1952激闘、バルト海海戦26
戦艦ヴァンガードの艦橋で海図に針路を記載していたラルストン中尉は、自分が些か混乱しているのを自覚していた。
艦隊司令部からの新たな命令はさほど複雑なものではなかった。北方艦隊と予め定められた距離を保てというものだったからだ。艦隊司令部は信濃型に合わせた砲戦距離での戦闘を続けるつもりだったのだろう。
ただし、戦艦群単縦陣の中で最後尾につけていたはずのヴァンガードは、変針後は先導艦の位置についていた。ラルストン中尉は海図上で半円を描くようにヴァンガードの針路を記載していたのだった。
ボーンホルム島北東の海域で急角度の変針を行った北方艦隊にかわされて後方に取り残されそうになった英日混成艦隊は、その場で一斉回頭を行って今度は北西に舳先を向けるように180度近く針路を捻じ曲げていた。
旗艦信濃を先頭にしたまま悠長に逐次回頭していては北方艦隊に取り残されてしまうと考えたからだろう。
先導艦として混成艦隊を率いる位置についたにも関わらず、サイラス大佐は特に気負った様子もなく平然としていた。
両艦隊はボーンホルム島の北側を回り込むように機動していた。交戦を避けるように北方艦隊はスウェーデン領に入り込んでいたが、この狭い海域ではどう機動しても戦艦の主砲戦距離から逃れるのは難しいはずだった。
その頃になると、敵艦隊の正確な状況も把握され始めていた。
一斉回頭を行ったことで、戦艦群の射撃対象はリセットされていた。一斉回頭までの射撃はヴァンガードは相対する位置にいた敵3番艦を照準していたのだが、今度は先頭になったヴァンガードは敵1番艦を目標にしていた。
だが、奇妙なことに敵1番艦の位置についていたのは、ソビエツキーソユーズ級ではなくアルハンゲリスクのようだった。アルハンゲリスクが旗艦に指定されているとは考えにくいから、先頭艦を集中して狙われることで早期に旗艦が脱落することを恐れた北方艦隊が先頭に同艦を置いていたのではないか。
混成艦隊の旗艦である信濃に匹敵する巨体であるソビエツキーソユーズ級2隻よりも、第二次欧州大戦後のソ連海軍で最初に就役した戦艦であるアルハンゲリスクの方が素人目には強力に見えるかもしれなかった。
公表された全長はアルハンゲリスクのほうが長いし、前後に振り分けられた砲塔は4基もあったからだ。
ただし、主砲塔は連装だったから、三連装砲塔であるソビエツキーソユーズ級に対して主砲門数では8対9とアルハンゲリスクの方が1門少なかった。
ソ連海軍では、巡洋艦以上の大型艦は防護区画の短縮を図っているのか主砲では三連装砲塔の採用が多かった。アルハンゲリスクがその例外として連装主砲塔となっているのは、同艦が鹵獲艦であったからなのだろう。
元々アルハンゲリスクは旧ドイツ海軍で建造されていたものだった。丁度今ソ連駐留軍とドイツ連邦軍の交戦地帯となっているキールにある海軍工廠で建造中だった第二次欧州大戦末期に鹵獲されたものだったのだ。
当初国際連盟軍では鹵獲された未完成戦艦は廃棄されたものと考えられていたのだが、実際にはソ連海軍は一部の艤装を自国製造品に改めてアルハンゲリスクを再就役させていたのだ。
しかも、キールを含む旧ドイツ海軍の製造施設を占領したソ連軍は、大口径主砲の製造技術まで取得していた。ソビエツキーソユーズ級がアルハンゲリスクと同じ42センチという大口径砲を備えたのは、このソ連本国に持ち出された製造施設によるものだったようだ。
アルハンゲリスクの再就役は、国際連盟諸国に大きな影響を及ぼしていた。後続となるソビエツキーソユーズ級と合わせて、第二次欧州大戦後は比較的低調だった戦艦の整備が国際連盟軍で急がれる切欠になったからだ。
ただし、詳細を知らない政府関係者や民間人はともかく、アルハンゲリスクそのものに対する英海軍関係者の評価は今ではそれほど高いものではなかった。旧ドイツ海軍から得られた建造当時の資料などから、H級戦艦42年案と呼ばれていた頃の同艦の正確な性能が判明していたからだ。
第二次欧州大戦中盤のマルタ島沖海戦時の経緯や、その後のイタリア講和時にタラントで鹵獲された修理中のテルピッツなどの調査結果から、ドイツ戦艦は開戦前の想定よりも技術的にはさほどのものではないと判断されるようになっていた。
少なくとも、国際連盟軍の主力として投入された英日の新鋭戦艦などと比べると、ドイツ戦艦はその旧弊な構造や配置などが目立っていたのだ。
極論してしまえば、第二次欧州大戦に投入されたドイツ海軍の戦艦は、第一次欧州大戦当時から装甲配置などに技術的な進化は見られず、ただ旧式艦を拡大しただけと考えられていたのだ。
勿論個々のドイツ艦艇に新技術が導入されていないといわけではなかった。むしろ英日でも実用化されていなかった技術を導入した兵装もあったのだが、肝心のドイツ海軍でも実用化前の段階でしかない兵装も多かった。
例えば大口径の高角砲や探照灯に至るまでの対空兵装の多くに導入された三次元式のスタビライザーや、従来よりも格段に効率の良い高温高圧の蒸気系統などだった。
そうした新技術の多くは導入を急ぐあまり実用性を欠いていた。頻繁に故障するスタビライザーは重量の割に効果が薄かったし、高効率の機関に不調をきたしていた艦艇は大小を問わず多かったようだ。
ドイツ海軍が徒に水上艦艇に裏付けのない新技術を導入したのは、自分達の技術力を過信していたというよりも、単に熟成期間を欠いたということも有るのだろう。
ナチス政権が再軍備を宣言して大っぴらに艦艇の建造に乗り出すまで大型艦の建造を行えなかったドイツ海軍は、空白期間に英仏等との間に生じた技術力の遅れを取り戻す為になりふり構わず導入した新技術が実用性を低下させるという悪循環に達していたのだ。
そうしたドイツ海軍の実態を確認していた国際連盟軍関係者は、ソ連海軍によって再就役していたアルハンゲリスクの性能にも疑問を抱き始めていた。
レーダーや艦橋周りの機材などは技術供与先の米国海軍式の特徴も垣間見えたものの、鹵獲から再就役までの期間からすれば、主砲塔や船体構造などに大きな手は加えられていないはずだったからだ。
ただし、アルハンゲリスクに対する低い評価は英日海軍の新鋭戦艦、例えば信濃型などを基準とした相対的なものと言えるのではないか。ラルストン中尉はそう危惧していた。
ラルストン中尉が乗り込むヴァンガードも、ある意味ではアルハンゲリスクと似たような経緯を辿っていた艦艇だった。就役からさほど間が経っていなかったヴァンガードだったが、計画年度で言えば実はアルハンゲリスクの原型となった旧ドイツ海軍のH級戦艦と大差は無かったのだ。
元々ヴァンガードは旧式の38センチ砲を再利用するという消極的な案から計画されたものだった。カレイジャス級が空母に改装された際に取り外されて保管されていた38センチ砲の主砲塔を搭載する予定だったのだ。
カレイジャス級は大口径砲を搭載した特異な大型軽巡洋艦として第一次欧州大戦時に建造されており主砲塔2基を備えていたから、建造が中止されていた新造戦艦用の資機材を転用して連装砲塔4基を備える戦艦に生まれ変わらせようとしていたのだ。
だが、新造戦艦ですら建造が中断されていた逼迫した戦況では、この代用戦艦の建造工事も遅延を余儀なくされていた。
結局第二次欧州大戦中に完成出来なかったヴァンガードの建造が戦後も中止されなかったのは、仮想敵である米国の戦艦勢力が日本海軍に対抗するために建造が続けられていたためだったのではないか。
そして半ば惰性で進められていたヴァンガードに建造速度促進と改設計という矛盾した要求が出された原因は、眼の前のアルハンゲリスクだった。
ソ連海軍最大の戦艦として、国際連盟軍側からすれば唐突に出現したアルハンゲリスクや建造が進められていたソビエツキー・ソユーズ級戦艦に対抗するために急遽英国海軍でも戦艦戦力の再整備が求められていた。
ヴァンガードもその一部に加えられたのだが、旧式の38センチ砲搭載戦艦が42センチ砲戦艦に対抗するのは無理があった。その時点で既に本艦の船殻は半ば完成しており、改造するにも限度があったからだ。
結局、カレイジャス級から取り外された主砲は威力不足としてヴァンガードへの搭載は見送られていた。その代わりに紆余曲折の上で損傷したまま放置されていたテルピッツに無理やり搭載した上でドイツ海軍に運用を押し付けるという奇妙な事態になっていた。
最終的にヴァンガードに主砲として搭載されたのは、かつてライオン級と命名されるはずだった第二次欧州大戦中の新鋭戦艦に搭載予定で開発が進められていた40センチ砲だった。
本来の計画などどこかに投げ捨てたようなヴァンガードだったが、その程度の改良で42センチ砲戦艦であるアルハンゲリスクに対抗できるかどうかは誰にも分からなかった。
自艦の主砲に想定されうる主砲戦距離で対応可能というのが戦艦の定義だとすれば、ヴァンガードはその基準を満たしていなかった。装甲が配置された船殻が完成した後に主砲をより大威力のものに換装していたからだ。
海図に針路を記載したラルストン中尉は、海図上で敵艦隊との距離を読み取ってから一瞬息を呑んでいた。一度北方艦隊に機動をかわされた英日混成艦隊だったが、再び艦隊司令部が命じていた主砲戦距離に達しようとしていた。
公表された速力ではソ連艦の方が速いはずだったが、その差は僅かだったしボーンホルム島を避けようと針路を取った北方艦隊よりも混成艦隊の方が最短距離を進んでいたのかもしれない。
ふと視線を感じてラルストン中尉が振り返ると、サイラス大佐も海図を見つめていた。サイラス大佐は海図から目を離すと対水上レーダーに相対距離の計測を命じていた。
短時間で電話員が報告した測定距離は予想通りのものだった。その結果に満足したのか一度頷くと、サイラス大佐は淡々とした口調で主砲射撃の開始を命じていた。
改設計でヴァンガードの主砲射撃管制機能は原計画とは全く違う形になっていた。日本製の四七式射撃指揮装置は方位盤と射撃盤を一体化させた上で、その筐体内部で機能を完結させていたからだ。
しかも四七式射撃指揮装置が管制するのは主砲だけではなかった。射表作成の手間暇を惜しんで導入された日本製の高角砲なども内部のスイッチを切り替えるだけで射撃指揮が可能だった。
その画期的な計算能力を持つ四七式射撃指揮装置がヴァンガードには複数搭載されていたのだが、通常は主砲射撃指揮に用いられるのは以前主砲用の方位盤が装備されて、今も本艦砲術長がいる艦橋上部の射撃指揮装置だった。
今回も砲術長の直接指揮で主砲射撃が行われていた。既にサイラス大佐が命じる前から砲術長は照準をアルハンゲリスクに合わせていた。主砲の旋回や仰角も僅かしか調整されなかった。
そして無造作にヴァンガードの40センチ砲が発砲していた。艦橋窓から入り込んでいた赤黒い閃光に、ラルストン中尉も反射的に海図盤から視線を上げていた。
艦橋から見える第1、2番主砲塔の砲口から砲煙が膨れ上がっていた。訓練では何度も見た光景だったが、思わずラルストン中尉は神に祈っていた。排水量で一万トンも上回る相手、しかも信濃型につきあわされた砲戦距離での戦闘に、中尉は不安を感じていたのだった。
ヴァンガード級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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信濃型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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アルハンゲリスク級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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ソビエツキーソユーズ級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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ビスマルク級戦艦テルピッツの設定は下記アドレスで公開中です。
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