◆38 魔法使いの悪巧み
怪我した体で一日歩き回ったのもあって、部屋に入った後私はベットへと沈み込んでしまった。
夕食中、アリスとヘンゼルは仲が悪かった。疲れもあって、私は何も言わなかったが、これでは食事がまずい。
その後、二人とも私の疲弊した様子を見て、しっかり休んでと部屋に一人にしてくれた。着替えもそこそこに、私はそのまま眠ってしまったらしい。
今は真夜中なのか、静かな虫の音が聞こえる。
何かの気配を感じて、目を開けると青い目とかち合った。
「……アル?」
「起きた? ちょうど良かった。怪我を見せて」
困ったような顔をしたアルは、あの時の彫像のような美しさとは違って、生きている人に見えた。氷のような視線は、下がった眉で緩和されて穏やかに流れる川のようだ。
起きたばかりの私はアルの言ったことがすぐに理解できなくて、突然現れた魔法使いに呆然とした。
そんな私に、アルは返事も聞かず被っていた布団を剥ぐと包帯を巻いた腕に大きな手を滑らす。
「っ!?」
「まったく、酷い傷だね……」
驚きから回復して私が抵抗しようとしたときには、アルに捻った方の足首を掴まれて、動けなかった。
「な、にを……?」
「君の怪我を治した。もう痛くないでしょ?」
他人に、しかも男の人に体を触られたことがなかった私は、アルの行動に石のように固まってしまった。
勿論、アルの手つきには全くいやらしいところはなく、焼けるような痛みや鈍い痛みは嘘のように無くなっていた。恐る恐る包帯を解けば、怪我の跡も残っていない。
「ありがとう……」
「何があったかは知らないけど、これで君は僕に借りができたね」
「……はい?」
たあいなく私の怪我を治してくれたアルにお礼を言えば、アルは腕を組んでふんぞり返った。それが猫の姿でやっていた仕草そのまんまで、美形がやるとシュールだ。
意識してしまった自分を殴りたい。
「そういうことで、君にはアリスとヘンゼルの仲を取り持って欲しい。仲直りさせてくれ。まあ、全部君のせいなんだけど」
「それは私に協力をしろってこと……? 前みたいに傍観しろじゃなくて?」
「そうさ」
せっかくアルがいい人に見えたのに、この魔法使いは助けた代わりにアリスとヘンゼルを仲直りさせろと言う。あんなに傍観しろ、関わるなと釘を刺してきたのに言っていることが真逆だ。
それに、アルが私を元の世界に戻したくせに。
「むしが良すぎる」
「うん。話が変わった。君を利用した方が良い事に気が付いたんだ」
自分の言葉に頷きながら満足そうに言うアルに、私はいらっとした。開き直ったよこの変人魔法使い!
月明かりに照らされる青白い頬をひっぱたきたい衝動に駆られる。
「君にとっても悪い話じゃないよ? 二人が仲直りしたら、君を元の世界に戻してあげる」
「……いいの?」
「むしろ戻って欲しいし。それに、アリスが幸せになる。なんせヘンゼルは王子様なんだから、一生の生活が保障されるんだよ?」
我が子を自慢するかのようにアルは誇らしげだ。
そうか、これは取引なんだ。アルの要求をこなせば、私は元の世界に帰れる。
私も二人には仲直りして欲しいと思った。アリスがヘンゼルを好きになるかは別として、せめて二人には険悪な関係でいてほしくない。アリスが幸せになってくれるなら嬉しいと思う。
「僕たちの利害は一致した?」
「……二人を仲直りさせれば、私を元の世界に戻してくれるんだね? 私が帰った後も、アリスは辛い思いをしないよね?」
「そうだよ。ちゃんとお別れもしてね。君が上手くやりさえすれば、今回みたいにならないから」
私がこの世界からいなくなっても、アリスに辛い思いをしないでほしい。人を探す寂しさを感じて欲しくない。
私は私の世界に帰らなければならないから、アリスとお別れをしなければいけないのだ。それはきっと近い未来。その時は、私もアリスもお互いに何の不安もなく笑っていたい。
それに、結局の所私が元の世界に帰るためにはこの魔法使いの要求をのむしか方法がなかった。
私は夜空のような魔法使いの瞳を見て、頷いた。青い魔法使いは、それに、ふっと笑う。
「よーし! これから僕らは同士だ。二人には仲直りして貰うだけじゃなくて、さらに親密になって欲しいんだよね。だから、君にも僕の作戦を知っておいてもらいたいから、聞いてくれ」
アルは私の了承に、小躍りして話し始めた。そこに冷徹な悪い魔法使いの面影は全くない。
幾度もアルを麗人だの美しいだの思ってきたが、中身が残念すぎて段々と慣れてきた。容姿が整ってるのにな、もったいないな。でもアルだしな……。
「僕は二人が接近するために切っ掛けが必要だと考えたんだ。そこで、毒リンゴを作ろうと思う。毒って言っても眠り薬さ。それをアリスに食べさせて、眠ってしまったアリスを僕がさらい、ヘンゼルに助けに来させるんだ。これで、ヘンゼルを嫌っていたアリスもほだされるでしょ」
「……」
うきうきと語り出した魔法使いが胡散臭く見えた。またどこかで聞いたことがある物語の断片だ。ほだされるって、それこそご都合主義も良いところ。そりゃあ、ピンチの時に助けてくれた人を嫌いにはならないだろうけど……。
「なんだい? その嘘つきを見るような目は。僕はこれでも人の姿の時は悪い魔法使いなんだ。猫の姿の時は、王子の相談役。ヘンゼルの邪魔をするのは僕が適役でしょ」
「じゃあ、私はヘンゼルにアリスを助けに行かせればいいの?」
アリス達を騙すことに罪悪感を覚える。尻ごむ私に、アルは話が早いと頷いた。初めから協力させれば良かったのかというアルの呟きが聞こえて、私のストレス度は上昇していく。
「ただ、その作戦の前にアリス達は君のせいで喧嘩しているから、どうにかしてほしい。っていうより、君がこの世界に急に居なくなってしまったのが原因だから、君が何とかしなくてはいけない」
淡い光りに髪を銀色に輝かせて、魔法使いは私を責める。内容は身勝手、傍若無人の上から目線。苛々するものの、帰還とアリスのために私は耐えた。
どちらにしても、急に居なくなったことをアリス達に私は詫びるつもりで居た。リンクに労いのプリンも作りたいし。
「……お茶会を開くよ。美味しい物でお腹が満たされれば話も弾むし、ちゃんと私が話せば少しは和解できると思う」
「うーん、悪くはないかもね。勿論僕も参加するからよろしく。じゃ、もう眠いから僕は帰るね」
そう言って、自分勝手なアルは私を突き落とした窓からちゃっと出て行った。気になって後から顔を出してみても、アルの姿は下にも上にもない。視界の片隅を大きな花弁のような物が舞っていったが、関係無かった。
いい加減、普通に出入りして欲しいと思う。
「アリスに毒リンゴを……か。上手くいくのかな」
一人残された暗い部屋で、私は呟いた。やっぱり気が引けてしまう。
それにしても、怪我を一瞬で治してしまったり、睡眠薬入りのリンゴを作れたりとこの世界は何て便利なんだろう。いや、それは全部アルだけができることなのかもしれない。
グリムおばあさんだって、魔女なのに怪我は治せないと言っていた。多分、元の世界に私を戻せるのもアルだけしか居ないのだろう。
さっきのアルは、私を突き落とした魔法使いとは別人に見えた。彼は私を殺すつもりはないのだ。窓から落としたのも元の世界に私を帰すためだった。いや、この世界から追い出すためだったのだ。
あの青い魔法使いの正体が、私は未だに掴めない。それを言ったら、この世界も一体何なのか私にはわからなかった。それでも、アリス達に出会ったことは私にとって紛れもなく現実で、彼女たちはこの世界に存在している。またここに来て、会って、話して、そう実感した。
この世界に二度目のトリップしてしまったが、今回はちゃんと帰れる保証があると私は布団を被り、肩の力を抜いて眠りの世界に落ちていった。




