第一章 ログ
1996年3月13日 有明月 下弦
朝のジョギングという口実で鴨川に来ては彼と会うのがこの数日の日課となっていた。
「昨日、僕、大丈夫やった?お兄さん、アレ冗談じゃなくて本気やったよね?」
「気にすることないわよ。楽しかったじゃないの。アンタ、私のこと本気なんでしょ?もっとどっしり構えて欲しいわよね。」
「本気に決まってるやないか!でないと、わざわざ18歳の娘に告白しないやろ。」
「私はまだ返事してないわよ!それに4ケ月後には19歳よ。」
「わかってるよ。まぁ、毎日こうやって会ってくれてるんやから、憎からず想ってくれてるとは思うけど…ね。君の返事が聞けるまで時間をかけて口説くことにするわ。」
「ねぇ、一つ聞いていい?」
「もちろん、僕に答えられる質問なら。」
「もし、自分が超能力者だったとするわ。アンタはどう生きて行く?」
「何だか少し哲学的だね。その能力がどんなもんかは判らんけど、大して今と変わらず普通に生活すると思うよ。」
「でも、その能力で周りの大事な人を傷つけたり、迷惑かけたりするかも知れないじゃない。」
「人間誰しもが、能力関係無しに、生きてたら人を傷つけたり、迷惑かけたりすることって普通にあることやないの?
それに、その能力含めて自分なんやったら、もうどうしようもないやん。長所も、短所も含めてそれが自分なんやから。そんな自分を認めてもらうしかないやん。」
私は憑き物がおりたように納得した。こんな単純なことを今まで何故悩んで来たのだろうか。そう自分は自分でしかない。
「そうね…返事の件、もう付き合ってるみたいなもんでしょ♪」
私は軽くウインクした。人工的に造られた私が初めて人を好きになった瞬間だった。彼は破顔させてこう言った。
「覚えといて!僕、ホンマに君のことが大好きなんやで。」
帰宅すると、兄と楓が待っていた。書斎で話があると言う。要件は解っていた。
昨夜、繋時が話した写真の件だろう。
「オマエ、あの話どう思った?心配しなくていい、楓に開示する許可は得ている。」
「実物を見て触れてみないとわからないけど、可能性は高いと思う…。」
「彼もそうだと思うか?」
「わからない。でも、ダイブ出来るかどうかはともかく、ログを感じる能力はありそうね。」
時空跳躍者が撮った写真のことをログと呼んでいる。ダイブする際には必ず必要なものである。
「俺もそう思う。現在、機関で管理している写真はオマエとトラベラーの写った一枚だけだ。これから話すことは機密事項だったため、今まで開示許可がされていなかったものだ。我々、機関は過去4度、トラベラーと接触している。香久夜がダイブしてくる以前に3度、そして以降に1度だ。」
1度目の来訪に関して詳細は開示されなかった。しかし、日本政府が歴史上初めてタイムトラベルを確認する事象が起こったらしい。その結果によりタイムトラベル研究のための機関設立が決められたという。そして彼はトラベラーと名乗った。
2度目は1985年。ある事件に介入するため彼は再び現れたという。事件内容は開示されていない。そして、その過程においてタイムトラベルという事象の詳細を説明。その中で初めて時空跳躍をダイブと称し、歴史介入の難しさを説いた。無理に歴史に干渉しようとしても世界は自浄作用により元の歴史通りに戻ろうと辻褄合わせを行う。ただし、今から4年後の1989年にある少女が未来からダイブしてくる。そのダイブの影響で未来が大きく”ゆれる”と言った。
3度目は1989年、私がダイブしてくる2週間前。彼は機関に接触し、私の戸籍を特別に用意させ、時司家で保護することを要請した。そして、中学卒業時までは干渉せず、未来に起きる事象については一切尋ねないこと約束させた。
4度目は1992年。トラベラーはダイブに必要な最重要情報となる9点の条件を開示した。そして、養成機関への入所を認める代わりに私の人生を好きに歩ませろと伝えたそうだ。時空跳躍者は自分の歩みが見えない未来に操られていると疑心暗鬼に囚われ精神を病みやすいから、干渉するな。時が来れば、私は自らダイブするようになるから、それまで待てばいいという予言とともに。
午後2時、再び月詠堂に来訪した我々を店主の月詠時守氏が出迎えてくれた。
「お嬢さん、お越しやす。繋時が世話になっとります。」
今日は兄も一緒だからか店内で彼は待っていた。
「剣太郎さん、昨夜はご馳走になりまして、ありがとうございました。店主で父の時守です。父さん、こちら聖護院にある時司神道流居合術道場のご子息で剣太郎さん、婚約者の楓さん、そして妹の香久夜さんや。」
「おおきに。ようお越し下さいました。大したもてなしは出来ませんけど、ゆっくりしてって下さい。」
彼の案内で2階にある趣味部屋に通された。
「今朝、整理してたんです。例の写真と思しきものは24枚あります。少ないでしょ。それにあくまで私の感覚なんで。どうぞご覧なって下さい。」
兄が頷き、私も慎重に触れる。機関で過ごした3年の成果で無闇にダイブすることは無いはずだ。
この肌に張り付くような感じ、やはりログに間違いない。兄に頷く。ここで問題が発生する、さてどうするかだ。
「繋時君、この写真をお借りすることは可能かな?」
「えっ、…構いませんけど、大した価値はありませんよ。ただ、それでも僕にとってはそれなりに想い入れもあるんで、一度に全部お貸しするいうんは…ちょっと…。」
そう、珍しく歯切れの悪い物言いをし、こちらを見る彼に私はごめんなさいという表情で応じる。
「そりゃ、そうですよね。とりあえず、10枚くらいならいいかな?」
「外ならぬ、剣太郎さんの頼みですから…。ただ、何に使用されるかは伺ってもいいですか?」
きっと聞かれると思っていた質問、さて兄はどう返答するのか。
「うん、僕の職場先なんだけどね。」
そう言って、兄は名刺を彼に渡した。
科学技術庁 科学技術関係資料整備審議会所属 国立情報調査研究所設立準備室 推進対策課 主任 時司剣太郎と記された機関の表向きの名刺だ。
国立情報調査研究所(National Institute of Information and Investigation)、略してNIIIはあらゆる学問分野での「未来価値創成」を目的とした、ネットワーク、ソフトウェア、コンテンツなどの情報関連分野の新しい理論・方法論から応用までの研究開発を総合的に推進するために科学技術庁と文部省が省庁の垣根を超えて2000年4月に設立を目指して準備している我が国唯一の学術総合研究所である。
また、大学共同利用機関として、学術コミュニティ全体の研究・教育活動に不可欠な最先端学術情報基盤(CSI:サイバー・サイエンス・インフラストラクチャ)の構築を進めるとともに、全国の大学や研究機関はもとより民間企業やさまざまな社会活動との連携・協力を重視した運営を予定している。
「元警察官で公務員をなさってるとは伺ってましたが、まさか科学技術庁にお勤めとは思いませんでした。」
「いや、科技庁と言っても、僕は守衛みたいなもんなんだけどね。それでも国の機関だから様々な部署があるんだ。楓も付属の教育機関で教員をしているし、香久夜もその一環で連携している専門学校を卒業したばかりだ。同期の友人がこういうオカルト的と言えば失礼だけど、そういうのを科学的に分析する研究をしているんだ。しかし、なかなか合成とか眉唾ものが多いんだよね。でも繋時君なら目利きもできるし、信用できるから、一度分析させてもらえないかなぁと思ってね。」
スラッと事実を交えながら話す兄に関心した。これが現役のエージェント、お見事です。
「そうなんですか!返してもらえるんやったら、喜んでお貸しします。何やったらもう全部持ってってもろてもいいですわ。その代り、その分析結果を僕も教えてもらっていいですか?」
「もちろん、分析結果はすべて報告させてもらう。はな、お借りします。ありがとう。」
兄は仕事モードが終了するなり、京都弁に戻っていた。結局24枚の写真を預かった兄はその足で東京に帰っていった。
自由に歩んでいいと言われたこと、そして月詠繋時の存在に後ろ髪引かれた私は、京都に残ることを選択した。繋時と付き合った私は、それから月詠堂でアルバイトを始めた。出張と称しては、彼の趣味の写真集めにも付き合った。もちろん、これには機関からの依頼もあり、また私自身にとっても関わり深いものだった。
この作品はフィクションです。現世界線における実在の人物や団体、事件などとは一切関係ありません。