1952グアム島沖砲撃戦35
―――よくこんなところまで辿り着けたものだ……
51式爆撃機の後席で電子兵装の操作に専念していた大沢少佐は、そう考えながら逆探の表示面を手早く切り替えていた。
逆探は既に複数のレーダー波を探知していた。多くの波長は既知のものだった。日本空海軍が運用している各種レーダーだけではなく、開戦前に記録されていた米軍の艦載レーダーによるものも確認されていた。
その一方で観測された中には未知の波長もあるようだったが、大沢少佐は詳細まで調べようとは思わなかった。開戦まで航空隊が装備していた四五式爆撃機と比べれば五一式の電子兵装は充実していたが、未知の波長を周囲から分離して分析するような高度な能力は持たなかったからだ。
それにレーダー波が飛び交っている空域の様子を見れば、何が起こっているのかは一目瞭然だった。大沢少佐は操縦席の背面に繋がる様に設けられた表示面から視線を上げて、操縦員越しに機首の方に視線を向けていた。
夜の帳が下ろされた穏やかな太平洋の中で、マリアナ諸島沖合のその海域だけが激しい雷雨に襲われているかのように激しく瞬いていた。ただし、雨粒の代わりに海面に落ちてくるのはどす黒い砲煙や薄汚れた空薬莢だったし、雷鳴は砲声、束の間の雷光も発砲炎だった。
距離があるから詳細は分からないが、その様子を見る限り激しい水上戦闘が続いているのは間違いなかったし、戦闘は空中にも飛び火していた。幾度か空中でも火花が散っているのが見えていたからだ。
本土から飛来した五二式重爆撃機の電子戦闘型を支援する為に、今夜は夜間戦闘機隊も出撃している筈だった。これが敵夜間戦闘機と交戦しているのではないか。
未知のレーダー波も米夜間戦闘機に搭載されたものである可能性もあるが、出撃した電子戦闘型ならば戦闘中でも電波情報を収集しているはずだから、無事に同機が帰還出来れば情報を分析してこれからは既知の情報となるだろう。
結局逆探からでは戦闘の詳細は分からなかったが、確実なのはレーダーを装備する彼我の勢力が閃光が走る海域で交戦中ということだった。どのみち逆探には詳細が把握できる程の分解能はないのだ。
当然最新鋭機である五一式爆撃機にもレーダーは装備されているが、逆探に反応が現れたのと同時に後続機を含めて事前に定めたとおりに発振を停止させていた。大沢少佐の機体を先頭とする編隊は、電波管制を行ったままで飛行していたのだ。
再び表示面に視線を落とした大沢少佐は、逆探の捜索範囲を操作して電波源までのおおよその距離を読み取っていた。針路を変更する時期が迫っていたのだ。
想定されている米軍レーダーの探知距離などに関する推測上の数値を思い出しながら、大沢少佐は操縦員に変針を命じていた。事前に操縦員は予想していたのか、直後に僅かに機体が傾けられてた。
大沢少佐はその間も逆探の表示面を睨み続けていた。後続機の動きにはさほど注意を払わなかった。夜間爆撃を行う為に、編隊には手練の乗員ばかりを集めていたからだ。
勿論出撃前に入念に打ち合わせも行っていたから、後続機も大沢少佐が乗り込んでいる編隊長機の動きに追随しているはずだった。操縦席からの視界は良好だったが、振り返って僚機の動きを確認する事は考えていなかった。
五一式爆撃機の乗員定数は四五式爆撃機と同じく3名だった。その配置も同様で、機首には電探など電子機材とひしめき合うようにしながら単独で爆撃手席が設けられていた。
この機体に爆撃手席が設けられたのは妥協の産物ではないかという噂も隊内にはあった。爆撃手席には高速の五一式の速度に対応可能な爆撃照準器が設けられていたのだが、将来的には自動化されたレーダー式の爆撃照準器によって専用の爆撃手は不要になるというのだ。
本来であれば五一式爆撃機は爆撃手を省いた複座機として設計が開始されていたらしい。ところが高度な最先端技術を惜しみなく投入された自動爆撃照準器の信頼性や重量増加などが思わしくなく、途中から従来通りに爆撃手席が追加されたと言うのだ。
そう考えると五一式爆撃機の本家本元と言えるキャンベラの座席配置が左右非対称の奇妙なものであったり、五一式の爆撃手席が電子兵装と同居する羽目になったのもその影響なのかもしれなかった。
そんな居住性の低い爆撃手席と比べると、その背後で操縦員と偵察員が乗り込む操縦席部分は洗練されていた。
四五式爆撃機の原型となった一五試陸爆の時点で、操縦席は機体から突出した涙滴型の視界の良い大型風防が設けられていたのだが、素材面での進歩があったのか、五一式ではそれに加えて視線を遮る風防枠が格段に減らされていたのだ。
だから偵察員席からでも、その視界の良い風防越しに後続する僚機の姿も確認出来るはずだったが、大沢少佐は敢えて視線を機材に落としたままにしていた。
既にこの編隊では搭乗員を固定して組むようになって久しかった。各機の操縦員だけではなく、爆撃手や偵察員とも以心伝心となっているという自負もあった。
だからこそ編隊を率いる大沢少佐が無様に振り返って僚機の挙動を確認することで信頼を損なうことはしたく無かったのだ。風防からの視界が良好ということは、逆に後続する僚機の爆撃手や操縦員からこの機の操縦席を覗き込むのも容易であったからだ。
尤も作業に集中している大沢少佐の脳裏ではそんな面子の問題は片隅で考えられていたに過ぎなかった。操縦員への細かな指示も続いていた。逆探の微妙な操作と読み取りを行いながら、大沢少佐は編隊の軌道を思い浮かべていた。
五一式編隊の高度は中途半端なものだった。本来で有れば奇襲攻撃を行うためには電探の覆域から逃れる為に低空飛行を行うべきなのだろうが、増槽を装備しているとはいえ、五一式爆撃機の航続距離では硫黄島からグアム島を往復してさらに戦闘機動を行うには余裕がなかった。
だから燃料消費量が増大する低空飛行は、グアム島に接近するまでは控える予定だったのだが、硫黄島とグアム島を結ぶ海域では今夜は間違いなく戦闘が繰り広げられている筈だった。
この編隊は、眼下の艦隊が危機に陥ろうとも戦闘に加入する予定は無かった。作戦計画通りなら無駄な戦闘を避けてグアム島に直行しなければならないし、そもそも対艦攻撃用の兵装は五一式の爆弾倉には積んでこなかった。
レーダーを切って大沢少佐が逆探を慎重に操作していたのも戦闘空域を回避するためだった。予想される米軍レーダーの覆域を慎重に読み取りながら、その探知距離外縁をなぞるようにして回避軌道をとっていたのだ。
消費燃料を削減する為の、涙ぐましいまでの努力だったが、大沢少佐は真剣だった。しばらくしてから、ふと前席の操縦員のため息が聞こえていた。我に返った少佐は、逆探の表示面を再確認していた。
戦闘が行われていた海域は、グアム島の北方だった。おそらく米夜間戦闘機はサイパン島かテニアン島から離陸して北西に向かっていたのだろう。その逆に硫黄島から南下していた五一式編隊は、戦闘から逃れる為に一旦西方に針路を向けていた。
頼りになるのは逆探の反応だけだった。何らかの反応に反射して返ってくる電波を観測するというレーダーの原理からして、同じ精度の探知機であればレーダーよりも遠距離から逆探に捉えられる筈だった。反射によってレーダー波は少なからず減衰するからだ。
だから、逆探の反応が一定となるように飛行すれば、敵レーダーの覆域を逃れながらグアム島までの回避機動としては最短距離が取れる、筈だった。
実際には針路を決定するのは容易ではなかった。周囲の環境などでレーダーの覆域は特に遠距離では安定しないからだ。はるか彼方の電波源が観測されることもあれば、敵機の飛行姿勢や形状などで近距離まで踏み込まれてようやく探知出来るようになる事も珍しくないのだ。
それに電波源は1つではないし、電波の波長も様々だった。艦載レーダーと機上レーダーでは仮に諸元表で同じ探知距離でもレーダーアンテナの高度で実探知距離は大きく左右されていた。
大沢少佐は逆探で捉えられたそのような雑多なレーダーを確認しつつ、最後は第二次欧州大戦以来の長年の勘で補正して編隊を導いていた。そんな中で、操縦員への指示は西方、つまり機首を右舷側に回頭させ続けていたのだが、いつの間にか指示は左回頭に移っていたのだ。
逆探の表示面を再確認した大沢少佐は、回頭を止めてグアム島に直行する針路を指示していた。結局最後まで戦闘の様相は一度も確認出来なかったが、最初に機首方向に現れていた逆探の反応は、左舷を回って機体後方に回っていた。
電波管制はまだ続くが、最初の危険は脱していた。既に戦闘域への最接近は終わっていたからだ。次に逆探で捉えられるのはグアム島の米防衛部隊によるものになるだろう。
大沢少佐は、首を巡らせて凝りをほぐしながら、後続する僚機の様子を振り返ってうかがう余裕を取り戻していた。予想通り後続機が緻密な編隊を保っているのに満足しながら、手早く少佐は天測を行っていた。
確認するのは大雑把な針路だけで良かった。グアム島には大出力のレーダーが設置されているのが確認されていたから、このまま飛行すれば米軍のレーダーが電波的に自分達をグアム島まで導いてくれる筈だった。
――ようやくグアムまで来れた……
後はグアム島の敵基地に突っ込むだけだった。そう考えながら大沢少佐は今朝からの慌ただしい事態を思い起こしていた。
本来であれば、大沢少佐が所属する日本空軍の航空隊は、海軍の艦隊に協力してグアム島に大規模な空襲を行う予定だった。艦隊に米軍航空部隊の目が引きつけられている間に、手薄となったグアム島を襲う筈だったのだ。
実は特殊な機材を爆弾倉に積み込んだ大沢少佐達の編隊も、この空襲に紛れてグアム島に突入する計画だったのだが、航空隊主力の出撃は直前になって差し止められていた。
離陸直前で機体から下ろされた搭乗員達は困惑していたが、出撃直前の五一式爆撃機から呼び戻された大沢少佐は計画の延期と変更を聞かされていた。
出撃直前で航空隊に中止命令が下ったのは、中継点となる硫黄島が空襲を受けていたからだった。
硫黄島には、この時までに大規模なグアム島襲撃に備えて燃料や弾薬の集積が進められていた。本土から出撃した五一式爆撃機は、硫黄島に一旦着陸して補給と点検を行ってからグアム島までの往復飛行を行う予定だったのだ。
ところが、今朝になって硫黄島に空襲が加えられていた。いつものサイパン島、テニアン島からの定期便と呼ばれる空襲ではなかったし、お互いに攻撃隊を放っている空母機動艦隊からのものとも思えなかった。
艦隊にそんなそんな航空戦力の余剰があれば、お互いに敵艦隊を襲っているはずだったからだ。
この局面で未知の艦隊が出現していたのだが、空襲を受けた硫黄島の状況はすぐには分からなかった。硫黄島だけではなく、小笠原諸島も空襲を受けていたが、そちらは小規模なものだったらしい。
そのような状況からすると、この空襲がマリアナ諸島沖で行われている艦隊航空戦に呼応したものであることは間違いなかった。おそらく日本艦隊の出撃と南下によってグアム島襲撃を事前に推測した米軍は、日本空軍による本土からのグアム島空襲をも予期したのではないか。
そこで、先んじて未知の艦隊に中継点として他には考えられない硫黄島を襲わせたのだろうが、問題は何が硫黄島を襲ったのかだった。
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