◇31 日常
電車に轢かれてから一週間が経った。私は何事もなく高校生活を謳歌している。
「で、あんた王子様に告白されたんでしょう? そしたら魔法使いが嫉妬して、あんたに迫ったと」
「どうしてそうなる!? どう考えても恋愛に発展する伏線は無いじゃん!」
「だよねー。王子を盗った泥棒猫のあんたに魔法使いがぶちぎれて、あんたを空へと投げ飛ばしたんだよねー。魔法使いは不幸な少女と、王子様をくっつけたかった、っと。展開としてはおいしくないわね、修正」
そう言って、部室で私と向き合って座る女子高校生は、手元の紙に横線を引いて、“迫った”と書いている。……何故だ。
彼女の名前は出雲乙姫。文芸部の友達である。
ネタを集めるのが趣味らしく、先日ぽろっと異世界トリップしたと話してしまった。
勿論、乙姫も私の話を夢だと思っているが、ものすごい勢いでネタにされてしまい、彼女曰く小説化しているらしい。かなりフィクションが入るようだ。眼鏡を光らせながら、横線を引っ張っては書き込んでいる。
今は、放課後。部活に入っている学生達は、各々部活動に励んでいる。かく言う私も、題材を探しながら、乙姫とだらだら話していた。今日は私と乙姫の二人しか部室に来ていなかった。
「その魔法使いってどんな格好をしているんだ? 跳ねた感じの髪型とか、背が高いとか?」
「あー、はいはい。ナルシストは黙ってて。ここはサッカー部の部室じゃないから。今頃女の子達が校庭で待ってるわよ」
「俺のどこがナルシストなんだよ、失礼だな。満もそう思うだろ?」
部室に入ってきたのは、藤原夏目。
部活は終わったのか、制服を着ている。その高身長と、切れ長の目で、女子に人気のサッカー部エースだ。読書が好きというわけでもないのに、時々文芸部にやってくる。
「女の子が待っているっていう件を否定しないのが、ナルシストだと思う」
「だって実際に待ってるし」
髪の毛の跳ねを直しながら夏目は不満げに言った。待っている女子に悪びれる様子もない。
今の言葉をクラスの男子達に聞かせたら、夏目はほぼ全員にふるぼっこにされるだろう。……人気者のエース相手に、そんなことをできる勇者がいればだけど。
「もう暗くなってきたし、帰らないか? 一人で帰るのは危ないからな。まだ犯人捕まってないし」
そう言って、夏目はにかっと笑う。
実は彼の親が警察官らしく、夏目は私が電車に轢かれたことを知っている。
その日の夜、私に電話をしてきたものだから驚いた。乙姫にも私を励ましてくれるよう言ったらしく、おかげでそこから乙姫に異世界トリップを話すことになった、という経緯があった。夏目は良い奴だが、ちょっとお節介な好青年だ。
そういうことで、ここ一週間二人の内どちらか一人、あるいは二人ともで一緒に登下校している。ちなみに乙姫が外れることが多くて、夏目と一緒に行動することがほとんどだ。
「これ書き上げたいから、私はパス。満は色々大変よね」
帰りの支度を始めた私に顔を上げることなく、紙に何やら書き込み続けている乙姫は言った。
「襲われないように、気をつけて帰りなさいよ」
「その時は俺が満を守るに決まってるだろ。そのために一緒に登下校しているんだから」
「あんたによ」
「どうして俺が満を襲うんだよ」
もっともな夏目の意見に、乙女は疲れたように首を振って紙との睨めっこを再開した。
不本意ながら、私もこのナルシストと同じ意見だ。夏目が私を襲ってどうするんだ。どちらかというと、夏目が女子に襲われることはありそうだけど。
「じゃあ、また明日」
そう乙姫に言って、夏目と連れだって部室を出た。廊下に出れば、残っていた生徒達がこちらに注目してくる。私にではなく、夏目にだ。
事件後、奇跡の生還を果たした女子高校生として世間のおもしろネタにされるかと、戦々恐々していた私だったが、何も起きなかった。学校でも噂もなっておらず、知っていたのは親が警察である夏目くらいだった。
何でだろうと首をひねっていれば、二人に満のお爺さんだからなと言われた。
余談だが、二人は私の知らないところでお爺さんと会ったことがあるらしく、何故か私よりもお爺さんに詳しいところがある。
私も感づいてはいるけれど、やっぱりお爺さんが手を回したのだろうか。お爺さんの知らない一面が見えそうで、まだ聞いていない。
私が考えていたからか、夏目がぽつりと聞いてきた。
「そういや、お爺さんの見舞いまだ行っているのか?」
「うん。今日も家に帰ってから行こうと思ってる」
「そっか。……そんな不安そうな顔すんな。きっとすぐに良くなって退院してくるって。元気出せよ!」
ナルシストが玉に瑕だが、夏目はいい人だ。
乙姫と夏目とは中学の頃からの付き合いだ。私に元気がないと、乙姫は叱咤してくれて、夏目はこうして励ましてくれる。
「夏目はいいやつだよね」
「おう。おまけに腕っ節も強いし、良い男だろ? ばんばん俺に頼ってくれて構わないからな!」
「ナルシストだけどね」
「おま、それは言わない約束……」
夕日に照らされる道を二人で歩く。目の前を落ち葉が通っていった。
これが私の日常だ。
「まあ、お帰りなさいませお嬢様」
夏目と別れて、家に入る。家と言っても、一般の人が想像するような一軒家ではない。豪邸とまでは行かないが、一般的な職業に就いている人が持てる大きさの家ではないことは確かだ。
玄関を開ければ、家政婦の竹宮さんが出迎えてくれた。私がこの家に来る前から雇われている人だ。私を育ててくれた人の一人でもある。
「お嬢様はやめてって毎回言ってるのに。竹宮さんには名前で呼んで貰いたいです」
「……わかりました。今日は満さんって呼びます。この後もお見舞いに?」
今日だけなの、とつっこませて貰う暇も貰えず、私は頷いた。
お爺さんの名前は、時宮尊徳。私を娘にする前に、お爺さんの奥さんは無くなっている。一度しか面識はないが、娘と息子がいる。どちらも、当たり前だが私より二回りは年上だ。
竹宮さんは住み込みの家政婦。お爺さんは、こんな大きな一軒家を持ち、別荘もいくつかあるらしい。
要するに、お爺さんは一代で一財産作った資産家だ。莫大な資産があると言われている。
私は、あまりお金の話しに触れたくなかったから、詳しくは知らない。お爺さんも私に話すのは気が引けていたようだ。
「記者には気をつけてくださいね。今朝もしつこかったのを一人追い返してやった所なんですよ」
竹宮さんは、そこからいかに記者達が執拗かと熱弁してくる。この様子だと、かなりストレスが溜まっているようだ。いつものことなので、私は軽く流してから、制服から普段着に着替えて病院に行く準備をした。
「ああ、そうだ。もし、付きまとってくるような記者が居ましたら、どこの人か聞いておいてくださいね」
出がけに、竹宮さんが私に声をかけた。口を潰しておきますからと、にっこり笑顔だった。
世間で私の生還劇が話題になっていないのは、お爺さんのおかげと確定しました。




