1952グアム島沖砲撃戦41
建造途中の改設計で特異な砲撃潜水艦となった伊四〇六以前の伊号四〇〇型は、ほぼ原設計通りの姿で就役したものの、しばらくは予備艦とされていた。水上機でなく貨物を積んで輸送潜水艦として運用する事も考慮されていたが、平時に効率の悪い潜水艦で輸送しなければならない貨物など限られていた。
当時の海軍としては折角建造した大型潜水艦を廃棄するのは勿体ない、かといって運用に必要な多数乗組員を用意する程でもないという程度の扱いだったのではないか。
伊号四〇〇型原型艦が俄に注目されるようになったのは、第二次欧州大戦が終結してからしばらく経ってからの事だった。
簡素なジェットエンジンなどを搭載した対地、対艦攻撃用噴進弾を発射するのに、伊号潜水艦で水上機を運用するために艤装されていた射出機などの設備を転用する計画が持ち上がっていたのだ。
大戦中も水上機格納庫が特殊戦部隊の移送用などで便利使いされていたが、旧式化した伊号潜水艦の水上機運用設備は、当初計画とは別用途で評価されていたと言えるだろう。
しかも、小型の水上偵察機一機を積み込めば格納庫が一杯となる旧式の伊号潜水艦と違って、海中空母の俗称で計画されていた伊号四〇〇型は複数の噴進弾を搭載する事ができるから、打撃力は極めて大きかった。
この当時、大型噴進弾の発射実験に関わっていた重巡洋艦八雲と同様に伊号四〇〇型改造の噴進弾発射母艦には大きな期待がかけられており、この戦争でも日本本土への戦略爆撃を阻止すべくグアム島攻撃に本格的に投入されていたのだ。
だが、実際に潜水艦から発射される噴進弾は、水上戦闘艦のそれよりも制限が大きかった。
まず、海上を自在に疾駆する艦船に噴進弾を命中させるのは難しかった。高度な射撃指揮装置と何らかの誘導装置がなければ命中は期し難いが、潜水艦の限られる上部構造物に水密を確保し辛い電子兵装を装備させるのは難しいし、そもそも昨今の潜航行動を重視するという潜水艦の運用にも反していた。
第二次欧州大戦中から潜水艦の砲兵装は減少する傾向にあった。元々潜水艦搭載の備砲は艦隊行動を取る際に僚艦と共に対空射撃を行うためか、貴重な魚雷を使用せずに敵商船を撃沈するのが目的といえたのだが、大規模化していた通商破壊戦では悠長に潜水艦が水上戦闘を行う機会が減っていたのだ。
こうした欠点は計画当初から判明していたから、潜水艦搭載の噴進弾は早くから対地攻撃用と捉えられて開発が進められていたのだが、視界内の照準を行う射撃指揮は不要であっても、不動の地上を攻撃する場合にも無視できない問題が発生していた。
対地攻撃用の噴進弾は、所謂ロケットエンジンではなく、簡易なジェットエンジンが装備されていた。一瞬の加速度よりも長距離飛行能力を重視したためだが、その分取得価格が上昇してしまったことは否めなかった。
完成した弾体は、単純な噴進弾というよりも無人化された航空機と言うべきものだった。第二次欧州大戦において独空軍が開発していたV-1飛行爆弾に近いものと言えるだろう。
射程距離の延長は、厳重に防護された敵地から浮上時に脆弱な潜水艦の安全を確保するためでもあった。高価となった対地攻撃噴進弾で狙うべき目標は、当然のことながら警戒も厳重であろう高価値目標であるべきだったからだ。
この対米戦においては、潜水艦から発射される対地攻撃噴進弾の目標は主にグアム島に駐機中のB-36だった。同機が最も日本本土にとっての脅威となっているからだ。
噴進弾の本体は完成したものの、浮上した潜水艦が地上の一点を狙うのは簡単なことではなかった。使用される噴進弾は、魚雷のようにジャイロ制御で設定された角度で変針を行う事ができるものの、基本的には無誘導で針路を直進飛行する能力しかなかったからだ。
針路上であらかじめ設定された距離に達すると、降下を開始して着発信管で弾頭が炸裂する仕組みだったから、危害半径に高価値目標を捉えるには発射前に正確に対敵距離を把握する必要があった。
実際にはそれは困難だった。事前の航空偵察などによってグアム島内に点在する駐機所の配置は把握されていたのだが、問題は目標と発射位置との相対関係を正確に把握するのが困難であることにあった。
水上艦が行う艦砲射撃の場合、目標地点が直接観測できない場合でも地上の二箇所を観測することで自艦の位置を確定させて間接的に照準を行うのだが、この手法は目印となる陸地から遠く離れた海域では使用できなかった。
そもそも陸地を観測できない距離から発射する噴進弾の場合は、海上で正確な自艦の位置を測定して相対的な位置関係を確認しなければならなかったのだ。
グアム島への噴進弾攻撃が行われる場合、浮上した潜水艦は天測で自位置を確認した後に噴進弾に諸元を入力して射出していたのだが、航空偵察の結果、実際に発射された噴進弾の命中精度はさほど高くない事が判明していた。
新兵器にありがちな噴進弾の機械的な不具合の可能性も無視できなかった。潜水艦から射出された後は洋上を単独で飛行する噴進弾の飛行姿勢を確認する事は難しいから、極端なことを言えば射出後に全弾が迷走しているのかもしれないのだ。
だが、仮に噴進弾が十全に機能していたとしても、この手法には問題があった。そもそも、噴進弾を発射する時刻に存在する地点を、洋上の潜水艦が正確に把握する事が難しかったのだ。
天測は航行に使用する分には十分な精度を持っていたが、ある一点から一点を狙う噴進弾の射撃には全く不足していたし、浮上して天測を行ってから噴進弾に諸元を入力する時間の経過も無視できなかった。その間、発射艦は脆弱な姿を洋上に晒す事になるからだ。
米護送船団の航路が集中するグアム島周辺の対潜警戒は開戦以後厳重なものになっていったから、伊号四〇〇型を改造した艦も格納庫一杯に噴進弾を詰め込まずに搭載数を抑えた運用がなされていたようだった。
空軍による偵察写真などを分析した海軍は、潜水艦から発射される対地噴進弾にも何らかの誘導装置が必要との結論に達していたのだが、実際にはそれは困難だった。
既に対艦誘導爆弾として実用化されている熱源誘導方式を対地攻撃に転用するのは無理があった。熱源誘導の機構は、均一温度である海面上に発生する高温源、すなわち敵艦の機関部を追尾することで対艦兵器として機能していたからだ。
これが対地攻撃の場合は、誘導が可能なほど有意な温度差が多くの目標に存在しなかった。海面と違って植生や地形によって周辺地面の温度は均質さを欠いたものとなってしまうし、少なくとも駐機場で整備されている機体の温度は周囲と然程大きくは変わらないだろう。
仮に周囲よりも高温の目標を選択したとしても、追尾は困難なのではないか。
勿論現地を直接視認する誰かが存在しなければならない目視誘導も不可能だったから、関係者は次に電波による誘導を考案していた。外部からの操作ではなく、設定された波長の電波源に向けて誘導されていくのだ。
既にグアム島に設置されている米軍電探の波長は偵察機によって確認されていたから、噴進弾の誘導対象を熱源ではなく電波として、電探波長の電波を標的に設定するのは難しくなかった。
だが、電波誘導は誘導そのものは技術的に可能であっても、現在の戦術とは相容れなかった。単純に言ってしまえば、電波誘導で狙えるのは電波源だけだからだ。
初撃で敵電探を潰すのには使えても、電探の作動試験を地上で行ってでもいない限り駐機所のB-36という一点を狙う事は出来ないし、米軍が電探を停止させれば誘導はもう不可能だった。
検討の結果、地上の一点を噴進弾で狙い撃ちするということ自体が現在の技術では難しいと言うことが再確認された頃、突拍子も無い案が上がっていた。特定波長の電波で誘導するという点は変わらないものの、目標とする電波源を米軍の電探ではなく、自ら投弾する標識弾とするというのだ。
その案を聞かされた誰もが最初は首を傾げていた。標識弾は通常の爆弾に形状は類似していたが、内部には誘導電波を発振する電子機材が満載されていた。落下時の衝撃で電源が活性化されると、標識弾は電力が尽きるまで誘導電波を発振するから、そこへ目掛けて一斉に噴進弾を発射するというのだ。
発射された噴進弾は、予め設定された飛行距離、つまりグアム島上空に達した時点で誘導装置を作動させて電波源に向けて変針することになる。
考案者としては、これは英空軍の夜間爆撃に範をとったものと考えていたようだ。当時の英空軍は手練が操るモスキート高速爆撃機などを先行させて最初に目立つ火を起こさせて、その火災を目印に後続のランカスター重爆撃機に狙わせていた。
異様な作戦案に見えるが、これは潜水艦発射の噴進弾を後続のランカスター重爆撃機に、標識弾をモスキートに置き換えたというものである、というものだったらしい。
だが、そのような理屈をこねたところでこの案も問題は山積みだった。
弾殻内部に緩衝材を山積みしたとしても、落下時の衝撃で脆弱な電子機材の破損を防げるかどうかは未知数だったし、そもそも内蔵された電源で地上に落下した爆弾形状の標識弾から発振される電波には、本当に上空から噴進弾を誘導できる程の強度は存在するのか。
さらに言えば、仮に全て上手く行って噴進弾が本当に駐機場に投下された標識弾を直撃してしまったら、その時点で後続の噴進弾は誘導先を失って迷走するのではないか。
つまり噴進弾は正確に標識弾に向かって誘導することを期待しながらも、同時に直撃は避けなければならないという矛盾を抱えていたのだ。
そうした技術的な問題をすべて無視したとしても、標識弾の投弾は海軍機では不可能だったから空軍機に依頼するしかないが、自らの攻撃手段とはならない標識弾を空軍機が運搬してくれるとは思えなかった。
結局、標識弾やそれに対応した電波誘導装置が試作されたものの機材はそのまま倉庫に死蔵されていたのだが、先の海空軍の失態による帝都爆撃、そしてそれへの対応として始まったこの作戦がすべてをひっくり返していた。
潜水艦隊と空軍の爆撃隊による共同作戦として、標識弾を使用した潜水艦による大規模噴進弾攻撃が行われていたのだ。
既に噴進弾は亜六の上空を通過してグアム島に着弾していった筈だった。噴進弾の発射は確認出来なかったが、標識弾の投弾と誘導電波の発振を確認したという空軍の爆撃隊による符丁を利用した無線通信は、海面近くまで上げた空中線で亜六も受け取っていたのだ。
今夜ばかりは、伊号四〇〇型の各艦も噴進弾を満載して出撃していた筈だった。他の格納庫を持つ旧式の伊号潜水艦もグアム島を取り囲むように配置されていたが、伊号四〇〇型の噴進弾発射数は群を抜いていた。
しかし発射数が多ければ多いほど潜水艦の浮上から潜航開始までの経過時間が長くなるという点は天測に要する時間を抜いても変わらなかった。その分だけ米軍対潜部隊の脅威も増すはずだった。
亜六がグアム島沖で待機していたのは、攻撃隊主力の伊号潜水艦を援護する為だった。今の亜六は、グアム島と伊号潜水艦の浮上海域の中間位置で対潜艦艇を待ち受けていたのだ。
唐突に行われた聴音手からの不審音源を感知したという報告に、有本大佐は笑みを浮かべながら鈴木少佐と顔を見合わせていた。
「予想通り、米軍の対潜艦だな。作戦通りに奴らを引き回して後ろの発射艦を援護するぞ。少なくとも夜が明けて哨戒機が出張ってくるまでは時間を稼ぎたいところだな……
よし、1、2番発射管に通常魚雷、3番から8番に機動爆雷を装填、機動爆雷は浅深度に設定されているか再度確認してから装填しろ。最初に通常魚雷で敵艦を喰ってから混乱した所を機動爆雷を撃ち込むぞ」
鈴木少佐は復唱して前部の魚雷発射管室に伝えたが、有本大佐に振り返ると言った。
「通常魚雷は良いですが、機動爆雷の速度で駆逐艦に追いつきますかね……」
秘匿名称のまま広まってしまった機動爆雷は、本来対潜兵器として開発されていた音響誘導魚雷だった。自動で敵艦の音響を追尾するのだが、聴音を行わなければならない関係から通常魚雷と比べて速度は低かった。
しかも潜水艦から発射する場合、下手をすると発射直後に周囲の最も大きな音響、つまり発射艦を追尾することも多かった。鈴木少佐も発射された訓練弾が外殻にあたった鈍い音を覚えているたちだった。
だが、有本大佐は躊躇わずに返していた。
「発射時にトリム調整して海面に向けて撃てば、追尾装置が機能する前に浅深度設定まで一気に上がれるよ。それに押っ取り刀でグアム島から出撃したという事は、相手は準備のかかる大型艦ではなく護衛艦である可能性が高い。いつもの足が遅い護衛艦なら機動爆雷で十分追いつけるさ」
納得した様子で頷いて戦闘配置についていく鈴木少佐の背中を見守りながら、有本大佐は考えていた。
―――これが伊四〇〇のお守りなのか、対潜艦艇狩りなのか、それは考え方次第だな……
勿論、有本大佐は狩りのつもりだった。
伊407潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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