1953決戦、ハワイ沖海戦11
―――なんだか昔どこかで見たことがあるような光景だな……
戦艦イタリアの艦橋脇に設けられた見張り所に出て基隆港の様子を眺めている艦隊司令官の後姿を見るうちに、ラザリ大佐は既視感にとらわれていた。
基隆港には多国籍の艦隊が集結していた。その雑多な様子は、第二次欧州大戦中にマルタ島をめぐる戦闘で伊独仏の連合艦隊がタラント港に集合していた時の雰囲気を思わせていたのだ。
だが、ラザリ大佐がそのような不吉な感触を覚えていたのは僅かな間だった。かつてタラント港で同じようにドイツ、イタリア連合艦隊が到着するのを眺めていたときとは違って、ボンディーノ少将の不機嫌そうな様子が見せかけに過ぎないと気がついたからだ。
日本領台湾の北部に位置する基隆港は、道庁所在地の台北市にもほど近いことから、平時から日本海軍の警備部隊が配置されていたらしい。対米戦勃発後は直接的な戦力というよりも航路の結節点として使用される事が多かったようだ。
日本軍は南中国から航空基地の使用権をもぎ取った海南島と合わせて台湾南部から航空機による航路哨戒を頻繁に行っていた。フィリピン各地を拠点として米軍によって行われる通商破壊作戦を警戒しているからだった。
日本本土から沖縄島を経由して、あるいはシベリアーロシア帝国や満州共和国から東シナ海を南下した輸送船は、台湾で船団を再構築すると航空援護のもと南シナ海を船団を組んで南下していた。
基隆を含む台湾各地の港湾部は、台湾まで独航か小規模な船団を組んだ各輸送船が第二次欧州大戦時のような大規模船団に再編成される拠点として運用されていたのだ。
その一方でこの方面の日本海軍の主力は台湾海峡中央部に位置する澎湖諸島を根拠地とする馬公警備府に配置されていた。台湾各地に進出しやすい上に、南北中国に満州共和国を含む参加国で複雑な内戦が続く大陸情勢に対応するためだろう。
対米戦が勃発した今でも多くの艦艇が馬公警備府に配属されていたが、その大半は船団護衛用の近海護衛艦だった。海南島を経由して英海軍の根拠地であるシンガポールまで大規模船団を護衛したうえで、英海軍を主力とするインド洋担当部隊に船団護衛を引き継ぐのだ。
ところが、今基隆港に集結しているのは、英太平洋艦隊を中核とした多国籍艦隊だった。その戦力は大きく、基隆港の警備部隊などとは比較にならないほどの大型艦も多かった。
ハワイ奪還を最終的な目的として編成された多国籍艦隊を率いているのは英太平洋艦隊の艦隊司令長官に任命されたカナンシュ大将だったのだが、その隷下に編入された艦艇の国籍は様々だった。
まとまった戦力を派遣してきたのは伊英日の3カ国だったが、仏独などの欧州諸国も駆逐艦数隻程度の小戦力ながらも遥かアジアまで艦艇を派遣していた。今回の作戦が国際連盟軍による共同作戦であるという建前があるからだろう。
むしろ各国政府が気にしているのは戦後の政治的な発言権なのかもしれない。国家の規模から言えば、駆逐隊程度を派遣した仏独よりも、海軍旗艦であるたった一隻しか無い駆逐艦を派遣したユーゴスラビア王国のような例もあるからだ。
そもそも英太平洋艦隊自体が既に多国籍艦隊だった。艦隊の中核は英本土から回航されて来た新鋭戦艦と空母、その護衛部隊であったのだが、シンガポールで英連邦加盟国から派遣された艦艇と既に合流していたのだ。
隻数としてはANZAC艦隊と呼ばれるオーストラリア、ニュージーランドの両国が派遣した軽巡洋艦を旗艦とする水雷戦隊が多かったが、マラヤ連邦、インド連邦、サラワク王国は旧式戦艦を供出していた。
尤も、ANZAC艦隊はともかくマラヤ連邦等が派遣した戦艦は、第二次欧州大戦後に英国海軍が英連邦加盟国に半ば押し付けたような旧クイーン・エリザベス級戦艦だった。
英領インド全域が諸民族、多宗教の連邦国家ということにされたインド連邦はともかく、マラヤ連邦やサラワク王国では旧式とはいえ戦艦は過剰な戦力として持て余していただけだったのではないか。
乗員の都合もつかないから、英本国からの払い下げや供与という形になっていた旧式戦艦は、実際には少数の現地人将兵が半ばアリバイ作りの為に乗り込んでいる他は、教官という名目で英国人の元乗組員達がそのまま乗艦していたようだった。
実質的には英国本国海軍の予備戦力を押し付けている形なのだろうが、南米に売却されていたイタリア海軍の旧式戦艦と違って、このような場合に同型艦で戦隊を組めるのはありがたい事ではあった。
この艦隊には、戦艦だけで伊英日の合計8隻が配属されていた。旧式戦艦やどうにも奇妙な形態の戦艦もあったが、カナンシュ大将の旗艦となっている英海軍の新鋭戦艦もあるからハワイ周辺に展開する米軍にしても無視出来ない戦力であるはずだった。
ラザリ大佐に気がついたボンディーノ少将が振り返ると、表情を歪めながら言った。
「どうだ、参謀長。イギリス人が艦隊の指揮官なのは気に入らんが、あの新造戦艦の前では文句もいえんな」
笑みを浮かべたボンディーノ少将が指差しているのは、三連装の巨砲と重厚な艦橋構造物を併せ持つ艦隊旗艦だったが、そのキング・ジョージ6世という艦名は最近になって決定されたものだった。
艦名ではなく先日崩御した英国先王の方であるジョージ6世の葬儀は、イタリア国王ウンベルト2世など西欧諸国の元首級が参列したものの、戦時中であるだけに簡素化されて本来の規模ではなかったらしい。
これが平時であれば日本帝国からも少なくとも皇太子や首相あたりが参列していた筈だが、本土が空襲を受ける状況では大規模な弔問使節団を送り込む事が出来ずに、シベリアーロシア帝国など他のアジア諸国と同様にいずれも駐英大使が代理となっていた。
そもそも昨今のジョージ6世は第二次欧州大戦から間を置かずに勃発した今回の戦争に心を痛めていたらしいというから、崩御も心労によるものではないかという話も流れていた。
英国政府にしてみればジョージ6世の崩御は一大問題であっただろうが、イタリア海軍の士官であるラザリ大佐に直接関わってくるのは、目前の艦隊旗艦の予定名がくるくるとこの崩御をきっかけに変わっていったためだった。
第二次欧州大戦序盤にイタリアが英国と敵対していた頃には、当時最新鋭だったキング・ジョージ5世級戦艦に続く新戦艦はライオン級という名称が予定されていたらしい。
紆余曲折の上、ソ連戦艦の脅威を受けてより強力な戦艦として再設計が行われる頃も、このライオン級の名前は残っていたようだ。それが急に改名するという話があったのは、英国王の代替わりがあったからだ。
英海軍の主力艦は、国王の代替わりがあった際は1番艦にその名を冠するということになっているらしい。
ところが、先代のジョージ6世の場合は、仮想敵国である米国人女性とのスキャンダルで短時間で退位した兄エドワード8世から変則的に王冠を受け取ったためか、当時の新鋭戦艦に自身のジョージ6世ではなく5世と命名させていた。
厄介なことに、米国は既に仮想敵ではなく実際に砲火を交える相手となっており、先々代となったエドワード8世は米国に亡命して同国の宣伝に利用される始末だった。
皇太子や短期の在位時代には、労働者階級の市民にも気さくに話しかける親しみ深い王室を象徴すると人気だったエドワード8世の評価は、英本土では地に落ちていた。
当然のことながら、新たに即位した女王は、ジョージ6世の葬儀にエドワード8世本人どころかその関係者の列席すら許さなかった。そして父と同じように主力艦の名称に先代王の名をつけるように海軍に命じていたようだ。
ラザリ大佐がゴシップ誌辺りで得た情報を集約すると、そういうことになるらしい。それでカナンシュ大将の艦隊旗艦はキング・ジョージ6世、2番艦である僚艦はクイーン・エリザベスと命名されたようだ。
そのキング・ジョージ6世級戦艦2隻は就役から間もなかったが、集中した訓練期間に加えて乗員の士気は高かった。それに極東までの長い航海が自然と戦隊を組む同型艦の連携を強める結果に繋がっていたようだ。
―――それにこの射撃指揮装置ならば短時間で正確な射撃値を得ることが出来るはずだ。
ラザリ大佐は戦艦イタリア見張所の後方にも配置されている四七式射撃指揮装置の筐体に目を向けていた。
このレーダーと連動した射撃指揮装置の筐体は、駆逐艦の方位盤や、大型艦の対空射撃用の射撃指揮装置程度の寸法しか無いのだが、内部には恐ろしく高速で正確な射撃計算を行う電気式の計算機が設けられていた。
戦艦用の巨大な歯車の化け物である従来型の射撃盤と同じか、それをも上回る計算速度と精度をもつ四七式射撃指揮装置は高価な機材だったが、戦艦イタリアに英海軍のキング・ジョージ6世級戦艦、それに日本海軍の2隻を合わせた5隻の戦艦が艦橋構造物に所狭しとこの射撃指揮装置を並べていた。
寄せ集めの多国籍艦隊ではあったが、その火力は大きかった。
問題があるとすれば、航空戦力の不足にあるだろう。そう考えながらラザリ大佐は視線を射撃指揮装置から更に後方の重巡洋艦ボルツァーノに向けていた。
第二次欧州大戦中に損傷したボルツァーノは、後部の20.3センチ主砲を撤去した跡を作業甲板として水上機を搭載する航空巡洋艦に改装されていた。
大戦終結後は予算不足などから解体されるところだったのだが、射出機の撤去などの再工事を行ったうえで、後部甲板を飛行甲板としてヘリコプターを搭載する母艦に再度改装されていたのだ。
ボルツァーノがイタリア艦隊唯一の母艦だったのだが、その搭載機は若干の汎用輸送型を除けば英日露共同開発の対潜哨戒、対潜攻撃ヘリコプターのみだった。
英太平洋艦隊には3隻の空母が配属されているから一見すると充実しているように見えたのだが、実際には戦隊を構成するオーディシャス、アーク・ロイヤル、ユニコーンの3隻は其々の問題を抱えていた。
オーディシャスとアーク・ロイヤルは第二次欧州大戦中に英海軍空母の主力として活躍したイラストリアス級空母だった。同級は装甲化された極めて堅牢な空母だったが、分厚い装甲と頑丈な構造は搭載機数を制限していた。
格納庫の多段化などで後期建造艦では搭載機数の増大などが図られていたが、今度は格納庫高さが足りずに新鋭機が搭載できないという新たな問題も発生していた。
英海軍はイラストリアス級の近代化改装を計画していたというが、斜め飛行甲板や射出機の追加に加えて格納庫を完全に作り変えるには膨大な予算が必要であることから、暫定的に新鋭ジェット戦闘機を搭載するために最低限の改装を行ったのみで近代化工事を限定させていた。
上部構造物を作り変えるような予算があれば、大型空母であるヒューバード級の維持に回したいというのが英海軍の本音なのだろう。おそらくはイラストリアス級はこの戦争が終われば解体されるか、ボルツァーノのようにヘリコプターを搭載する母艦に改装でもされるのではないか。
もう一隻のユニコーンに関しては、本来は航空機補修艦として遠隔地で行動する空母部隊の戦力維持を目的として建造された純粋な空母ではなかった。
今は空母として運用されているものの、イラストリアス級以上にその能力は制限されているし、おそらくは作戦が終了すれば本来の航空機補修艦として運用されるはずだった。
次々と基隆港内に停泊する艦艇に視線を向けていたラザリ大佐の視点が2隻の日本戦艦で停止したのに気がついたのか、ボンディーノ少将も視線を日本艦隊に向けていた。
正確に言えば艦隊の中心を占める2隻の戦艦だったのだが、長門型戦艦の陸奥に対して旗艦の方が一回り大きいものだから巡洋艦と戦艦のようにも見えなくもなかった。
だが、戦艦尾張の上部構造物は後部煙突の所で急にのっぺりとした飛行甲板に切り替わっていたものだから、なんとも言い難い異様な姿になっていたのだ。
今はその飛行甲板も空となっていた。数少ない搭載機は寄港前に陸上の航空基地に移動していたからだ。おそらくは出撃後に航空隊が合流してくるはずだった。
―――あの奇妙な飛行甲板が本当に使えれば良いんだが……
楽観的に笑みを浮かべるボンディーノ少将と違って、ラザリ大佐は少なからぬ懐疑心を抱きながら航空戦艦となった尾張の姿を見つめていた。
イタリア級戦艦(改ヴィットリオヴェネト級)の設定は下記アドレスで公開中です。
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キング・ジョージ6世級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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ボルツァーノ級航空重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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ヒューバード級空母の設定は下記アドレスで公開中です。
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