◆46 閉じ込められた料理係
何度悪夢が繰り返したか何なんて、数える気も起きなかった。
ただ、ただ、魔女の笑い声に私は耐え続けた。いつか嵐は過ぎ去るのを知っているから。
「良いわねミチル。今度わたしの言うことを聞かなかったら許さないから。ああ、胸くそ悪い」
それだけだった。
遠くなる魔女の言葉を最後に、駅も電車も警笛も無くなって、唐突に悪夢が終わった。残された私は、訪れた虚無感と安らぎに目を開けた。
見慣れない天井に、私は体をベットから起こして部屋を見回す。額から濡れた布巾が落ちた。
私が眠っていたのは、簡素なベットの上。壁は煉瓦づくりで、ひびもあって古く見えた。部屋の広さは、一人部屋として十分なくらいある。
全く見覚えのない様相に、まだ夢を見ているのかと思った。
頬をつねろうと手を挙げようとすれば、暖かな固まりが腕から滑り落ちる。その固まりは、赤い三角の帽子を被った小人だった。見れば、私の体にもたれるようにして、七人の小人が眠っている。
道を猛スピードで横切る、あの小人達だ。
「こんにちは? どうしてあなた達がここに……?」
手から落ちた小人を含めて、私の声に七人が目をこすりつつ起きる。丸い小さな体は、太ったリスみたいだ。
全員私の顔を見るとみるみる顔を赤くし始めた。またかと、私は戸惑いつつも、こんな状況になった経緯に頭を巡らす。
毒リンゴを間違って私は食べてしまい、眠ってしまったのだ。その後魔女に悪夢を見続けさせられて、抜け出せたと起きれば、見知らぬ場所に移動していた。
頭に乗せられていた布巾に私は気が付いて、この小人達が看病してくれたのだと察する。
「看病してくれたんだね。ありがとう」
私が笑ってお礼を言えば、赤くなっていた小人達からぼふんと音が聞こえて、小さな彼らは私から逃げるようにして物陰へと消えてしまった。私は何かまずいことでもしたのだろうか。
特に具合が悪いところもない私は、べっとから起き上がり、室内を散策することにした。部屋にある家具は、ベットと小さな机一つに、椅子一脚のみ。部屋の隅に階段があることに気が付いた。
ここは途中の階層らしく、昇りと下り両方がある。私は何の気無しに降りてみた。
「……アル?」
降りた先は、また同じくらいの広さの部屋。まだ下の階があるみたいだが、木戸でふさがれていた。
暖炉やかまどが並ぶこの階は、どうやら料理場みたいだ。掃除していないのか、汚い。
散らかる物に埋もれるようにして、火がついた暖炉の前で灰色の猫が縮こまっていた。
「うう、寒い……」
歯の根が合わないのか、かちかちと犬歯を鳴らして、アルは丸くなって震えている。灰色の体はずぶ濡れだ。拭いてもいないらしく、彼の周りに水たまりが出来ている。
「どうして濡れてるの? ちゃんと拭かないと風邪を引いちゃうよ。タオルはどこ?」
散らかり放題の部屋を見回す私に、後からこっそりついてきた小人の一人が、さっとタオルを渡してくれた。お礼を言うと、また顔を赤くして影に去ってしまう。
私は猫の姿をしたアルを包むように拭いてやった。しばらくそうやっていると、火に当たって体も温まったのか、アルの震えが治まった。
まともに話せるようになったらしいアルは、うめくように言った。
「やっと起きたんだね。君が間違えて毒リンゴを食べちゃうから、僕が奔走するはめになったんだ。小人達も君の世話にかまけて、主人であるこの僕をほったらかしにするし……しゅん」
くしゃみをして、ずびびっと、猫にはあるまじき音で鼻を啜る。
その姿があまりにも哀れみを誘うもので、私はアルに申し訳なくなった。
「いやあ、まさかリンクがあんな行動に出るとは思わなくて。こんな事になっちゃってごめんね」
「……別に良いよ。君こそ、あんなにうなされてたけど大丈夫なの? 眠りの呪いは解いたけどさ」
魔女の悪夢を見ていたときなのだろう。何度も見せられた臨死体験を思い出して、私はその映像を頭から追い出した。それよりも、眠りの呪いについてアルに聞きたいことがあるのだ。
「その呪いについて何だけど、永久の眠りじゃなかったの?」
「……君がどうして知っているのかは置いておこうか。呪いはね、掛けた者なら簡単に解けるんだよ。君が食べた毒リンゴを作ったのは僕だからね」
「私が食べてしまったから、アルは呪いを解いてくれたんだね。……じゃあアルの思い通りにアリスが食べていたら、アルはどうしていたの? ヘンゼルが助けに来たときに、解くつもりだったの?」
そうじゃなければ、アルはアリスを殺すつもりだったということになる。
不安が滲んだ私の言葉に、アルは猫の体で伸びをするとその場に座って言った。
「いいや。解かなかったと思う」
「それってどういう意味? ……アルはアリスを殺そうとしているの?」
「それも違う。僕は彼らを殺すつもりはないよ。僕も君に聞きたい。どうして君がリンゴの呪いについて知っているの? 僕は薬としか説明していないはずだよ」
アルの答えがよくわからない。殺すつもりはないと言うのなら、アリスに永遠に眠っていて欲しいということなのだろうか。そんなの酷いと思う私に、アルは話題を変えて責めるように聞いてきた。
「ヘンゼルの呪いについても、ずっと聞きたかった。どうやって知ったんだい?」
「……それは魔女が教えてくれたの」
私にはこの答えしかない。
「また、魔女か。グリムとはまた違うんだろうね。君にとってその魔女って一体何なの?」
アルは怪訝そうに私を見上げてくる。
私だって、得体が知れないのだ。魔女は何もかもお見通しで、私を利用している。私を操ろうとしているのだ。魔女は私にとって――。
くうと、小さな音が鳴った。
「はあ。……お腹空いた」
音の出所は、しょんぼりと座る灰色の猫だ。拭いたとはいえ、まだ湿っている毛のためか、普段よりアルが痩せて見える。ちなみに長靴は履いていない。
アルは深い息と共につぶやいた。
「もういいや。君にもその魔女って言うのがわかっていないんでしょ? 君が予想外なのは、ようくわかっているから、もう何が起ころうが僕は構わないよ。そういうことだから、食事を用意して」
飽きた疲れたと、アルは私に言い捨てて毛繕いを始めた。……アルの真の姿は猫なんじゃないだろうか。
そういうことの意味が全く持ってわからないが、会話は終わりとばかりの態度に出られては、話すことも憚られる。
私はため息をついて、まずは部屋の片付けにかかった。私が料理を作るのが当然という風は気に障るけれど、私も空腹だった。
どのくらい眠っていたのだろう?
窓を見れば、外は赤い。徐々に暗くなっているようだから、今は夕方だ。随分と時間が経っているようにも思えるし、けれど体調から一日も経っていないように感じる。
不思議に思いながらも、私の身体もお腹が空いたと訴えた。とりあえず、先にご飯を食べよう。
机と椅子は上の階から降ろそうかと考えながら、散らばる物をひろえば、小人達七人も手伝ってくれた。またお礼を言えば、彼らは顔を赤らめて俯いてしまう。
部屋を片づけて、調理に取りかかれば、小人達が材料を出してきたりと細々と手伝ってくれた。それが、アルの好きなオムライスの材料だったことが気にかかったけど、一緒に作る内に小人達と仲良くなった。
やっとわかったことだが、どうやら、彼らは恥ずかしがり屋らしい。具合が悪いわけでも、私が嫌という訳でも無く、とってもシャイなのだ。
嫌われていたわけじゃ無かった事に、私は安心しつつ10人分の夕食を作った。
オムライスが完成してアルを呼べば、顔だけは良い魔法使いは、暖炉の前で猫のくせに親父座りでうたた寝をしていた。




