うたがう
立ち込める薬品の匂い。
様々に混ざり合い、噎せ返るようほど強く鼻腔を刺激する。
調合実習室。
慣れていない人間にはキツイ空間だろう。
事実、私の横に居るセイレンはひどく顔を顰め、悪態を吐いていた。
「ひどい匂いだ。こんな場所で長時間の作業を行うなんて正気の沙汰とは思えない!」
この場にほとんど人が居なくて良かったと思う。
余計な顰蹙に巻き込まれたくはない。
「悪かったわね。正気じゃなくて」
その女子生徒は調合中の薬品から目を離そうとしない。
ミエー・A・オルゲッタ、セイレン曰く第一容疑者であるらしい。
しかし、錬金術を専門とする彼女と軍事魔法のベルゲルでは接点がない気がするが…?
「随分と冷たいですね。それとも彼との中はそこまで冷めていましたか?」
「そうね。両方かしらね。お互いに飽きたのよ。」
「そうですか。」
2人のやり取りを脳内で反芻してようやく理解する。
ミエーとベルゲルは恋人だったのだと。
なるほど。
確かについさっき恋人が死んだ割には冷淡な態度だ。
「下世話な話題で申し訳ないが、貴方はどうしてベルゲルと付き合ったのですか?どう考えてもお似合いとは言い辛い。」
何時もの口調で問いかけるセイレンに、ミエーは笑って答えた。
「お似合いとは言い辛い?馬鹿ね。頭脳派と体力馬鹿の相性は最高なのよ。」
「御しやすいからですか?」
「それもあるけど、アイツはちょっと違ったわね。」
椅子を引き、私たちに向き合った彼女の瞳は赤かった。
瞼も腫れている。
「あいつは自分の信念をきちんと貫いてたわ。馬鹿だったけど、筋を通す人間だった。…優しくていい奴だったわ。」
「そうだったのか?」
意外だった。
「私が知っているベルゲルは粗野で乱雑な人間だ。」
「一度でも彼と話したことがあった?」
ミエーの言葉に私は固まった。
そうだ。
私は一度も彼と面と向かった事は無い。
遠くから見ているだけだった。
見た目の印象。風評。言葉遣い。態度。
彼と直に向き合わず、印象だけで決めつけていた。
「なるほど。よく分かりました。」
愕然とする私の腕を掴むとセイレンは調合実習室を立ち去った。
引きずられるようにして次に来たのは生物学教授ダニエラ・ゴットンの教員宿舎だ。
ノックをしても返事は無かった。
誰も居ないかと思ったが意外な事にドアは開いていた。
「不用心ですね。貴重な研究資料もあるはずですが。」
そう言いつつもセイレンはズカズカと部屋に入って行く。
整頓され、無駄な物がほとんど無い。
この部屋の主の性格を表していると言っていいだろう。
数少ない装飾品の中で、一段と目を引く物がある。
魔法銀を加工し、力ある言葉が彫られたメイスだ。
私が思わず感心して見惚れていると、後ろでセイレンの声がした。
「ふむ。これで間違いないか…お手柄ですよマレウスさん。」
そう言われて肩を叩かれたが何の事だかさっぱり分からない。
「何をしている。ここは儂の私室じゃぞ」
嗄れた声が、私の心臓を鷲掴みにした。
振り返れば戸口に高齢の男性、ゴットン教授が仁王立ちしている。
「教授に聞きたい事があって、失礼を承知で待たせて貰いました。」
「鍵は?」
「開いていました。」
セイレンの言葉に教授の顔が引き攣った。
「何じゃと?」
血相を変えて部屋中を見て回り、何かを探すようなそぶりを見せるゴットン教授。
だが私が気になったのは、それを眺めるセイレンの表情だ。
実験を見守る学者のそれだ。
しばらくして落ち付きを取り戻した教授にセイレンが質問を開始した。
「1つだけ。昨日、教授の部屋にベルゲルが入っていったのを目撃した生徒がいます。なぜベルゲルはココに来たのでしょうか?」
「儂が呼んだからじゃよ」
「呼んだ?」
「彼にある研究を手伝ってもらおうと思っての。まぁ、断られたが。」
「そうですか。」
満足する解答だったのかセイレンは踵を返すと教授の部屋を後にした。
慌てて追いかける私はゴットン教授の変化に気付かなかった。