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1952激闘、バルト海海戦30

 内務省から統合参謀部二部に出向している後藤は、防諜のために昼間でも分厚いカーテンが掛けられたままで薄暗い執務室に入るなり唖然としてしまっていた。


 先の第二次欧州大戦において、陸海軍の統合運用を行うために従来の寄合所帯でしか無かった大本営を発展させる形で誕生した統合参謀部の中でも、第二部は軍事情報を取り扱う部署だった。

 軍事情報と言っても、純粋に軍事に関わるものだけとは限らなかった。例えばある国の軍事力を正確に把握しようとすれば、その国の広範な生産能力や政治体制を知らなければ推測も不可能だからだ。

 情報の収集手段も派手な軍事探偵や偵察機による荒っぽいものとは限らなかった。むしろ公開された報道等を情報源とする事も多かった。一見すると無関係な情報を集積、分析することで背後関係を明らかとするのだ。


 天皇陛下の代理人として全軍の指揮官となる総理大臣を更に補佐するという立場の統合参謀部では、大本営時代と比べて他官庁からの出向者を受け入れる様になっていた。

 特に情報を取り扱う第2部では、外務省や内務省などから出向する職員も多かった。駐在武官を派遣する絡みから外務省と軍との繋がりは以前からあったが、内務省の場合は戦時経済を専門とする企画院との関係が強く影響していた。

 元々高等文官試験合格者として内務省に入庁していた後藤も、第二次欧州大戦頃には企画院に出向していた。むしろ、遠隔地に派遣した陸海軍の指揮統制の乱れから統合参謀部を設立した軍内外の重鎮に従って働かされていた立場だったから、文官ながら統合参謀部とは縁が深いと言えた。

 統合参謀部設立時に陸軍内部で中枢を占めていた統制派将校達は企画院の官僚達とも気脈を通じていたのだ。


 ―――むしろ今も昔も自分は使い走りばかりされているような気がする……

 高等文官として内務省に入庁した同期の中には、地方に出向すれば課長級の立場で部下を顎で動かすものも多かったのだが、今も後藤は二部に勤務する同僚の依頼で古巣である企画院に書類を取りに行っていた所だった。

 ものがものだけに、女子事務員等に気軽に取りに行かせるわけには行かなかったからだが、書類に記載された数値の大半は公開情報をまとめたものという事を後藤は知っていた。



 業務内容だけに執務室に勤務する職員の数は少なかった。少人数の職員が担当する各小部屋で情報を分析しているのだが、留守にしていた間にその執務室の卓上には欧州の大縮尺地図が広げられていた。

 だが、椅子に深々と腰掛けていた水野少佐が地図の記述を確認していた訳では無いのは明らかだった。分厚い眼鏡を外して地図の片隅に置いたままだったからだ。

 その様子を見た後藤は慄然としていた。焦点が合わないまま欧州の全域図を眺めている水野少佐の視線は恐ろしく鋭かった。あるいは普段から眼鏡を外さないのはその鋭すぎる視線を隠す為だったのでは無いかと後藤は考えてしまっていた。


 集中した様子だった水野少佐は、後藤の入室に気がつくと、苛立たしげに傍らの眼鏡をかけて立ち上がっていた。その様子からすると、水野少佐は欧州の地図を眺めながら実際には脳裏で収集された情報を分析していたのだろう。地図の存在は分析を助けるというより集中力を高める暗示だったのではないか。

 その様子を見た後藤は再び困惑していた。立ち上がった後の水野少佐は先程の鋭い視線が嘘であったかのように曖昧な笑みを浮かべて人畜無害な様子に見えたからだ。


 まるで別人の様な様相になった水野少佐に、頬を引つらせながら後藤は書類を差し出していた。

「例のソ連国内における各種物資生産量に関する報告書です。大部分は推測値ですが、確度は高いという話です」

 水野少佐は礼を言いながら手早く書類を確認していた。立ったまま書類を読み込み始めた少佐に嘆息すると、後藤も中断していた作業を再開しようと自分の机に戻りかけたが、独り言のような声が聞こえて振り返っていた。


「ソ連海軍が、何故このタイミングで攻勢に出たのか分かった気がします」

「それは……外務省情報で米国からの要請があったという話が来ていませんでしたか。米国にとっては太平洋よりも首都に近い大西洋やカリブ海の方が重要だから、遣欧艦隊を含む欧州諸国の戦力を引きつけておきたかったのだと……」

「その情報自体は正しいのではないかと私も考えています。ただ、それはソ連が艦隊を差し向けた切っ掛けではあっても、ソ連側の思惑はまた別の所にあったのではないかと思います」


 そう言いながら水野少佐は手渡されたばかりの書類を広げて指差していたが、それは目の前の後藤に説明するというよりも、自分の考えを整理するためのものであるようだった。

「ソ連国内の戦車生産量は、当然7年前の終戦と共に低下しています。しかし、今に至るも生産量の低下は他の自動貨車等と比べると低下率が低く、今もなお一定の生産が続いていることを示しています。

 一方で、中国内戦において北中国に供与された戦車などの重装備の数は膨大なものがあり、ここから推測するとソ連軍は旧式戦車を保管や売却などに回しつつ、大戦の教訓を受けた新形戦車の導入を行おうとしているものと思われる。

 同時にソ連軍は大規模な軍縮も行っている様子です」

 そう言うと、水野少佐は一次産業を含む産業界における労働者数の推移を示した表を卓上から取り上げていた。その書類を後藤に押し付けると、今度は殴り書きのような紙を手にしていた。水野少佐が何度も書き直したのか、訂正の文字が多かった。


「産業界に回された人員などから推測した現有ソ連軍の師団数、兵員数を推測してみました。算出に利用した数値も記載しましたので後で部員も検算してもらえますか」

 見辛い文字に四苦八苦していた後藤は、しばらく前に聞いた数字との乖離に気がついていた。

「英国が言っていた数字とかなり違いますね。あれよりもだいぶ少ないようだが……」

「実は、あの数には英国の情報関係者自身も疑問があるようです。元々はドイツ国防軍系の情報機関が出元の数字なのですが、彼らは過大な数字を出してきているのでは無いかと……

 それにドイツ人はシベリアーロシア帝国との境界線に当たるバイカル湖畔周辺に配備された兵力を過小に見積もって、欧州側にソ連軍が全力で向かっているという第二次欧州大戦中盤以降の印象を未だに抱いているようですから。

 今後はドイツ軍系の情報に関しては我々独自に精査する必要があるかもしれません。例の元親衛隊諜報機関の人間も使えるでしょう。あとはシベリアーロシア帝国からの情報を突き合わせることも必要ですね」



 首をすくめた水野少佐に、後藤は首を傾げていた。

「しかし、ソ連軍が軍縮を行うならば我が方も歓迎できる事態と思いますが……いや、重装備比率の向上、ですか」

 紙面の最後に書かれた数値に気がついて眉をしかめた後藤に水野少佐は頷いていた。

「これは大戦終結後の動員解除と混同されていたのですが、軍縮といってもこれは我が軍の大正軍縮と同様に、歩兵の頭数を減らす代わりに戦車や火砲など比率を増やして機械化を進めるためのものと考えられます。

 火砲はともかく、第二次欧州大戦前後におけるソ連軍の各師団における平均的な機械率はまだ低いものであったようですから……

 問題は、質的な軍拡とも言える軍の機械化には、兵員数を減らしてもなお莫大な予算と、重装備を支える自動貨車などの車両が必要という事です。言い換えればソ連といえども、高価な重装備と引き換えにしても、もはや膨大な数の歩兵の損害を許容出来ないと言うことでしょう」


「ソ連はそのような重装備化を支える出処を米国の援助に求めたということですか。それがソ連参戦と引き換えの条件だったと……」

 第二次欧州大戦中に米国からソ連に供与された莫大な支援物資からすればそれもおかしくはないかもしれないと後藤は考えていた。水野少佐もそれに頷いていた。

「そう考えると、今回のソ連海軍、いえソ連軍の侵攻は米国から援助を引き出す為だけに行われた限定作戦と言えるのではないでしょうか。

 同時に、ソ連がドイツ占領地帯で大規模な戦闘を避けているのもおそらくは同じ理由によるものでしょう」


「ですが、ソ連海軍の損害からすれば、割に合わないのではないですか。バルト海、地中海においてソ連海軍は駆逐艦などの損害を除いてもアルハンゲリスク、重巡洋艦クロンシュタット級各一隻を失っています。

 限定された、と言うには彼らの主力であろうソビエツキーソユーズ級戦艦の損害を合わせても被害が大きすぎるのでは無いかと思いますが……」

 そう反論しながらも後藤自身も違和感を覚えていた。そんな逡巡を察したのか、水野少佐も淡々と問題点を上げていた。

「結果的に、かもしれませんが、我が方が撃沈した戦艦の類は彼らにとって見れば鹵獲艦と米国に付き合って建造した中途半端な巡洋戦艦に過ぎません。

 一方で、新鋭のソビエツキーソユーズ級は損傷しながらも撤退し、それ自体を彼らは勝利の証としています。少なく見ても、我が新鋭戦艦と同等の戦力と証明されたとも言えるのではないでしょうか」


 そう言って水野少佐が取り上げたのは、ソ連側の報道記事だった。共産党の修辞を除けば、国際連盟軍に痛撃を与えた友軍戦艦の帰還と勝利を報じていたものだった。

「遣欧艦隊の信濃型2隻はヴァンガードと共に英本土に帰還、同地で修理が決まりましたが、装甲板の張替えなどの大修理でしばらくは動かせません。イタリア海軍も短時間の修理で復帰できるのは戦艦イタリアのみ、残り2隻は信濃型よりもひどいと聞いています。

 少なくともソビエツキーソユーズ級戦艦は、国際連盟軍側の新鋭戦艦に匹敵する、そのような印象を与えた時点でソ連海軍、いえソ連の目論見は成功したと言えるのではないでしょうか。遣欧艦隊を行動不能にした時点で、米国への義理も果たした、といったところでしょう。

 もし、彼らが本気であるとすれば、地中海はともかく、バルト海においては衛星国化されたポーランドから全面的に攻勢に出ていたとも思われます。ソ連としては、今の時点では我が方との全面衝突は望んでいないと数値の上からも明らかです」



 再び書類に視線を落とした水野少佐の脳裏では、既にあちらこちらに記載された数値をまとめ上げて1つの情報にまとめ上げる方針が立てられているのだろう。

「そうなると、我が方が取るべき方針はどうなるでしょうか。いや、それ以前にソ連側の再編成が完結するのはいつ頃なのか」

「ソ連軍の内情を正確に把握するのは難しいですが、米国の支援が不可欠というのであれば、一中一夜で不可能なのは明らかです。この戦争中に再編成を完結した機械化師団が投入されるとしても限定的なものになるのではないかと思います。

 むしろ我方としては、この戦争を早期に終決させて再編成されたソ連軍機械化師団の大規模な投入を阻止すべきではないでしょうか。ソ連は今のところドイツ国内の戦闘拡大に消極的ですが、大規模な再編成そのものが欧州侵攻を想定したものならば、その完結時期が最も危険と言えます」


 後藤は、書類を卓上に置くと、嘆息しながら言った。

「つまり、我々の方針はソ連が消極的になってくれている間に国際連盟軍の全力で太平洋で決定的な勝利を収める、ということですね」

 水野少佐も頷きながら言った。

「その方針でまずは部長に報告しますので、書類の作成を行いましょう」


 彼らの紙の戦争はまだ終わらなかった。

ソビエツキーソユーズ級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbsovyetskiysoyuz.html

アルハンゲリスク級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbarkhangelsk.html

クロンシュタット級重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cakronstadt.html

信濃型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbsinano.html

イタリア級戦艦(改ヴィットリオヴェネト級)の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbitaliana.html

ヴァンガード級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbvanguard.html

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― 新着の感想 ―
ついに、ついに物語はハワイ沖海戦まで進むのですね。 ホームページの設定資料ではこれより先の戦いについては触れられていない以上、本当に決戦の時が迫っているのですね…感慨深いですな
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