第二章 綾瀬 忍
2016年6月12日 宵月
早朝から社有車である黒いベルファイアに乗り込み東京を目指す。隣には忍さんが寡黙に運転している。この人、前から思っていたが、無駄なことを一切話さない。
「忍さん、運転すいませんね。」
「構わない。」
…シーン。
「確か、NIIIって一ツ橋にあるんですよね?」
「そう。でも向かっているのはNIIIではない。つくばにある文部科学省 防災科学技術実験研究所内にある時対課の分科施設。」
「つくば!?」
何故か騙された気になったのは気のせいだろうか…。
「忍さんって7年前、月詠写真研究所に来られる前から機関にいたんですか?」
「NIIIの養成所に3年いた。卒所後の8月、京都に赴任した。」
「NIIIの養成所っていろんな能力を持った人たちが入所されるって聞きましたが、忍さんも能力者なんですか?」
「違う。能力という言葉に齟齬がある。養成所が指す能力とは時間跳躍のような特殊能力のことではない。例えば、サヴァン症候群に見られるような記憶能力や演算能力に優れた者。開発力やハッキング能力などの技術力に秀でた者。身体的能力に秀でた者も養成所にはいる。」
シーン…。しまった。話が終わってしまった。
「どうして機関に入ったのんですか?」
「私にはカメラアイと呼ばれる能力がある。一度見たものを映像としてその瞬間に記憶する能力だ。」
普段、寡黙な忍さんが自らの過去を話し始めた。
2006年3月29日 朔 新月
中学を卒業した私、高瀬 綾乃はある日、目前で交通事故を目撃し、気分が悪くなり病院に行った。
シングルマザーで看護師をしながら私を育ててくれた自慢の母が勤務する総合病院で優先的に診察してくれた。自慢ではないが、私は頭がいい。これまでの成績は常に学年トップだった。一度読んだ教科書の内容は忘れことはない…それが特別だということにまだ気付いていなかった。目撃した事故の映像が頭から離れず、車に無残にも轢かれていった老人の表情が忘れられない。PTSDと診断されるも様々な検査を引き続き受けさせられた。
数日後、私はある特殊な能力をもっていると告げられた。その名は瞬間記憶能力と言うらしい。見たもの全てを映像として認識して記憶する。自覚したことは無かったが、一度見たものは写生のように描くことが出来た。今回はカメラアイのデメリット、つまり嫌なこと、恐ろしい場面を忘れることなく鮮明に記憶してしまったことによるPTSDと診断された。
告知後、診察室を出た私達母子にコンタクトを取って来たのは警察庁職員だった。今後必要な教育生活費をすべて負担するので警察庁の元で私を預からせてほしいとの申し出だった。母子家庭だった私達にとってはかなり有り難い申し出だったが、預かるということは最終的に警察官となるのだろう。職業柄、生死に向き合うことの多い母は危険な職業につく娘の将来を心配し、断った。すると、何処から嗅ぎつけたのか今度は海外の研究機関からの接触も始まった。能力の判明によって静かだった生活が慌ただしくなる様子に私達はついていけなかった。
母が夜勤でいないある日の夜21時を少し回った時、アパートのチャイムが鳴った。
「宅配便です。」
ハイと無防備にドアを開けてしまった私は侵入して来た3人の男たちに抵抗する間もなく口を封じられ拘束されてしまった。叫ぶも何も恐怖で思考すら止まってしまったかのように動けなかった。異国の言葉を使う男達は大きな黒いバッグの中に私を入れ部屋を後にしようとした。
「そこまでだ。動くな!」
音だけでしか判断できないが、私を拉致しようとした男達はあっけなく捕まったようだ。
解放してくれた人達は文科省 国立情報調査研究所(NIII)と名乗った。私に話しかけてくれたのはNIII特別戦略室 副室長の仁見空海子という女性だった。大丈夫とかけられた声に私は泣くことしか出来なかった。念のためということで、都内にある某大学付属病院で診察を受け、特別室に入院することになった。警備は厳重なので安心するよう言われたが、今の私には不安しか無かった。駆け付けた母に仁見が事情を説明した際は母の顔が真っ青だった。今日は精神的にもまいっているだろうということで、明日の午後に事情を説明するため、また来ると言って彼女は去っていった。
2006年3月30日 既朔
目を覚ますと、母が私を見つめていた。
「ごめんなさい。」
「貴女は何も悪くないわ。私の方こそ一人にさせて悪かったわ。」
きっとかなり、泣きはらしたのだろう。母の腫れた瞼がそう語っていた。
何処かで、特殊能力というもの、またそれに持ち上げられた状況に浮かれていたのかもしれない。女2人静かに過ごしてきた所に降って湧いたような特殊な状況。何もかもが変わってしまったのだ。私は神様を呪った。こんな能力など欲しくなかった。成績が優秀でなくても平和で豊かな生活を取り戻したかった。そう思ったのは私だけではないだろう、顔を見合わせた私達は抱き合って泣いていた
午後、仁見さんが一人の女性と尋ねて来た。金髪碧眼のとても綺麗な女性だった。
「はじめまして。NIIIの月詠・K・キャサリンよ。キャシーって呼んで、宜しく♪」
ニコッと笑顔でウインクする彼女はとてもチャーミングだ。
仁見さんが、昨夜の出来事の顛末を語ってくれた。
「NIIIは貴女をスカウトするつもりだったの。でも、様々な機関の接触があったでしょ。そこでもう少し様子を見てからと思っていたら、貴方が昨夜攫われるという情報を得たの。」
そこまで、聞いて母が怒った。
「知っていたのなら、どうしてもっと早く対処してくれなかったんですか?娘が怖い思いをする前に警察に連絡を入れてくれれば良かったじゃないですか!」
「お母さま、今から話すことは他言無用でお願いします。我々が得た情報というのは未来からの情報です。そして、娘さんが襲われるという事実を変えることは出来なかったのです。」
真面目に話す仁見さんの話についていけていなかった母が再び問う。
「スミマセン、おっしゃっている意味がよくわからないのですが?」
「綾乃さんがカメラアイという特殊能力を持っているように私は時空跳躍という能力をもっています。その能力で私は来月の4月14日から来ています。私はNIII時空対策課のエージェントです。」
「つまり1ケ月先の未来から来られているってことですか?」
母は驚きを隠せないでいた。
「詳しくは半月ほどです。だから、半月先までは貴女方がどうこれからどうなさるのかは存じていますわ。わたくしが知っている時点でも綾乃さんは襲われましたが、未来のわたくしが来てNIIIのチームを動かし助けたと聞かされたわ。この時点のわたくしは今、京都にいるのよ。」
「私たちはどうするの?」
私は思わず聞いていた。
「それは貴方たち母子が考えることじゃないかしら?結果としての答えを伝えることは簡単だわ。でもね、大切なのはその答えを得るための過程だとわたくしは思うのよ♪仁見さんからの話を聞いて、自分達で話し合って決めなさい。」
「一つ聞いていい?」「わたくしで答えられる質問なら、もちろん。」
「自分の能力を怖いと思ったことはある?」
少し、考えて、彼女は言った。
「わたくし、本当はずっとずっと先の未来で人工的に生まれたの。だから両親なんていない。でも11歳の時に能力で飛ばされてきて、養女として迎えてくれた両親がいた。今では愛する夫もいるし、宝物である息子もいるのよ♪精子と卵子を機械的に合わせて造られたわたくしがこんな幸せな人生を歩めるなんて夢みたいなことだったの。自分の能力を呪う暇なんて、もう要らないわ。それよりも、自らの能力を必要な時に発揮出来ないことの方が後悔を生むと思うから。歴史が決まっていようと、わたくしは自ら考え、選び、歩んでいくの。」
この女性はなんて強いのだろう。
仁見さんは付属教育機関を抱えるNIIIで保護する方が私にとっては将来の選択肢が多いことを説いた。但し、政府の特別保護プログラムにおいて母子ともに戸籍を別人となることが条件だった。母にもNIIIの関連先付属病院での雇用が用意されるという。
その後母と話し合い、私は高瀬 綾乃から綾瀬 忍という人物に生まれ変わり、NIII養成所に入所した。入所後はカメラアイを駆使して自分のあらゆるスキル向上に努力した。それは語学、機械整備、医学など…可能な限りの知識を詰め込んだ。
この作品はフィクションです。現世界線における実在の人物や団体、事件などとは一切関係ありません。




