◆04 青い服の変人魔法使い②
坂を下りきると、上からずっと見えていた家に着いた。
煉瓦で建てられた、二階建ての豪邸だ。もう少し行った所に他の家も見えるが、明らかにこの家は大きかった。庭も井戸もばっちりある。
絵本のような世界だと思ってから予想はしてたものの、電気、水道、ガスなど近代の技術の証は見あたらなかった。
アルはしげしげと建物を眺めながら、私に言った。
「ここが君が過ごす家だよ」
「――きゃあっ!」
こんな豪邸に!? と問い返そうとした途端、乱暴な音と共に、裏口から私と同じ位の少女が出てきて、前方へ可憐に転けた。あんな風に可愛く転けられるのかと、感心してしまった。
転けた少女は、真っ直ぐで縺れの一つもない輝く銀髪で、上げた顔は小さく、くりくりとした大きな瞳をもっていた。人形のように可愛らしい少女だ。
けれど、その小柄な体を包むのは、継ぎ接ぎだらけの洋服だ。
「まったく、あんたがこの家に居られるのはお母様の情けだっていうのに。家事の一つもまともにできないの? わたしの鏡に埃がついていたじゃない」
少女に続いて出てきたのは、色っぽい泣きぼくろが特徴の、茶髪の女性。着ている服は、刺繍の施された立派な物。その手にはバケツがある。
二人は近くにいる私とアルに気が付かない。
「ごめんなさいお義姉様。雑巾を探していたところだったの」
「言い訳するなんて醜いわね。雑巾? その着ている服で良いじゃない」
嫌な現場に居合わせてしまった。
どうやら可憐な少女は、茶髪の女性に虐められているようだ。
…………何だろう、……何かに似ている。
思い出しそうな記憶を置いておき、その場の空気は険悪になっていく。
どうにかしないとと、声音を下げてアルに言った。
「ちょっとアル、止めた方が良いんじゃ……」
「良いの良いの。そういうものなんだ。君も、彼女が虐められていても放っておけばいい」
「なっ」
アルは、大したことはないというように軽く言う。あんまりな言い様だ。
非難の声をあげようとしたが、何故か隣の変人魔法使いは少女を切なそうに見つめていて、私は言葉が出なかった。
助けたいならば、助ければいいのに。言っていることと、態度がちぐはぐだ。
「お義姉様やめてください!」
叫ぶ少女の方へ視線を戻せば、女性が可憐な少女に向けてバケツを構えていた。
その様を見て、思った。
私には無理だ。
放っておけないと、私は抱えていた鞄を放り投げ、驚いて伸ばされるアルの手を無視し、女性に突進した。
「あんた自身が汚いから、わたしの部屋が汚れるのよ――」
「ちょっと待ったあー!」
相撲よろしく私は両手で女性を突き飛ばした。
予想外の打撃に、女性は抵抗できないまま倒れ、手から離れたバケツは宙を舞う。
そして、中に入っていた水は零れて私と女性にヒットした。泥臭いのは床も掃除してたんでしょうか、お嬢さん……。
さらに、無駄な奇跡が起こり、宙で半回転したバケツは大きな口を下に向けて女性の頭をぱくり。
良い音がして、女性は倒れてしまった。慌てて頭からバケツを取れば、女性は泡を吹いて気絶。バケツで頭を打ったと言うより、臭いとそれを浴びたショックが原因だろう。
少女の無事を確認すれば、少女は倒れた体制のまま、涙に濡れた金の瞳を見開いてこちらを凝視していた。
その姿は、震える小動物のように可憐で、女の私でもきゅんと胸を打たれた。ものすごく守ってあげたくなる衝動に駆られるのだ。
動悸がする心臓を無視して、私は少女を安心させるように笑った。
「大丈夫? 余計なこと……しちゃったかな?」
「……」
少女は無言で首を振る。
見ず知らずの他人である私が、割り込んでしまった。本人達の問題だけれど、暴力はやっぱり良くない。
さて、この後どう始末をつければ良いのかと、アルに頼ろうとして振り返れば――居なくなっていた。
周囲にも見あたらない。ついでに放り投げた鞄も。
「どういうこと……」
アルが居なくなったことにも納得がいかないが、私の本……鞄ごと無くなったことが腑に落ちなかった。
遠くには投げ飛ばしていない筈だし、落ちていないって事はアルが持ち去ったことになる。
変人だとは思ったが、そういう事をする人には見えなかったのに。裏切られてショックを受ける。
すると、呆然とする私にものがぶつかり、その衝撃によろけて仰向けに倒れてしまった。
「っちょっと、――えぇぇ!??」
「ぐえっ」
痛くなかったのは下敷きになってくれた女性のおかげだ。……何か聞こえたのは空耳にしておこう。
私を押し倒したのは、目を輝かせている可憐な少女。
どうして私、女の子に押し倒されたの!?
小柄なのに出るとこは出てるとわかって、私は身を固くした。男なら、涎物の状況だけれど、生憎私は急な展開に頭が追いつかなくて真っ白だ。
そんな私を、少女は頬を染め、潤んだ瞳で見つめて言った。
「わたし、一生あなたについていきます!」
訂正する。男なら悶え死ぬ。
あ、私男だったのか。
彼氏居ない歴=年齢の私に初めて告白したのは、可憐な美少女でした。
***
「ミチル……ね」
木陰から、押し倒されている黒髪の少女を覗う。その姿形は全く彼女とは違った。
注意したはずなのに、彼女は大事そうに抱えていた鞄を放って、少女を助けてしまった。
つい受け取ってしまったが。
“ミチル”と名乗った少女の鞄には、僕には思いもかけない物が入っていた。
懐かしくて、愛おしくて――苦しい。
過去を思い出し、わき上がる感情を抑えるために、僕は目を閉じる。
言い伝えでしか聞くことの無かった物語が紙に書かれ、本になり、絵がつけられているというのは実に奇妙なものだ。
それに、少女の名も。
何の因果だろう。
「まあいいか」
描かれた鳥と同じ色のローブを翻し、僕はその場を離れた。
他人の鞄を勝手に漁ってはいけません。いけませんって(゜_゜;)