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モヒート  作者: アキツアキオ
9/19

グラウンドの星空の下で

 夏休みの河口湖での合宿は最終日を向かえていた。

 その日は、午前中からキックオフリターンの練習が中心だった。

 試合の前半と後半の開始は必ずキックオフから始まり、またどちらかのチームがタッチダウンをあげたときにも、次のプレーはタッチダウンをあげたチームのキックオフから始まる。

 合宿の最終日はそのキックオフリターンの練習を、フォーメーションを組んでおこなっていた。


 すでに時間は、練習終了予定だった午後六時をとうに過ぎている。

 陽も沈みかけてあたりはだんだんと暗くなってきているのだが、杉下先生からは練習を終わりにしようという気配はまったく感じられない。

 五分の休憩の間、グラウンドに立っている選手たちはグラウンドの中央に集まり、マネージャーの小田が運んでくれた水を飲んだ。もう全員が立っているのも辛いほどヘトヘトに疲れていた。

 予定では、次の日の朝十時に宿舎にマイクロバスが来て、そのバスで横浜に帰ることになっているのだが、水を口に含みながら、阿達や小野寺はそのバスが本当に来るのかどうかを本気で心配していた。

「このまま秋の大会まで、ずっと合宿だったらどうする?」

 みんなの顔を見回して阿達が心配顔で言う。

「杉下先生だったらありえるかもな……」と、小野寺がそれに応える。

「まさか。先生だってそこまで鬼じゃないでしょ。二学期が始まるまでには帰れるだろ?」

 佐野がそう言ってみんなの不安を煽る。

「オレ、明日朝一番の電車の時間調べてあるから」

 幸村がそう言ってさらにみんなの不安を煽る。


「おーし、始めるぞ!」

 キッカーを買ってでた村岡が声をかけると、ぼくたちはそれぞれの持ち場に散らばった。ぼくと澤田は、自分たちの持ち場であるエンドゾーンぎりぎりの位置に向かって走った。相当疲れていたので見た目には走るというより、ヨタヨタした早歩きという感じに見えたかもしれない。

 相手キッカーから見たこちらのフォーメーションは、最前列に五人、その後ろの列に四人、そして一番後ろの列にぼくと澤田の二人が配置されている。

 ボールはよほどのミスキックではない限り、一番後ろにいるぼくと澤田のところまで飛んでくる。ぼくと澤田は、相手キッカーから蹴られたボールをキャッチする可能性が一番高い位置にいるということだ。

 そして二人のどちらか、ボールを捕球した方が相手エンドゾーンに向かって走る。他の選手はそのボールキャリアを相手のタックルから守るのが役目だ。

 ぼくと澤田は、うまくいけばディフェンスをかいくぐってタッチダウンを奪うこともできる。試合開始早々にキックオフリターンでタッチダウンをあげることができれば、試合の主導権を握ることができるし、相手にも相当なプレッシャーを与えることは間違えない。

 しかしぼくと澤田は、ボールをキャリーして果敢に走ってタッチダウンを奪うという以前に、もっと根本的に解決しなければならない問題があった。


 午前中の練習から、ぼくも澤田もキッカーから蹴られたボールをうまく捕球できなくて、ポロポロ落としてばかりいた。ボールを捕球できなければ何も始まらない。

 ところが、大きな放物線を描いて飛んで来るボールは、目の前に来ると急にスピードが増したように感じられ意外と捕りにくい。ぼくも澤田もボールを胸に当てたり、腕で弾いたりしてしまって、なかなかしっかりと捕球することができないでいた。

 午前中の練習では、杉下先生が二人のあまりの不甲斐なさを見かねて、昼食前の三〇分間、ぼくと澤田だけに捕球の“特訓”を命じた。

 フィールドには、ぼくと澤田とキッカーの村岡だけが残り、他のみんなはサイドラインの外でぼくたちを見守った。そして村岡がボールを蹴り、ぼくと澤田が捕球することを何度も繰り返した。

 ぼくはボールをしっかり捕球できないことにかなりの焦りを感じていたし、澤田にも相当なプレッシャーがかかっていたはずだ。


 キックオフではミスキャッチは絶対に許されない。

 ボールを捕球できずにファンブルして相手チームがそのボールを押さえたら、その地点から相手の攻撃になってしまうからだ。

 ぼくと澤田は、午前中の重い気持ちを引きずったまま昼食をとり、そのまま午後の練習を迎えた。そして午後になっても、二人とも相変わらずまともにボールを捕球できないでいた。

 村岡の合図で全員がそれぞれの配置につき、ボールが蹴られるのを待っている。

「ツッチー、今度こそしっかり捕るぞ!」

 ぼくのとなりに並んだ澤田が、ぼくに声をかける。

「おお!」

 と、ぼくは力強く返事をするのだが、心の中では「どうかぼくのところに飛んできませんように」と祈っている。

「レディ!」

 キッカーの村岡は合図をすると、助走をし、思い切りボールを蹴る。

 ボールは大きな放物線を描き、向かって右側にいる澤田の方に飛んでいく。それを見てぼくは全力で澤田の方に走っていく。

 この練習ではぼくたちをタックルしようとするディフェンスの選手はいないが、実際の試合では澤田がボールをキャッチした瞬間、ぼくは澤田のブロッカーとして、澤田をタックルしようとする相手チームの選手から守らなければならない。逆にぼくが捕ったときは澤田がぼくの前で守ってくれるはずだ。

 徐々に、徐々にボールが落ちてくる。

 そして澤田が捕球の体勢に入り、慎重に、慎重に捕球しようとするが。

 落とした!

 ボールは澤田の胸に弾かれ転々とグラウンドを転がっていく。

「あー!」っと叫んで、落球した瞬間、澤田は天を見上げてその場に立ちつくす。

「あー、じゃないだろ! 澤田、追っかけろよ! ボールを!」

 サイドラインの外で見ている杉下先生が怒鳴り声を上げている。澤田がハッと気づく。

「すいません!」

 澤田はそう言って後方に転がるボールを必死に追いかける。そして澤田がボールを掴んだ瞬間、ぼくが「ゴー!」と叫ぶと、みんなは一斉に反対側のエンドゾーンに向かって走っていく。


 この練習では、ボールを捕球したらそれで終わりではなく、捕球してから相手エンドゾーンに向かって全員が走らなければならない。

 ただし、ぼくか澤田がボールをちゃんと捕球できたらみんなが走るのは五〇ヤードラインまででよく、落としたら反対側のエンドゾーンまでさらに五〇ヤード走らなければならない。

 特に最前列にいる五人は、ぼくたちがいるエンドゾーン近くまで走ってきて、落球すればそこからさらに反対側のエンドゾーンまで走ることになる。 これを朝から繰り返していたので、もう全員がヘトヘトだった。

「サワダー! ちゃんと捕れよ!」

「ポロポロ落とすんじゃねえよ!」

 と言う、最前列にいる小野寺や阿達、佐野、幸村からのプレッシャーがもの凄い。

 ぼくたちが落球すると彼らは本気で怒っているのが分かる。そしてそのプレッシャーのあまり、逆に捕れなくなるという悪循環に陥っている。 

 なにも見方が見方にプレッシャーをかけることはないだろうと、ぼくと澤田は顔を見合わせるが、そもそもちゃんと捕球できないぼくたちが悪いのだ。それに試合のときのプレッシャーはきっとこんなものではないだろう。

 最前列の五人のうち、江本だけはぼくたちの方を振り向いて励ますように手を叩きながら「ドンマイ! ドンマイ! 落ち着いていこう!」と絶えず声をかけてくれる。きっと江本はぼくたちに余計なプレッシャーを与えても、なおさら捕球できなくなるだけだというとこが分かっているのだろう。


 もう夕暮れが迫っているというのに、相変わらず杉下先生からは練習を止めようという気配が感じられない。日が暮れてボールが完全に見えなくなるまでキックオフの練習を続けるつもりだ。

 もう一度みんながそれぞれの配置に戻るが、もうヘトヘトで言葉もでない。

 ぼくも澤田もみんなに対して申し訳ないという気持ちとプレッシャーから、みんなの顔をまともに見ることができない。

 しかも「ツッチー! 澤田くん! 頑張って!」という小田の励ましが、ぼくたち二人の惨めな気持ちにさらに拍車をかけていた。

 村岡が“まだ蹴るんですか?”という表情を先生に向けながらボールをセットする。杉下先生は、まるで気にとめる様子もない。

「やれやれ、またボールが飛んでくる。そしてきっとまたぼくか澤田が落球する。いっそのこといきなり嵐になって先生にカミナリが落ちて練習が終わりになればいいのに……」ぼくは、半ば本気でそんなことを考えながら自分のポジションに戻った。


 そしてこの状況が永遠に続くかと思われたそのとき、救いの女神が現れた!

 グラウンドにいるみんなにとって、そしてとりわけぼくと澤田にとってはまさに救いの女神だ!

 引退した三年生のマネージャー小宮がひょっこりグラウンドに現れたのだ。

「せんせい!」

「おお、小宮か。どうした?」

 小宮に振り向いた杉下先生の顔が急にほころぶ。

「みんなどうしてるかと思って、遊びに来ちゃいました」

「そうかそうか。よく場所が分かったな」

 そして杉下先生が、ようやく辺りが暗くなっていることに気づく。

「小宮、ところでいま何時だ?」

「もうそろそろ七時になりますけど。まだ止めないんですか? 今日、合宿の最後の夜だと思って花火買ってきたんですよ」

 よく見ると、小宮は花火がたくさんつまったビニール袋を両手に抱えている。

「もうそんな時間か。じゃあ止めるとするか。キックオフはまた学校に帰ってからにしよう」

 そして杉下先生は、ぼくたちが待ち望んでいた言葉を小田に告げる。

「小田くん、練習終わりにしよう。合図して」

「はい!」

“ピーッ!”

「練習、終了!」

 小田が大きな声で全員に練習が終わったことを告げると「助かった……」と言いながら、ぼくの隣で澤田が地面に大の字に寝転んだ。

「助かった。小宮さん、ありがとう……」

 澤田は倒れたままそう呟いた。


 宿舎に戻り、みんなはシャワーで練習の汗を流してから大広間に用意された夕食をとった。

 小宮は合宿所から車で三〇分くらいのところに家族で所有する別荘があり、その日はそこから小宮の大学生の兄が運転するワゴン車で合宿所まで来ていた。そしてコーチとして合宿に参加していた三年生六人と小宮は、ぼくたちと一緒に夕食をとった後、そのワゴン車で宿舎を後にした。

 ぼくたちは宿舎の入り口で彼らを見送った。

 車は八人乗りのワゴン車だったが、三年生全員の防具入れがトランクだけには納まらず、一番後ろの座席にも積んだので、体が大きい彼ら全員が車に乗るとかなり窮屈そうに見えた。

 助手席に座っていた小宮が後ろの座席のスミに座り、助手席に一番体の大きい武石が座ると、どうにか全員が車の中に納まった。

 彼らを見送った後、杉下先生は自分の部屋に戻り、そしてぼくたちは小宮が買ってきてくれた花火を持ってグラウンドに向かった。


 グラウンドまでの道を歩く一年生と二年生は、すでに先輩と後輩という垣根を越えて、同じ合宿を乗り越えたチームメートという打ち解けた雰囲気があった。この合宿で一種の連帯感のような感覚がぼくたちの中に生まれたのだろう。

 ぼくはこの合宿を通して同じポジションの星野との距離が急速に縮まったことを感じたし、QB樋口に対しても、ボールの渡し方について自分の希望や意見を少しずつ言えるようになった。


 グラウンドからは、遠くにいくつかの宿舎の窓の明かりがポツンポツンと見えるだけで、グラウンド自体は真っ暗だった。

 ぼくたちはおのおのが手にした花火に火を点けると、火が点いた場所が急に明るくなった。

 それぞれが点火された花火を持って、奇声を上げながらグラウンドを走り回ったり、花火をグルグル回して真っ暗なキャンバスに円を描いた。 

 グラウンドは一瞬にして祭りのように明るくなった。

 小田が、澤田が、江本が、みんなが、そしてぼくも笑っている。

 花火が消えると、またもうひとつの花火に火を点けた。

 そして最後の花火がひとつ、またひとつと消えてゆき、もとの真っ暗なグラウンドに戻るまでそう時間はかからなかった。

 ぼくたちは宿舎から持ってきた少しだけ水が入ったバケツに、火が消えて先端が黒く焼け焦げた花火を捨てた。

 まるで五日間続いた祭りが花火とともに終わったように、あたりは急に寂しくなった。

 誰かが、「星がすごいねえ……」と言った。

 ぼくは空を見上げた。

 空には、まるでそこから降ってきそうなほどの星が輝いていた。

 オリオン座や北斗七星やカシオペア座や、ぼくが知っている星座もはっきりと見える。こんなに輝いた星を眺めるのは、ぼくにとって初めての体験だった。

 そしてひとり、またひとりと空を見上げた。

「なんだか、星が落ちてきそうだな……」また、誰かが言った。

 ぼくたちはまるで、あんなに苦しかった五日間の合宿を名残惜しむように、しばらくグラウンドに残り、夜空に溢れる星を眺めていた。


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