◆44 魔女の悪夢
※痛みの描写有り
体が重かった。魔女の怒りの声がもったりとした粘性を持って、空間に響く。泥の中に居るみたいだ。
「それはわたしへの当てつけのつもり?」
感情までも泥のように鈍くなってしまう。魔女はそんな私に次々と言葉を投げつけてきた。
「誰のおかげでここまで無事でいられたと思っているの? わたしが居なければ何も出来ないくせに。我が儘だわ。あなたはただわたしの言った通りにすればそれで良いのよ」
勝手なことばかり言う魔女に、私は言い返したかったけれど、泥に埋もれる体はそれを許してくれはしない。魔女の言葉に、刃物のような痛みを感じた。
魔女に私の言葉を届けられないというならば、耳を塞ぎたかった。酷い言葉は、もう、聞きたくない。
「生意気なあなたには、仕置きが必要なようね」
私はぎゅっと目をつむった。
「どうして私の言うことが聞けないの?」
すると、霧が晴れるように体にかかっていた重みは消失して、魔女の声も余韻を残してかき消えた。
突然の変化に、私は目を開ける。
警笛が鳴った。
反射的に音の鳴った方向を見れば、見覚えのある形をした真っ黒な電車が、私に迫ってきていた。
黒い大蛇の様な姿に、私は生理的な恐怖を感じて叫び声を上げる。甲高いそれは、自分が発した物とは思えない情けなさで耳に響いた。
電車は止まることなく私へと突っ込んでくる。白い明かりが眩しすぎて、中に居るはずの車掌が見えない。
逃げようにも、私の足は気づけば傷だらけで、捻った痛みをもってその場に縫い付けられていた。
私は助けを求めて辺りを見回す。そこは閑散とした駅。
唯一人、ホームに長い髪を下ろした女性が佇んでいた。風に煽られる黒髪は、うねっている。
私は泣き叫んだ。けれど、女性には聞こえていないらしく振り返ることはない。
私は手を伸ばした。けれど、届くはずもない。気づいて貰えない。女性は私に無関心だ。
警笛がまた鳴った。
助けて。私はここにいるの。
誰もいない駅で、私が助けを求めることが出来るのは、長い髪に綺麗なパーマをかけたその女性しか居なかった。
助けて。
黒塗りの電車が私にぶつかる寸前、私を殺そうとする人を見た。その人は残虐な笑みを顔に浮かべて、乾杯でもするかのように持っている札束を私に掲げる。
助けて。
体が引き絞られるような圧力を感じ、諦め悪くも私は女性へと声をあげて手を伸ばした。
すると、やっと女性は振り向いた。
長い髪に隠されたその顔は、電車の風圧で髪が舞い上がることによって、見えた。
助けて、――――!!
そう私が言ったとき、女性の髪は瞬く間に色が抜け、きつい顔は赤い唇を除いて白骨化した。魔女は赤い弧を動かす。
「言うことを聞かなかった罰よ。うふふふ、あははは!!」
電車は私を轢いた。
体を引き裂く経験したことのない激痛に、絶叫するための喉さえ潰されて、私の体はバラバラに砕け散る。
魔女の笑い声は、女性の金切り声になり、警笛の音へと変遷した。
私は目を開けた。
警笛が鳴った。
「どうしてわたしの言うことが聞けないの?」
悪夢は繰り返した。




