◆32 戻らない頁
※魔法使い視点
彼女は、この世界に存在するはずのない人物だった。珍しい黒髪、意思を持った力強い黒い目。
作った覚えがない。
理由はわからないが、彼女はどこからか迷いこんだらしい。
魔力を使い果たしていた僕は、彼女を監視しつつも放っておくことにした。彼女の持っていた絵本に惹かれたのも理由だ。まあ、大した障害にはならないだろうと。
思えば、初めからその考えは間違っていたんだ。
まさか、少女が彼女を好きになるとは。
勝手に店なんてやり始めて、おかしな事になってしまった。料理の腕は悪くなかったから気にするのは止めたのだけど。
他にも僕の枯渇したはずの魔力が戻り始めた。彼女が現れてからだ。
僕が作った世界なのに分からないことが起きた。彼女は一体何なのか、首をひねるしかなかった。僕は監視を続けた。
そんな僕の気持ちを余所に、散々注意したのに、彼女は舞踏会に図々しくもやってきた。少女が尋常ではない程彼女のことを気に入ってたから、よく言い含めたのに裏切られたものだ。
しかもけばけばしい派手なドレスを着て来た。少女と対だと、二人並んで城に入ってきたときにわかったが、嫌な女の記憶を思い出してひたすらに嫌悪感を抱いた。
僕の大事な人を貶した卑しい女。この手で葬ったというのに、記憶は消せない。
気づけば彼女を重ねて罵倒していた。向こうも頭に血が上っていたのか互いに冷静に行動していなかったのだろう。
まさか噴水に落ちるとは。
溺れる彼女を引き上げれば、苦しそうに喘ぐばかりだった。ふとあいつの助言を思い出し、コルセットの役割もあるのだろう胸元の紐を引き抜いた。
途端に彼女は飲んだ水を吐くも、よほど苦しかったのかそのまま意識を失ってしまった。
慌てて抱き上げれば、胸元が露わになっていて、急いで来ていた上着を脱がして胸に掛けた。それでも一瞬見えた、締め上げていた痛々しい服の跡が目に焼き付いてしまった。彼女が言っていたとおり、無理に着ていたらしい。
そうまでして何故と思った。だから僕は、彼女がただの町人Aとなりやすいように店を潰し、機会を与えた。それは皮肉にも王子に彼女を近づける機会になってしまったが。
そこで僕は、少女とは引き離せないと諦めた。少女の友達Aならよしとしようと思ったんだけど、甘かった。
まさか王子の呪いを見破るとは。
問い詰めれば夢に見たと、もっと上手い嘘をつけばいいのに言ってきた。もしやと、見られたのではと思って調べたけど、何も無かった。そういえば、彼女は舞踏会の招待状についても知っていたようだった。どうして知り得たのだろうか。
そして悪魔の唄を聞くのは、少女の役目だったというのに彼女がかっ攫っていった。聞けば偶然らしかったが、余りにもできすぎているように感じる。誰か誘導者がいるのだろうか。それこそ彼女が言っていた夢の中の魔女みたく。
極め付けは、髪を切ってしまったことだ。まさか少女の代わりになるとは。
気をつけていたのに。だから王子とは距離を取らせていたというのに。
小さな宴の終わったあと。本当なら王子と少女の愛が深まるはずだった。
夜中、王子に呼ばれて僕は灰色の猫になり、長靴を履いて王子の部屋へ訪れた。僕は悪い魔法使いとして、王子を欺き彼の相談役になっていた。少女を侍女にし、彼女を料理番にさせたのもこの僕の助言だ。
王子は僕を信頼している。
それこそ、恋の相談もするくらいに。
「好きになってしまったんだ……ミチルのことを」
この台詞を聞くのは二度目だった。
同じ名前でも、全くの別人の事なのに僕の心が黒く覆われていった。絶望なのか、怒りなのかよくわからないけれど、こんな筈じゃ無かったと、何度思ったか知れぬ思いがこみ上げた。
その矛先は、彼女だった。
勢いのまま彼女の部屋に訪れれば、当然彼女は眠っていた。
寝顔は……安らかではなかった。わずかに苦しそうに眉を寄せ、閉じた瞼からは涙がこぼれた。いつもの力強い姿はそこにはなく、今にも消えそうに儚く思えた。
そこで、僕は実感したんだ。彼女は僕が作ったものではないのだ。
僕が作ったものは、僕が決めた以外は争わず、傷つかず、死なないものだった。けれど彼女は噴水で溺れかけたし、森で彷徨いかけ、髪の毛も切れた。
彼女の腕を掴んだとき、改めてその危うさを実感した。この世界で死ぬこともあるのだ。
もう、誰かが死ぬのは嫌だった。同名の彼女でもそれは変わらない。
どうして彼女がこの世界に現れたのか。
どうして彼女はこの世界の展開をよんでいたのか。
もう、そんなのはどうでも良いから、僕の世界から出て行ってほしかった。
***
「ミチルはどこへ行ってしまったの!? 昨日までは一緒だったのに……!!」
美しい少女は、豊かな銀髪を振り乱して泣き叫んだ。親友の妖精が慰めようと声をかけるが、暴れる少女に手がつけられないようだ。
「わからない。忽然と消えてしまった。一体何が起きたと言うんだ!?」
美しい王子は、苦しそうに頭を抱える。呪いに苦悩していた姿よりも、やつれてみえた。
「あなたがミチルを独り占めしようと、どこかへやってしまったんじゃないの!? 返してよ! ミチルを返してっ」
「ぼくじゃない! 君こそ、ぼくとミチルを会わせないために、彼女を連れ出したんじゃないのか?」
「いくらあなたが嫌いだからって、そんなことをするなら、わたしもミチルの側に行っているわ! 嘘つかないでよ」
「嘘なんてついていない! 君こそ嘘じゃないのか!?」
美しい二人は、人目も憚らずに喧嘩を始めた。側に居る妖精が、二人の周りをおろおろとハエのように飛び回っている。
どうしてだろう。
彼女さえこの世界から居なくなれば、元に戻ると思っていた。けれど、状況は僕の思惑とは逆行している。
その夜、僕は王子に呼ばれた。僕は猫の姿になり、王子の部屋を訪れる。
「頼む……ミチルをこの世界に戻してくれ」
あいつならばしないだろう、力の抜けた顔をする王子に、猫となった僕は首を振る。
それに、王子は人形のように頭垂れた。僕は足音も立てずに、静かにその場を後にして外に出た。
僕は、彼女をこの世界から追い出すことはできるけど、呼ぶことはできない。どうして彼女が僕の世界にやってきたのか、わからないのだから。
彼らは僕には関係なく、勝手に意思を持って動き始めた。
もう物語は、僕の手を離れてしまった。
それでも、僕は最後まで諦めずに綴るのだ。
最後に締めくくる言葉は、“ずっと幸せに暮らしました”であるように。
どうか、彼女の好きなハッピーエンドで。




