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interlude 5  真実―truth―


 サルべード家の裏手は四面を似たような石造りの建物に囲われ、石畳の地面の隙間からは伸びっぱなしの雑草があちこちに生えて鬱蒼としている。


 周囲の建物は半ば崩落しているところもあり、中庭は全くの無風という訳ではなく、人の住まう家としての機能を果たしているのはサルベード家を除けばほとんどないと言っていいだろう。ゆえに不良者が溜まっては消え、時には飢えて倒れたものの亡骸を見つけることもある。


 そんな灰褐色の景色の中、同じ髪色の少女が両手に一対の剣を構え、一人明鏡止水の境地に達そうとしている。


 ――メアリ・アボニー。


 サルベード家の三女にして、『名無し(イマーゴー )』初の、そして唯一の、王立陸軍士官学校入学者。


 今彼女が構えるのは、普段演習で扱うサーベルやレイピア、槍、勿論銃でもない。


 ――カットラス。


 海賊が好んで使用する刀身が湾曲した剣。メアリが扱うのは通常のものよりも更に小型で刃渡りの短い、ナイフに毛の生えたようなものである。


 しかしそのことよりも特筆すべきなのは、その刀身に掘られた装飾の秀麗さ。刃先まで隙間なく意匠がこらされ、花と蔓が複雑に絡み合いながら光を反射している。一見すると実用には耐えない儀礼用の物のよう。


 その花の名はエールスリン、アールス王国の国花であり、同時に王室を象徴する白く高貴な花。


 メアリは精神を統一するように、そのカットラスを握った両の手はだらりと力を抜いて、こうべを地面に垂れている。傍から見れば何かに打ちひしがれ立ち尽くすか弱げな少女であって、誰も士官の卵とは思うまい。


 しかし『その』切っ掛けは何だったのか。仮に間近で注視していた者がいたとして、果たしてそれに気付けたかどうかは疑わしい。


 人が息を吸うような転瞬てんしゅんの間に、彼女の両の腕は前方の敵を刺す様に真っ直ぐと伸び、遅れて乱雑に切られた髪と、着古した服の裾が大きく広がっていた。


 さながら獲物に飛び掛かる鳥のような羽ばたき。予備動作もなく、初めからあるべき場所にあるべき体が収まっただけ。そう錯覚するほどに、力は籠っていても動きに揺れがない。


 それから二手、三手と連撃は続く。舞うようにとは形容され得ない、的確に急所だけを突く最短の動線を飽くことなく繰り返す。


 それは無限にも思える型の反復練習。漏れる白い呼気と、頬に流れる汗だけがメアリの制御から逃れる。四肢は勿論、瞬き、呼吸のタイミング、視線、その手にもつカットラスまで、寸分違わぬ再生、メアリの意図したように理想の形を成す。


 静止と起動。その目にも止まらぬ入れ替わりの中に、ただ規則正しい息遣いだけが静まり返った中庭に響いている。


 1時間はそうしていただろうか。さすがにメアリも呼吸が乱れ始め、足が急停止に耐えられず少しだけよろめく。


 「くそやろぉ!」


 メアリはおそらく珠玉の一品と思われる剣を片方、苛立ちに任せて地面に投げつけた。


 ……あの変態くそオヤジのせいだ。


 メアリは唇を噛む。誰もが完璧と称賛したであろう先程までの修練。しかし当の本人は全く納得してなかった。どうにも集中が乱されて仕方がない。


 九太郎と出かけて行ったレーダ、彼女が心配で動きに精彩を欠いている。そう自覚してしまうと、あの父親が恨めしくて仕方がない。


 今、家にはメアリを除いて誰もいなかった。他の者たちはみな、ポンも含めて教会の方に行ってしまったのだ。


 ちょっかいをかけてくる双子もおらず、ようやく集中できると思ったところでこれだ。いったいあの男はどれだけ私の邪魔をするのか。


 メアリは投げ捨てた剣を拾ってその刀身の花を見る。エールスリンはエルターニャには咲かない。もっと北の、王都がある寒い地域の高山で見られる花だ。


 「ちっ!」と、舌打ちをして、それが九太郎の癖だと思い出すとまた憎しみが増す。一緒に長く暮らせば癖が移ることもある。なんと忌々しいことだろう、もう家を出てかなりの時間が経つのに。


 ……レーダ姉さんだって、苦しんでるんだ。


 メアリは自分の太腿を、剣を握ったままの拳で叩き鼓舞する。そしてもう一度修練に臨むため、例の脱力の構えをしたとき、鋭敏になったメアリの感覚に小石程度の僅かな不純物が混じる。


 メアリはそのまま掌に力を込めた。


 ……ただの浮浪者。にしては視線が鋭く、直感が「違う」と告げている。

 

 メアリは声を掛けることなく、ゆっくりとその違和感の正体の方を向く。


 丁度サルベード家の向かい、その2階部分、壁に穴が開いたところからこちらを見下ろしている男がいる。


 その男はメアリと視線がぶつかると、ゆっくりと歩を進め、壁の向こうに消えた。


 メアリはそのまま気を抜くことなく臨戦態勢を維持したまま、建物の一階、中庭への出入り口のところを睨みつける。盗み見がばれても動揺する仕草が全く窺えなかった。つまり相手は自分に気付かれることを承知していたのだ。そしてそいつは間違いなく逃げた訳ではない。


 すぐにその不気味な、黒いマントのようなコートで体を隠した大男が中庭に現れる。双子やレーダあたりならその巨大さだけで逃げてしまうような体躯。


 その男が徐々にメアリに近づいて来て口を開いた。


 「……失礼をした。」と、その男が聞き取りづらい低い声で謝る。


 「……別にいいですけど。」


 メアリは少しだけ構えを緩める。自分より遥かに大柄で、服に隠れていてもその筋肉の大きさが並じゃないことは明らか、まず間違いなく素人ではないと、そうメアリは分析した。それならば反って変に緊張することもない。真に恐ろしいのは作法の知らない素人の無鉄砲である。


 「綺麗な剣筋だった。」


 「……戦場じゃ役に立ちませんよ。私らなんて大砲で一発、銃で一発。それだけです。」


 メアリが皮肉で笑いを誘おうとする。相手の人柄を見るのにこれが一番手っ取り早い。


 「……そうだな。しかし君の出番はその仲間の死体を越えた先にある。違うか?」


 男は重く頷いて知ったようなことを言う。が、彼の言う事は間違っていない。統率された集団に個は敵わない。ゆえにメアリの卓抜した技量が発揮されるのは、戦況の中盤から終盤にかけて、互いの陣形が崩れたその後である。そのことは士官学校で最初に習うことだ。

 

 ……この男は間違いなく同類。声を掛けて来たのもそういうことか。


 メアリは納得してカットラスを革の袋に収める。メアリ・アボニーの名を軍で知らぬ者はいない。興味本位で話しかけて来る輩も腐るほどいるのだ。


 「もう終わらせてしまうのか?」


 男は彫りの深い、ほとんど影になって見えない瞳をわずかに下げる。


 「人前は恥ずかしいんですよ。」


 「それは本当に申し訳ないことをした。」


 「構いません。どうせ私の上司でしょう?」


 言葉とは裏腹にメアリの態度は失礼極まりない。士官学校なんて今すぐにでも辞めてやろうと、そう思っているからこその無礼である。


 「ばれていたか。」


 「なんでそんな恰好しているのかは存じあげません。ですが、いいんですか、私に正体を明かして。どうせエルターニャの内情か何かの偵察でしょうけど。」


 「そんなところだが、君には、いや、メアリ・アボニー士官候補生、君に重要な話があって来たんだ。……だが、その前に一つ、手合わせして頂こうか。」


 話していると見上げた首が痛くなるので、相手の胸の辺りに視線を這わせていたメアリが、男の提案にはっとしてその無骨な顔を覗く。


 男は返事を聞かぬうちにメアリの脇を抜け、サルベード家の薪が積み上げられている場所から三本、適当なものを選びだし、その内二本をメアリに投げ渡す。


 昨日、双子ともそうして遊んだ。しかし目の前の男は違う。メアリでは扱えない様な大きさの薪木。彼女は気の乗らないような表情をしながら、それでも高鳴る胸を抑えられなかった。


 メアリは己の好戦的な性質が好きではない。そのため、否が応でもその本質が引っ張りだされる軍からは早く足を洗いたかった。


 しかしこうして喧嘩を売られれば、買ってしまう。


 身長差50cm以上ある二人が、薪を持ち互いに距離を取って見合う。


 ――ことはなかった。


 メアリの初撃、それは剣術などではなく、暴力を振るうためだけの、迅速の突撃からの一閃。礼儀も作法もない、殴り合いの始め方。


 メアリは簡単に男の懐に入り、その顎に直線的な突きを繰り出す。常人であれば反応することもままならず、そのまま空を仰ぎみて地に倒れていたことだろう。


 しかし男は違った。体を反らせ突きを避け、それからメアリの脇腹を狙った隙の無い二撃目も、握った太い薪で防ぐ。


 横から薙いだ一撃を防がれたメアリは、そのまま伸長差を埋めるように軽やかに飛び上がり、逃げ場を失った力で体を回転させ、また男の頭を、真剣ならば峰の側で殴りにかかる。


 男はそれすら素早い足捌きと、流れる様な剣捌きで弾いて見せる。


 ここにおいて初めて、二人は正対したまま睨み合った。


 「流石だ。……こういう嫉妬はいくつになっても心地良いものだな。」


 メアリは無言で流れる汗を荒々しく拭う。寒空の下、彼女の体表からは白い湯気が濛々と立っていた。


 その殺気迫る立ち姿を見ただけで逃げ出す者もあっただろう。がしかし、男は熱する少女の、先程手で拭ったばかりの頬を凝視していた。


 左の目の下、目を凝らすと、最初には無かった黒子が四つ小さく菱形を成すように現われていた。化粧で隠していたものが汗で流れたのか、生まれつきにしてはあまりに整った形。


 男がそれに目をとられていると、メアリがまた猛然と突進していく。


 士官候補生は座学に重きを置く者も多く、メアリを相手に数分でも立っていられる者は少ない。メアリはやはり男を前にして高揚していた。


 九太郎の事を忘れ、純粋に体を動かせるこの瞬間は、喜び以外の何物でもない。


 時間が経つほど徐々に押され始めたのは男の方だった。メアリの俊敏な動きは衰えを知らず、男が雑草に足を滑らせたり、石畳に躓いたりするものなら、容赦なく皮膚を裁ち、骨を砕こうとする。


 男のコートは最早はずたぼろ、脱げたフードから現われた、日に焼けた焦げ茶の短髪は汗に濡れて光っていた。


 間一髪で致命傷を逃れていた男も、ついに薪を後方に吹き飛ばされ、諸手を挙げた。


 ここに勝敗は決する。終始メアリが攻勢をかけて圧倒し続けた。


 「……感謝する。いい経験になった。」


 「こちらこそ。……馬があればもっと良いもの見せてあげますよ。」


 メアリはそう言って手に持っていた薪をもとの場所に投げ入れ、手を払う。


 「それで、結局私に声をかけた目的は何なんですか?」


 メアリは気を許した訳ではなかったが、相手の実力も知り、緊張もなく問うことが出来た。


 男は乱れた服を直し、また胡散臭くフードを被って威圧的な低い声で話し出す。しかし彼の話したことは、メアリの頭をすり抜けるようにしてうまく理解できないものだった。


 「九太郎・ソロア・サルべード。君の父親は大罪人だ。捕まえるのに協力して欲しい。」


 「大罪人……?」


 数秒の沈黙の後、メアリはゆっくりと口を開け、それから腹を抱えて中庭に響き渡るように哄笑する。男は突然の大声に驚き、少しだけ肩を跳ねさせる。


 「オヤジが罪人!?ははははっ。そんなの、そんなの端から知ってるって……くっくくっ!」


 男の神妙な物言いも可笑しくて仕方がないといった様子。しかも捕らえるために本人の娘に頼むとは。世も末なんてもんじゃない。


 気を取り直した男はメアリが落ち着くの待って、なおも真剣な面持ちでメアリに言葉を送ろうとする。が、どうにもメアリはすでに斜に構え、馬鹿にして笑い飛ばす準備をしており、真面目に聞くつもりが毛頭ない。それを見て取った男もまた、挑発的な言葉遣いに変える。


 「ほう。それでは彼が殺人者だとしたら?それももう知ってると言うのか?」


 「へ……?殺、人?」


 「ああ、そうだ。」


 男は冗談を言っているようには見えない。今度はメアリが狼狽えた。


 「……ば、ばっかじゃねえの。あいつが、あの阿保がそんな度胸あるはずねえだろ。女のことしか頭にねえ屑だ。ありえねえ。」


 九太郎を侮蔑するための強い言葉ではなかった。むしろ彼を擁護するために、あえて彼を卑下してみせる。奴を庇うのは癪に障るが、口が勝手にそう言ってしまうのだから仕方がない。


 しかしメアリの心の底を見極めようとする男の視線は緩まなかった。


 彼の本業はむしろ『こっち』なのだとメアリは悟った。


 「……このエルターニャで五年前、アールス王国の王女が亡くなったのは知ってるな?」


 メアリは瞬時に思い出す。病気療養のため内密にエルターニャを訪れていた王女。生まれてから一度も大衆の前に顔を出したことがなく、亡くなったと発表されたのは5年前のことだった。しかし実際に息を引き取ったのはそれよりかなり以前の話らしく、ずっと王国によって秘密にされていた。未だに正確な没年は国民に知らされていない。


 王女がエルターニャで亡くなったことが広まると、公国のアールス王国に対する立場は一気に危うくなった。そもそも王国にとって、勝手気ままにさも己が独立国家であるかのように振る舞うエルターニャ公国は、かねてよりの障害だったのであろう。


 そうしてエルターニャは築き上げた繁栄を失い、王国に服属することとなった。


 この一連の事件は簡潔に『エルターニャ事変』と呼ばれており、あらゆる憶測が飛び交っているが、その真偽を王国が示したことはない。


 ――その頃のことをメアリはよく覚えている。今の双子よりまだ少し大きかったメアリは、アールス王国の王女が卒去そっきょされたという記憶も、住み慣れたエルターニャの街が見る見るうちに破壊され、かつての煌びやかな通りが粉塵と瓦礫に埋もれてしまった、その悲しみに付随して色濃く残っている。

 

 そして何より、アールス王国の国民がみな揃って喪に服する中、サルべード家の面々もまた、同じく黒い喪服を着て、他の者達とは違う人のために祈りを捧げていた。


 ――エリザベート・フォン・サルべード。


 九太郎の妻にして、メアリの母、そして命の恩人。彼女もまた、王女が亡くなった年に眠るように静かにこの世を去った。


 その時のメアリの哀しみと怒りは三日三晩食事も喉を通らぬほどだった。お母さんがいなくなってしまったというのに、街は理不尽に破壊されていくし、遠くの顔も知らぬ王女は、大勢の人に見送られながら、壮麗な宮殿で、この世の全ての花々をかき集めたような通りのなかを悠然と運ばれていったと聞く。


 メアリはその時はじめて無情という言葉の意味を知った。


 みすぼらしい恰好で、血の繋がらぬ家族にだけ囲まれて死んだ母。不幸を自ら買い込んで、どんどん身動きが取れなくなってしまった憐れな人。


 一度そう思ってしまうと、育てて貰った感謝や申し訳なかったという気持ち以上に、初めて実感した自分の恵まれぬ境遇に慄然りつぜんとするしかなかった。


 自分は王女でも貴族でもなく『名無し』。いずれこの母のように惨めに死んでいく。その現実を握った母の冷たい手に気付かされた。


 メアリは今でも自分が嫌いだ。お母さんの死を純粋に嘆くこともできず、ただただ可哀想な自分を認めたくなくて泣いていたあの日の自分が、今でも心の底にいて止めどなく涙を流している。


 「覚えてるに、決まってんだろうが。」


 メアリはそのやるせなさを、目の前の男にぶつけていた。


 「そうか。それでは王女の死因はなんだった?」


 「病気だ。生まれつきの。」


 男はここでにやりと不敵な笑みを零す。それはおよそ軍人らしからぬ邪悪なものだった。


 「……違うさ。」


 「え?」


 メアリは懐古に浸る自分を呼び戻し、必死に男との話の流れを思いだす。


 ……そんな訳がない。あるはずがない。それでも。


 ――こいつは誰かを殺人者だと言わなかったか?


 「まさか……。」


 「そうだ。お前の父親、九太郎・ソロア・サルべードは、王女殺害の大罪人だ。」


 男は断言する。


 ……全くもって、ふざけてやがる。


 「ははははっ。そ、そんな馬鹿な話あるわけないじゃないですか。なんだ、すっかり真剣に聞いちゃった。……なんだよ、あんたあいつに女でも取られたりしたの?」


 「そうか、まあ信じられないのは当然だ。……しかしお前のその剣技、誰に教わった?」


 男の話は二転三転してもうメアリには訳が分からなかった。何よりこの外堀を埋めて来るような、回りくどい男の話方がメアリには苦手だった。


 体を動かすのと違って、頭を働かせることは好きではない。そのためメアリは素直に、とことこん、男の質問には答えることに決めた。


 「教わったのは師匠だよ、師匠。」


 「海賊のか?」


 メアリの得物をみていれば当然の疑問である。


 「ちっ、軍には言うなよ。」


 「まあいい。それで、どうやって海賊と知り合った?」


 「…………糞オヤジからだ。」


 メアリはこんな時でも少し照れたように言う。父親の言いなりになって、それを愚直にここまで鍛え上げたということは、年頃の少女にはあまりにも恥ずかしいことだった。


 ……それにしてもまた九太郎の話に戻る。


 メアリはこの段になってようやく男の話に耳を傾け始めた。


 「なるほど。それで、父親は何故海賊と知り合いなんだ?」


 メアリははっとして考える。まだお母さんも家にいた幼いころ、ただ九太郎の手に引かれるままついて行くと、彼よりも背の低い冴えない男と、褐色の肌の健康的な女がメアリを迎えた。


 そして確か「遊んでこい」と九太郎に言われたのだ。後から思えばそれはいずれメアリを軍で働かせるための小手調べ、そして訓練だったのだろう。当時は何も不審に思わず、ただ不定期に公国に訪れるその人たちと遊び、そうでないときは習った型の練習に時間を費やしていた。


 これまで彼らと九太郎の間の関係に疑問を持たことはなかった。遊び相手が海賊だということを知ったのはしばらくしてからだったが、特段悪い人たちでもなく、何より王国公認の海賊だったので、怖いと思うこともなかったし、何より気さくで良い人たちだった。


 九太郎に軍で働けと言われ、王都に移り住んでからは会っていない。しかし、こうも意味深に問われると確かに不思議だ。生粋の芸術家であるはずの九太郎が、武闘派も武闘派、海賊とどうして知り合いなのか。


 ……酒の席で一緒になった、それが一番ありえる。そして娘の才能に金の匂いを嗅ぎつけた。


 溜息がでるほど確率の高い推測だ。姉のレーダは実際にその流れで踊子になったのだから。


 「聞いていないらしいな。」


 「聞くまでもない。」


 「父親の生い立ちは?」


 「知らないね。どうせ私達と似たようなとこでしょ。」


 ここで芸術家を目指すということは、そういうことなのだ。王国や公国で必要とされる仕事は全て、それを専門に生業としている家系がある。貴族に次ぐ特権階級の者たちである。


 そうでないものは全て『名無し』だ。名無しは所詮、それらの仕事の手伝いや、雑用をするしかない。それでもなんとか食べていける。しかし一攫千金を狙う者、上の階級を見返そうとする者たちは芸術に心血を注ぐ。九太郎もその内の一人に違いなかった。


 「彼は確かに名無しだ。しかし君たちとは違う。彼は……元海賊だ。」


 「……なんだお前、次から次とやっすい大道芸みたいな暴露話しやがって。」


 ……じゃあなんだ、あいつの体の傷は、虐待や理不尽な暴力によるものじゃないのか?


 「彼はこのエルターニャで、君たち家族を隠れ蓑にして潜伏していた、卑劣な海賊だ。」


 ……だから自分の子供を…………私を……愛さないのか?


 「目的は、なんだ?」


 「雇われたんだろう。王女を害するために。」


 ……あいつは、確かに五年前からだんだん……人が変わって……でもそれはお母さんが……。


 メアリは歯ぎしりするようにして雑念を振り払う。自分だけで判断していいことじゃない、少なくともレーダやワイドに相談すべきだと、男の与太話は一度頭の中で宙づりにした。


 「……そうですか。だとしたら王国軍とはそれほどまでに無能なのですか?ますます入りたくなくなる。何年もそんな奴を野放しにしやがって。捕まえるなら今すぐにでも勝手に、私の許可なく捕まえればいいじゃないですか。その方がせいせいしますよ、私も、家族も。」


 メアリは不愛想に言い放ち、その場を去る。この男の言う事を信じるかどうか、考える時間が欲しかった。メアリとてそう易々と父親のことを殺人者には出来ないのである。……それに。


 ……ここまで身内を悪く言われると、あんな奴でも腹が立ってしかたがない。


 メアリは男に背を向け家へと戻る。男はそれ以上何かを言うつもりはないらしく、また廃墟ひしめく浮浪者たちの住処へと戻っていく。


 中庭の背の高い雑草が揺れる。冬にも枯れぬその強かさは、夢潰えたエルターニャにあっても何ら変わるところなく静かにそよいでいる。


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