表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
800/818

1952グアム島沖砲撃戦40

 主機関の特性から、静粛性においてはディーゼルエンジンと蓄電池、電動機を組み合わせた従来の通常動力潜水艦に劣ると日本海軍では判断されていた核動力潜水艦だったが、設計当初の懸念点はそれだけではなかった。


 核分裂反応を熱源として使用する核動力は、当初は地上設置の発電機関として運用が開始されていたらしい。実用的な機関というよりも実験炉に近いものだったのだろう。それに地上設置であれば補機類の配置も余裕を持って行う事ができたはずだ。

 核動力の開発は、未だに機密度の高いシベリアの先端技術研究開発都市で行われていたから詳細はわからないが、亜号第六号潜水艦の艦長である有本大佐達乗員も、最初は地上設置の核動力発電所で基本的な操作などの訓練を受けていたのだ。

 だが、有本大佐達が初期訓練を受けていた時点では、この世界初の核動力潜水艦は亜六という艦名ではなかった。後続の亜号一型などと違って、亜六は当初から核動力潜水艦として建造されたものではなかったからだった。



 第二次欧州大戦開戦以前、日本海軍は海中密かに敵地に接近して水上攻撃機を発艦させる海中空母とも言うべき伊号四〇〇型潜水艦を計画していた。

 当時から異様な戦術を想定して計画されていた伊号四〇〇型だったが、これは退役海軍軍人だった当時の首相肝煎りのものだったという噂もあった。現実には首相の就任時期などからすると根拠のない単なる風説に過ぎなかったようだが、そのような噂が立つこと自体がこの計画の異様さを示していた。

 計画当初の目標は米領のパナマ運河だったらしいが、これが対独戦勃発によってキール運河となり、運河の防備体制が強固であったことから他の欧州要地への奇襲攻撃が考慮され始めた頃には、搭載機開発計画の方が消滅していた。


 水上機という機種そのものの陳腐化によって実質的に存在価値が消滅した伊号四〇〇型だったが、戦時中の建造促進によって大戦終結までに起工されていた同型艦は少なくなかった。

 戦術の変化で陳腐化していたとしても、新造の大型潜水艦は廃棄するにはあまりに惜しかった。それに水上機用の格納庫は別用途に転用するのも容易と考えられていた。


 元々、日本海軍の巡洋潜水艦の一部には偵察用の小型水上機が搭載されていた。航空技術の発達した欧州大戦中は殆ど使用されなかった水上偵察機だったが、その格納庫は当初の想定とは異なる用途で運用されていた。

 大規模揚陸作戦において本隊上陸前に投入される特務陸戦隊や、陸軍の機動連隊による欧州沿岸部の潜入、破壊工作などに投入されていたというが、特殊戦部隊の動向は未だに部内でも秘匿されているものが少なくなかった。


 多くの伊号四〇〇型潜水艦は、当初計画通りに格納庫を維持していたが、現在では水上機ではなく無人の長距離噴進弾を射出する攻撃艦として再就役していた。

 結局は要地を密かに攻撃するという本来の計画案に立ち戻ったと言えるが、十年前と違って噴進弾ならば人員機材を回収する必要のない片道攻撃となるから、射出後は早々に遁走出来ると考えられていたのだ。



 だが、伊号四〇〇型の中でも後期に建造されていた伊四〇六と四〇七は原型艦とは大きく違った姿で就役していた。建造途中で計画が中止された為に、設計の大幅な変更が行われていたのだ。

 上部構造の建造前だった伊四〇六は、原型艦よりも外観だけ見ればより攻撃的な姿となっていた。

 伊四〇六は、大戦中に活躍したヴィシーフランス海軍のシェルクーフや、米海軍で偵察艦として運用されているバラクーダ級を参考として、20.3センチという重巡洋艦主砲相当となる大口径砲を備えていたからだ。

 残念ながら、その後は潜水艦搭載の大口径砲は大掛かりな設備が必要な割に運用機会が少なく有効な装備とは言えないという結論に達していたのだが、伊四〇六はシェルクーフ同様に小型水上機搭載用の水密格納庫を設けていたから、特殊戦部隊の母艦として運用されているという噂だった。


 外観的には伊四〇六が上部構造の変更に留まっていたのに対して、亜六となった伊四〇七は計画中断時点で工事未了だった船首部分も、従来の水上艦と同様のものから抵抗の少ないヘラ状の構造で再構成されていた。

 ただし、浮上しても下半分は水線下にあって目立たない船首構造よりも、やはり上部構造物の変化の方が外部から見た時は特徴的に感じられるのではないか。

 原型となった伊号四〇〇型は、水上機を格納する為の水密区画を大柄な上部構造物内に設けていた。更に大型潜水艦である為に船体内部でも円筒状の水密区画が左右に膨れた眼鏡状の構造物となっていたから、仮に船体中央部で輪切りにしてみれば概ね三角に円筒が並ぶ形状になっていた。

 改造された伊四〇六は原型艦よりもやや上部構造物は小さくなっていたが、独立して設けられた巨大な砲塔が質量感を補っていたとも言えるだろう。


 ところが、伊四〇七は改設計時に船首構造と同様に水中抵抗の削減を狙って艦橋構造物も徹底した小型化が行われていた。上部構造物内の水密区画も廃止されて、潜航中に気密が保たれるのは従来通りに主船体構造物内に限られていた。

 大型の伊号潜水艦であるにも関わらず、伊四〇七の艦橋構造物は呂号潜水艦並かそれ以上に縮小されていた。艦橋には水上航行や潜望鏡深度で使用する電探や逆探の空中線なども設けられていたから、浮上時でも最低限の見張り機能しかなかった。

 艦橋の小型化も、船首構造の洗練も、水中航行能力を重視したというよりも機関の特性から本艦の運用上は水上航行の機会が著しく減少すると判断されていたからだろう。


 伊四〇七に核動力機関が搭載されることになったのは、核動力の研究が実験段階から進展した時に都合よく大型潜水艦の船体が入手出来たからというものでしかなかった。

 むしろ、当時核動力機関の実用化に筋道が付いたと言っても、補機類を含む核動力機関の寸法、重量は相当なものだったから、従来の伊号潜水艦の船体寸法では収まりきらなかったのではないか。

 逆説的に言えば、船体部の工事途中で建造工事が中断した伊四〇七が存在しなければ核動力機関の実用化がもっと後のことになっていてもおかしくはなかったのだ。



 後続の亜号一型では核動力機関の小型化も進んでいたが、伊号四〇〇型の巨体に積み込まれた核動力機関の実績があればこそ、核動力機関の研究開発も進んだと言えなくもなかった。

 核動力機関搭載潜水艦の実用化が進む中で、伊四〇七は何度か有本大佐指揮のもとで実戦にも投入されていた。核動力の特性を活かして千島列島に設けられた前進根拠地から一挙に米西海岸近くまで敵中深く進攻して通商破壊戦を行っていたのだ。


 既に伊四〇七と同様に潜航中の航行を前提とした構造を持つ伊号一〇一型も就役していたが、同艦はあくまでも従来の巡洋潜水艦の延長にあるものでしかなかった。遠距離の通商破壊戦において、伊四〇七は核動力潜水艦の優位性を実戦で示したという自負を有本大佐は抱いていた。

 その一方で、伊四〇七に積み込まれた核動力機関は、従来の潜水艦とは隔絶した機動性と引き換えに、乗員への専門教育の必要性などの懸念点もあった。



 核動力機関の各種特性から、従来の伊号潜水艦と同様に伊四〇七を扱うのが難しい事を確認した日本海軍は、同艦の名称を艦種ごと改めていた。これまでの排水量で分けられた伊呂波とは別に、核動力潜水艦を亜号としていたのだ。

 ただし、当初は新たな亜号の名称は新規建造の亜号一型からつけられていった。伊四〇七を既存艦名から変更したのはその後だったから、日本海軍初の核動力潜水艦なのに、この艦は亜六号の名前が与えられていたのだ。


 おそらくは、これからの日本海軍の潜水艦は、大型在来型の伊号と、同じく大型ながら核動力潜水艦となる亜号の二系統で整備が図られていく事になるのではないか。

 中途半端な呂号や波号の名前が残ったとしても、練習艦や沿岸警備に特化した二線級のもの程度だろう。もちろん主力は水中行動能力に優れた亜号潜水艦になるのだろうが、従来の伊号潜水艦が完全に姿を消すとは有本大佐には思えなかった。



「今回の攻撃は、どれくらいの被害を与えたのでしょうね」

 問いかけられた有本大佐は、薄く目を開けて先任将校の鈴木少佐に軽くうなずき返していた。既に伊四〇七で二人が組んで長かったから、少佐が本当に言いたかったことは大佐も分かっていた。


 潜水艦固有の艦長としては有本大佐の任期が異例に長くなったのは、核動力潜水艦となった伊四〇七の再就役から本艦に習熟した指揮官として換えが効かなかったからだろう。

 亜号潜水艦に関しては部内でも機密が高く潜水艦隊内部でも周知はされていないが、人事面でも変化があった。単艦で遠隔地まで進出することが考慮されたのか、艦長の権限が強化されていたのだ。


 従来は潜水艦は狭義の軍艦ではなく、指揮官も書類上は艦長ではなく潜水艦長という扱いだった。駆逐艦同様に、数隻が集まった駆逐隊や潜水艦の司令が軍艦の艦長と同等の扱いとなる所轄長となるのだ。

 第二次欧州大戦中から潜水艦長は従来の少中佐から大佐や大尉の階級が含まれるようになっていた。中型艦で若くして艦長となった士官が大型潜水艦で大佐の階級まで務められるように柔軟性が持たせられていたと言えるだろう。


 これに加えて伊号潜水艦以上に大型化する亜号潜水艦では、軍艦の扱いとなって指揮官も正式に艦長となっていた。今後は教育人事体制も整えられて、有本大佐に続く亜号潜水艦の艦長が増えていくのだろう。

 一方で艦長以下の乗員配置に関しては従来とさほど変わらなかった。機関科は核動力に精通した専門教育を終えたものが配置されていたが、中には亜号一型に艤装員として異動していったものも多かった。

 だが、水雷科などは従来通りのままで、将来的にはともかく、軍艦ならば当然存在するはずの副長も先任将校の扱いのままだった。



 どうにも中途半端な感触を拭い切れない亜号潜水艦の人事体制だったが、流石にそろそろ有本大佐も異動を命じられてもおかしくはなかった。

 将官の進級にはまだ間があるし、同期の中で進級が早い方ではなかったからこの戦争が終われば大佐で予備役編入となるかもしれないが、しばらくは大佐の階級で亜号潜水艦関係の地上配置に回されるのではないかと予想していた。


 潜水艦部隊が第二次欧州大戦後の再編成中に開戦を迎えてしまった為に組織体制の刷新は中途半端だったが、艦隊は肥大化した隷下の潜水隊や潜水戦隊の整理を行っていた。

 亜号潜水艦が一隻で軍艦扱いを受けるという事は、今は暫定的であった潜水戦隊の配置も大きく変化するはずだ。潜水隊は多くが廃止されて、潜水艦の指揮支援機能に特化した潜水戦隊に直属する形になるのではないか。

 欧州大戦で水上艦隊を置き去りにして広大な海域で独自に通商破壊作戦を実施していた独海軍に倣って、潜水艦隊司令部の機能強化も想定されていたから、従来潜水隊司令を勤めるしかなかった潜水艦の経験を積んだ大佐級の高級佐官も艦隊司令部に集約して配置される可能性が高かった。


 だが、そんな有本大佐にとって最前線での艦長として最後の作戦であるかもしれないものの、グアム島沖で待機する亜六は作戦の主役ではなかった。意外な事に伊号四〇〇型の原型艦がこの作戦の主力を務めている筈だったのだが、付き合いの長い鈴木少佐はそんな境遇に不満をいだいていたのだった。

伊407潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssi407.html

伊406潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssi406.html

バラクーダ級巡洋潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/sfbarracuda.html

伊101潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssi101.html

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
投稿800話達成おめでとうございます! これからも応援しております! 日本が原子力潜水艦の先進国になれるところが架空戦記のロマンですね。 しかし現在の日本も太平洋戦争を経ずに米国と緊張関係をもったま…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ