1952激闘、バルト海海戦14
イタリア海軍艦隊旗艦であるヴィットリオ・ヴェネトの周囲には、数十秒毎に巨大な水柱が発生していた。ソビエツカヤウクライナからの射撃は、散布界が広いものだから命中弾は発生していなかったが、既に夾叉されていたのだ。
度重なる射撃を受けてようやく決心したのか、ヴィットリオ・ヴェネト及び後続するローマからなる第1戦艦戦隊による反撃も開始されていた。2隻分18門の38センチ砲がソビエツカヤウクライナに向けて放たれていたのだ。
ラザリ大佐は、第1戦艦戦隊主砲の砲口炎は彼方からでも確認出来るソビエツカヤウクライナの鋭い光よりも主砲口径差の分だけ見劣りする気がしていたのだが、戦艦イタリアとの相対距離が近いものだから、2隻のヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の砲声は重なり合って力強く聞こえていた。
何よりも、一方的にソビエツカヤウクライナ1隻に射撃を受けている状況から反撃を開始した事で、イタリア艦隊の士気が回復していく様子が感じられていた。
ただし、ソビエツキーソユーズ級戦艦の主砲以外がどの程度改良されているかは分からないが、この距離でヴィットリオ・ヴェネト級の38センチ砲弾がソビエツカヤウクライナの装甲を食い破れるかは分からなかった。
戦闘が開始されてから艦隊司令部から追加された命令は特になかった。他のイタリア海軍艦艇はまだ射程内にどの敵艦も捉えていないものだから、漫然と接近するソビエツカヤウクライナ以外の黒海艦隊所属ソ連艦を待ち受けているだけだったのだ。
そこに動きを見せたのは第2戦艦戦隊だった。戦隊と言っても、戦艦イタリアと護衛の駆逐艦のみの部隊だったが、ボンディーノ少将は勢いよく戦隊全艦に向けて命令していた。
「第2戦艦戦隊は、これより接敵行動に移る。イタリアは左回頭、同時に黒海艦隊先頭のセヴァストーポリに対して射撃開始、接近しつつセヴァストーポリの頭を抑える。護衛のアルティリエーレ以下もイタリアに続航せよと伝えろ」
「転舵と同時に射撃、ですか……」
イタリア艦長であるピオキーノ大佐からの戸惑ったような声に、ボンディーノ少将はきっぱりと返していた。
「命令どおりなら本艦の射撃装置は既に予め指示されていたセヴァストーポリを照準しているだろう。あの射撃システムに関する日本人達の宣伝文句が正しければ、即時照準、射撃が可能な筈だ。
それに見ろ、接近中のセヴァストーポリ辺りはもう本艦の有効射程内に踏み込んでいるぞ。今度はこっちがセヴァストーポリを奴らの射程外に閉じ込めるんだ」
慌ててピオキーノ大佐が振り返ると、ヴィットリオ・ヴェネトに向けて次々と主砲を放っているソビエツカヤウクライナに援護されるようにして、黒海艦隊の残りの艦艇が急接近していた。
ピオキーノ大佐が自ら操艦する戦艦イタリアは、黒海艦隊を阻止するように左舷に向けてゆっくりと艦首を振って接近する敵艦に真横を向けると、ボンディーノ少将の命令どおりに主砲を放っていた。
既に英国空軍の哨戒機は撃墜されていたし、ソ連海軍機も燃料弾薬が尽きたのか一時的に上空から姿を消していた。後方に引き返したように見えるソ連航空巡洋艦群は単に搭載機を収容する為に下がったのかもしれなかった。
もしも上空からこの戦闘海域を観測する事が出来れば、整然と並んでいた伊ソ両海軍の単縦陣がソビエツカヤウクライナの転舵に始まって次々と分かれて混沌としていく姿が確認出来ただろう。
この海域で最大の戦闘艦であるソビエツカヤウクライナは、ただ一隻でヴィットリオ・ヴェネト級戦艦2隻を相手取っていた。重量化された42センチ砲弾の威力を信じて数に勝るイタリア戦艦に対抗しようとしていたのだ。
既にソビエツカヤウクライナはヴィットリオ・ヴェネトに対して夾叉を得ていたが、それは空力的に理想的な形状から砲弾形状が外れたことで結果的に生じた散布界の拡大によるものでもあった。
そのせいでソビエツカヤウクライナの42センチ砲弾は未だにヴィットリオ・ヴェネトに対して命中弾が得られていなかった。
命中弾が得られていないのは、ヴィットリオ・ヴェネト級2隻も同様だった。黒海艦隊の動きが予想外だった為に射撃開始が遅れていたし、同級の高初速38センチ砲で射撃を行うにはまだ距離がありすぎたのだ。
ヴィットリオ・ヴェネト級の38センチ砲弾はまだ虚しくソビエツカヤウクライナの周囲に水柱を次々と上げていくだけだったのだ。
この隙に黒海艦隊はセヴァストーポリを先頭としてイタリア艦隊に接近していたが、このクロンシュタット級を重巡洋艦と認めているのはソ連とその同盟国だけだった。
半世紀前の戦艦主砲に匹敵する12インチ、30センチ砲とそれに対応すると思われる防御を施されたクロンシュタット級は、軍縮条約の条文に従えば戦艦に分類される存在だったのだ。
軍縮条約が無効化された今では、日米などで1万トンという巡洋艦に関する条約制限を越えた重量級の巡洋艦も出現していたが、条約で巡洋艦規定一杯とされた8インチを越える主砲を備えていたのは米海軍のアラスカ級大型巡洋艦とクロンシュタット級重巡洋艦だけだった。
尤も、列強がこうした大型巡洋艦の建造を行わなかったのは、効率の点を考慮したためでもあった。
確かにこのクラスの大型巡洋艦は条約型巡洋艦を圧倒する火力と装甲を有しているものの、戦艦に対抗するのは難しい中途半端なものになってしまうと考えられていた。現有の列強戦艦は最低でも36センチ砲を備えていたから、装甲も火力も30センチ砲艦では格段に不利なのだ。
しかも、クロンシュタット級もアラスカ級も格上の戦艦に逆転の機会がある大威力の魚雷は積み込まれていなかったから、純粋に主砲で戦闘を行うしかないのだ。
運用にかかる費用も戦艦に準ずるものになるから、巡洋艦に対抗する戦力としては過大な大型巡洋艦の建造に乗り出すには別の理由がなければ難しいのだろう。
すでに実戦で大型巡洋艦運用の難しさは証明されていた。第二次欧州大戦終盤のバルト海海戦で、クロンシュタット級重巡洋艦が日本海軍の磐城型戦艦と交戦して敗退していたのだ。
戦闘が始まる前は、互角の戦闘となるのではないかという声も大きかった。アラスカ級やクロンシュタット級は排水量が3万トンに前後する大型艦だったがこの排水量は戦艦である磐城型に匹敵するものだったからだ。
しかも、磐城型の主砲は戦艦にふさわしい40センチ砲であるものの連装砲塔3基6門に過ぎず、30センチ砲とはいえ9門を備えたクロンシュタット級であれば単位時間辺りの投射弾重量に大きな差異は無いと考えられていたのだ。
ところが、戦闘の結果は一方的なものだった。確かに次々と飛来する30センチ砲弾は磐城型戦艦の外観には無視出来ない損害を与えていたものの、主砲射撃に必要な能力は最後まで奪えなかった。
逆に磐城型の40センチ砲弾は、易易と30センチ砲対応でしかないクロンシュタットの装甲を貫いて重要区画を破壊して最終的な喪失につながる損害を与えていたのだ。
そして7年前のバルト海で起こった事が地中海でも繰り返されようとしていた。そう考えたラザリ大佐は僅かに眉をしかめていた。むしろ12インチ級主砲が新鋭戦艦同士の戦闘に無意味であるという戦訓は、バルト海以前に地中海で行われた戦闘で明らかだったからだ。
ラザリ大佐自身はヴィットリオ・ヴェネトの副長として赴任して日も浅かったが、第二次欧州大戦でマルタ島を巡る戦闘が行われた海域は、ここから程近い海域だった。
当時の伊独仏連合艦隊と英日艦隊の戦闘では、参戦した戦艦群の中でも一回り小さい28センチ砲を備えるシャルンホルスト級が一方的に叩かれる結果を招いていたのだ。
シャルンホルスト級戦艦が無力だったのは、より主砲戦距離が長い戦艦群に合わせて遠距離砲戦に付き合わされてしまったからでもあった。
その戦訓を分析したソ連海軍は、小口径高初速という30センチ砲の特性を活かすべく接近行動を取らせるようになっていた。条約規定では戦艦になってしまうクロンシュタット級は、確かに実用上も重巡洋艦でしかないというべきなのかもしれなかった。
そして、今日の戦闘ではクロンシュタット級は戦艦イタリアに対して不利な状況で砲撃戦を強要されようとしていた。
主戦場であるソビエツカヤウクライナとヴィットリオ・ヴェネト級との相対関係がそのまま再現されたような状況だった。接近するソ連海軍巡洋艦群の先頭に立っていたセヴァストーポリに対して彼らの想定よりも遠距離で戦艦イタリアの主砲射撃が開始されていたからだ。
しかも、ヴィットリオ・ヴェネトが僚艦であるローマを従えていたのに対して、セヴァストーポリの方は単独で砲撃戦を行わなければならなかった。
セヴァストーポリに後続するソ連艦は最大でも軽巡洋艦キーロフ級であり、他国であれば重巡洋艦級の主砲であるといっても18センチ砲では30センチ砲の主砲戦距離での戦闘は格段に不利となるからだ。
最もそのような判断をセヴァストーポリの指揮官が一瞬で行えたかどうかは分からない。大角度の変針を行った直後であるにも関わらず戦艦イタリアが発砲を開始していたからだ。
司令塔越しでも主砲発砲の衝撃は大きかった。前方を行くヴィットリオ・ヴェネトやローマが既に発砲している主砲と同じものであるはずなのだが、距離が著しく近いせいかその衝撃は桁違いだった。海面を反射しながらくぐもって伝わって来る他艦の砲声とは全く違っていたのだ。
装甲の僅かな隙間から吹き込んでくる衝撃波は気圧の壁のようだった。ラザリ大佐は、整えられた自分の髪が飛び跳ねるように動くのと、衝撃波で吹き飛ばされた配管の上に積もった塵が舞っているのを奇妙に冷静な目で見つめていた。
視野の隅でボンディーノ少将が奇妙な動きをしているのに気がついたのはその時だった。砲声に負けないようにピオキーノ大佐の耳に向かって話していたのだが、地声が大きすぎてラザリ大佐にも聞こえていた。
ラザリ大佐にはボンディーノ少将の発言は意外なものだった。
―――射撃指揮装置に、本艦の主砲がまだ向いていないソビエツカヤウクライナを狙わせておく、というのか……
戦艦イタリアには合計7基もの47式射撃指揮装置が備えられていた。従来の高射装置程度でしかないこの先進的な射撃指揮装置のコンパクトな筐体がそのような多数配置を可能としていたのだが、実際には主砲以外にも両舷に振り分けられた対空兵装の管制も担当していた。
だから7基の射撃指揮装置の半数は左右舷に配置されて舷側への射界しかなかった。その上複数の射撃指揮装置で観測値の平均をとって誤差を補正する機能もあるから、今のように対空戦闘が考えられない状況でもセヴァストーポリに向けられていない射撃指揮装置が遊んでいるわけではなかったのだ。
ところが、ボンディーノ少将はその貴重な射撃指揮装置の1基、それも観測精度の高い艦橋上部に配置されたものをソビエツカヤウクライナに向けさせようとしていた。
ピオキーノ大佐も一瞬考え込む素振りを見せたが、ボンディーノ少将の鋭い視線に押されて慌てて砲術長につながる艦内電話をとっていた。
ラザリ大佐にはすぐにそのことを考える余裕がなくなっていた。周囲の着弾に覚悟を決めたのか、セヴァストーポリも戦艦イタリアに向けて射撃を開始していたからだ。
状況は混沌としていた。ソビエツカヤウクライナと2隻のヴィットリオ・ヴェネト級戦艦が撃ち合う軸と、戦艦イタリアと重巡洋艦セヴァストーポリが撃ち合う軸が複雑に絡み合う中で、巡洋艦以下の軽快艦艇もようやく近距離での戦闘を繰り広げようとしていたからだ。
戦艦イタリアの司令塔に旗艦ヴィットリオ・ヴェネトからの通信が送られてきたのは、既にイタリアが38センチ主砲の第2斉射を終えたときだった。早くも夾叉を得たイタリアは本射に移ろうとしていたが、旗艦からの通信はそんな状況を無視したもののように思えていた。
伝令から通信内容を聞いたボンディーノ少将は、思わずといった様子で鋭い視線を電話伝令に向けて怯えさせていた。
「第2戦隊回頭の理由を知らせ、だと……司令部の連中は砲撃戦の最中に昼寝でもしとるのか。いや、我が戦隊は所定の目標と交戦中なりと伝えておけ」
そう言ってボンディーノ少将はさっさと電話伝令に背を向けたのだが、その返信が実際に送られたのか、送られたとして艦隊司令部が電文を確認したのかはそばで聞いていたラザリ大佐にもわからなかった。短時間のうちに戦局が一変していたからだった。
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