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1953決戦、ハワイ沖海戦12

 太平洋艦隊司令部補給部の参謀であるトーン少佐は、作戦室に入ってすぐに壁面の掲示板を確認していた。そこに簡単にまとめられた情報に新しく付け加えられたものはなかった。日本本土から姿を消した日本艦隊の主力も、フィリピン近海で確認されたという英国艦隊の姿も確認されていなかった。

 目立った変化がないのは、偵察機による哨戒だけではなくハワイやグアムで行われているはずの通信傍受も同様だった。日本本土からは盛んに通信波が発振されているが、周辺海域からは敵信らしい電波は確認されていなかった。


 要するに行方をくらました日本人達の艦隊が大規模な作戦行動を起こしているという兆候は、ミッドウェー島の作戦室から確認される限りは今のところなかったのだ。

 掲示板を一瞥したトーン少佐は疲労感を覚えて自席についていた。情勢が分からないことに気落ちしたのだが、もしも非直時に情勢が急変していたのであれば、数少ない在島する太平洋艦隊司令部の参謀であるトーン少佐は叩き起こされていただろう。


 作戦室の内部は閑散としていた。ミッドウェー島を構成するサンド島の地下に設けられた作戦室の居住環境は元々良くないのだが、理由はそれだけではなかった。

 数少ない作戦室につめている将兵達の表情からもどことなく緊張感が失われているようだった。

 ―――この状況では無理もないか……

 トーン少佐は自席の書類受けに置かれた何枚かの書類を処理しながらもそう考えていた。さほど重要性の高いものはなく、定型化された作業ばかりだった。参謀将校でなくとも補給科の事務下士官でも務まりそうな作業の合間に考え事をする余計な余裕があったのだ。



 太平洋艦隊司令部に大規模な再編成があったのは数ヶ月前の事だった。これまで日本海軍との戦闘において主力となっていたアジア艦隊が解散して、実質的に太平洋艦隊と統合されていたのだ。

 今世紀頭に編制されていたアジア艦隊は、太平洋艦隊よりも法的には格上であった上に、大西洋艦隊と共にしばしば単一の艦隊に統合されていた太平洋艦隊より歴史も長かった。

 その一方で平時編成のアジア艦隊は指揮官の格に対して著しく小規模だった。米本土から距離がある事を差し引いたとしても、巡洋艦を旗艦とする部隊の指揮官が、英日海軍をも越える数の戦艦が配属された合衆国艦隊と同格という異様な体制だったのだ。


 フィリピンに根拠地を置くアジア艦隊の司令官に上位の将官が配置されたのは、フィリピンとグアムの権益維持とともに将来における中国利権を意識しての事だった。

 アジア艦隊のカウンターパートとなるのは、シンガポールや香港に駐留する英国海軍や、上海租界で我が物顔で振る舞う欧州列強の外交官だったのだ。彼らに伍して何を考えているのか分からない中国人達に合衆国の利益を認めさせる為に、高位の司令長官がアジア艦隊を率いていたのだ。

 開戦時にアジア艦隊の司令長官だったキャラハン大将は、ルーズベルト政権では海軍補佐官として大統領府勤務が長く、国務省との繋がりもあったからアジア艦隊の指揮官には最適だったのではないか。



 だが、この対日戦争においてはアジア艦隊司令部は政治的な思惑を離れて最前線の実働部隊として機能していた。

 太平洋艦隊ではごく一部の上級者のみが陸軍航空隊の奇襲核攻撃で始まった開戦を以前から知らされていたのだが、太平洋艦隊から増援を受け取って開戦日までに展開させていたアジア艦隊では、開戦前から作戦計画の詳細を詰めていたのではないか。

 その後に行われた日本軍の反撃で根拠地であったフィリピンからは追い出されたものの、アジア艦隊はグアム防衛等で主導権を握り続けていたのだ。


 フィリピンから海軍主力が撤退した事でアジア艦隊を批判する声は少なかった。元々計画されていた対日戦計画では、むしろフィリピンは日本軍の侵攻で早期に陥落するものとされていたからだ。

 以前の戦争計画では、一旦本土まで後退した米海軍は艦隊を再編成した後に日本本土を目指して西進するとしていた。フィリピン奪還よりも日本本土への直接進攻を重視していたのだ。


 それを覆す為に、マッカーサー大統領が現地軍の司令官だった時代には、今もなお機能しているマニラ要塞地帯が整備されていたのだが、艦艇には要塞地帯の地下壕のような逃げ場は無かった。

 マニラ近郊のスービック基地からの早期撤退と並行して、アジア艦隊はフィリピン残留部隊という最低限の兵力による日本軍上陸部隊への襲撃を行っていたのだが、政府筋では開戦当時のアジア艦隊の判断は戦力の温存を図ったものと評価されていた



 東海岸の米政府中枢からすれば、本土からはるか彼方にあるフィリピン防衛よりも、カリブ海で唐突に始まった欧州列強植民地解放の方が重要であった。グアムさえ維持できれば、日本本土はやがて戦略爆撃で打倒出来るだろうと考えられていたのだ。

 フィリピンの損失はマッカーサー大統領個人にとっては重要事項なのかもしれないが、東海岸の政治家達にとっては米中枢にあまりに近いカリブ海にある旧大陸勢力を撃滅する絶好の機会と見えたのだ。


 そのカリブ海方面では大西洋艦隊が指揮下の部隊を直卒していたのだが、太平洋方面ではアジア艦隊が前線で指揮をとりつつ、太平洋艦隊は後方支援にあたっていた。

 開戦以後の太平洋艦隊司令部は、アジア艦隊に配属される艦艇の整備補給を行うと共に、西海岸からハワイまでの船団護衛や対潜戦闘など指揮をとっていたのだ。



 しかし、担当地域で区割りされたそのような指揮権は不条理なものだった。作戦上の柔軟性を欠いていた上に、積極的な攻勢作戦に加わっていない太平洋艦隊司令部の一部作戦機能などが遊兵化していたからだ。

 そこで太平洋方面では、アジア艦隊司令部を解散して太平洋艦隊に指揮権が一本化されていたのだが、これをもって太平洋艦隊がアジア艦隊を統合したと捉えていた関係者は少なかった。

 むしろ実質的にはアジア艦隊司令部が看板を付け替えただけで、補給兵站や船団護衛などの後方司令部の機能のみが旧太平洋艦隊司令部から吸収された、と考える方が自然だったのではないか。

 現在の太平洋艦隊司令部は、艦隊司令長官のキャラハン大将を含めて作戦部門の多くが横滑りでアジア艦隊から再配置されていたからだ。


 太平洋艦隊の司令長官だったラドフォード大将は統合参謀本部議長に、参謀長だったバーク少将は中将に進級してハワイ防衛艦隊の司令長官にそれぞれ転出していた。

 一見すると昇格人事ではあったが、太平洋艦隊司令部よりも重要性は低いのではないかとトーン少佐は考えていた。



 太平洋、大西洋で行われている米軍の戦闘は海陸軍、というよりも陸軍航空隊等との共同作戦が増えていたのだが、両軍の指揮権は曖昧で協力体制は現地軍指揮官の個人的な関係に依存するものでしかなかった。

 だから海陸軍の代表者である統合参謀本部が大統領直属という立場で新設されていたのだが、その長である統合参謀本部議長の権限は低かった。軍最高指揮官である大統領の幕僚であるのだが、大統領府や海陸軍省等からの介入が多く、新設の統合参謀本部は作戦立案の主導権を握れていないようだった。


 占領地の行政を管轄する民政本部の下で独自の指揮系統を持つハワイ防衛艦隊も、最近では強大な権限を与えられた太平洋艦隊から直接指示を受けることが多かった。

 それに軍縮条約明け以前に建造された旧式戦艦のうち、今でも有力な戦力とみなされていた艦は既にハワイ防衛艦隊から引き抜かれて太平洋艦隊に編入されていたから、ハワイに残された艦隊は鈍足で砲力にも劣る旧式艦ばかりだった。

 そんな戦力にならない旧式艦を率いているバーク少将も、退役陸軍将官であるウィルビー長官が率いる民政本部と太平洋艦隊司令長官であるキャラハン大将の板挟みとなって苦労しているのではないか。


 補給部参謀のキーン少佐は、太平洋艦隊司令部スタッフとしては古株の一人だった。艦隊司令部がサンディエゴからミッドウェー島に移動する前から勤務していたから、前参謀長であったバーク少将との付き合いも長かった。

 ソ連派遣軍事顧問などの異色な経歴を持つ苦労人らしいバーク少将の顔を思い浮かべて、キーン少佐は苦笑していた。バーク少将はソ連での経験故か容共的だったが、ハワイ民政本部のウィロビー長官は反共的な思想の持ち主らしいからだ。

 太平洋艦隊の参謀長だったバーク少将に従ってキーン少佐は何度かハワイの物資集積地や補給体制の確認でハワイに赴いた時に民政本部を訪問していたから、この二人がどことなく反りの合わない様子なのは見た事があったのだ。



 太平洋艦隊全体を手中にしたと言えなくもないキャラハン大将だったが、艦隊司令長官就任後は積極的な戦力の運用を行っていた。ハワイ以東で船団護衛にあたっていた大型空母部隊などを引き抜いて、日本本土近海への通り魔的な奇襲攻撃に投入していたのだ。


 広大な太平洋を横断する航路は、英日海軍艦と思われる潜水艦によって脅かされていた。日本本土に近いグアム島やフィリピン近海だけではなく、西海岸近く、ハワイ以東の海域でも輸送船の被害が出ていたのだ。

 ところが、急な開戦によって米海軍の対潜哨戒網は貧弱なままだった。性能に劣る旧式機を西海岸近海上空に飛ばすので精一杯だから、航路の大半は無防備になってしまっていた。

 そこで開戦以後に組まれるようになった船団を護衛する為に、太平洋艦隊ではボノム・リシャール級等の大型空母からしか発着艦出来ない大型双発哨戒機を投入していたのだ。


 だが、キャラハン大将はこれを前線に投入すべき有力艦の無駄遣いだとアジア艦隊を率いていた頃から批判していた。グアム沖の戦闘において、アジア艦隊が航空戦力で日本軍に対して不利な戦闘を強いられた経験からではないか。

 太平洋艦隊司令長官に就任後、キャラハン大将は政治力を駆使して陸軍航空隊とも交渉すると、海軍ではなく陸軍機に訓練を兼ねた洋上哨戒の実施を行わせていた。

 開戦以後、陸軍航空隊は日本本土への戦略爆撃を継続していたが、その損失は搭乗員の面でも大きく、本土では補充搭乗員を促成教育するための訓練飛行隊が編制されていた。

 訓練飛行隊では、日本本土への戦略爆撃を前提として長距離洋上飛行訓練を行わなければならないから、その一部を西海岸からハワイまでの航路上で実施させることで対潜哨戒を兼ねさせるという強引な手法だった。


 実際には洋上哨戒と戦略爆撃を前提とした巡航訓練飛行では飛行形態が異なるし、B-36などの重爆撃機か訓練用の練習機には対潜機材が乏しいはずだからまともな哨戒など不可能に思えるが、船団からすれば上空を友軍機が飛行するだけでも効果はあるのではないか。

 それにこの時期になると船団護衛部隊も充実し始めていた。諸般の事情から以前から米海軍では駆逐艦の建造数が少なかったのだが、ようやく開戦以後に建造されたタコマ級護衛駆逐艦が続々と就役し始めていた。

 それと同じく生産性を重要視されていた上に、性能が揃えられて編隊航行が容易になった戦時量産型の貨物船も数が増えていたから、本土からハワイまでの輸送船団の損害は著しく減少していた。


 そして船団護衛部隊から有力な戦闘艦を抽出した太平洋艦隊では、以前からキャラハン大将が主張した通りに日本本土近くに空母部隊を進出させていたのだった。

グアンタナモ級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cfguantanamo.html

タコマ級護衛駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/detacoma.html

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