに教会の再建は大幅に取り掛かるのが遅れ、ワイドは援助者たちから執拗に背中を突かれていたが、仕事の成果が子供の笑顔で以って報われる、その方に大工たちの精が出るのは道理である。彼らもまた、王都に除け者にされた仲間意識があった。
子供たちが走り回り、いつ何時でも笑い声が絶えないそんな丘は、ワイドにとって誇りであると同時に、まだ短い人生の全てでもあった。
――九太郎とワイド。対照的な親子の二つの影がそんな丘の端で長く延びている。見晴らしの良い場所に設置されたベンチの、二人はその両端に座ってエルターニャの景色を眺めていた。
ラゴナ孤児院。街の人にそう呼ばれる学び舎は、九太郎にとって大層居心地の悪い空間である。レアとフィアが彼の悪行を喧伝したり、子供たちの尊敬を一身に集めるワイドを悪く言う様を見ていれば、孤児たちが九太郎を忌避するようになるのは自然な話である。
それに何よりも九太郎が嫌悪されている理由は別にある。それは彼が娼婦街に通う客であるということである。
教会にいるのは何も年少の孤児たちだけではない。そして圧倒的に女子が多いのである。男子は働き手として孤児になる前に誰かが早々に連れ去ってしまうし、自ら職を見つけることも女子に比べれば容易である。
しかし女子の多い理由はそれだけじゃない。孤児院の目的は衣食住を満たすだけではなく、また別の使命も持ち合わせているのである。
ポンやメアリの年に近い孤児の少女たちは、親に売られ、あるいは攫われて娼婦になった同朋をごまんと見て来ている。連れていかれる先が王都であることなどまずない。まったく知らない異国の地に、頼るべき大人もなく、人間としての尊厳もなく、送られる。
仲間の中には自ら挙手して娼婦になったものもいる。その方がまだ待遇の良いことが多いからだが、それも器量の良い者だけに開かれた門戸である。
つまり孤児院はそうなる前に少女たちを保護する、最後の防壁でもあった。
ゆえに九太郎は少女たちにとって、その実体もなく漠然としていた敵の、人の形を取って現れたもののようにしか見えなかった。
今はワイドやポンが彼女たちと遊んでいる。そこに九太郎が入って行けるはずも、行く気もなく、一人ベンチに座って無聊を慰めていたところに、ワイドが様子を見にやってきた。九太郎にとっては迷惑な話である。
「……俺がここに来たのはポンの作業を見るためだ。」
「そんな言い訳みたいなことを言わなくても分かっていますよ。わざわざここまで足を運んで喧嘩を売りに来るような、そんな真面目な人ではないですからね。あなたは。」
「言うようになったな。」と、九太郎は鼻を鳴らしてから寒そうに首を縮こめている。ジャケットにスカーフという彼の恰好は年中変わらない。
「寒いなら余ってる上着持ってきましょうか?」
「いらねえよ。俺は寒ぃのが好きなんだ。邪魔すんな。」
片意地を張る九太郎が、ワイドには孤児院の子供たちと同じように見えてつい笑ってしまう。
「ぶっ殺すぞ。」
そう言って睨む九太郎に「すいませんでした」と丁寧に謝るワイドは、もうすでに大人の、そして父親の風格を持つ。
そんな彼にもまだ若さの残る部分があった。ワイドは景色に見惚れるような振りをしながら、意を決してそれに向き合う。
「父さん」と、家族の中でも珍しい呼び方をするワイド。九太郎は瞬きだけでそれに応じる。
「……この間の、レーダのことは本当なのですか?」
……これだけはどうしても聞かなければならない。他のあらゆる所業に目は瞑っても、あの言葉だけは見逃す訳にはいかない。
最後には拳を交えることも覚悟してワイドはそう切り出したが、自分でも情けないほどに声は震えていた。
「なんだ?お前やっぱりあいつのこと好きなのか?」
「いいえ。そうではないんです。……確かにそういった思いを昔は持っているつもりでした。ですけど、彼女が王都に行くことになって、離れて暮らすようになってから気付いたんです。僕は彼女を追っかけようとか、何としてでも離れたくないとか、そういった強い欲を抱けなかった。……それは恋ではないでしょう?」
「そうだな。まあよくある話だ。」
それを人は親愛とか、友情とか、家族愛とか、別種の言葉で置き換えて排除しながらだんだんと大人になっていく。ワイドもそうして九太郎の知らぬ間に成長していたのだ。
「ええ……それでも、やはり兄としては許せないんです。」
ワイドはあの朝に九太郎を殴りつけた自分が信じられなかった。もし仮に自分がレーダに淡い気持ちを持ったままだったとしたら、あのような態度は取らなかったに違いない。選ばれなかった自分を恥じ、悔しさと嘆きでそれどころではなかっであろう。しかしワイドはあの時、怒りとともにある嬉しさも感じていたのだ。
この怒りは家族を思いやる者にしか湧かないはずの純然な感情。それは自分たちが真の家族であるという確証以外の何物でもない。
ワイドはそのことに気付き喜んだ。が、それとこれとは話が別なのである。
「レーダは……きっとあなたのこと、本気なんです。」
「んなこと分かってんだよ。……ちっ、せっかく楽しんでたのに。お前がそれを言っちまったら興が削がれんだろ、馬鹿が。」
九太郎のあまりにもな言葉にワイドは放心する。自分とはまるで違う価値観でこの男は動いている、そんなことは重々分かっていたが……。
「……だったら!……そうだとしたら、……彼女をはやく楽にしてあげてくださいよ。」
ワイドのそれは懇願だった。王都ではメアリが姉であるレーダのことをなんとかしようとあれこれ手を出しているみたいだが、若すぎる彼女には見えていないものがある。
「嫌だね。あいつだって今みたいなのが一番楽しそうじゃねえか。」
「でも……そんな不毛なこと……」とワイドが口を開いた瞬間に、九太郎はベンチの背凭れを思いっきり殴っていた。その衝撃がワイドの背にも伝わる。
ヒステリーのような激高。九太郎には珍しいことではないが、いつその境界線を踏み越えてしまったのか、ワイドには皆目見当もつかない。
「な、なんですか……いきなり。」ワイドの声の震えはますます大きくなり、完全に怯んでしまっていた。
「くそがっ、くそがっ、くそがっ!!!てめぇもロッドと同類の人間か…………。」
ロッドと何が同じなのか。その言葉の意味するところは分からない。ただ九太郎がベンチを拳で殴るたび、ワイドの体は揺れて硬直してしまう。
尋常じゃない。それだけはワイドにもはっきりと分かった。目を見開き地面を睨みつけている。それに頭痛がするかのように顔を強く顰めている。
「はぁ、はぁ、おい、うっ、お前……じゃあ、一つ聞かせてもらうが、仮にお前の娘が、そこの孤児院の鼻垂れでもいい、そいつが馬鹿な男に騙されて、苦悶して、悩み抜いて、あげくその糞みてえな男に『殺してください』って頼みこんで、本当に殺されでもしたら、お前はどうすんだ、あ?……分かってるよ、目に見えてる。その男を糾弾して、自分の娘はそんなこと頼まない、騙されただけだ、その男は悪魔だ、そう泣きながら言うに決まってる。」
九太郎が嗚咽混じりに捲し立てる。本当に気持ち悪そうに、胃の中の物を今にも戻しそうになっている。その気味の悪い九太郎を前にしてたじろぎながらも、ワイドにははっきりとその問いの答えが浮かんでいた。
「……当然です。僕はそう言うでしょう。」
「そうだな、当然だ。……だが、なんでそれが当然か分かるか?」
それはワイドの予期せぬ切り返しだった。
「え……?それは……人は普通、自分を殺してくださいなんて、よっぽどのことがないと言いません。常軌を逸しています。その関係はやはり間違っているし、そうならば正す責任はその男にあるはずです。」
九太郎はそこで自分の口を押えながら、酷く悲しそうな、何もかもに興味を失ったような、諦念の色濃く浮かぶ顔をしてみせた。
自分の何が彼をそこまで失望させたのか、ワイドには全く持って理解の外だった。
「…………俺はな、そういう事を平気で言うお前みたいなやつがいるから……。」
九太郎は天に向かって呟くように言いかけていたその言葉を飲み込み、また別の言葉を選ぶ。
「……分かったよ。お前の言う事は分かった。これからはレーダに思わせぶりなこともしねえ。あいつが何か言ってきたらきっぱりと距離を取る。……それでいいんだな?」
青白い顔の、有無を言わさぬ九太郎の静かな答えに、ワイドは話を蒸し返すことなど出来なかった。
二人の間に長い沈黙が横たわり、流れる雲の腹底が夕日に赤く染まりだした頃、嗚咽の止まった九太郎がまたワイドに問いかける。
「ワイド、ポンの彫刻は観たか?」
先程の話の続きなのか、そうではないのか、ワイドには判然としなかったために素直に答えるしかなかった。
「はい。……彼女の作業を見ていると、なんだかとても敬虔な気持ちになります。そしてその素晴らしい作品の製作者が僕の妹である。そのことが何よりも誇らしい。」
ワイドはまだ製作途中の、いくつものポンの彫刻を頭の中で並べる。それらは全て、いずれこの教会を世界中に知らしめてくれるはず、そう固く信じて。
「そうか。……なあ、これはさっきみたいな説教じゃないから気楽に聞いて欲しんだが、お前がしたことと、ポンがしたこと、どっちの方がより価値のあることなんだろうな?」
ワイドは九太郎の言葉を額面通りには受け取れなかったが、それでも息子として真摯に自分の意見を述べようと思った。
「優劣をつけることではないですよ。」
「そうか?俺は大事だと思うぜ。」
「……あなたはポンの肩を持つのでしょうね。」
話の流れからしてきっとそうなのだろうとワイドは決めつけていたが、九太郎は意外にも逆だと言う。
「そんなまさか……。」
……画家の父さんがポンより僕を?
そんなはずはない。これは何か裏のある話なのだと、ワイドはぬか喜びせずに話を聞く。
「お前覚えてねえのか?俺がお前に出会って初めてした質問。」
お母さんに拾われたばかりの時、まだ母と呼べなかったその女の人が連れて来た、どこの誰とも分からない汚い恰好をした男。その男が最初に問いかけて来たこと。
「……いえ、覚えていますよ。あれは忘れてはいけない記憶ですから。」
「お前あん時、神様なんて信じませんって俺に啖呵きりやがっただろ?」
それはこの国では罪に問われる発言だ。今では信心深いワイドであったが、幼いころはそうではなかった。むしろその存在を憎んですらいた。
「はい。そしたらそんな奴は息子にしないと言って、母さんにぶたれてましたね。」
「あいつは顔に似合わず暴力的な女だからな。」
変わったのはワイドだけじゃない。九太郎もまた、いつの日からか急に神を蔑ろにする発言をし出した。そこのことでワイドとぶつかったことも数え切れぬほどある。当然いつも一方的にワイドが負かされていた。
「……それで、なぜポンより僕の方を評価するのですか?」
要領を得ない九太郎の会話の運びにじらされる。ワイドはその答えを早く知りたかった。それが父親に認めてもらいたいという思いからなのか、ただの承認欲求からなのか、いずれにせよあまり良い願望とはいえない。ワイドはさっさと聞いてしまって楽になりたかった。
「聞いたぞ。お前なんか事業起こすらしいな。」
九太郎の耳にその話が入っていることは意外だった。
……そのことで僕を評価したのか?むしろいつもの父さんなら馬鹿にしそうなことじゃないのか……?
ワイドは無言の肯定する。
「やっぱりそうなんだな。ったく、教会の人間がそんなに知恵を絞ってどうする。神を真に信じられるのは子供だけだろ?そして子供は愚かだが美しい。だから聖職者ってやつは尊敬されんだ。お前みたいな頭でっかちはすぐに年取って信仰心を失う。違うか?」
「……その覚悟はできてますよ。」
ワイドは自分に宣言するように、遥か先の水平線を見据えて言い放つ。
「ふん、だろ?……だから俺はお前を買ってるんだよ。俺とは違えし、まったくもって大嫌いだがな。」
九太郎は立ち上がってワイドの後頭部を思い切り叩く。その強さに前屈みとなったワイドの視界には、ただラゴナの丘の柔らかい地面だけがある。
痺れる頭を擦りながら、ワイドは立ち去る父親の背中を眺め、彼との会話を夕日の沈むその折まで頭の中で反芻していた。