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1952激闘、バルト海海戦22

 古田大尉は、手にした双眼鏡を持て余しながら平大佐に向き直っていた。この状況において、どうも大佐と自分では思考の原点が違う気がしていたのだ。



 ソ連の衛星国であるポーランド沖の海域で哨戒中という微風の現状を考えれば、先任将校である古田大尉と平大佐の考えが食い違っている状態は危険だった。

 駆逐艦長としては階級が高い平大佐は、専任の指揮官が最後まで配属されなかったこの駆逐隊の先任艦長として隊を指揮する立場にあったからだ。

 言い換えれば、平大佐が隊司令代行に専念する間は、先任将校である古田大尉が微風を預かる事も有り得るのだから、二人の間に認識の齟齬が生じないようにしておかねばならないはずだった。


 古田大尉にとって平大佐の発言は不可解なものだった。バルト海と地中海という遠く離れた海域にほぼ同時に進出していたソ連艦隊は、それぞれ国際連盟軍が待ち受けている海域を正確に推測していた筈だった。

 そこまでは二人の認識に違いは無かった。だからこそ、古田大尉はその海域までの到達時間をソ連海軍の指揮官が見誤った事を奇妙だと考えていた。


 もしもソ連海軍北方艦隊が地中海方面の戦闘結果を聞いてサンクトペテルブルクまで引き返していたとしても、一旦はこのボーンホルム島近海まで接近していないと時間的におかしいのではないか。

 国際連盟軍の古田大尉達にはイタリア、英本土と経由した情報がデンマーク駐留部隊を通じて伝達されてきたのだが、ソ連側も黒海艦隊からソ連本土を通じた無線連絡を行っていたはずだから、情報伝達速度で大きな差違は無いはずだった。



 しかし、首を傾げた様子の古田大尉に、くだけた様子のまま平大佐はこともなげに言った。

「今言った通りに、このバルト海ではソ連側は情報的に優位に立っているといえるだろう。少なくともバルト海南岸はソ連領土か、その言いなりにされている国ばかりだからな。

 ところが、地中海では事情は変わってくる。トルコは……まぁ中立を保っているが、ソ連にもこちらにも遠慮している立場だから取りあえずは無視して構わないが、黒海の中ですらブルガリアは国際連盟側なんだ。

 その先の海峡地帯に関しては一応は艦隊の通過には何の支障もないだろう。もしオスマン帝国が倒れた後の海峡条約改定で軍艦の航行に制限が掛かっていれば、戦艦の通過は制限されていたかもしれないが、欧州大戦でボロ負けした当時のトルコじゃ強くは出られなかった筈だ。

 だから艦隊の通過には制限はないが、海峡を越えると今度はギリシャが待ち構えている。下手をすれば隣国のユーゴスラビア王国の艦隊だってギリシャ海軍に味方をするために南下してくるかもしれんし、予想に反してイタリアも全力でエーゲ海で待ち構えているかもしれない。

 可能性は低いが、黒海艦隊の方だってクレタ島を通過して更に地中海を南下してエジプト辺りに寄港しようとしていたのかもしれない。

 英国紳士が気が付いているかどうかは知らんが、中東じゃ何時だって反英感情が潜んでいるんだから、ソ連の戦艦が近くに寄って来たら気が大きくなって良からぬ事を企むものが出て来ないとも限らんぞ」


 一気にそう言った平大佐に、古田大尉は目を白黒させていた。地中海の政治的な事情まで大尉は深く考えたことが無かったからだ。

 ただソ連艦隊の目的が最終的に大西洋進出かドイツ占領地帯への援護であるとすれば、国際連盟軍の迎撃箇所も限られていると考えていた。セヴァストーポリを黒海艦隊が出撃したのを確認した時点でイタリア艦隊が押っ取り刀で駆けつけたとしても、エーゲ海にまで前方進出するのは難しかったのではないか。

 それに、第二次欧州大戦でドイツに占領されていたギリシャやユーゴスラビアは、もともと貧弱だった海軍力の回復にも至っていない筈だった。



 古田大尉は、あまり自信なさ気な顔になって言った。

「しかし……確かギリシャもユーゴスラビアも我が軍や英海軍から売却された中古の駆逐艦や海防艦が何隻かあっただけだった筈です。その程度の戦力では、広大な領海に対して有効な哨戒行動すら不可能です。

 更に言えば、アドリア海を行動範囲とするユーゴスラビアが、彼らにとっては貴重極まる艦艇をエーゲ海まで南下させるとも思えません。

 仮に両国海軍が戦力を集中させてエーゲ海で待ち伏せていた所で、低速の海防艦やコルベットが数的主力の艦隊では軽快艦艇に逆転の機会がある雷撃は困難です。高速の黒海艦隊に対して射点にたどり着く前に大口径砲で蹴散らせられるだけでは無いですか。

 それに駆逐艦乗りがこう言うのもなんですか……」


 そこで、古田大尉は一旦口を閉じて艦橋前方窓から見える微風の1、2番主砲塔を指差すと続けた。

「駆逐艦程度の砲じゃ戦艦相手では嫌がらせにしかなりません。まともな相手なら射程に入る遥か前で阻止されますよ。雷撃も砲撃もギリシャやユーゴスラビアが保有する程度の戦力では黒海艦隊の足止めにもならないはずです」



 古田大尉の反論に、平大佐は笑みを崩すことなく言った。

「では聞くが、そんな事を黒海から初めて外に出る黒海艦隊の連中がどうやって知るというんだ」


 意外な言葉に、唖然として古田大尉は平大佐の顔を見つめていた。もしかして担がれているのではないかと思ったからだが、大佐は気にした様子も無かった。

「平時から情報収集には努めていても、太平洋でトラック諸島が吹き飛ばされた後は欧州諸国だって防諜体制を強化していたから、開戦以後は正確な情報は途絶えていたんじゃないかな。

 その一方でスカパ・フローには、前の戦争で使ってから塩漬けにされていた予備艦の類が置いてあったから、その辺の艦から引き抜いてこれから前線となるギリシャやユーゴスラビアにもっと沢山供与していてもおかしくはない、位はソ連海軍が考えていても不思議じゃないだろう」


「しかし、スカパ・フローの予備艦は錆だらけで浮いているだけでしたが……」

 遣欧艦隊も根拠地としていたから、英国海軍の本国艦隊が泊地として使用している広大なスカパ・フローの片隅に係留保管されていた予備艦の様子は、古田大尉も間近で確認していた。

 それらの艦艇は、英国製の艦艇ばかりではなく、第二次欧州大戦中に日本海軍が欧州に持ち込まれたものも含まれていた。国内の建造能力が飽和した英国海軍支援のために遥々日本本土から回航された海防艦や護衛駆逐艦のうち余剰となったものが係留され続けていたのだ。

 その中には英本土近海で編成された対潜部隊など日本海軍で運用されていたものもあったが、動員解除された海軍予備員などからなる乗員達は乗艦を英本土に置いたまま別途帰国の途に就いていたのだった。



 ただし、比較的大戦終盤に建造されて電子兵装などが充実している艦艇など、程度の良いものは既にそこには無かった。英海軍で継続して運用されているか、海軍力が壊滅した欧州諸国などに売却されていたからだ。

 実際には、スカパ・フローに残された予備艦の多くは単に解体工事の空きを待っているような状態のものが多かった。中には売却された同型艦の修理を行う為に内部の艤装品をごっそりと抜き取られてただ浮いているだけで廃艦同然のものもあったのだ。


 ギリシャやユーゴスラビアに供与、売却されていたのも、そこから抜き取られて継ぎ接ぎだらけで修理された警備艦艇だったが、対米戦が勃発しなければトラック諸島で沈められた旧式巡洋艦辺りが今頃は売却されていたらしいという話も聞いていた。

 つまり当初の想定よりも現在のギリシャやユーゴスラビアの海軍力は弱体であると言えるのだが、それを古田大尉が知っていたのは米ソ関係者が立ち入ることが不可能なスカパ・フローにいて内部の情報に触れていたからだった。


「結局は、地中海ではソ連も目を閉じて戦っているようなものだった、ということですか」

 独り言のように呟いた古田大尉に頷きながら平大佐は続けた。

「黒海艦隊は威風堂々進軍しているように見えてもエーゲ海から先の未知の海域では緊張していた筈だ。そこで戦闘に及んで最後には負けた筈だが……イタリアからの報告によれば黒海艦隊はまだ戦力を残したまま撤退したんじゃないか。

 イタリア艦隊に追い返された黒海艦隊は再びエーゲ海を通過して黒海に戻らなきゃならないが、多島海のエーゲ海では今度こそギリシャやユーゴスラビアの連中に落ち武者狩りをされるかもしれないんだ。

 俺なら、きっと何ということはない島影一つ一つに怯えながらの撤退行になったと思うね」



 そんな状況になったとして、いつも飄々としている平大佐が本当に怯える事などあるのだろうか、古田大尉はそう考えたのだが、ふと認識の齟齬を生み出していた原点を思い出していた。

「黒海艦隊の動きは分かりましたが、それと北方艦隊の出足が揃わなかったことをどう解釈すべきでしょうか、それとも……」

 当直についている艦橋要員の前では、古田大尉には既に北方艦隊は引き返しているのではないかという推測は口に出せなかった。そのような曖昧な発言がひとり歩きして微風乗員から緊張感が削がれるのを恐れていたのだ。


 しかし、平大佐はあっさりと言った。

「連中が急報を聞いてサンクトペテルブルクに引き返した可能性は無いとは言えない。だが、北方艦隊がサンクトペテルブルクで最後に確認されていた時期にはすでに速報くらいはあったのではないかな。

 それで今もサンクトペテルブルクに艦隊再出現という報が無い以上は、北方艦隊は未だにバルト海で行動中と考えていいだろう。ああ、先任が気にしていたのは、何故南北で艦隊の動きが揃わなかったか、だったかな。

 その前に、先任はパナマやバルト海の運河を航行したことはあるか」


 いきなり問われた古田大尉は首を傾げながら否定していた。

「いえ……自分はスエズぐらいしか運河航行の経験はありませんが……」

「俺も似たようなものだがね、スエズ運河は人間が掘削したせいなのか曲線が少なく殆ど真っ直ぐだが、自然河川を最大限利用した運河というやつは曲がりくねって随分と航行が難しいらしい。

 バルト海と白海をつなぐ運河は、米国の支援で大々的な掘削工事を行ったと米ソ関係の親密さを宣伝するのに使われていたが、裏を返せばそんな工事をしなきゃならんほど曲がりくねった河川を利用した運河ということだ。

 そんなところに戦艦を何隻も連ねて通過しようとすれば、自家用車が増え過ぎた最近の帝都みたいに大渋滞間違い無しだ。どれだけ航行の支援を行う曳船がいた所で接触事故も絶えなかっただろうしな。

 露助の戦艦が舷側を傷だらけにして現れても俺は驚かんよ。土手っ腹に雷撃を食らわせるにはいい目印になるかもしれんしな」


 ようやく古田大尉は平大佐の前提に気がついていた。

「そういう、事ですか……要は長距離敵地を航行する黒海艦隊と運河を越える前で北方艦隊が出発時刻を揃えたものだから、その後の航行速度が予想していたのよりも変化していたということですね。

 だから結果的に想定していた戦闘海域への到着時間に差異が生じていると……」

 結果から推測したのだろう平大佐の考えに納得した古田大尉だったが、安心していられたのは僅かな間だった。



 唐突に電話員が聴音室からの報告を伝えていた。

「方位150の水中に不明音源おそらく潜水艦の推進音、距離不明だが接近してくる」

 声にならないどよめきが艦橋内を走っていた。この海域に友軍潜水艦は展開していなかったから、潜水艦だとすればそれはソ連海軍の潜水艦ということになった。


 艦橋内の計器に一瞬目を向けた平大佐は間髪入れずに言った。

「よろしい。探知目標は僚艦に知らせ。先任、舵もらうぞ。艦長が操艦する。速度このまま、舵そのまま。取り敢えず聴音室は耳をそばだてて目標を逃すな。本艦は戦闘配置、対潜戦闘用意だ。

 さて……これが待ち伏せして動き出した露助の潜水艦なら、言ったとおり敵主力も近いぞ。先走って出歯亀しにのこのこやって来た間抜けな潜水艦を先に退治するが、対水上電探も目を光らせておけよ」

 どこか楽しげな様子で平大佐は言ったが、実際に敵艦隊を発見したのは意外な位置に展開していた艦だった。

太刀風型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddtatikaze.html

松型駆逐艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ddmatu.html

鵜来型海防艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/esukuru.html

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