1952激闘、バルト海海戦11
第二次欧州大戦で大きな損害を被ったイタリア海軍で大戦終結時に稼働状態を保っていた戦艦は、コンテ・ディ・カブール級の2隻とヴィットリオ・ヴェネト級だけだった。
4隻の建造が計画されていたヴィットリオ・ヴェネト級だったが、後にイタリアと改名されるインペロは結局大戦には就役が間に合わず、2番艦であるリットリオはマルタ島沖の戦闘で2隻のカイオ・ドゥイリオ級戦艦と共に沈んでいたから終戦直後のイタリア海軍は4隻の戦艦を有していたことになる。
だが、大戦中盤において国際連盟軍と密かに内応して対独宣戦布告を行っていたものの、ファシスト政権下のイタリア王国が国際連盟側と対峙していたのに違いはなかった。
終戦直後はフランスなどからイタリア王国の戦争責任を問う声も上がっていたらしいが、フランスの国内政治の混乱や、第二次欧州大戦前よりも脅威が増したソ連に備えるために早々にドイツの再軍備が許可されたことなどもあって、イタリア王国を戦犯とする声は曖昧なまま途絶えていた。
その一方で戦後の復興と対ソ軍備を両立させなければならないイタリア王国の懐事情は厳しく、実際には4隻の戦艦を維持する事は難しかった。
インペロあらため戦艦イタリアの復活と引き換えにコンテ・ディ・カブール級がアルゼンチンとチリに売却されていたのも維持費用と期待しうる戦力を換算してのことだったのだろう。
実は、第二次欧州大戦後に余剰となった戦艦の整理を行っていたのはイタリア海軍だけではなかった。むしろ既存艦を維持しつつ新鋭戦艦の建造に務め続けていた日米ソの三カ国の方が異常だったのではないか。
フランス海軍は第二次欧州大戦によって全ての戦艦を失った上で終戦直前に入手した旧ビスマルクを改造してアルザスとしたのだが、それと比べると英海軍は恵まれていたと言えるだろう。
英海軍も少なくない数の戦艦を戦没させていたが、それでも生き残っていたクイーン・エリザベス級やリヴェンジ級といった旧式戦艦を次々と売却、譲渡させていたのだ。
コンテ・ディ・カブール級2隻のみを売却したイタリア海軍とは異なり、英海軍は僅かな間に6隻もの戦艦を手放していた。これは戦没艦を除くネルソン級以前の戦艦全てといってよかった。
リヴェンジ、レゾリューションの2隻は本国に残されているというが、戦時中に損傷した後に売却が予定されていた艦に多くの部品を供出した上で練習艦に指定されているというから、実質的に戦力外となっているのは間違いないだろう。
米国から新造戦艦を購入したブラジルを含めて南米やアジアにも戦艦保有国が一挙に増えていたのだが、英海軍の場合は旧式戦艦が赴いた先は英連邦の諸国に限られていた。例外はオランダに売却された旧クイーン・エリザベスことデ・ロイテル位のものだった。
そこには、有事の際には英海軍の指揮下に入るという暗黙の了解があったのではないか。それに以前から自国防衛と威信のために戦艦を求めていたオーストラリアはともかく、サラワク王国や独立したばかりのマラヤ連邦などに巨艦の運用技術も予算も無かった。
実際にはサラワク王国海軍の旗艦クチンやマラヤ連邦のマレーヤに乗り込んでいるのは、以前からこのクイーン・エリザベス級に乗り込んで同級艦を知り尽くしている英海軍の軍人達ばかりだった。
形ばかりの譲渡先の軍人達を指揮官に据えつつも、表向き英海軍を退役したことになっている乗員達の給料も英海軍からの支援という名目で支払われていたらしいのだ。
しかし、旧式戦艦を本国艦隊の予備として残すのが本来の目的だったとすれば、英海軍の目論見は半ば外れたと言ってよかったのではないか。
想定が正しいのだとすれば、英海軍も手放した旧式戦艦群を危機の迫った欧州に回航して予備戦力としたかったはずだ。旧式とはいえ15インチ砲8門という火力は無視できなかった。それは本来ヴァンガードが装備するはずだった火力と同等ということになるからだ。
イタリア海軍の一佐官でしかないラザリ大佐は英連邦内部の事情には詳しくなかったが、結局払い下げられた旧式戦艦が退役英国将兵を乗せたまま欧州に集結することは無かったのは確かだった。
英海軍上層部の思惑としては、ギニア方面派遣艦隊の留守中に英本国に旧式戦艦群をおいて本土防衛に当たらせるか、欧州とアジアをつなぐ航路上に配置するつもりだったのだろう。
ところが、英連邦に加盟するアジア諸国の眼前では欧州で緊張が高まるよりも前に日米戦が始まってしまったものだから、彼らは米軍の脅威にも備える必要があった。
結局、オランダを除くアジア諸国に引き渡されていたクイーン・エリザベス級戦艦は、未だに英国の保護国となっている北ボルネオに集結してスールー海進出の機会を伺いながら北方の米領フィリピンを牽制していた。
それどころか、オーストラリアとニュージーランドに至っては、リヴェンジ級戦艦2隻を有するアンザック艦隊を彼らの本国から回航する事を拒否しているらしい。
太平洋での戦闘は言ってみれば彼らの鼻先で行われているものだから、自分達自身の国土防衛を優先したいのだろう。アンザック艦隊は南太平洋方面から米海軍の進出を警戒するという名目でオーストラリア、ニュージランド間にとどまっているという話だった。
欧州の英本国が遥か彼方の英連邦に頭ごなしに指示するという今の体制が破綻しているのか、単にオーストラリアが英本土との距離感を作り出しているのかは分からなかった。
ラザリ大佐にとって重要なのは、調子の良い英海軍が戦前に計画していたのとは異なり、イタリア海軍が戦艦同士の戦闘に関しては孤立無援ということだけだった。
マルタ島沖に集結したイタリア艦隊は艦隊司令長官が直卒していた。第二次欧州大戦での損耗からイタリア海軍は第1艦隊と第2艦隊の2個艦隊編制を解いて単一の艦隊司令部に集約していたのだが、第1戦艦戦隊も艦隊司令長官が指揮官を兼任する形になっていた。
第二次欧州大戦終結直後は、全てのイタリア海軍戦艦は最高司令部直卒の形をとっていた。イタリア海軍には既に戦艦を柔軟に運用する機会は無く、海域の警備や哨戒といった平時の任務には軽快艦艇で構成された小規模部隊の方が使い勝手がよかったのだ。
重厚な大規模編制は平時には使い難かったし、主力艦の戦隊司令官が務まるような人材も不足していたと言っても良かった。小規模な駆逐隊や巡洋艦戦隊を実働部隊とする一方で戦艦が運用される機会は少なかったのだ。
そんな中で第1戦艦戦隊が編制されたのは、コンテ・ディ・カブール級が売却されて、戦艦イタリアの再就役に伴う改造工事が行われていた頃だった。
実戦向けとは言い難い最高司令部直属という非合理な体制を改めて、戦術的な単位である戦隊に再編成したと言えなくもないが、実際には艦隊司令長官が戦隊司令官を兼任するという形を未だにとっていた。
裏を返せば戦艦戦隊の実戦での出動は、イタリア海軍が全艦隊を出撃させる時になるだろうと考えられていたのではないか。
しかし、この時点ではこの編制は暫定的なものと考えられていた。長期間に及ぶ大規模会戦においては、全艦隊の指揮を行う艦隊司令部が単一の戦艦戦隊の指揮を兼任するのは無理があるからだ。
イタリア海軍の再編成と復興が進むにつれて、日本海軍のように艦隊司令部を大規模化して陸上に置くか、前線指揮専用の旗艦を割り当てるという案も挙げられていたようだ。
ソ連海軍が来襲する今になってもヴィットリオ・ヴェネトに艦隊司令長官の将旗が掲げられていたのは、日本海軍と違ってイタリア海軍の戦略が本土近海での迎撃に特化していたから広範囲に部隊を展開する可能性が低かったということもあるのだろうが、単に艦隊の指揮系統を再構築する時間がなかっただけではないか。
それに、改造工事によって原型であるヴィットリオ・ヴェネト級とは性能が大きくかけ離れていた戦艦イタリアの配属をどうするのかという結論も出ていなかった。
単一の戦艦戦隊に編入した場合はイタリアの性能を活かせないという声もあったが、実際には艦隊司令部の参謀達は、改造工事で速力が低下した上に就役から間もなく乗員の練度に疑問があるイタリアに戦隊単位における行動の足を引っ張られるのを恐れたのかもしれなかった。
戦艦イタリア1隻からなる第2戦艦戦隊が編制されたのはそのあたりが理由のようだった。戦隊には直援となる駆逐艦が配属されていたが、それ自体単独行動を前提として再編成されたも同じだったといえるだろう。
尤も、戦隊司令官のボンディーノ少将が苛立ちを隠せずにいたのは、この消極的な部隊編成が理由ではなかった。むしろ第二次欧州大戦中はヴィットリオ・ヴェネトの艦長として活躍した少将としては保守的な艦隊司令部に縛られずに行動できると有難がっていたほどだった。
ボンディーノ少将が不機嫌だったのは、先日各隊司令や有力艦の艦長を集めた司令長官による作戦指示で、戦艦戦隊それぞれの目標が指示されていたからだった。
艦隊司令部の作戦案によれば、第1戦艦戦隊のヴィットリオ・ヴェネト級2隻は、黒海艦隊の先頭に来るであろうソビエツカヤウクライナを目標としていた。そして第2戦艦戦隊の戦艦イタリアは、単艦でクロンシュタット級重巡洋艦のセヴァストーポリと交戦することとされていた。
有力なソビエツキーソユーズ級の火力を一対ニの数の優位で押し包むと共に、一回り火力の小さいクロンシュタット級を純然たる戦艦との火力格差で圧倒しようとしていたのだろう。
その一方で、この配置は艦隊司令部にとって扱い慣れたヴィットリオ・ヴェネト級でソビエツキーソユーズ級に対抗する一方で、イタリアの練度と戦力に疑問をいだいているということでもあるのではないか。
しかし、練度はともかく戦艦イタリアの火力はヴィットリオ・ヴェネト級を凌駕する可能性があった。火砲は同一でも電気化された射撃管制によって精度が向上しているからだ。
むしろ旗艦に指定された事で長期間の訓練出動が阻害されていたヴィットリオ・ヴェネト級よりも、皮肉なことに再就役後の集中した訓練を行っていた戦艦イタリアの方が練度は上かもしれないのだ
おそらくはボンディーノ少将は苛立った様子でそんなことばかりを考えているのだろうが、ラザリ大佐はそこまで艦隊司令部の判断が誤っているとは思えなかった。
単純にソ連の戦艦級2隻に対して、有力なソビエツキーソユーズ級の方に我が方の戦艦2隻を振り分けたというだけだろう。イタリア海軍の戦艦3隻は第1戦艦戦隊の2隻と戦艦イタリアの1隻に分けられるのだから、これしか方法はなかった筈だ。
―――問題は主砲の威力差を一対ニで抑えきれるか、我が戦艦イタリアがセヴァストーポリをどれだけ圧倒出来るか、か……
ラザリ大佐が海図を睨みながらそう結論づけた頃に電話伝令の声が聞こえていた。
英空軍からの連絡だった。黒海艦隊との距離が狭まった事で、マルタ島を発進した航続距離の短い英空軍戦闘機隊の援護が開始されていた。シチリア島のイタリア空軍機と共同する英空軍機はソ連海軍黒海艦隊の航空援護を圧倒し始めていた。
黒海艦隊に配属されているリーリャ・リトヴァク級の搭載機が陸上から発進した伊英空軍の迎撃に全力を投入しているすきをついて、距離を保って接触していた英空軍の爆撃機が黒海艦隊への強行偵察を行っていた。
艦隊司令部は、英空軍からの情報を受けて出撃を決心していた。何度目かのマルタ島を巡る戦闘が開始されようとしていたのだ。
イタリア級戦艦(改ヴィットリオヴェネト級)の設定は下記アドレスで公開中です。
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戦艦アルザスの設定は下記アドレスで公開中です。
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ソビエツキーソユーズ級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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クロンシュタット級重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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リーリャ・リトヴァク級軽航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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