1952激闘、バルト海海戦15
マルタ島南方の海域でソビエツカヤウクライナの射撃が開始されてから、ラザリ大佐の主観では長時間砲撃戦を繰り広げていたような気がしていたのだが、実際にはそれほど時間が経っていたわけではなかった。
砲撃が開始されてからこれまで敵味方が放った何発もの巨弾が地中海の上空を行き交っていたのだが、その全てが虚しく海底深く沈んでいくだけで命中弾は無かった。
既に双方ともに大遠距離でも正確な照準を可能とするレーダー射撃を実用化していたのだが、大口径砲を遠距離で命中させるには正確な照準以外の要素が強く関わっていたからだ。
おそらく、その要素には運というものも大きく関わっていたのだろう。その意味では敵味方ともに幸運に支えられていたと言えなくもないが、そのつけを払う時が僅かな間に訪れていた。敵味方の戦艦、重巡洋艦の主砲弾が次々と命中していったのだ。
最初に発生した命中弾は、意外なことに後から射撃を開始していたヴィットリオ・ヴェネト級2隻から放たれたものだった。2隻分を合わせた手数の多さが命中弾を引き寄せたと言えるだろう。
ただし、実質的な被害は与えられなかった。ヴィットリオ・ヴェネトかローマのどちらの射撃によるものかは戦艦イタリアからでは観測できなかったが、ソビエツカヤウクライナの甲板上に砲撃とは異なる鈍い閃光が走っていたのだ。
そして閃光は浅い角度で海面上を走り去ってすぐに陽光と区別できなくなっていた。
戦艦イタリアから観測できた事象はそれだけだった。状況には不明な点も多かったが、おそらく命中したのは戦艦でも最も分厚い防護された主砲塔だったのだろう。
一般的に垂直装甲に比べれば戦艦の水平装甲は薄いが、低伸する高初速砲から放たれた38センチ砲弾は、この遠距離ではごく浅い角度で命中したはずだった。その角度が見た目の装甲厚を高め、また信管が作動しなかった砲弾が滑るように上空に弾き飛ばされていたのではないか。
そもそも大遠距離でも浅い落角にしかならないヴィットリオ・ヴェネト級の主砲弾は、三万メートルを越える遠距離でも120ミリ程度の貫通能力しか発揮できないのだ。
命中弾がソビエツカヤウクライナ主砲塔内部の要員に被害を与えた可能性は否定できないが、致命的なものではあり得なかった。その直後に同艦は何度目かの斉射を行っていたからだ。
だが、ヴィットリオ・ヴェネトに最初に命中した砲弾はこの時の斉射弾ではなかった。ヴィットリオ・ヴェネトからの命中弾が発生する前に既に上空を飛翔していた砲弾がわずかに遅れて同艦に命中していたのだ。
ヴィットリオ・ヴェネトの第3砲塔に命中した42センチ砲弾は、同艦から放たれた38センチ砲弾と比べると全く異なる効果を発揮していた。
ソビエツカヤウクライナから放たれた砲弾は、散布界の広さから夾叉後もなかなか命中弾がなかったのだが、わずか一発で艦隊旗艦に致命的な損害を与えようとしていた。
ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦は、ポスト軍縮条約時代の新鋭戦艦にふさわしい装甲を有していた。自らの高初速主砲に対応する水平装甲も、標準的な防御力は確保できている、とこれまでは考えられていた。
だが、この遠距離で大きな落角で命中した重量級の42センチ砲弾に対抗するのは全く不可能だった。正確な貫通距離は勿論わからないが、ポスト軍縮条約世代の新鋭戦艦で標準的な水平装甲厚となる150ミリ程度を楽に抜ける能力はあったのではないか。
命中したのは、偶然にもソビエツカヤウクライナと同じ主砲塔の天蓋だったが、最も分厚いはずの水平装甲は易易と貫かれていた。ドイツ設計の42センチ砲弾は原型でさえ1トンを遥かに越えていたから、30度を越える大落角で命中したのであれば装甲板は紙のようなものだったはずだ。
予想される数値からすると、十分な貫通距離の余裕をもって装甲を貫いた砲弾は、完全な形状を保ったままヴィットリオ・ヴェネトの砲塔内部に踊り込んでいたはずだった。
ただし、砲塔内部には主砲機関部や砲塔基部などの頑丈な構造物が存在していた。装甲板を貫いた砲弾は、そうした構造物に遮られた後に信管を作動させていたのではないか。
砲弾が貫通してから信管が作動するまでは僅かな時間でしか無かったはずだが、偶然ヴィットリオ・ヴェネトに命中弾が生じた様子を目撃したラザリ大佐にはひどく長い時間であるように思えていた。
最終的には貫通したとはいえ、それでも100ミリを越えるヴィットリオ・ヴェネトの装甲板が一瞬赤熱した、ように見えていた。先程のソビエツカヤウクライナのように貫通を許さずに砲弾を跳ね返したのかと思ったのだが、実際にはその時点ですでに貫通した砲弾による破孔が生じていたのだろう。
それから僅かに遅れて破孔から爆風が破片と共に吹き出していたのだが、砲弾の貫通穴程度の面積で砲塔内部に生じた炸裂による爆圧を逃し切る事は出来なかった。
直後にヴィットリオ・ヴェネトの第3砲塔が膨れ上がると、装甲板のつなぎ目や砲塔出入り口等が一斉に吹き飛ばされて赤い煙が吹き出していた。おそらく周囲の甲板にも砲弾や剥離した砲塔の破片が飛び散っているのだろう。
だが、その後もしばらくヴィットリオ・ヴェネトは何事もなかったかのように前進を続けていた。第3砲塔は爆発直後に砲身が垂れ下がって、破孔から煙を吐き出し続けていたが、さらなる爆発の気配はなかった。
艦内にも爆圧はかかっていたはずだが、射撃タイミングからして被弾時には砲弾は装填されていなかったはずだ。それに給弾装置等も砲塔と弾薬庫を繋ぐ各箇所に砲弾移送時以外に使用する閉鎖機構が設けられていたから、砲塔に配置されていた将兵が適切に処置することで誘爆を防いでいたのではないか。
あるいは、爆圧や破片は全てが主砲機関部が食い止めていたのかもしれないが、そんな状況では高速で破片が飛び交った砲塔内部に生存者は期待出来ないだろう。誘爆を食い止めた功労者達も戦死している可能性が高かった。
ヴィットリオ・ヴェネトの航行に異常が生じたのは、しばらく前進を継続させてからの事だった。ゆっくりと速度を低下させた艦隊旗艦は、その時点では通信を送る余裕があった。
どうやら先程の被弾で艦内にも損傷があったらしい。第3砲塔に程近い機械室でタービンに異常が生じていると共に、いくつかあるボイラーが停止しているらしい。おそらくは被弾で生じた衝撃によるものだろうが、航行そのものは可能であるようだった。
ところが、ヴィットリオ・ヴェネトからの無線通信は途中で途絶えていた。通信室からの連絡を行う電話伝令は怪訝そうな顔になっていただけだったが、ラザリ大佐はその理由にすぐに気がついていた。
ヴィットリオ・ヴェネトの周囲にはソビエツカヤウクライナから放たれた次の着弾を示す水柱が発生していた。しかも、どんな偶然かは分からないが、それまで広がっていた着弾箇所は今回ばかりは密集していた。
戦艦イタリアからヴィットリオ・ヴェネトへの視界を覆い隠すかのように狭い範囲に水柱が発生していたが、見張り員によれば硝煙や破片で薄汚れた水柱の向こう側で赤く光るものがあったらしい。
水柱の頂きが海面に落ち込む頃にはヴィットリオ・ヴェネトの状況は一変していた。第3砲塔に続いて前甲板の砲塔にも被弾したらしく、艦橋より前からも盛大な煙を吐いていたのだ。
艦橋の機能が生きているかどうかは分からないが、ヴィットリオ・ヴェネトはソビエツカヤウクライナから逃げ出すように右舷に回頭しつつ速度を落としていた。
更に数十秒後にはその前方に追い打ちをかけるように水柱が発生していたが、着弾点にヴィットリオ・ヴェネトは居なかった。それはソビエツカヤウクライナがヴィットリオ・ヴェネトへの命中弾を観測する前に射撃した分だったからだ。
すでに照準が無効化する程にヴィットリオ・ヴェネトは速度を落としていた。前進を続けているローマの邪魔にならないようにという判断なのか右舷側に回頭していたから舵はまだ動くようだったが、指揮機能は砲撃能力と共に失われていたようだった。
ヴィットリオ・ヴェネトの艦橋付近に発光信号が見えるという報告が上がっていた。通信機をやられたのか、アンテナを吹き飛ばされたのか、あるいは発電能力の方に支障があったのか無線通信は既に途絶えていた。
ラザリ大佐は発光信号を読み取っている見張員からの続報を待ったが、それよりも早く目の前が轟音と共に赤熱していた。衝撃で思わず大佐は目をつぶっていたが、恐る恐る目を開けると司令塔外の艦橋内部でも倒れ込んでいる乗組員の姿があった。
とうとう戦艦イタリアにも命中弾が発生していた。ラザリ大佐が司令塔から目撃したとすれば、被弾箇所は前甲板の何処かだった。
艦橋構造物自体に大きな損害はなかったから、実際の損害は最初の印象ほどではなかった。最初は艦橋要員にも戦死者が出たのかと思ったが、下士官が叱咤する声と朦朧としながら立ち上がる兵達の姿が見えていたのだ。
被弾箇所はすぐに確認されていた。やはり前甲板の主砲塔だった。30センチ砲の射程内に踏み込んでいたのかもしれないが、砲塔に大きな損害はなかった。その証拠に被弾から一分もしないうちに被弾した砲塔も射撃を再開していたからだ。
だが、被弾した第2砲塔がセヴァストーポリに向けて行った射撃はそれが最後となった。それ以前に第1、第3砲塔のみの斉射弾がセヴァストーポリに命中していたからだ。
ボンディーノ少将の判断は絶妙なものだった。戦艦イタリアが射撃を開始した距離は38センチ砲には十分でも、クロンシュタット級の30センチ砲には遠すぎる距離だった。
そして最後の被弾箇所が示すように、30センチ砲が有効打を与える前に戦艦イタリアはセヴァストーポリに致命的な一撃を与えていた。
一度の射撃でセヴァストーポリの2箇所に命中弾が生じていたが、その時点ではセヴァストーポリは前進を継続していた。主砲威力に劣るセヴァストーポリは頭を抑えられているのを承知しても接近しなければイタリアの装甲を貫通出来なかったからだ。
そのようなセヴァストーポリの前進を砲弾で押し留めるように艦首付近に命中弾が発生していた。
未だにセヴァストーポリは38センチ砲の諸元と装甲から想定される戦艦イタリアの主砲戦距離を抜け出る事は出来ていなかった。その為に低伸する38センチ砲弾は低い落角でセヴァストーポリの船首甲板に命中していたのだろう。
もしもそこに分厚い装甲が施されていれば、浅い角度と存速で命中した38センチ砲弾を弾き返して空中で信管を作動させていたかもしれない。
しかし、命中弾は錨鎖などを吹き飛ばして前甲板下部の構造材を貫く過程で次第に砲弾を自壊させながらも、最終的には十分なエネルギーを保ったまま第1砲塔基部に達した所で短遅動の信管を作動させていた。
次の命中弾は艦橋基部に進入後に炸裂して、多くの戦闘幹部ごと艦橋を倒壊させていた。これによる指揮機能の喪失はセヴァストーポリの乗員退艦を遅らせる結果を招いていたものの、指揮機能が万全でも艦を救うことは出来なかっただろう。
第1砲塔基部で炸裂した砲弾は、艦首部分の構造材を破断させながら火災を発生させていた。そして火の粉は格上の戦艦イタリアを相手にしていた事で連続射撃を行っていた弾薬庫付近にも達していた。
30センチ砲の発射速度は、小口径な分だけ純然たる戦艦主砲と比べれば早く、その為に弾火薬庫の扉は長時間開放されていた。そこに被弾で生じた衝撃波と火災が飛び込んでいたのだろう。
戦艦イタリアからではセヴァストーポリに対する最初の命中弾がどこまでの損害を与えていたかは分からなかった。だから次の斉射も修正を行うことなく行っていたのだが、船首と艦橋を砕かれたセヴァストーポリは急速に速度を落としていた。
そして速度を落としたセヴァストーポリは次の瞬間に艦橋前方から火を吹いていたのだった。
ソビエツキーソユーズ級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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