第六話 湯煙事件
第六話です。よろしくお願いします。
呼びだされた俺は、再びリスタと相見える。
濃紫の艶髪と色っぽい仕草は大変魅力的だが、その本質は残虐極まりなく、何かにつけて奴隷を殺したがる危ない女である。
「数日ぶりね。もう屋敷での仕事には慣れたかしら」
「まあ、それなりには慣れたが」
「それにしては雇い主への言葉遣いがなっていないようだけれど?」
「……それなりには慣れました」
メルカと話した時はため口でも特に何も言われなかったので、つい迂闊にもため口で話してしまった。だがそれを理由に何か罰を与えてくるような様子はないので少し安心する。
「私から、あなたに仕事を与えるわ」
その言葉ですぐに安心は崩れ去り、緊張が走る。
むしろこっちで何かするつもりだったから、ため口程度では特に突っかかってこなかった可能性が高い。
「とある古い物置を綺麗にしてちょうだい」
「それは今日中にですか」
「別に今日中でなくてもいいわ。早いに越したことはないけれど。ただし、作業は陽が落ちてから私が指示した時間に限るわ」
「その理由については?」
「日中は決められた仕事をしなさい。古い物置はあくまであなたの休憩時間を使って進めること」
なるほど。休み時間も労働に酷使して、体力を削っていく嫌がらせというわけか。それで体調を崩して奴隷としての働きが望めなくなったら公然と処分するつもりなのだろう。
「わかったかしら?」
俺が了解の意を示すとリスタは満足げに頷き、部屋を出て行った。
さて、今度も酷い指示であることに変わりはないが、前回ほど絶望的なものではなく何とかなりそうなものだったのは幸いというべきか。作業に期限がないので疲れをためない程度に少しずつ進めていけば何とかなりそうだ。
翌日、日中は決められたルーティーンをこなし、夜になると夜の配給を求めて小屋に戻る奴隷たちの波から、リスタ付きの使用人に呼ばれて、一人抜け出し、場所に向かう。まさか初日から飯前に呼び出して、あからさまな嫌がらせをしてくるとは。空腹というのはかなりつらいというのはここに来てから実感したことだ。こんなことが毎日続くようだと、体力的にすぐに限界が来るかもしれない。少しずつ進めようかと思っていたが、逆にこれは早めに終わらせないと体力的に不味いかもしれない。
指示された場所へ行くには屋敷の中を通る必要がある。日々の仕事は主に外の広大な庭であったり、倉庫であったりと、屋敷内を歩く機会はほとんどないのだが、それにしても場違い感が半端なかった。廊下には装飾品が並び、絨毯が敷かれ、まさにお屋敷といった感じで、対照的に俺はボロ布を身に纏っただけの奴隷である。
これは不審者に間違われてもしょうがないなと自分でも思う。だが、屋敷は広いわりに人はそんなにいないらしく、執事らしき老人とすれ違った以外は特に人と会うこともなかった。もっとも唯一すれ違った執事の老人には思いっきり怪訝な表情をされたが、一応雇われた奴隷で、ここを通っているのも指示によると説明すると、ああ、あなたが例の、とそれだけ言って、そのまま歩き去っていった。もしかしたら、リスタがすでに屋敷の召使には話を通してあるのかもしれないな。
目的の古い物置にようやく辿り着く。
中に入ると、カビ臭さが鼻を衝く。見渡すと、ところどころ床板は腐っているようで変色したりカビが生えていた。
これはこれで、一日そこらでどうにかできる状態ではなかった。というより一日もこの空間にいたら病気になりそうだ。嫌がらせもここまで手が込んでると感心するな。
「さて、まずは現状把握を済ませるか」
室内には三方の壁に沿うように木造の棚があり、ものがぎっしりと詰まっている。それから……音?
床の下から微かに音が聞こえる。
何の音だ?
ザザザッと何かを打ち付けるような、そんな音がしていた。それは部屋の中心付近から聞こえてくる。
「なんの音だ?」
音は明らかに部屋の中心の床から聞こえてきている。聞き耳を立てていると、音はすぐに止まった。いったい何の音だったのか気になった俺は床を調べるために、部屋の中心に近づいていくと……。
バキィイ
もろくなっていた床が荷重に耐えられなくなったのか、突然音を立てて壊れる。
唐突に足場を失った俺は自由落下によって一つ下の階へとたたきつけられる。背中への衝撃と共に激しい水音が弾けた。
すぐに驚きから感覚が覚め、体を覆う熱に気付く。
「熱い!」
俺は飛び上がるように体を起こす。
しかし視界はぼんやりと白い湯気にさえぎられていた。
ここは、浴場か何かか。
その予想は当たっていた。
足元には暖かい湯船があり、湯気が絶え間なく立ち昇っている。
さらに視線を巡らせると、そばには瓦礫によって頭を打ったのか、気を失って倒れている人の姿があった。急いで助け起こそうと近づくが、近づいたことで気づいてしまう。その人は女性で、しかも全裸だ。もっと言えばメルカだった。
幸いうつぶせに倒れているから、見てはいけない部分はあまり見えていないが、助け起こそうとすると必然的に見てしまうことになる。
助け起こそうとした手が止まり躊躇する。唯一、敵ではない雇い主側の人間だけに、あまり関係が崩れてしまうようなことはしたくない。だが、このまま放置していくわけにもいかないし……。
悩んでいると浴室のドアが勢いよく開け放たれた。
「何事ですか!」
そこに現れたのは先ほど廊下ですれ違った老執事だった。
「な、これはいったい……ん? お、お嬢様!?」
老執事は俺の方を見て、正確には俺の目の前で横たわるメルカを見て、悲鳴にも近い絶叫をあげた。そして老人とは思えない速さで近づいてくる。
そして、いきなりの老執事の乱入に呆然と立ち尽くしていた俺は、近づいてきた彼に思いっきり殴り飛ばされた。
再び湯船に沈む。
老執事はさらに素早い動きで距離を詰めると、湯船から顔を出した俺に拳を振り下ろす。今度はかろうじて防ぐが、連続で打ち込まれた蹴りをまともに喰らい、浴室の床に放り出された。
腹と顔面に激痛を感じながら、俺の意識は白い湯気の中に飲み込まれていく。
最後に見たのは、いつの間にか浴室に駆けつけていたリスタが、メルカを助け起こしている姿で、床に転がる俺を一瞥したリスタの口元は満足げに吊り上がっていた。
……何故リスタがここに? 俺は、嵌められたのか?
次話の掲載予定は12月4日(日)の22時です。