1952激闘、バルト海海戦28
命中した戦艦ヴァンガードの主砲弾はアルハンゲリスクの主砲に何らかの損害を与えたようだったが、その事を最初に確認していたのは意外なことに対空レーダーだった。
砲弾の飛翔軌道を捉えた対空レーダーは、アルハンゲリスク主砲弾による反応が低下しているのを察知していた。
同時に発射された個々の砲弾を識別できるほどレーダーの分解能は高くなかったが、反射強度から同一軌道にある砲弾の数が減少しているのではないかと対空レーダーの操作員は推測していたのだ。
ヴァンガードからの視界を遮っていた水柱と砲煙が前進を続けるアルハンゲリスクに取り残されて後方に去っていくと、レーダー観測では確認出来ない同艦の損害状況を見張り員が超望遠の双眼鏡で観測し始めていた。
アルハンゲリスクの砲塔らしき箇所から煙が上がっているという報告からすると、弾薬の誘爆などは起きなかったものの、先程の斉射弾の様子からしても主砲塔に致命的な損害が生じているのは間違いないのではないかと思われていた。
講和後にもたらされたドイツ海軍の資料によれば、ビスマルク級に続くドイツ戦艦として建造されていた頃のアルハンゲリスクの原型艦では主砲塔の装甲は、自艦の火力に対して比較的弱体だった。
というよりも、42センチという大口径砲ながら、当時のドイツ海軍が製造していた42センチ主砲は従来の欧州諸国海軍のように低伸する弾道を持つ高初速寄りの主砲だった。
だから、自らの火力に対応する装甲を施すという戦艦建造の常識に則った結果、高初速の砲弾が命中する確率が高い垂直装甲は強固なものの、落角の大きい水平装甲は比較的弱体だったようなのだ。
鹵獲されてからのアルハンゲリスクの改正点に関しては不明な点が多かったものの、艦橋やレーダーなどの変更は外観的には大きな印象を与えていたものの、戦艦としての基本的な性能にどれだけ手を加えられたかは疑問だった。
戦艦ヴァンガードに関する改造工事のあれこれとした問題を知っていたラルストン中尉は、再就役までの期間からすれば、アルハンゲリスクは主砲や装甲、機関部には大きな変更はないという英日海軍関係者の分析を信じる気持ちになっていた。
だから今の主砲戦距離を保った戦闘では、アルハンゲリスクの装甲配置で想定されていたよりも遠距離から放たれるために大落角を持って水平装甲に着弾するヴァンガードの砲弾に耐えられないのではないか。
ヴァンガードの主砲はかつてライオン級と命名されるはずだった未完成艦用に開発されていた16インチ砲MkⅣだったが、45口径という常識的な範囲の砲身長から放たれる為に遠距離における落角は大きく、水平装甲への貫通距離も大きくなっていたのだ。
あるいは、アルハンゲリスクからの主砲弾を実際に浴びているラルストン中尉としては、そう信じたかっただけかもしれなかった。戦艦ヴァンガードに最初の命中弾が生じたのは、アルハンゲリスクへの命中が観測されてから数分後の事だった。
アルハンゲリスクの砲塔から立ち上る白煙はその間に薄くなっていったが、その主砲塔が発砲する様子は無かった。その後も次々と周辺にヴァンガード主砲弾が命中していたからでもあっただろう。
だから、ヴァンガードに命中したのは残りの3基6門の42センチ砲弾のどれかだった。しかも、命中弾は1斉射で2発が同時に発生していた。
海図にヴァンガードの針路を記載していたラルストン中尉は、その瞬間に轟音が最初に襲っていた様な気がしていた。実際には衝撃を感じていたはずだが、あまりの激しさに脳裏から記憶が抜け落ちていたのかもしれなかった。
着弾点は艦橋の相当に近くだったが、乗員からの報告は聞こえなかった。艦橋内を襲った爆風で海図盤脇の床面に叩きつけられたラルストン中尉は、衝撃で意識を失う前にその痛みで覚醒され続けていた。
意識はあっても、感覚は曖昧になっていた。長い間、海図盤の影に隠れているような気もするし、ほんの一瞬の事だったような気もする。
呆然とした意識のままラルストン中尉は、緩慢な動作で立ち上がって周囲を見渡していた。ゆっくりと周囲を見渡す間に周りの人間が叫んでいるらしいのを見つけていた。
妙だった。周囲のヴァンガード乗員の口は大きく動いているのに、音が聞こえないような気がしていたのだ。意味が分からずにぼんやりと視線を上に向けたラルストン中尉は、次の瞬間目を見開いていた。
―――ヴァンガードの艦橋から、空が見える、だと……
ありえない光景だった。艦橋奥の海図盤のそばに立ったラルストン中尉は、艦橋天蓋に生じた開口、というよりも醜い裂け目から空を見上げていたのだ。唖然とするラルストン中尉の耳が、次の瞬間に無意識の内に遠ざけていた周囲の音を拾い始めていた。
別にラルストン中尉の耳が物理的におかしくなっていたわけではなかった。被弾直後に艦橋内部には危険極まりない破片が高速で飛び回っていたのだが、海図盤の陰に倒れた事で中尉の体には直接は当たらなかった。
だから、衝撃に襲われたラルストン中尉自身が無意識の内に外部の音を無視していたのだろう。
頬が妙に暑かった。太陽の眩しい光が裂け目から差し込んで自分に当たっているからだとラルストン中尉は漫然と考えていたのだが、バルト海に差し込む陽光はそれほど眩いものではなかった。
実際には艦橋天蓋の破れ目のように、ラルストン中尉の頬にも破片によって裂傷が生じて血が流れ続けていたのだが、中尉はまだその事に気がついていなかった。
ラルストン中尉の怪我は、負傷した艦橋要員の中ではまだ軽症だった。先程まで見張り所で大倍率の双眼鏡を覗き込んでいた見張り員の中には、双眼鏡ごと吹き飛ばされて遺体も見つからないものもいるようだった。
だが、既にヴァンガード艦橋内はただ悲鳴が上がるだけではなく、損害復旧を行おうとする動きもあった。その中心となっていたのは艦長であるサイラス大佐自身だった。
士官集合というサイラス大佐の声に、ラルストン中尉は反射的に駆け寄っていた。サイラス大佐自身も負傷していたようだが、ラルストン中尉と違って意識ははっきりしていた。
次々と命令を下しながら、サイラス大佐は自分が損害確認に専念する間ラルストン中尉に操艦を命じていた。慌てて中尉は航海士操艦と操舵員に告げたが、伝声管を通じて聞こえたベテランの下士官である操舵員の復唱は落ち着いていた。
操舵員が配置されている艦橋下部の操舵室は若干の装甲が施されていたが、それを除いても操舵員の反応からすると被弾の影響は無さそうだった。被弾で損傷した箇所は艦橋上部に限定されているらしい。
ラルストン中尉はアルハンゲリスクとの距離を航海科の下士官に報告させながら命じられた通りに間隔を保とうと躍起になっていたが、艦内からは続々と損害報告が上がっていた。
サイラス大佐は、損傷報告を確認しながら各部署に次々と指示を出していた。ラルストン中尉に漏れ伝わってくる応急員からの報告の声によれば、やはり被弾していたのは艦橋構造物上部だった。
ただし、艦橋は直撃を受けたわけではなかった。もしも42センチ砲弾がこの艦橋に命中して起爆していたのならば、今頃ラルストン中尉の体は海図盤の残骸と一体化して海面に吹き飛ばされていただろう。
詳細は不明だが、艦橋を襲った破片は上面から突き刺さっていた。それに前部の主砲塔にも被弾痕があったのだが、砲塔天蓋に傷跡がついているものの砲員からは衝撃以外に内部に顕著な損害無しという報告が上がっているようだった。
状況からすれば、砲塔に命中したアルハンゲリスクの主砲弾は、浅い落角であった為にヴァンガードの砲塔天蓋に施された装甲を貫通出来ずに空中に跳ね飛ばされたところで遅延信管を作動させていたのだろう。そしてその破片が近くにあった艦橋構造物上部を襲っていたのではないか。
破片といえどもヴァンガードにとっては無視出来ない損傷を与えていた。指揮中枢である艦橋を麻痺させただけでは無かった。むしろ損害は艦橋上部で発生していた。
捜索用レーダーのアンテナと共に、2基の四七式射撃指揮装置が完全に破壊されていたのだ。復旧は完全に不可能どころか、砲術長達配置についていた砲術科員達は全員の戦死が確実だった。
サイラス大佐の指示で、慌ただしく手持ちの双眼鏡を持ち替えた見張り員が、固定双眼鏡と共に吹き飛ばされた正規見張り員の代わりに艦橋に上がって配置についていた。
それに艦橋上部で薙払われていた四七式射撃指揮装置と砲術長の代わりに、副砲長が配置されている後部艦橋構造物の射撃指揮装置が主砲射撃の管制を代替していた。
四七式射撃指揮装置は装備位置に違いはあれども基本的に全て同一の精度を持っていた。それに射撃値の共有も可能で、即座に射撃管制を代替することが可能であるらしい。
ラルストン中尉は、艦橋の目の前で新たな射撃値を流し込まれて発砲を再開したヴァンガード主砲の砲口炎に目を細めながら、今更ながらに戦艦の頑丈さに恐れを抱いていた。
被弾箇所は、艦橋だけでは無かった。船体中央部の機関部側面にも被弾が確認されていたのだ。こちらは艦橋のように空中で中途半端に炸裂したわけではなかった。
艦内で起爆していた筈なのだが、損傷は僅かだった。戦艦主砲弾を被弾したにも関わらずヴァンガードの戦闘能力はほとんど欠けていなかったのだ。
喫水線近くの船体側面に命中した砲弾は、ヴァンガードに改造工事で換装された分厚いバルジを砕きながら突き進んでいたが、そこで運動エネルギーの大半を失っていた。
バルジを貫いた先には主装甲帯があったが、低伸弾道を飛翔したアルハンゲリスクの42センチ砲弾は、着弾までの間にも運動エネルギーの大部分を構成する速度を失って、バルジを砕くだけで精一杯だった。
だから命中した砲弾は主装甲板を貫けずに、バルジと装甲板の隙間で起爆していたのだろう。
バルジには船体側面から応急員が覗き込んで容易に確認できる程の大穴が空いて浮力の左右舷吊り合いが崩れていたが、命令が出る前に応急班が行っていた左舷への注水で照準、発砲作業に支障が出るほどの傾斜はヴァンガードに生じていなかった。
装甲板表面での大口径砲弾起爆の衝撃によって、被弾箇所の内側にある機関室内部には剥離した装甲板の破片が飛散したようだが、それらの多くは改造工事で装甲帯の内側に追加された薄い破片防御用の装甲板で防がれていた。
機関室内部には多少の損害が生じているものの、機関出力維持に問題なしという機関室からの報告が上がっていた。バルジの破損と反対舷への注水によって喫水線が沈み込んで抵抗が増しているから速力は低下しているはずだったが、操艦するラルストンの感覚ではそれほどの違和感はまだ無かった。
尤も、戦闘を継続可能だったのはヴァンガードだけではなかった。後続の周防、信濃の2隻も、そしてアルハンゲリスクとソビエツキー・ソユーズ級2隻も、少しずつ戦闘能力を削がれつつも未だ致命的な損傷を被った様子はなかった。
6隻の戦艦は、血まみれになりながらお互いの喉笛に食らいつくようにして砲火を交わし合っていた。未だ戦闘が終わる気配は無かった。
ヴァンガード級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbvanguard.html
アルハンゲリスク級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbarkhangelsk.html
信濃型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbsinano.html
ソビエツキーソユーズ級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbsovyetskiysoyuz.html




