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モヒート  作者: アキツアキオ
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先輩たちの最後の公式戦

 新入部員の一ヶ月の基礎体力をつける練習がそろそろ終わりに近づいたころ、上級生たちは全国高等学校アメリカンフットボール大会春季神奈川地区予選、通称“春の大会”に出場し、一回戦で同じ県立のS高校に二四対0の大差で敗れていた。

 その試合に負けた時点で翌年の大学受験を控える六人の三年生は引退となるが、部の創設者の一人であるキャプテンでクウォーターバック(QB)の高尾と、同じく創設者の一人ランニングバックの村岡は、新入部員育成のためコーチとして夏休みまで部に残ることを決めていた。

 高尾も村岡も、共に恵まれた体格とスピードとパワーを兼ね備えた才能のあるフットボール選手だった。しかし残念なことに、彼らはこのチームにあって充分に自らの才能を発揮することができず、大学のスカウトの目に留まることもなく一選手としてひっそりと引退していった。


 対県立S高校との試合を見に行った、その時すでに11人になっていたぼくたち一年生はみな学生服姿で、ベンチには入らずにチームエリアの後方で試合を見ていた。

 上級生たちのチームは、人数的に11人ぎりぎりなことに加え、その11人も決して全員が力のある選手とはいえなかった。

 特に最前線のライン五人の選手の力はバラバラで、こちらの攻撃でパスの場面では、QB高尾を相手選手の突進から守り切れずに、高尾がパスを投げる前にディフェンスに倒される場面が目立った。

 ラン攻撃でも、ボールを持った村岡が正面を突いても、サイドライン沿いを走るオープンにまわっても、相手の選手だらけで一ヤードもゲインできずにタックルされる場面が何度もあった。


 最前線の相手ディフェンスラインは、こちらのオフェンスラインに執拗なほどプレッシャーをかけてくる。

 QB高尾が村岡にボールをハンドオフ(ボールを手渡す)した瞬間に、強烈なタックルをくらい村岡がボールをファンブルする場面もあった。それはもう見ていて痛々しいほどだ。

 村岡はフラストレーションのあまり、ボールをグラウンドに叩きつけようとするが、すんでのところで思い留まる。ハイスクールフットボールでは、そしてスポーツマンとしてもそれは許されない行為だからだ。

 そしてすぐに攻守が入れ替わると、相手チームの選手は必要に応じて何人かが入れ替わるが、M校選手たちは交代の選手がいないので、ディフェンスになるとQBの高尾は最後方のセーフティのポジションにつき、村岡は守備の要でもあるラインバッカーのポジションについた。

 他の三年生も、二年生もそれぞれ同じようにオフェンスとディフェンスの二つのポジションを受け持っている。


 M校の守備をする時間が攻撃をする時間を遥かに上回り、攻撃の機会が回ってきても相手にはパスもランも通用しない。しかし相手チームにはいいようにパスを決められ、ランでも相手のランニングバックは最前線のラインをどんどん突破してくる。

 守備に付いている二年生の小柄な星野が相手選手に倒されて軽い脳震盪を起こしてしばらくグラウンドにうずくまったまま動けなくなり担架が呼ばれるが、それを星野が手で制する場面もあった。

 また三年生のラインの選手武石に対し、相手は常にダブルチーム(二人がかり)でかかってくる。武石は体重もありパワーもあるが、これではとても体力が続かない。

 試合の後半、第三クオーターの途中あたりからは、口内の裂傷を防ぐために付けているマウスピースをくわえているのも苦しいのか、武石はプレーの合間に盛んにマウスピースを外して呼吸を整えようとしている。しかし呼吸は荒く見た目にもかなり疲労しているのが分かる。

 試合中に誰か一人でも試合を続けられないくらいの怪我を負ったら、試合はその時点で放棄するしかない。だから多少の打ち身や怪我はコールドスプレーや、簡単な応急措置とテーピングをしてそのまま続行する。

 他の選手たちも星野や武石と同じようにみな満身創痍だ。それでも11人は必死に戦っていた。

 いつもは冗談を言ったり、ふざけ合ってへらへらしているように見える先輩たちのこんなに真剣に戦う姿を見たのは、ぼくはこのときが初めてだった。


 試合が進むにつれて、汗と砂と埃にまみれた彼らの顔には次第に失望が浮かび、疲労が極限に達していることが分かる。そして試合終了のホイッスルと同時に、彼ら全員が文字通りグラウンドに倒れこんだ。

 それが、ぼくが見た最初で最後の先輩たちの試合だった。

 ぼくは言葉もなく、ボロボロになりグラウンドに横たわる彼らを見守っていた。

 太陽は容赦なく彼らに照りつけている。

 勝ったS高校は、まるで勝つのが当たり前とでもいうように自分たちのチームエリアをかたづけ始めている。

 グラウンドにぽつんと座る高尾。その高尾のもとに村岡が歩み寄り、手を差し出すと高尾がその手を取りゆっくりと立ち上がる。他の選手も、一人また一人と立ち上がりM校のチームエリアへと戻ってくる。そして、ぼくたち一年生も彼らのもとへ向かった。


 杉下先生がチームエリア内にうな垂れるように座る彼ら11人に言葉をかける。

「みんな、最後までよく頑張った。試合は残念な結果だったけど、みんな精一杯頑張った。三年生はこれで引退だけど、今まで、本当にご苦労さん」

 杉下先生の言葉は途切れ途切れで、心なしか震えているように聞こえた。 彼らをねぎらう言葉を探したのだけれど、それ以上の言葉は見つからなかったのかもしれない。一緒に作ってきたチームがこれで終わる。万感が杉下先生の胸にも込み上げてきたのかもしれない。

 三年生の中にも、二年生の中にも泣いている者がいる。三年生の女子マネージャーの小宮も泣いている。彼女もこの日で引退だ。ぼくも江本も、そして他の一年生たちも何も言わず彼らから少し離れた場所でじっと彼らを見ていた。


 キャプテンの高尾が一人立ち上がると、ゆっくりとぼくたち一年生の方に向かって歩いて来る。ぼくたちは自然と高尾を囲むように彼の周りに集まった。

 そして高尾がゆっくりと、ぼくたち一人一人の顔を見ながら話し始めた。

「みんながいま見たように、残念ながらオレたちの実力はこんなもんだ」

 高尾の声はまるで、恥ずかしい試合を見せてしまって申し訳ないと、ぼくたち一年生に謝罪しているような口ぶりだった。

 高尾の胸の中には、恥ずかしさと、情けなさと、悔しさとが入り混じった、そんな混沌とした感情が渦巻いていたに違いない。そして、顔も腕も手の甲までもが汗と埃で真っ黒になった高尾がうつむき、独り言のようにポツリとこう言った。

「お前たちが、うらやましいよ……」

 この時、高尾の胸に去来したものが何だったのかぼくには想像ができない。本当にアメリカンフットボールが好きで、何もないところから部を創設した。しかしそれからの二年間、自分たちはまともな試合すらできなかった。 そして今日、すべてが終わった。

 悔しかったに違いない。「お前たちみたいに、まだフットボールができてうらやましい」「お前たちみたいに、初めからちゃんと試合ができることがうらやましい」そう言いたかったのだろうか。

 ぼくたち一年生を前に高尾が言ったこの言葉は、きっと彼の心の底から湧き上がった言葉だろうとぼくは思った。

 しかし高尾が顔を上げたとき、その顔はもう気持ちを持ち直したときの、どこか吹っ切れたような表情をしていた。部の将来を新しい部員たちに、未来の部員たちに託していきたい、そんな表情だった。

「いいか、みんな約束してくれ。絶対に強いチームを作ってくれ! お前たちの力で、みんなで力を合わせて、絶対にどこにも負けない強いチームを作ってくれ! オレたちと同じ思いを、こんな惨めな思いをお前たちにはさせたくないから。みんな今は辛いと思うけど、一生懸命練習して、一丸となって、お前たちが三年生になったときには、どこにも負けない強いチームになってくれ!」

 それは、高尾の心からの願いだったと思う。勝ちたかったに違いない。一度でもいいから、勝ってその喜びを味わいたかったに違いない。その時の、ぼくたち一人一人を見つめる高尾の目を、三〇数年を経た今でもぼくは時々思い出すことがある。偽りの無い真剣な眼差し。あんなに輝いた目を、ぼくはそれ以前にも、そして以降も一度も見たことがない。

 江本が小さく「はい」と答えて頷いた。そして澤田も、阿達も、佐野も、安田も、小野寺も、みな頷いた。幸村は涙ぐんでいた。

 ぼくは言葉もなく高尾を見つめていた。この時、ぼくの心の中には、強くなったチームに、チームの一員として残っていたい。そのためには、これからも何としてでも練習についていこうという、ぼくなりの小さな決意があった。


 横浜から私鉄で六つ目の駅にあるK大学付属高校で行われた試合の帰り、ぼくたち一年生は横浜駅まで同じ電車で帰り、横浜駅からはぼくは江本と二人で横須賀線に乗り戸塚駅に向った。その間、ぼくも江本もほとんど言葉を交わさなかった。

 戸塚駅を降りると、ぼくと江本は牛丼屋に入った。腹が減っていた。二人とも大盛りの牛丼を注文した。

 牛丼を食べながら、江本がポツリポツリと話し始めた。

「オレ、高尾さんの言うことがよく分かる。強くならなければ、やってたって意味がない。いくら必死にやったって、勝たなきゃ意味がない」

 江本は、牛丼を食べ終わると、茶を飲みながら話しを続けた。

「あんな惨めな試合、オレはしたくない。どうせボロボロになってグラウンドに倒れるならオレは勝って倒れたい。なあ土屋、お前、そう思わないか?」

 江本はぼくに問いかけたが、ぼくはまだ牛丼を食べながら無言で江本の言葉を聞いていた。

 先輩たちは最後まで諦めずに戦った。ぼくはその姿に感動した。そしてぼくに感動を与えてくれた彼らの姿が、まだぼくの中に鮮明に残っていた。

「普段の練習をもっとちゃんとやってれば通るパスはいくらだってあった。ランだってそうだ。結局、高尾さんや村岡さんの力だけに頼っているからダメなんだ。みんなで相手をブロックして、みんなで高尾さんや村岡さんを守ってあげないと前に進めるわけがない」

 ぼくは食べ終わると、少し茶を飲んだ。江本は続けた。

「確かに人数では負けてたよ。だけど同じ県立校だぜ。相手だって何人もオフェンスとディフェンス掛け持ちの選手がいたんだ。普段から一〇〇%の力を出して練習してればもっといい試合ができたはずなんだ。もっと自分たちは強くなりたいって思えば、強くなれるんだって信じれば、もっといい試合ができたはずだ」

 確かに江本の言うことは理解できる。しかし普段の練習だって誰一人として手を抜こうなんて思っている者はいない。どう考えたって部員の絶対数が足りない。一人も交代できる選手がいないなんて、まともな試合などできるはずがない。それだけのことではないのか。

 店員が、江本とぼくの湯飲みに茶を注いだ。江本はさらに続けた。

「高尾さん、悔しかっと思うよ。高尾さんがどんなに強くなりたいって思っても、どんなに勝てるって信じていても、ほかのみんなは高尾さんほど信じてないんだ。人数が少ないから、どうせ勝てないと思ってる。結局、心がひとつになってないんだ。全員が心を一つにして、もっと強くなりたいって本気で思わないと。自分たちは強いんだって、本気で信じないと。オレ思うけど、高尾さん、きっとそれが一番悔しかったんだと思うよ」

 そう言うと、正面を向いていた江本がぼくの方に顔を向けた。

「なあ土屋」

「え?」

「お前、ここまで残ったんだからさ、もう少し頑張れよ」

 ぼくは茶を噴出しそうになった。急に何を言い出すんだろう。そして江本が、ぼくの腕をつかんだ。

「こんな細い腕して。これから本気でフットボールやりたいなら、もう少し鍛えろよ」

 ぼくはどう答えていいのか分からなかった。

「お前、千五百メートルだって、一〇〇メートルだって、本当はもっと早く走れるんだろう?」

 ぼくは答えに窮していた。なぜならそれは、江本の言う通りだからだ。

 ぼくは決して練習のときに手を抜いているつもりはなかったし、手を抜く余裕もなかった。しかし、ひとつひとつの練習メニューに全力を尽くすより、ぼくは一日の練習をなんとか乗り切ることを考えていたので、腕立て伏せや腹筋運動でも、その気になればあと五回できるのに途中で止めていたし、五〇メートル走や一〇〇メートル走ではみんなと同じようにゴールすればいいと思って、力を抜いて走っていることもあった。そうやって力をセーブしないと、一日の練習を乗り切ることができないからだ。

 千五百メートル走にしても、ぼくが遅いと思われていることに甘えて、本当の限界までは力を出し切っていなかった。そんなぼくの練習に対する姿勢を江本はすべて見抜いていたのだろうか?

「あのさ、練習を最後までこなすっていうのが目的じゃないんだよ。分かるだろ、オレが言ってること。一日の練習だけ乗り切ればいいってもんじゃないんだ。オレたちは試合に勝つために練習してるんだぞ。強くなるために練習してるんだ。そうだろ? 違うか? オレはどうせやるなら強くなりたいんだよ。強くなって試合に勝ちたいんだよ。先輩たちみたいな、あんな惨めな負け方したくないんだ。どうせ泣くなら、オレは勝って泣きたい」

 まったく痛いところを突いてくる。確かに江本の言う通りだ。フィットネスクラブじゃあるまいし、練習だけ乗り切っても何の意味もないかもしれない。ただぼくは正直に言うと、チームとして強くなるとか試合に勝つとかそういうことの前に、ぼく自身がみんなから脱落しないように練習についていくのがやっとで、残念ながら江本と同じ次元で物事を考えて練習に臨んでいる訳ではない。

「なあ、土屋。一緒に強くなろうぜ。強いチームを作ろうぜ。どうせ泣くならボロ負けして泣くんじゃなくて勝って泣こうぜ。お前、いつまでも今みたいにちゃらんぽらんにやってたら、チームにも残れないし、そのうち誰からも相手にされなくなるぞ」

 江本の言葉が、ぼくの胸に深く深く突き刺さった。ぼくは返す言葉もなくじっと黙っていた。江本の言うとおりだ。そして、江本にはぼくのすべてを見透かされている。そう思った。

 ぼくには他にどこにも行くところがないから、このままなんとか練習をこなして、みんなと仲良くやっていければそれでいいと思っていた。 

 ぼくには特に勝ちたいという強い意志もなければ、チームとして強くなりたいという気持ちもない。そんなぼくの心を、江本はすべて見透かしている。このままのぼくがもし三年生まで続けられたとしても、本当の意味でのチームの一員にはなれないだろう。ぼくはそう思うと、みんなに甘えきって毎日全力で練習をしていない自分が恥ずかしくなった。


 その晩、ぼくは自分の部屋で机に向かい、自主トレーニングの計画表を作った。毎晩、腕立て伏せ一〇〇回、腹筋運動一〇〇回をノルマとした。もちろん一度に一〇〇回するのは無理だから、一〇回やって少し休んでからまた一〇回でもいい。とにかく一〇〇回のノルマをこなす。それから最低三〇分のジョギングをする。これもノルマとした。

 夜九時過ぎ、ぼくはジャージに着替え、ビートルズの四人が横断歩道を渡るアルバム『アビーロード』のジャケットが胸にプリントされたTシャツを着て、居間でテレビを見ながら酒を飲む母を横目に、夜の街にジョギングに出かけた。


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