1952激闘、バルト海海戦18
戦艦イタリアから放たれた38センチ砲弾がソビエツカヤウクライナに初めて命中した時、すでに距離は戦闘開始時の半分となる1万5千メートルを大きく割り込んでいた。
真っ先にボンディーノ少将が指摘した通りに、イタリア主砲弾の弾着点が描く散布界は広がっていたが、距離が狭まった事でようやく命中弾が得られたのだろう。
この距離は、ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦が想定する主砲戦距離、その近接端まで踏み込んだ距離だった。原型からの改装時に戦艦イタリアは防御力にも手を加えられていたが、主砲が同型である為に想定距離にさほどの違いはなかった。
戦艦イタリアがこの距離まで接近する間に、イタリア艦隊旗艦であるヴィットリオ・ヴェネトと、黒海艦隊軽快艦艇部隊の先頭にいたセヴァストーポリが撃破されていた。
軽快艦艇同士の戦闘でも損傷艦が続発している筈だが、後から考えればこの一撃は大型艦の喪失を含む混沌とした状況を一変させるものだったのかもしれない。
結果から言えば、命中弾の結果はあまり見栄えのしないものだった。命中箇所は新鋭米戦艦のように船体中央部にまとめられた上部構造物の中間点である第1、第2煙突、その真下の船体部分だった。
1万メートル彼方からでは砲声に混じって音響は確認出来なかったが、おそらくは着弾と同時に轟音が発生していた筈だった。外舷に破孔を生じさせながら一瞬で巨大な38センチ砲弾が艦内に踊り込んでいたからだ。
ソビエツキーソユーズ級の装甲配置などには不明な点が多かった。だが、報道写真などで確認された様子からすると、主垂直装甲は外舷側には配置されていないようだ。
舷側にも被帽破壊などの目的である程度の厚みがある装甲板が設けられているのかもしれないが、主要な装甲板は一つ以上内側の区画に設けられていたようだった。
防護区画の外側に区画が必要なこのような配置は全幅の拡大を招く一方で、第一次欧州大戦後に重要視されている水雷防御を高めるものだった。主装甲帯の外側で魚雷の炸裂による衝撃などを吸収するのだ。
だからソビエツカヤウクライナに命中した38センチ砲弾が舷側を貫通したのは間違いなかったのだが、内部の主要装甲帯を貫けたのか否やは外部から観測するのは難しかった。
それ以上に戦艦イタリアの乗員達は、接近した事で明らかとなってきたソビエツカヤウクライナの損傷した姿の方に注目していた。レーダー観測などでは全くの無傷であるかのように思えたソビエツカヤウクライナの巨体だったが、実際には細かな損傷が数多く発生していたのだ。
目視でようやく確認できた損傷は、これまでのヴィットリオ・ヴェネト級2隻の主砲弾によるものだった。
遠距離砲戦では命中確率の高い水平装甲への威力が減じて貫通を許さなかったのだが、分厚い装甲に弾かれた直撃弾や至近弾であっても、炸裂した破片によって防御区画外の艤装品などが傷つき、なかにはもぎ取られていたものもあったのだろう。
損傷を負っても脆弱なレーダーなど射撃指揮周りを含めて主砲射撃能力は維持されているようだが、対空兵装などには既に欠けているものもありそうだった。
ソビエツカヤウクライナは無敵の幻獣などではなかったが、傷だらけの巨体から放たれる凄まじい砲火はむしろ生々しい迫力を有していた。そんな状態だったから、戦艦イタリアによってつけられた新たな被弾痕はむしろ目立たなかった。最初は貫通が疑われていた程だったのだ。
だが、被弾直後に彼方のローマに向けて射撃したのち、ソビエツカヤウクライナの主砲発砲は途絶えていた。そして奇妙な沈黙の後に、ソビエツカヤウクライナの煙突に黒いものが交じるようになっていた。
どうやら先程の命中弾は、舷側を破壊した後に現れる分厚い主装甲板を確かに貫通していたようだった。計算上この距離ならイタリアの38センチ砲は高速を保ったままで着弾するから600ミリ程度の貫通距離があるから、いくら重装甲でも正撃に近い角度なら貫通できないはずは無かった。
命中箇所からすると、貫通した砲弾が踊り込んだのは機関部だった。確認された黒煙から推測すると、砲弾の破片が機関室内のボイラーを破損させて不完全燃焼を起こさせているのではないか。
ソビエツキーソユーズ級戦艦は機関部にも不明な点も多かったが、常識的に考えれば2から4基程度のボイラー群で一区画のボイラー室を構成しているのだろう。
これほどの巨艦を高速で動かすのに足りる機関出力と軸数、そこから算出される蒸気量からすれば搭載されたボイラーの数は少なくないはずだった。逆に1基や2基のボイラーが使用不能になったところで、水蒸気爆発を起こす程の浸水でもなければ致命傷とはなりえない損傷だった。
現にソビエツカヤウクライナの煙突からは、黒煙と共に白煙の量も増大しているように見えるという報告が上がっていた。現在の速度を保つ為に、タービンを回すのに足りる蒸気量を他のボイラーの出力を上げて確保しようとしている可能性は高かった。
ただし、これまで聖域であったソビエツカヤウクライナの防御区画に貫通を許したのも確かだった。ラザリ大佐達は強靭なソビエツカヤウクライナの姿に畏怖を覚えていたのだが、同艦の乗員達もまた果敢に接近するイタリア海軍を恐れていたのかもしれなかった。
主砲発砲が途絶えていた後のソビエツカヤウクライナの新たな動きは意外なものだった。見張り員の報告に戦艦イタリアの司令塔内部はどよめいていたのだ。
―――ソビエツカヤウクライナが回頭を……逃げ出そうとしているのか……
ソビエツカヤウクライナは、もと来た東方に艦首を向けようとしていた。戦術的な回避運動などとは思えなかった。通信室からは同時にソビエツカヤウクライナが盛んに無線通信も送っているようだとの報告も上がっていた。
無線通信は、撤退を黒海艦隊全軍に知らせるものだったのではないか。軽快艦艇群も同時に動きを見せていたからだ。
ラザリ大佐達は思わずボンディーノ少将に振り返っていた。撤退を開始したと言っても、ソビエツカヤウクライナがこの海域から逃げ出すのは困難なはずだった。
戦艦イタリアは未だに全速を発揮出来るし、追撃戦となればソビエツカヤウクライナが追手が迫る後方に指向可能な主砲門数が1基3門しかないのに対して、追撃するこちらは2基6門になるからだ。
状況を確認していたのか後方のローマからも通信が入っていた。ローマは第3砲塔に被弾し発砲能力を損失しているようなのだが、第1、2主砲塔は健在で同時に全速発揮可能である。そのようなローマからの通信は、暗に追撃戦を望むものだと言えた。
だが、ボンディーノ少将も追撃戦に乗り気だったのだろうが、意外な所からの報告で断念せざるを得なくなっていた。
その報告が司令塔内に伝わってきたのは、一瞬考え込んでいたボンディーノ少将が顔を上げて何事かを命じようとした瞬間だった。
電話員を通じた報告はレーダー室からのものだったが、これまでの水上戦闘で活躍していた対水上用ではなく、対空レーダーからのものだった。戦闘中にも上空に向けられた対空レーダーは幾度か砲弾の飛来を報告していたのだが、ソビエツカヤウクライナが発砲を再開したわけではなかった。
本来の用途で運用されていた対空捜索レーダーは、ソビエツカヤウクライナが艦首を向けた東方から接近する機影群を確認していたのだ。
確認されたのが、砲撃戦の間は誰もがその存在を忘れていた黒海艦隊の航空巡洋艦から発進した機体なのは間違いなかった。
黒海艦隊の航空巡洋艦は水上戦闘から間合いをとって、事前にマルタ島に展開していた英空軍機と交戦していた搭載機の回収を行っていると考えられていたのだが、実際にはもっと積極的な行動に出ていたのだ。
これまでの航空戦闘で消耗したのか、レーダーの反応は黒海艦隊の予想保有機数よりも少なく見えるというが、確認された機数や状況などからすると、航空巡洋艦搭載部隊は残存した機体を惜しみなく再出撃させたと見て良さそうだった。
しかし、戦艦イタリアの艦橋で黒海艦隊の航空部隊を深刻な脅威と考えていたものは少なかった。英国空軍からの情報によれば、戦闘中に確認されていたのは戦闘機ばかりだったからだ。
航空巡洋艦に搭載されていると思われる米国製のF15Cフェニックスホーク戦闘機は複合動力の有力な機体だったが、対航空戦闘用の銃兵装を主力とするその攻撃力は限られていた。
ジェットエンジンとレシプロエンジンを合わせた出力は大きいというから、がさつな米国製らしい頑丈な機体構造には対艦攻撃にも使用可能な大重量の爆弾などを懸架すること自体は可能なようだが、純粋な戦闘機として開発された同機には銃兵装用の照準器が装備されているはずだった。
モード切り替えなどで簡易な爆撃照準器として運用することは可能かもしれないが、英日などの大型空母に搭載されている本格的な照準器を備えた専門の攻撃機と比べれば精度は低いだろう。
第一、F15Cが戦闘爆撃機として対艦攻撃が可能な機体性能があったとしても、部隊としてその能力を十全に発揮出来るとは限らなかった。戦闘機と攻撃機という両方の能力を機体が持っているだけではなく、対空、対艦戦闘を行うには搭乗員にも長時間の訓練期間が必要だからだ。
場合によっては、育成に膨大な時間と費用を費やした搭乗員がどちらも中途半端な技量しか持たない結果を招きかねないのだから、英国空軍との防空戦闘の結果から判断すると、黒海艦隊航空巡洋艦の搭乗員達は主に戦闘機乗りとしての訓練を行ってきていると考えて良かったのではないか。
これに対して戦艦イタリアの防空戦闘能力はほぼ万全の状態だった。主砲射撃に使用していたものを含めて47式射撃指揮装置は対空戦闘の指揮能力もあったからだ。
セヴァストーポリからの被弾箇所が限られていたから、両用砲も全て発砲可能だった。相手が爆弾を抱えて鈍重になっている戦闘爆撃機であるならば、今の戦艦イタリアに致命傷を与えるようなものとはなり得なかった。
射撃指揮装置と共に導入された日本製の両用砲群は、元は国産砲に関する射表作成の手間を省くためだったのだが、射撃指揮装置が計算した砲弾飛翔時間に合わせた信管調定装置は自動化が進められており、照準が正しい限り高い撃破率を示していたのだ。
足止めの黒海艦隊航空部隊と交戦しながらでもこのまま追撃を続ける、その時点ではまだボンディーノ少将はそう考えていたのだろうが、対空レーダーからの報告は続いていた。
―――ソ連機の針路は本艦にあらず、だと……
レーダーが捉えた針路を聞いたラザリ大佐は、反射的に新設されていた態勢表示盤に視線を向けていた。航空部隊の進路には、半ば忘れられた存在である艦隊旗艦ヴィットリオ・ヴェネトが応急修理を行っている筈だった。
勿論、ソビエツカヤウクライナからの強力な42センチ砲の射撃に晒されていたヴィットリオ・ヴェネトは、主砲だけではなく対空兵装にも大きな損傷を受けているはずだった。
ボンディーノ少将は、苛立たしげな表情で戦艦イタリアにヴィットリオ・ヴェネトに向けての回頭を指示していた。黒海艦隊航空部隊がどのような針路を通るかは分からないが、戦闘爆撃機による戦艦損失という事態を避けるためには戦艦イタリアの援護が必要そうだった。
既に主砲射撃の機会は無さそうと判断した司令部要員は、早くも司令塔の分厚い装甲扉を開けて広い艦橋内部に移動しようとしていた。ラザリ大佐はふと視線を既に回頭を開始した戦艦イタリアの後方に回り込もうとしているソビエツカヤウクライナに向けていた。
傷ついた巨獣は大きな相対速度を保ったまま急速に離れようとしていたのだった。
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