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モヒート  作者: アキツアキオ
2/19

江本との出会い

 いつのころからか、ぼくは彼のことを思い出さなくなっていた。

 ぼくが彼を知っていたのは、いまから三〇年も遡る、遠い昔のとこだ。ぼくが高校に入学してから三年生の夏休みまでの二年半という短い時間だったが、それはまだぼくが横浜に住んでいたころのことだ。

 あれから何年もの歳月を重ねるごとに、ぼくの頭の中には新しい記憶が蓄積され、その度に彼の記憶は脳の奥の方へと押しやられ、以前はあんなに鮮明だった彼の記憶もだんだんと薄れていった。そして最近ではまったく彼のことを思い出すこともなくなっていた。

 ぼくと彼は横浜市にある神奈川県立M高校に通う同級生だった。

 ぼくは入学後、すぐにアメリカンフットボール部に入部した。当時も、そして現在でも日本にはアメリカンフットボール部がある高校はそれほど多くはない。ぼくは何よりそのスポーツの目新しさと見た目の華やかさに惹かれ入部したのだが、入部したその日に部室前でぼくより数日早く入部していた彼と出会った。

 彼の名前は江本猛(えもとたける)といった。

 彼との出会いは、その後、彼やほかの仲間たちと作った様々な思い出と共に、懐かしく思い出すことができる。


 1980年代の初め、ぼくが入学したころの神奈川県立M高校はまだ卒業生のいない新設校で、ぼくはその三期生として入学した。校舎も運動部の部室がある建物もすべてが新しかった。

 学校は新興住宅地の中心に位置する小高い丘の上にあり、正門をくぐると校舎まで長くてかなりの傾斜のある上り坂を歩かなければならない。夏は、息を弾ませながらその坂を上ると、芳しい草の匂いがした。 

 その坂道を半分くらい上ったところの右側に校庭に通じる小道があり、その小道を通って校庭に出ると、すぐ左手に鉄筋コンクリートの二階建ての白い建物があった。それは運動部の部室がある建物だ。その建物の一階と二階に小さな部屋が一〇部屋ずつあり、女子運動部は二階の部屋を、男子運動部は一階の部屋を部室として使用していた。アメリカンフットボール部の部室は、一階の一番奥からひとつ手前にあった。確か隣はサッカー部か野球部だったと思う。

 ぼくが初めて上級生に案内されて行ったその部室の前で、すでに運動着に着替えていた彼が文庫本を読んでいた。見たところ、ぼくと同じ新入部員だろうと思ったぼくは、彼に親しみを込めて「こんちは」と挨拶をしたのだが、彼は本に没頭したまま顔さえ上げようとしなかった。

日焼けした横顔と海から上がって来たばかりのサーファーのような茶色がかったぼさぼさな長髪。彼のそんな荒々しい容貌と手にした文庫本がいかにも不釣合いに見えて、それがかえってぼくに強い印象を与えた。


 アメリカンフットボール部に入部した初日、練習前に三年生のキャプテンの高尾が、グラウンドに集まった新入部員も含めた総勢三〇人ほどの部員全員の前でぼくを紹介した。

 ぼくの前に並んだ部員たちの中には、とても同じ高校生とは思えないくらい体が大きい者もいて、ぼくは彼らから発せられる威圧感に圧倒された。そしてまったく運動をしたことがない貧弱な肉体をしたぼくがそこにいるのは完全に場違いな気がした。

 キャプテンの高尾がぼくに自己紹介をするように促すと、ぼくは緊張しながら目の前にいる部員全員に向かって自分の名前を言った。

「土屋です。土屋明です」

 緊張のあまり声が上ずってしまったが、その言い方がまるで007のジェームス・ボンドが自己紹介するときの「マイネーム・イズ・ボンド。ジェームス・ボンド」の言い回しに似ていて、そんな気取った言い方をしてしまったぼくは少し照れくさくなった。もちろん、目の前の部員の中にぼくとジェームス・ボンドを結びつける者などいるはずがないことは分かっていたが。

「中学のときに、何か部活の経験は?」

 自分の名前以外、あまり積極的に話そうとしないぼくに高尾が訊いた。

 高尾はぼくに何か運動をしていたのかと訊きたかったのだろうが、ぼくには運動の経験なんてない。ぼくは少し戸惑いながら答えた。

「映画研究クラブに入ってました」

 すると目の前の誰かが噴きだすように、プッと笑った。

「特に何か運動をやっていたわけではないんだ?」と、高尾がさらに訊いたので、ぼくは「はい。特には、やっていませんでした」と答えた。

“特には”とわざわざ念を押すまでもなく、ぼくはそれまでまったくスポーツとは無縁だ。

 その時、目の前の何人かが“使えないヤツが入ってきやがって”という顔になったのをぼくは憶えている。その表情は、小学生のころ、ぼくを野球に誘っておきながら「打てないならさっさと帰れよ!」と言って、バッターボックスで空振りを繰り返すぼくからバットを取り上げた同級生と同じ蔑みに似た表情だった。

「まあ、そういうわけだから、みんなよろしく頼むよ」

 と、あまり熱のこもらない声で高尾が締めくくると、何人かが小さく「はい」と頷いただけで、誰もそれ以上ぼくに興味を示す様子もなく、また特別ぼくに言葉をかけるでもなくその場から散らばっていった。きっと彼らの大半は、どうせ遅かれ早かれ退部してしまう人間なんて相手にしてもしょうがないと思ったのだろう。


 次の日の放課後、ぼくは部室に行くと先に来ていた江本がまた部室前で前日と同じ文庫本を読んでいた。熱心に読んでいる江本に「それ面白いの?」とぼくが訊くと、彼は一瞬ムッとしたようにゆっくりと本から顔を上げた。 そのときぼくを見た江本の少し驚いたような表情が「なんだ。お前、来たのか?」と言っているのが分かった。ぼくは江本に、心の中で「ああ、来たよ」と言った。

「いま、なんか言ったか?」江本がぼくに訊いた。

 明らかに読書を中断されたことにイラだっている。

「その本、面白いの?」ぼくがまた同じ質問をする。

 江本は観念したようにゆっくりと本を閉じると、こわばっていた顔が少し和らいで、そしてぼくに静かな口調で言った。

「ああ、これで読むの三回目だ。今まで読んだ小説の中で一番面白い」

 彼の口調には真実が感じられた。そしてぼくに「お前も、本読むの?」と、訊いた。

「うん。そうだね。わりと読む方だと思う」ぼくがそう言うと、江本の表情にさっと明るさが差した。

「そうか。じゃあ、これ読んだことあるか?」そう言って江本は読んでいた文庫本の表紙をぼくに見せる。表紙は白い髯をはやした老人のイラストだった。ぼくは題名を見ると、「いや、まだ読んでない」と答えた。すると驚いたことに江本は「じゃあ、読んでみな。面白いから」と言ってぼくにその文庫本を手渡すと、そのままグラウンドに行ってしまった。

 ぼくは呆気に取られ、その場を去ってゆく江本の背中を見送った。


 江本から渡された文庫本は、ヘミングウェイの『老人と海』だった。まだ読んだことはなかったが、もちろんこの本のことは知っていた。アメリカ文学を代表する作品のひとつだ。江本の外見から受ける粗野な印象から『老人と海』は少し意外な感じがした。

 このころのぼくは、ドストエフスキーなどのロシア文学を夢中になって読んでいた。ヘミングウェイも含めてアメリカ文学は一度も真剣に読んだことがなかったが、江本が三回も読みたくなるほど面白いと言うなら試しに読んでみようと思い、ぼくはその日帰宅するとすぐに『老人と海』を読み始めた。

 『老人と海』の内容をいまさら説明する必要はないと思う。キューバを舞台にした、サンチャゴという年老いた漁師と巨大カジキマグロとの死闘を描いた物語だ。ストーリーはシンプルで、老人とカジキマグロの戦いと、貧しいながらも地道に生きていく老人の姿や、老人がまだ若かった頃の思い出が、老人の言葉で淡々と語られていくだけだ。しかしぼくは読み進めるうちに、どんどんこの小説に引き込まれていった。老人の生きる姿にほのかな感動さえ覚え、ぼくは気がつくと一晩でその小説を読み終えていた。そして最後のページが終わって本を閉じるとき、この小説がじわじわとぼくの心の中に浸み込んでくるのを感じた。


 次の日の放課後、部室で江本に文庫本を返そうとしたとき、江本が驚いたよう言った。

「もう読んだのか?」

 もう最初に会ったときのようなぼくを拒絶する態度ではなかった。

「ああ、読んだよ。久しぶりに感動する小説読んだ」

 ありきたりだが、ぼくの率直な感想を言った。

「そうか、お前もそう思うか。オレも好きなんだ。その小説」

 江本は、とても満足そうな顔でそう言うと、ぼくに訊いた。

「お前、海、好きか?」

「海?」

「ああ、海だよ」

 ぼくは江本のその質問に少し戸惑った。いきなり“海”と言われても、ぼくにはまったくピンとこない。ぼくが答えに窮していると、江本は、まったく予想もしないことを言った。

「お前、よかったらその本やるよ。もう一度、じっくり読んでみな。お前もきっと海が好きになる」

「あ、ありがとう。じゃあ、もう一度読んでみるよ」

 江本と初めて交わした会話は、こんな他愛のない会話だった。

 その後、もっと江本のことを知るうちに、粗野な印象を受ける外見とは裏腹に、その内面は繊細とまでは言わないまでも、誠実で心の優しい人間だということが分かってくる。

 幼い頃、父親からサーフィンを教わった江本は、なによりも海を愛していた。父親を交通事故で失ってからも、江本はサーフィンを続けた。

 江本が『老人と海』を好んで読んだのも、きっとそこに本当の海の姿が描かれ、そして海には父親との思い出があるからだろうと、ぼくは勝手に想像した。

 その彼との出会いから、すでに三〇年の年月が経過しようとしている。そして、このときぼくが彼にもらった単行本『老人と海』は、今でもぼくの仕事場の本棚の片隅にひっそりと佇んでいる。







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