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◆36 塔と七人の小人達

 翌朝、満身創痍の体にむち打って私はアップルパイを作った。グリムおばあさんの所望だ。

 何て鬼畜なんだと思いながらも、怪我をした私を助けてくれて、一晩泊めてくれたのだから感謝している。


 グリムおばあさんに、持っていたはずの鞄の所在を聞けば、最初から持っていなかったと言われた。学校の指定鞄で、中には教材やら入っていたのに。きっと、車から逃げている途中で放り出してしまったのだろう。

 そういうわけで、私は、破れた制服と、汚れたマフラーを身につけている。腕と足は包帯でぐるぐる巻き。見窄らしいが、仕方がない。


「どうもお世話になりました」

「うむ、気をつけてな。一緒に行けなくてすまないのう」

「いいえ、ここまでしてもらったんですから。それでは」


 ぺこりと私は頭を下げて、お菓子の家を後にした。グリムおばあさんは、人を待っていて、その人が来るまでここを自由に離れることはできないのだという。まるで、見えない鎖に縛られているようだ。




 一番会いたい人を考えながら、私は森を歩く。水玉模様のキノコの前を通り過ぎ、パステルカラ-の花畑を抜けて行くが、不思議なことにどんどん森の奥深くへ入っている気がした。

 ただまっすぐ歩いているだけなのに、いつしか花々も、聞こえていたさえずりも遠くなる。


「あ、あれ……? おかしいなあー」


 さすがに私も冷や汗を掻いてきた。今、私の一番会いたい人って言えば、アリスだ。元の世界には帰りたいけれど、彼女の安否が気になる。

それなのに、城の影が全く見えない。木々の上から城の尖った屋根が見えたって良いと思う。

 それとも、アリスはお城にいないのだろうかと、不安になってくる。


 歩調が遅くなってきた私の前を、赤い小人が一人通り過ぎていった。


「……え!?」


 見たことのある、ビール腹をしたサンタクロースみたいな小人だ。一人通り過ぎれば、また一人と各々紙やペンなど体よりも大きな文房具を抱えて走っていく。私には見向きもしない。


 七人目が通ってきたとき、私は出来心で小人の持っているペンを取った。小人はそれに驚いて、盛大にすっころぶ。


「あ、ご、ごめん。悪気はなかったんだけど」


 小人はしばらく何が起きたのか理解できないというように、辺りを見回して私に視線を合わせた。


「こんにちは。私、満と言うのだけれど、道に迷ってしまって。お城に行きたいのだけど、道を知りませんか?」


 私の質問に、小人は無言だ。無視しているのかと思えば、私の顔をじっと見て顔を赤くしている。怒っているにしては反応が薄い気もするし、どうしたのかと私も小人を見つめると、ぼふんと空気が抜ける音がした。

 ……ぼふん?


 見れば、小人は頭から湯気を出して真っ赤になっている。病気かと私はペンを置いて、小人をそっと起こした。


「大丈夫!? 風邪!? 熱があるっ」


 小人の体はじっとりと湿って、熱かった。さっきまでものすごい速さで走っていたのを、急に止めてしまったのが原因だろうか。一先ず冷やすために、池か湖を探そうと焦り始めた私から、小人はふらつきながらも立ち上がって離れた。


「ちょっと! 具合が悪いんじゃないの? 待ってって」


 ふらりと危ない足取りで、顔を真っ赤にしながらも私から逃げる小人を、私はペンを手に追いかけた。忘れ物をしている。

 捕まえようと手を伸ばせば、小人は熱があるとは思えない俊敏さを見せた。具合が悪いわけではないのかと思いつつも、仕方がないのでそのまま私は追いかけることにした。


 しばらくすると、塔が見えてきた。ビルにしたら三階ほどの高さだろうか。小人は、塔が見えると走り出して、開いている小さな扉に滑り込んでいった。ペットドアのようなそれは、私が通り抜けることはできない。


「忘れ物だよっ」


 私がそう言って、ペンを差し出すと、扉から顔を覗かせて、怯える野生動物のようにペンをひったくると、勢いよく小さな扉を閉めていった。鍵を掛けたらしく、開けられない。

 具合が悪くなった訳では無かったらしい。私は立ち上がって息を整えた。


「……塔に来たい訳じゃなかったんだけどなあ」


 目の前の塔は、随分古いらしく、蔦が絡まってあちこちひびが入っていた。苔だらけだ。これくらいの高さなら、森の中に居ても目立って見えただろうに、全く気が付かなかった。森のせいなのか、この塔に何かあるのかはわからないが、不自然だ。


 それはともかく、私は塔に用はない。アリスに会いたいというのに、おかしな話だ。もしアリスがここにいるのならば、私を見つけたら声を掛けてくれるだろうし、リンクも側に居るはず。塔に幽閉されているのだったら外側からわからないが、周囲に不穏な気配もなく考えにくかった。

 まさか、グリムおばあさんの話は冗談だったのだろうか。無駄に体力を消耗した。


「……困った」


 肩を下げた私の目の前に、黒い影が現れる。棒のような体は、前に森で見たときよりも薄かった。


(久しぶりね、ミチル)

「魔女……どうしてここに?」

(わたしとあなたはいつも一緒よ。よく帰ってきたわね、お帰りなさい)


 赤い唇が弧を描く。魔女は私が帰ってきたことを歓迎しているらしい。


(ええ、そうよ。あなたとまた会えて嬉しいわ。お城へ行くのでしょう?)

「……うん」

(連れて行ってあげる。わたしについてきなさい)


 上機嫌な魔女は黒いローブドレスをそよがせて私に背を向けた。

 この魔女を信用しても良いのだろうか? 魔女は前に私を罵倒していた。それは、アルの怒りを買ってしまった私に対してだった。魔女は、私を利用している……?

 手の平を返したような魔女の態度に、私は不信感が募った。


(ふふふ、お馬鹿な私のミチル。そんなことを考えていても、今あなたはわたしについてくるしかないのよ? いいの? わたしの機嫌を損ねれば、あなたはこの森で彷徨うことになるわ)


 悲しいことに、魔女の言うとおりだ。グリムおばあさんを信じてここまで来たけれど、私が行きたいのはアリスの居るところ。塔じゃなくて多分、お城なのだ。


(さあ、この胸くそ悪い塔から離れるわよ。早くなさい)


 幾分かきつい口調で魔女は私に命令する。

 そうして、私は日の光りにさらに透ける魔女の姿を追った。


 振り返って見えた塔の窓に、誰かがいた気がした。

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