1952激闘、バルト海海戦7
日米が太平洋で戦端を開いたのに続いて、カリブ海で植民地を巡る戦闘が始まった後も、意外なことにノール岬を回ってソ連領まで行き来する航路は途絶えていなかった。
第二次欧州大戦中と違って米ソと国際連盟軍が直接対峙する状況に陥った為に、北大西洋の米ソ間航路、カナダー英本土間航路は共に遮断されていたが、大戦末期の戦況からソ連よりの中立を選ばざるを得なかった北欧諸国とソ連を結ぶ航路だけでも商船の行き来はかなり維持されているようだった。
ソ連は、声高に旧弊な王制国家群の傀儡政権に過ぎないドイツ連邦による北部ドイツ占領地帯への侵略行為を、エレノア・ルーズベルトがまとめ上げた講和条約への卑劣な挑戦であると主張していた。
その一方で、慎重に北部ドイツに戦闘を限定された紛争であるとして、ソ連は正式に宣戦布告などを行う事を避けていた。
この想定よりも弱腰と見えなくもないソ連の態度は、中立国経由で物資や情報を入手する手段を残すためと考えられていたのだが、英国情報部が有する長い手は北欧にも及んでいた。
英国情報部は、今回の戦争で中立を宣言した北欧諸国に船籍を置いてソ連と交易を行っている商船の乗員を情報細胞として獲得していた。あるいは、商船乗員自身は誰に雇われているのかも分かっていないのかもしれないが、そんな彼らがもたらした情報は極めて重要なものだった。
それは、ノルウェーから出港してソ連奥深くの白海沿いの港湾都市に向かう商船の乗員から得られた情報だった。船会社への定期連絡に紛れ込ませた電文によれば、コラ半島沖を南下する間にムルマンスクを出港したと思われる艦艇に追い抜かされていたというのだ。
問題は、それが戦艦を含む艦隊であるらしいということだった。商船の乗員にソ連海軍の正確な知識は期待できないが、目視でも明らかに船体の寸法が著しく異なる上に砲塔がいくつもある艦艇が含まれていたらしい。
しかも、商船は艦隊上空から飛来した航空機も確認していた。おそらくソ連艦隊側もその商船を確認するために艦隊所属の機体を送っていたのだろうが、その航空機は単発機でさほど大きなものとは見えなかったらしい。
状況からすると、少なくとも護衛の駆逐艦群と軽空母に匹敵する航空巡洋艦を引き連れた戦艦から構成されたソ連北方艦隊に所属する艦隊のようだった。
航空巡洋艦の艦載機によって商船が航路から追い払われたために正確な数は分からないが、貴重な航空巡洋艦を随伴させているということからすれば、ソ連北方艦隊の主力が出撃したと見て間違いないのではないか。
ムルマンスクを出港した艦隊がコラ半島を南下する商船を追い抜かしたということは、行き先は白海奥深くのベロモルスクと見て間違いないだろう。ベロモルスクは白海とバルト海を結ぶ大運河の起点となっているからだった。
英国情報部では状況からソ連海軍が北方艦隊をバルト海に向けて出撃させたと分析していたのだが、同時期には黒海でも動きが確認されていた。根拠地であるセヴァストポリで大規模な艦隊の出撃準備が行われているという現地からの情報が入ったらしい。
ソ連海軍の動きからして時間を合わせた二正面作戦と思われていた。
既に北方艦隊は出撃していたが、狭い白海、バルト海運河を複数の大型艦を含む艦隊が通過するには相当の時間がかかるはずだから、実際にこれを迎撃する為に国際連盟軍がバルト海、ギリシャ沖に艦隊を差し向けた場合、接触は同時期になるのでは無いか。
おそらくは、ソ連軍も綿密に時間を合わせていた筈だった。ソ連海軍は地勢上バルト海方面と黒海方面の戦力を合流させるのが難しいが、時間差が生じる場合は国際連盟軍側は英本土から出撃した艦隊を合流させる事が可能だったからだ。
状況は芳しく無かった。ソ連海軍の思惑がどうであれ、国際連盟軍側も戦力を2分するしかなかったからだ。地中海はイタリア海軍を主力とする現地の艦隊に任せて、スカパフローに駐留する遣欧艦隊はバルト海に進出するしかなかった。
地中海方面ではイタリア海軍が大童で出撃準備を行っているらしい。再就役したばかりの戦艦イタリアまで戦列に加わっているというから、彼らにとっての全力出撃といってよさそうだったが、周辺諸国の艦隊には期待出来そうも無かった。おそらく戦闘はイタリア艦隊単独で行うことになるのではないか。
戦力に余裕がないのはバルト海方面も同様だった。僅かな時間差を突かれたというべきだったのかもしれないが、バルト海に緊急出動が可能なのは、遣欧艦隊に配属されている2隻の信濃型を除くと英海軍の戦艦ヴァンガードと軽快艦艇だけだったからだ。
速力の高い英海軍のキングジョージ5世級戦艦は、新鋭空母やフランス海軍の戦艦アルザスと共にギアナに展開して米大西洋艦隊を牽制していた。今から欧州本土に彼らが引き返してきても出撃までには間に合わない筈だった。
そして、英海軍には進水したばかりのヴァンガードに続く最新鋭戦艦があったのだが、名称も定まっていないその新鋭艦はまだ未就役だった。
艦隊をギアナに派遣した英軍上層部としては、期待の新造戦艦は戦力化が万全でなくとも、その存在だけでソ連を牽制する効果は期待できると考えていたのかもしれない。
しかし、実際には遣欧艦隊とヴァンガードが出撃した後の英本土に残されるのは、稼働率が低下しているネルソン級とドイツ海軍の戦艦テルピッツだけだった。
ネルソン級もテルピッツも予算不足で整備状態が些か怪しい上に速力も低いから、後詰で艦砲射撃任務くらいは可能でも、遣欧艦隊主力に随伴しても足を引っ張ることになるのは明らかだった。
結局、テルピッツなどは英本国周辺で警戒に当たるという名目で残置されていた。バルト海に出動する戦艦は、早いうちから信濃、周防、ヴァンガードの3隻だけと決まっていたのだ。
スカパフローを出撃した3隻は、ユトランド半島を回り込んでデンマーク領のボーンホルム島沖に展開してソ連艦隊を待ち構える態勢を取る予定だった。艦隊に空母が不在なものだから、デンマーク本国に緊急展開する航続距離の乏しい英空軍機の援護が必要だったからだ。
現地のドイツ連邦軍からは、ベルト海峡を回ってキール市街地周辺に立てこもるソ連軍への艦砲射撃を行うことを要請されていたが、出撃する艦隊に与えられているのはソ連海軍の侵攻阻止任務だけだった。
現地でドイツ軍の後背を支えている形の国際連盟軍デンマーク軍団からは消極的な声が聞こえていた。問答無用でソ連地上部隊を艦砲射撃で吹き飛ばした場合、未だ小競り合いで済んでいる南部ドイツ方面やバルカン半島方面でもソ連軍との全面衝突が起きるかもしれないとの懸念があるからだろう。
ドイツ経由の情報では、ソ連軍には未だに100個師団を超える戦時中の規模を維持した陸軍が存在するという話だったから、全面衝突は戦災復興も終わっていない欧州諸国にとって悪夢と言えた。
艦隊側も、ソ連艦隊との接触前に艦砲射撃を行うのは難しいと考えていた。遥か日本本土から輸送しなければならない信濃型の砲弾は積み込まれている分だけだった。大半は対艦用の徹甲弾で、対地射撃用の砲弾は不足していたのだ。
あくまでも今回の出動はキール攻防戦にソ連艦隊が介入するのを阻止する事、バルト海と地中海に出撃したソ連艦隊の合流を阻止する事、この2つに限られるというのが国際連盟軍の判断だった。
「これなら、戦闘が開始された時点でさっさとキールに砲弾を撃ち込んでおればよかったですな」
一応は参謀の説明が終わったのを見計らっていたのか、無遠慮な声が会議室に響いていた。浅田大佐が慌てて振り返ると、駆逐戦隊を率いる平大佐が笑みを見せていた。
日本本土から遠く離れた遣欧艦隊の将兵達にとって、真新しい駆逐戦隊という編制上の単位はあまり馴染みがなかった。
名称はどうであれ、敵主力艦への水雷襲撃を前提とした為に大規模化が進んでいた水雷戦隊を軽量化して警備や護衛など本格的な攻勢以外の任務にも投入しやすくするのが目的であるらしい。
従来の水雷戦隊が4個駆逐隊程度で戦隊を構成していたのに対して、駆逐戦隊では2個駆逐隊で構成されるのが多かったのだが、遣欧艦隊付きの部隊は再編成途上だった。元々1個駆逐隊を第2戦隊付きとしていたものを、遣欧艦隊付きの駆逐戦隊に格上げしようとしていたのだ。
遣欧艦隊に駆逐戦隊が配属されたのは、もともと政治的な思惑もあったらしい。戦艦2隻に駆逐隊のみでは遣欧艦隊の指揮官は戦隊司令官で事足りるから、独自の指揮権を持つ艦隊司令長官の格を与える為に複数の「戦隊」からなる「艦隊」という形を取りたかったのだろう。
そのような事情があった為か、新鋭の太刀風型駆逐艦で構成された第51駆逐隊に追加で配属されていた第52駆逐隊は、隊司令が乗り込む橘型1隻と松型3隻という中途半端な編制の駆逐隊だった。
艦隊駆逐艦の形式で設計された橘型はともかく、松型では信濃型戦艦についていくのが精一杯ではないかと思われていたし、それどころか、駆逐戦隊の旗艦も未配属だった。
本来であれば、駆逐戦隊の旗艦には軽巡洋艦が宛てられる筈だった。理想を言えば阿賀野型以前の軽巡洋艦が大規模な水雷戦隊を指揮する一方で、より小型の新鋭尾瀬型が駆逐戦隊を率いるべきなのだろうが、遣欧艦隊には軽巡洋艦の配属はなかった。
開戦前に旗艦の回航を行うという話もあったようなのだが、実際には対米戦の消耗で欧州方面の補充は後回しにされていたのだ。
結局、第51駆逐隊の隊司令である平大佐が先任順で戦隊司令官の代理を務めることになったのだが、太刀風型と松型では速力や運動性能に差があるものだから、この2個駆逐隊が緻密な隊形を取るのは難しいだろう。
そんな曖昧な立場の平大佐が漏らした一言に、参謀は生真面目そうな声で返していた。
「英海軍司令部、ひいては国際連盟軍としてはキールへの大規模な攻勢はソ連軍を必要以上に刺激するとの判断から実施を許可しないとの方針です」
平大佐は曖昧な顔で頷いていたが、浅田大佐のように不満そうな顔のものも散見されていた。そんな雰囲気を察したのか、咳払いをしながら艦隊司令長官が言った。
「諸君、遣欧艦隊の任務は当初から抑止力として機能することにある。我々が健在であればこそ、米ソの戦力を大西洋側に向けて引きつけることが可能となるのだ。諸君らも軽挙妄動を避けて慎重に行動して貰いたい。我々には戦力補充の宛がないのだからな」
言わずもがなの艦隊司令長官の言葉に、艦長達はお互いの顔を見合わせていた。
浅田大佐は、不満顔を出さないようにしながらも消極的な艦隊司令長官の言葉に内心で首を傾げていた。
―――だが、我々が本当に強い同盟関係にあるのならば、仮に我々が消耗しきったとしても英国の新鋭戦艦戦力化までの時間が稼げればよいのではないか……
そう考えながらも、浅田大佐は視線を会議室に設けられた小さな窓の外に向けていた。そこには英海軍が送り込んできた戦艦ヴァンガードの姿があった。
ヴァンガードの姿は、ある意味で日英の同盟関係を表すものだと言えた。塔型の重厚な艦橋構造物や本来であれば搭載されるはずではなかった16インチ砲塔などは明らかに英国艦の特徴的なものだったが、艦橋上など各所に配置された射撃指揮装置や対空兵装には日本製が含まれていたからだ。
だが、浅田大佐はヴァンガードのどこかちぐはぐなその姿が急造の折衷案であることを既に知っていたのだった。
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