◇29 帰還
※異世界から帰ってきました。
女性の金切り声に、私は目を開けた。
「意識があるぞ!」
私は大勢の人々に囲まれて見下ろされていた。私をのぞき込む人々の中に、青い服や、オレンジ色の服が目立つ。
見上げた世界は灰色だった。
「わたし見たんです。電車が来たときに、そこの女の子が誰かに押されていたのを」
「どのような人でしたか?」
「……背は大きくなかった気がします。後は目を背けてしまったから」
「ぼくも見ました。女性だったみたいなのですが、パーマのかかった長い髪で顔は見えませんでした」
「ご協力ありがとうございます。他に目撃していた方は?」
「……」
「結構人が居たって言うのに、犯人を見たのは二人だけか」
視界の外から、金切り声をあげた女性と数人の男性の話が聞こえる。その人達に聞こえない音量で、青い服の人が呟いた。
私は城の窓から、アルに落とされた筈だった。
けれど見上げる景色には、お城も、星が綺麗だった夜空も、私を落とした青い魔法使いも無い。見えるものは灰色。冷たい風に、私の意識がさえていく。
腕に何かを巻かれる感覚がして、頭を向ける。私が寝ているのは硬い石ころと、鉄のレールが敷かれている上らしい。白い服を着た女性が寝そべる私の腕をとり脈を測っていた。女性は私と目が合うと、人差し指を立てて私に向ける。
「指は何本に見えますか?」
「……一本です」
「気分はどうですか? ご自分の名前はわかりますか?」
「私は時宮満と言います。……今のところは特に気持ち悪いとかは無いです」
女性はにこりともせず、事務的に体調や、家族構成などを質問をしてくる。一通り終わると、相方らしき人と話し、書類に何やらかき込んでいた。
いつの間にか、私を囲んでいた人は散らばり、その中にいたレスキュー隊の人達が担架に私を乗せた。高くなった視界で辺りを見回せば、駅にいる人々全員が私に注目していた。
スーツを着た人も居れば、カジュアルにジーパンを履いている人も居る。そこに、あの人の姿は勿論無い。
「何が起こったかわかりますか?」
救急車に搬送されながら、先程と同じ看護師に質問をされた。当然、私はこう返した。
「いいえ」
***
「失礼ですが、誰かに恨まれるような事をされたことはありますか?」
「いいえ、特に覚えはありません」
病室のベットに横になりながら、私は黒いコートを羽織った警察官に事情聴取されていた。
整えられた口ひげが特徴の長身の人だが、正直言って警察に見えない。その目つきの鋭さは、人を射殺す事ができそうだ。失礼ながら、警察に追われる仕事の方があっていると思ってしまった。
私は帰ってきた。
現代の日本、私の日常に。いや、帰ってきたという表現は間違っているのかも知れない。
私は何者かによって、確かに電車にに轢かれたのだそうだ。私が線路に落ちて、その上を電車が通過したのを駅に居た大勢が見た。車掌も、私が線路に落ちる瞬間をみたらしい。
しかし、私は轢かれていなかった。
落ちた線路と、停車した電車の隙間で、無傷で気を失っていたのだという。引っ張り出されたところに気が付いたらしい。
他人には、電車に轢かれたが、奇跡的に無傷で生還できたと映る。これだけでも世間を賑わすのに十分な話題になるだろう。
私には、電車に轢かれそうになったけれど、異世界に行って来たという事実がある。けれど、事実だと思いたいのに、私は轢かれる前と同じだった。時間も、服も、持ち物も、髪の長さまで何もかも。
全部夢だったのだろうか? 轢かれる恐怖のあまりに、私の脳が勝手に構築した白昼夢なのか。
私を好きになってくれたアリスも、ヘンゼルも、悲しそうな魔法使いやメルヘンな世界全てが私の妄想だったのだろうか。
いくら趣味が読書だからって、自分ながらにどん引きだ。だったら異世界トリップしたのだと思い込みたい。
「藤原警部、あまり聞いてはまずいですよ」
「……そうだな。ご協力どうも。また犯人が時宮さんを狙う可能性がありますので、極力一人で外出することは控えてください。それでは失礼します」
部下らしき人に声をかけられ、見た目の割に生真面目な警察官は部屋を出て行った。
まずいって面会時間のことだろうか。外は日が暮れかけている。窓際に置かれている私の鞄を見て、何故電車に私が乗ろうとしていたかを思い出した。




