1952激闘、バルト海海戦8
ラルストン中尉は、ふと視線を感じて右舷側に振り向いていた。その方向にはコペンハーゲン郊外でこちらを伺っている多くの市民の姿が見えていたような気がしていた。
シェラン島の東側にあって北海とバルト海を隔てるエーレ海峡を通過する艦隊は、既に中間点を越えていた。だからデンマーク王国の首都であるコペンハーゲンの付近に達していたのは確かなのだが、いくら狭いと言っても海峡は航路帯だけでも数キロの幅があった。
高倍率の固定された見張り用双眼鏡でも使わない限りは陸上の人間一人一人の顔が見分けられるはずもないのだが、ラルストン中尉は確かに視線を感じていた。
先行する日本海軍の戦艦周防に追随するように針路を指示するサイラス大佐の声に復唱しながら、当直の航海士であるラルストン中尉は慎重に操艦を行っていた。
戦艦ヴァンガードは就役してから間もなかった。ここ数ヶ月の集中した訓練で乗員達の練度は飛躍的に上がっているはずだが、それが実戦で通用するかは分からなかった。
―――あるいは、そんな不安を陸の市民達にまで感じ取られてしまったのだろうか……
第二次欧州大戦が終結したのは僅か7年前の事だったが、その僅かな間に熟練した兵の多くは除隊していた。軍では古兵でも、社会に出れば彼らは若者だった。何より長く続いた大戦で疲弊した社会は純粋に労働者を求めていたのだ。
海軍に残った一部の下士官兵や古参の士官を除けば、ヴァンガードの乗員達はまだ少年時代の頃に大戦を経験した新兵ばかりだったのだ。
尤も、英海軍に所属する古参兵の多くは、この戦争の初期からギアナの艦隊に送られていたという事情もあった。練度の高い将兵で急遽ギアナ派遣艦隊を編成する為だった。
その結果、戦時中に就役したヴァンガードの乗員は、若年兵が目立つことになっていたのだろう。
それとも、デンマーク人達が不安に思ったのはこの艦そのものだろうか、海図と周防の艦尾を見比べながら操舵員に指示していたラルストン中尉は、脳裏の片隅でそう考えていた。
実際に就役したのは確かに数ヶ月前の事だったのだが、ヴァンガードの建造が開始された時期は早かった。起工によって最初にドックの底に部材が据え付けられたのは第二次欧州大戦も序盤のことだったからだ。
暦で言えば10年も掛けて建造されたことになっていたのだが、その間には幾度もの設計変更と長い建造中止期間が挟まっていた。設計変更に伴う後戻り作業を除いて単純に建造作業で消費された工数で言えば、トン数比なら他の戦艦と大きくは変わらなかった筈だった。
本来は平凡な性能の戦艦であった筈のヴァンガードは、言ってしまえば不要となった機材を活用する事で安価に建造する事を目的として計画が開始されていた。その要となる主砲は、第一次欧州大戦時に使用された一世代前の砲となる筈だったのだ。
キングジョージ5世級に続く英海軍の決定版戦艦として第二次欧州大戦前に計画されていたのは、本来ライオン級と呼ばれる全くの新造戦艦だった。ところが、その多くが新規設計開発される機材ばかりとなる為に、戦時中の建造には適さないとしてライオン級は建造が中止されていたのだ。
その一方で、第二次欧州大戦序盤のドイツ軍による西欧侵攻で同盟国の多くが戦列から脱落した結果として、英国はしばらく孤独な戦いを強いられていた。
この時期に、目前の戦闘で消耗した戦艦を補充することを近視眼的な目的として急遽計画されたのがヴァンガードだったと言えるだろう。それは確かに新造戦艦ではあったが、建造期間と費用を圧縮する為に可能な限り機材や設計は既存のものを流用する方針が取られていた。
船体部分の設計や主機関などは幻と終わった初期計画のライオン級に倣ったものといえるのだが、主砲の方は文字通りの中古品だった。大口径砲を搭載した軽巡洋艦という矛盾した方針で建造され、最終的に空母となったカレイジャス級のものだったからだ。
実は、遥か東洋の日本海軍でも同様に機材を流用した戦艦が時期を同じくして建造されていた。軍縮条約の改定枠で建造された磐城型に続いて建造されていた常陸型だった。
しかも、常陸型で流用されていた砲塔も、ヴァンガードと同じく巡洋戦艦から空母に改装されていた天城型用として建造されていたものだったのだ。
だが、出自は似たようなものであったにも関わらず、ヴァンガードと常陸型の運命は大戦中に大きく別れてしまっていた。
早々と就役した常陸型戦艦は、大戦中盤以降は米国を警戒して日本本土から離れられない日本海軍の主力戦艦を尻目にして2隻揃って欧州の激戦に投入され続けていた。
その一方で、お互いの本土を狙う激しい航空戦に巻き込まれた英国は、ヴァンガード1隻の建造予定を引き伸ばし続けた結果、終戦までドック内で眠っていたのだった。
戦後も戦艦をめぐる状況は厳しかった。ヴァンガードも貴重な建造ドックを開ける為に進水したものの艤装工事は中々進まなかった。
当時の英海軍艦政にとって喫緊の課題は、緒戦の不足で建造したのは良いものの、大戦中の航空機の大型化やジェット化で急速に陳腐化していた軽空母の始末やそれに代わる大型空母の刷新といったものだったからだ。
尤も英海軍に戦艦建造の意思が無くなっていた訳ではなかった。第二次欧州大戦を第一次大戦と同様に中立国として過ごしていた米国は、その間も戦艦の建造を続けていた。
それに加えて同盟国である日本海軍との戦力バランスをはかる必要もあったから、改正ライオン級などと呼称される新造戦艦の計画は常に修正されながら準備だけは進められていた。
英海軍における戦艦建造計画が急に具体的なものとなったのは、ソ連海軍の戦艦建造が明らかになったことが直接の原因だった。
その切っ掛けとなったのはソ連海軍の戦艦アルハンゲリスクだった。上部構造物の艤装などは従来のソ連艦、ひいては技術協力を行っていた米海軍のそれに準じたものだったが、実際にはアルハンゲリスクには別のルーツがあった。
自国における建造経験が、最大でも米海軍のアラスカ級に類似した3万トン級のクロンシュタット級重巡洋艦でしかないソ連海軍が短期間で42センチ砲を備えた6万トン級戦艦であるアルハンゲリスクを建造出来たのは、鹵獲したドイツ製の戦艦を流用したからだった。
キールで建造されていたドイツ戦艦は、完成すればフリードリヒ・デア・グロッセの名前が与えられる予定まであったらしい。ところがドイツ北部がソ連軍に占領されて、船体部分が完成したところで鹵獲されていたのだった。
当初はソ連軍は鹵獲艦に冷淡だったという噂だった。キールは国際連盟軍との勢力境界線に近すぎるために、早々に未完成艦は奪還を恐れてドックから引き出されていたというが、曳航作業中に事故で沈んだ、あるいは調査後に標的艦として沈められた、そのような情報が流れてきていたのだ。
だが、それらの噂は真実ではなかった。意図的な情報操作だったのかは分からない。キールなど北部ドイツから移送、あるいは略奪されてソ連本国に運ばれた機材は陸海を問わずに多かった。中には実際に事故で失われたり、標的として訓練で消費されたものもあったのではないか。
いずれにせよアルハンゲリスクは原型があっただけに早期にソ連海軍の手で就役していた。しかも、その実績を受けての事なのか、ドイツ北部から持ち去った製造機材で生産したと思われる42センチ砲を搭載した本物の新造戦艦、ソビエツキーソユーズ級もその時点で控えていたのだ。
アルハンゲリスクの存在は、米国に対抗する為に戦艦の建造を続けていた日本を除く国際連盟加盟諸国の軍部を慌てさせていた。今にしてみると、彼らの多くは戦艦同士の決戦など日米間でのみ発生するものと考えて対岸の火事のようにとらえてしまっていたのかもしれなかった。
だが、この事態に対して順当に対抗する戦艦の建造を行う事が出来たのは英海軍を除けば戦艦イタリアの建造再開と設計変更を決意したイタリア海軍位のものだった。
衰退した軍事力の大半を膨大な数の陸軍部隊維持に回さざるを得ないドイツはテルピッツ1隻を持て余していたし、フランス海軍もアルザスに続く戦艦を建造する余裕は無いようだった。
ただし、アルザスの主砲は段階的に装薬や弾体の改良が進められていたから、元々同型艦であったテルピッツと違って英日海軍の戦艦群と共に戦列を組む能力はあると言えた。主砲の火力だけで言えば戦時中のリシュリュー級以上のものをアルザスは手にしていたのだ。
他の欧州諸国海軍の戦力には大して期待出来なかった。元々の規模が小さいから大型艦を運用する能力そのものがないからだ。いくつかの海軍は、現有の保有戦力で戦艦に対抗する為に雷装の強化などを計っていたが、原型艦の特性を無視した改造も多いようだ。
英海軍にしてもそれ程の余裕がある訳ではなかった。日本海軍等とも連携しつつ、英海軍は全くの新設計ではなくソビエツキーソユーズ級や米海軍の新鋭戦艦に対抗可能な戦艦として、ライオン級の設計改正作業を本格化させていた。
改正ライオン級と部内で呼ばれていた新造戦艦は、戦時中に得られた戦訓や新技術を取り入れる事で飛躍的に性能を向上させる、筈だった。
ただし、数多くの設計変更が行われた改正ライオン級戦艦の建造にはかなりの期間が必要だった。根拠のない懸念ではなかった。実際に建造された改正ライオン級の工期はこの戦争が始まってからも幾度も延長されており、日米が太平洋で何度も衝突した今でも戦力化はなされていなかったからだ。
その改正ライオン級の建造遅れによる空白期間を埋めるために、英海軍はこの戦艦ヴァンガードの建造を再開させていたはずだった。ところが、最小限の設計変更であるはずのヴァンガードですら建造は遅れていたから、本艦はこれが初陣だったのだ。
ヴァンガードの就役が遅れていたのは、当初の予定以上の設計変更が織り込まれてしまったからだが、ラルストン中尉はその判断が誤っていたとは思えなかった。仮想敵である新鋭ソ連戦艦に対抗できないのであれば価値はないと考えていたからだ。
本来ヴァンガードの建造に使用されるために集積されていた機材の少なくない数がドイツ海軍に押し付けられていた。もはや旧式化した機材を積み込んでも就役済のキングジョージ5世級やネルソン級に対するアドバンテージはないからだ。
かつてカレイジャス級から降ろされた15インチ主砲をテルピッツの修理工事に押し付ける代わりにヴァンガードに積み込まれたのは、本来ライオン級の為に建造されながら結局積み込まれることがなかった16インチ砲だった。
ネルソン級に搭載されたものの改良型となった16インチ砲は、砲弾や装薬の改良で開発当時よりも大威力の砲に生まれ変わっていたから、アルハンゲリスクの42センチ砲にも対抗可能とされていた。
ただし、アルハンゲリスクやソビエツキーソユーズ級に積み込まれているという42センチ砲の能力は、ドイツ海軍が大戦中に行っていた試射などから得られた推測値だった。アルザスに積み込まれたフランス海軍の15インチ砲のように、ソ連軍によって改良が施されている可能性は否定は出来なかった。
第一、戦艦の打撃力は単に戦艦主砲弾の貫通能力だけで決まるわけではなかった。どんなに威力が大きくとも、命中しなければ何の意味もないからだ。
その射撃に関わる機材でもヴァンガードは設計変更が行われていた。従来の光学測距儀に後付のレーダーを組み合わせた方位盤に代わって、日本製の四七式射撃指揮装置とそのライセンス生産品が載せられていたのだ。
だが、従来の対空射撃指揮装置しかない四七式射撃指揮装置の筐体は、ラルストン中尉の目にはどことなく頼りなく見えていたのだった。
ヴァンガード級戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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信濃型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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