1952激闘、バルト海海戦16
つい先程まで勢いよく戦艦イタリアに向けて射撃を行っていた重巡洋艦セヴァストーポリの主砲塔が吹き飛んでいた。同じように戦列から脱落しつつあるものの、少なくとも原型を保っているヴィットリオ・ヴェネトよりも、セヴァストーポリの損傷は激しいように見えていた。
船首周りの構造が破断している為にセヴァストーポリは浸水で水中抵抗が増大している様子だった。戦艦イタリアの射撃は、第1砲塔基部を砕いて装薬を誘爆させていたのだ。
誘爆の被害が限定的だったのか直接破壊されたのは第1砲塔のみだったが、第2砲塔も爆発の余波に加えて艦橋の倒壊で射撃を中断しているようだった。誘爆の被害は第1砲塔前後の隔壁を破壊して船首部以外にも被害を生じていたのではないか。
初陣で艦隊司令部から継子扱いされていた戦艦イタリアが、あと一撃で敵艦を撃沈出来る。セヴァストーポリの様子を確認していた乗員の多くがおそらくはそう期待していただろう。ラザリ大佐も自艦への被弾のことも忘れてそう考えていた。
セヴァストーポリの幹部は破壊された艦橋と運命を共にしたのか動きは鈍かったが、まだ同艦の戦闘能力は残されていた。回頭してこれまで射撃をしていなかった第3砲塔を使えば、第2砲塔と合わせてまだ6門の主砲が使用可能なのではないかと考えられるからだ。
だからここでとどめを刺しておくべきだと考えていたのだが、そんな浮ついた雰囲気を吹き飛ばす様にボンディーノ少将がピオキーノ大佐に言った。
「艦長、主砲射撃目標を変更する。予定通り主砲は第2射撃指揮装置の照準で敵戦艦、ソビエツカヤウクライナを狙うぞ」
慌てて他の要員が振り向くと、既にボンディーノ少将は戦艦イタリアの左舷側に見えるセヴァストーポリなど見ていなかった。
ボンディーノ少将の視線は、司令塔のスリット越しに前方で射撃目標を撃破されたヴィットリオ・ヴェネトから残るローマに切り替えつつあるソビエツカヤウクライナに向けられていたのだった。
既にソビエツカヤウクライナから放たれた主砲弾を立て続けに食らったヴィットリオ・ヴェネトは戦列を離れており、艦隊旗艦に代わって先頭に立っているのはローマだった。おそらくは至近距離を通過する際にヴィットリオ・ヴェネトからの発光信号で指示を受けたのだろう。
だが、ヴィットリオ・ヴェネトが脱落してもなおローマとソビエツカヤウクライナの2隻は距離を保ったまま並進していた。対敵距離で不利であってもイタリア艦隊は接近するのをためらってしまっていたのだ。
この距離ではヴィットリオ・ヴェネト級の38センチ砲でソビエツカヤウクライナに致命傷を与えるのは難しかった。本来であれば果敢に接近すべきだったのだが、艦隊司令部はその間に一方的に射撃を受けるのを恐れていたのだろう。
戦闘が開始される前に観測された軽快艦艇の数ではイタリア艦隊の方が有利だった筈だが、既に接近してお互いの戦闘距離に踏み込んだ軽快艦艇群は乱戦に巻き込まれていた。
彼我の数は一方的な展開を許す程の戦力差ではないから、余程のことがない限り軽快艦艇群の戦闘に決着がつくのはまだ先の事になりそうだった。つまりは軽快艦艇部隊が戦艦同士の戦闘に加入する余裕はなさそうだったのだ。
だから戦艦イタリアがローマに加勢するというボンディーノ少将の判断に納得は出来るものの、傷ついているとはいえ、セヴァストーポリを放置して良いものかどうかは分からなかった。
一方でボンディーノ少将の決意は固く、既にセヴァストーポリは戦艦イタリアの全力を向けるまでもないと考えていたのだ。
「駆逐隊に下命、アルティリエーレ以下はセヴァストーポリに雷撃でとどめをさせ、とな」
「ですが……駆逐隊に肉薄雷撃させるより本艦で主砲射撃を続けてそのまま沈めた方が被害は少ないのではないですか。本艦の照準はまだセヴァストーポリに向けられていることですし」
迂闊にもそう反論した参謀に、眼の前で殺意さえ感じられるほどの鋭い視線を向けると、ボンディーノ少将は鋭い声で言った。
「勘違いをするな。本艦はセヴァストーポリの頭を抑える為にこの針路をとったわけではないぞ……本艦の主砲でソビエツカヤウクライナの装甲を食い破れる距離まで近づくためだ。艦長、第2射撃指揮装置のレーダーでソビエツカヤウクライナとの相対距離を測らせろ」
ボンディーノ少将の声が聞こえていたわけではないだろうが、即座に対敵距離が艦橋に報告されていた。セヴァストーポリに射撃を行っている間に東に船首を向けてソビエツカヤウクライナに接近していた戦艦イタリアは、既に想定される主砲戦距離にまで接近していたのだ。
測距結果を確認したボンディーノ少将は続けていた。
「もう少し近づきたい。針路そのまま、前進を続けてソビエツカヤウクライナの斜め後方につける。だが、射界が悪いな……よし、主砲は第1,2砲塔でソビエツカヤウクライナを、第3砲塔はソビエツカヤウクライナを狙える位置に来るまでセヴァストーポリへの射撃を続行して駆逐隊を支援だ」
反射的にボンディーノ少将の命令に従っていたピオキーノ大佐の指示で、主砲塔もこれまで観測ばかりだった第2射撃指揮装置に従って手早くそれぞれの目標に向けて旋回を開始していた。
射撃指揮用のレーダーを併設した第1、第2射撃指揮装置は、戦艦イタリアの艦橋構造物の最上部、原型となったヴィットリオ・ヴェネト級では司令部用と本艦用の測距儀が上下に並んで配置されていた箇所に背負式で配置されていた。
戦艦イタリアの司令部用艦橋が形骸化していたのは、本来司令部専用に設けられていたこうした設備が省かれていた事とも無縁では無かったのだろう。
艦橋構造物脇や後部艦橋構造物上部にも同型の装置が配置されていたが、他の構造物に遮られない射界の広さや海面高度などの条件から、観測値の精度が最も有利なのは艦橋上部の2基だった。
更に言えば、配置箇所が近くでも第1、第2射撃指揮装置の高度差は大きかった。通常は、頂部に配置された第2射撃指揮装置からの観測値が最も精度が高く、特に遠距離の観測には優位だった。
だから、戦艦イタリアの砲術長は、艦橋頂部にある第2射撃指揮装置の筐体内に戦闘配置時の部署が定められていた。そこが原型となったヴィットリオ・ヴェネトでは主砲方位盤と共に主砲射撃指揮所が設けられていたからだ。
ところが、今回の戦闘でボンディーノ少将は接近してくるセヴァストーポリへの射撃は変則的に第1射撃指揮装置を主として主砲の照準を担当させていた。
ボンディーノ少将の思惑としては、ソビエツカヤウクライナへの照準作業を最も高い精度と熟練の砲術士官が配置されていた第2射撃指揮装置に任せたという事なのだろう。
第1戦艦戦隊と共に組んでいた単縦陣を外れて回頭した時点で、イタリアとソビエツカヤウクライナとの距離は距離3万メートルを越える大遠距離にあったからだ。
もしかすると、今の戦艦イタリアでボンディーノ少将の判断を最初から最も正しく理解していたのは本艦の砲術長だったのかもしれないが、あれ程の巨艦であるセヴァストーポリへの射撃に砲術科の責任者である砲術長が関わっていないという奇妙な事態も招いていた。
ようやく主砲の管制を命じられた砲術長にしてみれば、ソビエツカヤウクライナへの射撃目標の変更は当然の事だったのかもしれない。
これまでの戦闘に関与できなかった鬱憤を晴らすように、第2射撃指揮装置のこれまでの観測結果を反映させた射撃値で嬉々として主砲射撃の準備をさせつつも、本艦の他の火砲を指揮しなければならない砲術長は、残された舷側の射撃指揮装置に第3主砲塔に加えて両用砲の管制を割り振らせていた。
戦艦イタリアとセヴァストーポリは最接近しようとしていた。この距離ならば両用砲も射程内にセヴァストーポリを捉えられると砲術長は報告していた。
従来は主砲の着弾観測に悪影響を及ぼすものだから同一目標への副砲射撃は好まれなかったのだが、セヴァストーポリへの主砲射撃でその真価を発揮した47式射撃指揮装置ならば同時に高精度の射撃が行えると砲術長は判断していたのだ。
ただし、長砲身の高初速砲でも砲弾の重量そのものが小さいから、両用砲とは言っても対空砲として開発された日本製の10センチ砲ではクロンシュタット級の重装甲に痛打を与えるには不可能だった。だから両用砲射撃は非防護区画に損害を与えるのが目的だった。
戦艦イタリアが射撃を中止していたのは、客観的に見れば僅かな間だった。事前に射撃指揮装置は照準を行っていたから、主砲の射撃が停止していたのは砲塔の旋回と仰角を取る間だけだったし、両用砲は射撃指揮装置内の計算式を主砲から両用砲用のものに切り替えただけの事だった。
そのせいか、戦艦イタリアが射撃を再開したときには、主砲だけではなくほぼ同時に両用砲も火を吹いていた。1万メートル以上彼方のイタリア主砲塔の旋回をソビエツカヤウクライナが観測出来ていたかは分からないが、異様な光景であることはわかったはずだ。
戦艦イタリアは、左舷の両用砲と後部の第3主砲塔でセヴァストーポリへの射撃を継続しつつも、前部の主砲2基でソビエツカヤウクライナへの射撃を開始していた。
イタリアもソビエツカヤウクライナも直進を続けていたから変針による再計算は必要ないが、それでも目標変更後の主砲射撃としては驚異的な短さだっただろう。
この時点で射撃目標を脱落したヴィットリオ・ヴェネトから後続していたローマに射撃目標を切り替えたソビエツカヤウクライナは、未だに照準作業が終わっていなかったのだ。
大雑把に言って、この時点で戦艦イタリアから見た場合、接近していたセヴァストーポリ、ローマを狙って同航戦を挑んでいるソビエツカヤウクライナは等間隔にあった。
相変わらずローマとソビエツカヤウクライナから放たれた砲弾がお互いの近くに着弾する迄は一分間程の時間がかかっていたが、戦艦イタリアから放たれた主砲弾が着弾する迄には30秒ほどしか必要としていなかった。
そしてイタリアから放たれた38センチ砲弾が着弾する頃になってようやくソビエツカヤウクライナは再び主砲を放っていたのだ。
戦艦イタリアからセヴァストーポリに向け続けられていた3発の主砲弾は外れていた。級数的に同艦の速力が落ちていたものだから、照準そのものがずれていたのだ。
38センチ砲弾による巨大な3つの水柱は、セヴァストーポリの前方にそびえ立って観測を阻害するだけだったのだが、それを追いかけるように10センチ砲弾の無数とも思える水柱が発生していた。
射撃指揮装置に合わせて艦橋構造物周囲の対空兵装を一新した戦艦イタリアは、片舷に指向可能な分だけでも12門もの10センチ砲を備えていた。
しかも、距離が詰まるにつれてそこに7.6センチ砲の射撃も加わっていた。装備数はさほど変わらないのだが、コンパクトな筐体を活かして7.6センチ砲は首尾線上や艦尾にも配置されていたから、片舷に指向可能な門数は10センチ砲よりも多かった。
それぞれが割り当てられた射撃指揮装置で管制された両用砲は、発射速度も高いから着弾が修正された後は恐ろしい間隔でセヴァストーポリを襲っていた。
射程距離一杯で放たれている為に両用砲散布界は広く発射数の割に命中弾は少なかったが、セヴァストーポリは豪雨のような小口径砲弾に襲われて身動きが取れないようにも見えていた。
雨がいつか晴れるように最接近を終えた戦艦イタリアからの両用砲射撃は終了していたのだが、セヴァストーポリの乗員達は安心出来なかった。最後の38センチ砲弾がセヴァストーポリを襲っていたからだった。
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