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1952グアム島沖砲撃戦39

 亜号第六潜水艦はグアム島沖の海中で静止していたが、発令所で機器にもたれかかって目を閉じていた有本大佐の耳には、低く唸るような音が聞こえ続けていた。

 推進器は、ほぼ停止していた。亜六は海流に沿って僅かに流されているだけだったが、今のところ海流の影響は小さく、哨戒を命じられた範囲から逸脱する恐れも無さそうだった。


 だが、これまでの潜水艦であれば、プロペラを停止させるという事は、騒音源であるディーゼルエンジンなり、充電池で動く電動機の停止を意味していたのだが、亜六の場合は海中で停止していても主機を停止させる事は出来なかった。

 熱源である主機関は今も核分裂反応を継続中だった。亜六は母港に帰還しても、大規模整備でもない限り主機関を停止させる事はできないから、最低限の出力でも補機ポンプなどは稼働し続けなければならなかったのだ。


 亜六は何もかもが異例の潜水艦だった。艦の形状や性能だけではなく人事面でも従来艦からの変化は大きかったが、その原因となっていたのはやはり船体中央に備えられた核動力機関だった。

 有本大佐達乗員も、座学で核分裂を実現させた物理学は習ったのだが、兵科の将兵達の中で核動力機関の本質を理解出来た乗員は少なかったのではないか。

 亜六を指揮する艦長である有本大佐を含む乗員の多くに必要な知識は、主機関の扱い方や危険性であって厳密な原理では無かったからだ。



 この戦争で米軍によって使われた核爆弾と核動力は本質的に同じ技術体系であるらしい。反応を継続的に行うか、一瞬で行うかの違いと有本大佐達は捉えていた。

 一撃で艦隊ごとトラック島を崩壊させたという核爆弾と同じものが艦内に収められていると聞いてげんなりとした乗員も多かったが、危険性を忘れずに慎重に扱えば、この動力の革新性は明らかだった。

 大気から開放された機関は、潜水艦にとって利点が多かった。他に解決するべきものも多かったが、水中で継続して動力を維持できるという事は、海上に浮上せずに潜航し続けられるということだからだ。


 ただし、亜六に積み込まれた主機関は完成形のものでは無かった。就役当初は、潜水艦用として試作されたものが実験艦として試験を行う為に搭載されていたようなものだった。

 実は、亜号第六潜水艦という本艦の呼称は、最近になって改められたものだった。それ以前の実験艦時代には、伊号第四〇七号潜水艦というのが本艦の艦名だったのだ。



 日本海軍は、排水量を区切りとして伊号呂号波号で大中小の潜水艦命名基準を設けていた。実際には沿岸警備にしか使いみちのない小型の波号潜水艦という区別は短時間の間に意味を失っており、第二次欧州大戦時には大型の伊号、中型の呂号が潜水艦隊の主力となっていた。

 そのうち大型の伊号潜水艦は有力だったが、建造費用も時間もかかっていた。そこで日本海軍は、第二次欧州大戦開戦前に建造された海中型、呂号三三型を原型とする呂号三五型を実質的な量産潜水艦として第二次欧州大戦時に建造していた。


 この伊号を補佐する呂号という枠組みで大戦を戦い抜いた日本海軍の潜水艦部隊だったが、戦後は艦隊の大規模な再編成が行われようとしていた。

 大量建造された呂三五型の多くが予備役艦や練習艦などに格下げされたのは軍縮の一貫と考えられない事もなかったが、その一方で大型の伊号潜水艦は余程の老朽艦でもない限り代替となる新造艦の就役までは現役に留められていた。

 大戦の戦訓を反映した新型潜水艦が未だに伊号一〇一型しかないためにあまり目立たなかったが、日本海軍は大型の伊号を中核として潜水艦隊の再編成を進めようとしていたのだ。

 大型潜水艦への回帰は、第二次欧州大戦後における戦略環境の変化によるものだった。狭い欧州の内海ではなく、広大な太平洋で米軍を相手にした通商破壊や要地偵察任務を行うには、航続距離や居住性の充実が必要だったのだ。


 核動力という新たな原理の機関も、大元を辿れば大型潜水艦への回帰と同じ理由で潜水艦への搭載に関する研究開発が優先的に進められたものかもしれなかった。

 既存の潜水艦で航続距離、つまり戦略的な展開性能を追求しようとするには制限があった。水上艦艇に積み込まれた蒸気タービンやディーゼルエンジンなどは海中では使用できないという当然の理由によるものだった。

 機関の作動に必要な酸素をすべて運んでいかない限り、大気から切り離された環境では何らかの燃焼を維持することは出来ないのだ。



 これまで就役していた多くの潜水艦は、海上で使用するディーゼルエンジンと海中で使用する蓄電池と電動機の組み合わせを主機関として使用していた。

 一部の艦では、ディーゼルエンジンではなくボイラーと蒸気タービンを使用したり、プロペラがディーゼルエンジンと直結しておらず海上でも発電機を経由しなければならないと言った差異はあったが、大筋では違いはなかったと言えるのではないか。


 だが、これはあまりに不条理な機関構成だと言えた。ディーゼルエンジンにせよ電動機にせよ、潜航中、海上のどちらかを航行していても機関部に不要な機材を抱えていることになるからだ。

 それに本来潜水艦に求められているはずの潜水行動には制限があった。乗員への酸素供給と言った問題を除いたとしても、海上でディーゼルを動かして充電するしかない蓄電池の残電力に潜航中の行動が制限されてしまうのだ。

 大戦中には潜航しながらディーゼルエンジンに空気を供給する水中充電装置も実用化されていたが、浅深度でしか使えない上に天候などの制限も大きかった。


 つまり従来は潜水艦という艦種名称に反して、潜航は襲撃や退避など限られた状況でのみ行うことを前提としており、潜水艦というよりも可潜艦というべき存在でしかなかったと言えるだろう。

 今まで潜水艦の制限がそれほど大きく取りざたされなかったのは、奇襲用の特殊兵器として考案されていた潜水艦とはそういうものだという認識があったことに加えて、対潜部隊の戦術も大きく進化はなかったからではないか。



 ところが、第一次欧州大戦に引き続いて独海軍潜水艦隊による大規模な通商破壊作戦が行われた第二次欧州大戦では、戦間期に飛躍的に進化した航空機と科学技術を組み合わせた効果的な対潜兵器や、統計学に支えられた対潜戦術が導入された結果、国際連盟軍は組織的な潜水艦狩りを行っていた。

 特に対潜哨戒機の充実は潜水艦の行動に大きな制限を加えていた。実際に航空機によって直接撃破された潜水艦の数は水上艦艇のそれと比べると少なかったものの、上空から打撃力に優れた対潜艦艇を支援することで潜水艦の撃退に寄与することも多かったようだ。


 当初は、航続距離の限界から上空からの対潜哨戒を濃密に行える範囲は航空基地が存在する英国本土沿岸部に限られていたのだが、国際連盟軍はその範囲拡大に努め続けていた。

 バルト海における独市民の救出という開戦時からすれば想定も出来なかった任務を終えて廃棄された特殊な氷山空母も、計画当初は大西洋中央部に対潜哨戒機を展開させるために建造されたものだった。

 その後は、護送船団に随伴可能な対潜護衛空母とも言える海防空母と、そこから展開する艦上対潜哨戒機の充実によって、大西洋中央部に残されていた独海軍潜水艦にとっての聖域は消滅したと言えた。



 詳細は終戦後に接収した独海軍潜水艦隊の資料により判明したのだが、航空哨戒が与えた影響は予想よりも大きかったようだ。

 航空機からの探知を恐れた独潜水艦は効率の悪い長時間の潜航を強いられることで実質的な展開期間が制限されていたし、海上の様子を広範囲に探るのも困難となって船団襲撃の機会をも失っていたのだ。


 戦後も航空哨戒は進歩し続けていた。設備の整った空母から発着艦する固定翼機だけではなく、ある程度以上の広さがある甲板があれば運用可能な回転翼機も対潜用途に使用されるようになっていたからだ。

 日本海軍では陸軍との共用機種として以前から二式直協機などの回転翼機を艦隊型水上機母艦などから運用していたのだが、最近では対潜用の爆雷も搭載可能な五一式回転翼機を採用していた。

 しかも、哨戒仕様の五一式は、空中に停止して海中に聴音機をおろして直接海面下の状況を探るという回転翼機でなければ不可能な戦術を可能としていた。



 こうした航空哨戒技術の発展によって潜水艦はより長期間の潜航行動を強いられるようになったのだが、終戦まで実用化はならなかったがこれに対応する新技術として、独海軍は過酸化水素を使用するヴァルター機関を本命として開発を進めていた。

 戦後に実験艦を含むヴァルター機関の技術体系を接収した英国海軍でも一時期は熱心に調査が進められていたのだが、毒物でもある高濃度の過酸化水素を使用するヴァルター機関は、戦闘艦に搭載するにはあまりに制限が大きすぎた。


 国際連盟軍、というよりも第二次欧州大戦中に共同でシベリア地方に先端技術研究都市を建設していた日英露では、大気の恩恵から開放された機関の本命として開発が進められていたのが亜六に搭載された核動力機関だった。

 核爆弾でも明らかになった様に過酸化水素とは別種の危険性は無視できないが、核動力は取り扱いさえ間違わなければ潜水艦にとって理想的な機関だと言えた。

 就役期間にもよるだろうが、核動力の燃料交換は少なくとも数年から十数年に一度で済むというから、戦術的には無限の航続距離を意味しているも同然だったからだ。


 核動力は原子分裂反応で生じた熱量を蒸気に変換してタービンの回転力に変換するものだった。当初実験艦として各種試験に投入されていた亜六でも推進力や発電力には余裕があったから、推進源としてだけではなく各動力で得られた大電力を活かした機材も搭載されていた。

 単純な艦内の照明や空調だけではなく、就役後に海水を電気分解して酸素を供給する機材も搭載されていたから、かさばる上に使用時間に制限のある二酸化炭素吸着剤などの消耗品を大量に積み込まなくとも、海中で人間の生存環境を作り出すことも可能となっていたのだ。

 亜六号の就役で得られた知見を活かして建造された亜号一型潜水艦では当初からこの酸素供給機材を搭載しているというから、戦闘艦としての完成度は高まっているようだった。

 ただし、核動力はその本質的な危険性を除いたとしても良いことずくめというわけではなかった。その一つが静粛性だった。


 本来は、第二次欧州大戦頃から日本海軍の潜水艦は性能が進歩し続けている聴音機から逃れるために静粛性に気を使い始めていた。

 同盟国植民地や友好独立国である東南アジアの資源地帯から豊富に採取されるゴム資源をふんだんに用いて、電動機などの騒音源を海中に音響を伝達する船体構造物から切り離した弾性支持などが行われていたのだが、核動力機関の場合は無視できない問題があった。

 核分裂反応を安全に保持し続けるために、冷却水ポンプなどの核動力機関関係の補機は、核分裂反応が動き続ける限り停止させることが出来なかったのだ。

 海中でプロペラを停止させている亜六の艦内で有本大佐の耳に騒音が聞こえてくるのは、核動力艦の宿命と言えるものだった。

呂33型潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssro33.html

伊407潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssi407.html

伊101潜水艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/ssi101.html

浦賀型海防空母の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvuraga.html

二式艦上哨戒機東海の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/q1w.html

二式観測直協機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/2o.html

五一式回転翼機の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/51h.html

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