1952激闘、バルト海海戦29
前方を航行するヴァンガードの射撃が再開したという報告を聞いた浅田大佐は愁眉を開いていた。
戦艦周防の中央指揮所に入ってくる情報からではヴァンガードの被害状況は確かではなかったのだが、艦橋付近に被弾したという報告から最悪の場合は指揮機能が損なわれていることも覚悟していたのだ。
戦列からヴァンガードが脱落するようならば、今度は周防が先頭に立たなければならないのだから、周防の艦長としてはヴァンガードの被害状況を把握し続けなければならなかったのだ。
幸いなことに、ヴァンガードの進路は主砲の照準に支障が出そうなほど小刻みに転舵してうろたえている様子は伺えたものの、概ね北方艦隊主力との間隔を保っていた。
だから浅田大佐は少なくとも操舵機能には支障はないことは早々に気がついていた。その後入ってきた短距離無線の隊内電話による報告によれば、やはり主砲、機関、共に今のところは大きな損傷はないらしいということだった。
だが、戦況は油断できなかった。いくら改装されているとはいえ、本来ならば旧式の38センチ砲を搭載する予定だったヴァンガードでは42センチ砲戦艦のアルハンゲリスクと対峙するのは不利であるはずだったからだ。
周防と信濃がヴァンガードを支援するのも難しかった。2隻とも相対するソビエツキー・ソユーズ級に手こずっていたからだ。意外なほど同級は有力な戦艦だった。信濃型のほうが主砲威力で勝っているはずだが、決定的な差異とはなっていなかったのだ。
ヴァンガードが被弾したことで、6隻の戦艦は全てお互いの主砲弾が命中していたことになるのだが、損傷を重ねながらも未だにどの戦艦も砲撃戦能力を失ってはいなかった。
この戦闘に投入されていたのはいずれも第二次欧州大戦中に計画された新鋭戦艦ばかりだったから、もはや一発や二発の被弾で戦闘能力を喪失するほど脆弱ではなかったのだ。
戦局を大きく変化させるとすれば、戦艦同士の砲撃戦以外の因子によるものではないか。浅田大佐はそう考えて苦々しい表情で態勢表示盤に示された周防周辺の状況を確認していた。
その点で不利なのは遣欧艦隊の方だったからだ。周防が交戦中の敵艦は、彼方に垣間見えるソビエツキー・ソユーズ級だけではなかったのだ。
両軍戦艦群からは次々と1トンを越える主砲弾が放たれていた。6隻が同時に主砲を斉射したとすれば、全艦合計して50トンを越える大質量が上空を飛び交っていたのだ。
そして、巨弾が飛び交う下に広がる海域でも戦艦主砲弾をくぐり抜けるようにして両軍軽快艦艇の戦闘が繰り広げられていた。軽快艦艇群はいずれも大口径砲は持たないが、その分動きは敏捷だったから戦闘の勢いは早かった。
周防は、後続する信濃と合わせて友軍軽快艦艇を支援するために、特に友軍にとって脅威となるキーロフ級に向けて副砲を放っていたのだが、9千トン級の巡洋艦の割には標的としたキーロフ級の機動も機敏であり、しばしば入り乱れる両軍の艦艇によって射撃は遮られていたのだ。
彼我の軽快艦艇群は盛んに射撃を行っているようだが、雷撃が行われた様子は今の所確認されていなかった。英海軍の軽巡洋艦ウガンダ以下の哨戒線を構築していた水雷戦隊も戦闘に加入した事で、有力な北方艦隊の軽快艦艇群も国際連盟軍側の警戒幕を攻めあぐねているらしい。
フィジー級軽巡洋艦の主砲は15.2センチ砲でキーロフ級の18センチ砲よりも弾体重量は軽いが、一万トン級の船体に装備された主砲は3連装4基と多く、ほぼ互角の戦力といってよいのではないか。
だが、警戒幕を突破されるのは時間の問題だろうと浅田大佐は見抜いていた。数的に不利な状況で戦闘を続けていた友軍艦艇の中には、集中した射撃を受けて脱落する艦艇も出始めているからだ。
戦闘能力を失うか、船体に致命的な損害を受けて航行不能となっているのは駆逐艦に限られていたが、このまま戦闘が続けば軽快艦艇群の要となっている巡洋艦の中にも無力化されるものが出て来るだろう。そうなれば今の危うい均衡が一気に崩れる恐れがあった。
これまで発砲の機会は無かったが、信濃型とヴァンガードには高角砲を兼ねた両用砲である長砲身の10センチ砲も備わっていた。
相手が駆逐艦程度であれば発射速度の高い10センチ砲で接近を阻止する事も出来るかもしれないが、18センチ砲とそれに対応した装甲を持つであろうキーロフ級の突撃を両用砲のみで阻止出来るとは思えなかった。おそらく北方艦隊はキーロフ級を盾にして駆逐艦群を接近させてくるはずだった。
手詰まりとなった戦艦群同士の砲撃戦の均衡を崩すには、何らかの切っ掛けが必要だったが、その切っ掛けが生まれそうなのは敵である北方艦隊側だったのだ。
険しい表情を浮かべる浅田大佐の耳に電探操作員の声が聞こえてきたのはそんな時だった。要領を得ない様子で対水上電探の表示面に取り付いていた兵は操作していた。
対水上捜索電探は、混戦を続ける軽快艦艇群の動きを主に監視している筈だった。注意して継続的に確認していかなければ、敵味方の識別が困難になるからだ。
浅田大佐が鋭い目を向けると、背中にその視線を感じたのか困惑した声でその兵はいった。
「いきなり反応が出現しました」
予想外の声に浅田大佐は首を傾げていた。撃沈された友軍艦艇の反応が消えたのかと思っていた程だったから、その逆に反応が出現という言葉の意味が分からなかったのだ。
単に電探操作員が僚艦によって隠蔽されていた敵艦の姿を捉え損なっていたのではないかと浅田大佐は疑っていた。
だが、電探表示面を後ろから覗き込んだ浅田大佐はすぐに自分の勘違いを悟っていた。電探の反応は戦闘が行われている周防の右舷ではなく、左舷側に現れていたのだ。
しかも、本艦を上空から覗き込んだように表示されるPPI方式の電探表示面の中で、その反応は表示面の縁となる探知可能距離限界付近ではなく、いきなり本艦近くに出現したように見えたのだ。
正確にはPPI方式の場合は電探の空中線位置を起点として、空中線を回転させるたびに送受信した反応を表示するものだった。ところが、ボーンホルム島を示す反応の影から急に別の移動する反応が出現していたのだ。
電探表示面から新たな反応の概算距離を算出する操作員の声を聞きながら、浅田大佐は艦橋に繋がる艦内電話を伝令から奪うようにして取り上げながら直接言った。
「艦長より艦橋、左舷、距離は……」
そこで聞こえてきた電探操作員の声をおうむ返しに伝えながら浅田大佐は艦橋に続けようとした。
「おそらくはボーンホルム島の島影から現れたものだが、左舷見張員で視認できんか……」
ところが、浅田大佐は最後まで艦内電話で言えなかった。無線室と艦橋伝令に加えて対水上電探の操作員からの報告まで一斉に聞こえていたからだ。
「対水上電探の反応増大、後続有り、単縦陣で北上する模様、速力……概算で30ノットを超えています」
「ボーンホルム島西方より出現する艦影あり、太刀風型駆逐艦複数と認む」
「敵味方識別装置に友軍の反応有り、通信入りました。第51駆逐隊です」
艦内電話の受話器を無意識の内に伝令に返した浅田大佐に、中央指揮所本来の指揮官である戦術長が驚いたような顔で言った。
「平大佐の微風です。……第51駆は間に合ったようですね」
浅田大佐は無言で頷きながら、相変わらず派手な野郎だと考えていた。
この時、両軍の艦隊はボーンホルム島北端を越えてスウェーデン領海をなぞるようにして南西に針路を向けていた。そしてボーンホルム島の島影から飛び出した第51駆逐隊は、恐ろしい勢いでその敵艦隊主力に向けて突進していたのだ。
周防の対水上電探が捉えた通り、微風を先頭とする第51駆逐隊4隻の太刀風型は30ノットを優に越えていた。太刀風型の性能諸元どころか、公試時の最大速度すら超えているのではないか。
濛々と煙突から白煙を立ち上げた太刀風型は、主機関の限界を越えた運転を行いながら、ボーンホルム島の島影に潜んでいたというよりも助走をつけていたとしか思えなかった。
そんな速力を出しているものだから、たった4隻の駆逐艦からなる隊列は酷く崩れていた。観艦式の様に綺麗に隊列を整えていたところで、僅かな操舵の誤りで僚艦と衝突してしまうのではないか。
唖然として微風の針路を確認していた浅田大佐は、しばらくしてからようやく平大佐の意図を察知していた。艦隊に対して斜行するように見える微風は、敵戦艦群への最短針路をとっていたのだ。
戦域中央部で行われている軽快艦艇群の戦闘を完全に無視した第51駆逐隊は、それから10分程の間誰からも邪魔される事なく突っ走っていた。
その間に軽快艦艇群の戦闘は国際連盟軍が敗退しつつあった。浅田大佐の予想通り、防御の要であった巡洋艦が無力化されるとキーロフ級を先頭に駆逐艦が雪崩こもうとしていたのだ。軽巡洋艦ウガンダなどは未だに阻止線を張るべく砲撃を続けていたが、戦域全体には手が届かなかったようだった。
だが、キーロフ級の前には3隻の日英戦艦による阻止砲火が浴びせられていた。長10センチ砲だけでは無く、誤射のおそれが無くなった15センチ副砲も容赦なく砲撃を行っていたのだ。
第51駆逐隊の方は、キーロフ級と違って接近機動の最後まで砲火を浴びる事も浴びせることも無かった。ただ前進していた微風は、アルハンゲリスクの直前をすり抜けた所でようやく速度を落として90度近くの急回頭を行っていた。
あるいは、アルハンゲリスクは本当に微風に最後まで気がついていなかったのかもしれない。ヴァンガードから次々と放たれる主砲弾が同艦に火災まで起こしていたからだ。
微風の針路は明らかに水雷襲撃機動だったが雷撃には不利な条件ばかりだった。反航戦になるから相対速度は大きいし、急回頭したばかりで針路も安定していなかった筈だった。
その代わりに微風はアルハンゲリスクに恐ろしい程に肉薄していた。そして同艦の火災に紛れるようにして次々と後続のソビエツキーソユーズ級戦艦の脇をくぐり抜けていた。
その頃になると、ようやくソビエツキーソユーズ級も通過しようとする第51駆逐隊に向けて近接砲火を浴びせていたが、阻止には至らなかった。ソビエツキーソユーズ級もアルハンゲリスクも新鋭戦艦にふさわしい規模の対空火力を備えていたが、駆逐艦を一撃で阻止できる程の副砲は無かったはずだ。
第51駆逐隊も反撃を行っていたようだが、高速ですれ違う太刀風型がどれ程の火力を発揮出来たかは分からなかった。いずれにせよ、3隻の敵戦艦は遣欧艦隊主力からは反対側になる右舷に次々と魚雷が命中したことを示す水柱を発生させていた。
―――これで戦闘は終わったのだろうか……
浅田大佐はそう考えていた。友軍戦艦群に向けられていた敵戦艦左舷側は、いずれも命中弾によって少なくない浸水が発生していた筈だった。そのつり合いを取る為に注水されていたのであろう右舷水線下への直接攻撃は、当たりどころによっては予備浮力の限界に達するかもしれなかったのだ。
だが、すぐに浅田大佐は唖然とした顔になっていた。3隻の敵戦艦のそばを駆け抜けた第51駆逐隊から全艦隊に向けて雷撃の弾道に関する情報が送られてきたからだ。
一瞬意味がわからなかった浅田大佐は、平大佐の真意に気がついて憮然としていた。第51駆逐隊4隻の太刀風型から放たれた合計32射線の魚雷のうち敵戦艦に命中しなかったものは、軽快艦艇群の戦闘域を越えて友軍戦艦群まで射程に捉えていたからだ。
慌てて友軍の魚雷から退避する遣欧艦隊と、雷撃を受けた艦隊主力に向けて引き換える北方艦隊は急速に離れていた。この第51駆逐隊の傍迷惑な雷撃によってバルト海の戦闘は実質的に終りを迎えたのだった。
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