1952グアム島沖砲撃戦25
―――これが空母機動部隊による航空決戦なのか……
閑散としたプリンストン級空母カウペンスの士官室内を陰鬱な顔で見回しながら、遅い夕食を手にしたビール中尉はそう考えていた。
カウペンスの幹部である佐官級士官の顔ぶれは今朝と変わっていなかったが、人数的には大部分を占めていた中、少尉の数は、戦闘が始まる前の早朝に見た時から激減していた。
ビール中尉には、カウペンス自体には全く損傷がないのに生じたこの光景が、航空戦の消耗をそのまま反映しているように思えていた。
カウペンスに乗り込む士官の数は多かった。米海軍では操縦士は士官を充てることとなっていたからだ。その一方で開戦前の海軍予算はルーズベルト政権時代の建造費用を除けば圧縮されていたから、海軍兵学校の定数はそれほど多いものではなかった。
元々ルーズベルト政権時代における米海軍の艦隊航空は貧弱なものだったから、海軍兵学校を出て航空隊に配属された正規の士官搭乗員だけでは、カーチス政権以後に行われた艦隊航空戦力の急拡張に数の上で対応することは出来なかったのだ。
開戦以前から米海軍では全米の大学生を対象に士官搭乗員を募集していた。短期の士官教育と操縦訓練を受けさせて予備士官搭乗員とするためだった。
それに加えて作戦に投入されたアンティータム級やプリンストン級は軽量級の空母だから搭載機数が少なく、それに比例して航空隊の規模も小さかった。部隊の規模が小さいのだから各艦に乗り込む航空隊指揮官の階級も低かったのだ。
艦隊の防空を主任務と考えられていた米海軍空母航空部隊では、単座戦闘機の搭載比率が高かったから、後部席しか居場所がない下士官兵搭乗員の数は元々少なかった。
自然と各空母の搭乗員達は、大半が民間大学出の予備士官となり、更に中、少尉といった下級士官が士官搭乗員の多数を占めていたのだ。
今朝カウペンスの士官室で慌ただしく朝食を無理矢理にでも掻き込んでいた士官の多くも、航空隊に所属する戦闘機の操縦士である若い予備士官達だった。
ところが、日中に繰り広げられた激しい航空戦が一段落したとき、カウペンスまで無事に帰還出来た機体の数は少なかったのだ。
多少無理矢理にでも空母艦載機における戦闘機搭載比率を高めるというアジア艦隊司令部の方針は正しかったと言えた。今日の戦闘では、日本人達も多数の戦闘機を出撃させてB-36の進攻を阻止しようと待ち構えていたからだ。
日本艦隊の上空では戦闘機対戦闘機の激戦が繰り広げられていたらしいのだが、それでも結果的に戦闘機の数は不足していたと上層部では判断しているようだった。
今日の戦闘では、日本軍の軽快なジェット戦闘機がF5U、F15Cといったレシプロエンジンを搭載した戦闘機だけではなく、こちらのジェット戦闘機であるF6Uまでを阻止している間に、日本軍のレシプロ重戦闘機から放たれたロケット弾がB-36を襲っていた、らしい。
陸軍航空隊のB-36部隊は、それでも奇妙な形の飛行甲板を持つ日本軍の大鳳型空母や護衛についていた戦艦の撃沈を報じていたが、肝心の対艦誘導爆弾を投弾する前や、誘導中で身動きが取れない段階で撃墜された機体も少なくなかったようだ。
損害は日本軍が集中的に狙ったB-36だけではなかった。カウペンスからもBTMなどの艦上攻撃機が出撃していたのだが、爆弾などを抱えて鈍重になったBTM隊は各艦航空隊連合で進撃していたものの、日本軍の戦闘機に狙われて大損害を出していた。
BTMは単座の機体だったから、後方への見張りも疎かになって編隊ごと狙われていたというが、帰還したBTM自体が少ないものだから、戦闘時の詳細はまだ不明だった。
大型空母にしか搭載できないTB2Dデヴァステイター2などであれば、編隊を組んだ場合には充実した機銃座で後方から接近する敵機を牽制することが可能だったのだが、効率を求めて艦上爆撃機を単座化したことで自衛戦闘すら不可能となってしまっていたのは確かだった。
開発当初の単座攻撃機は、戦闘機並みの高速化によって防御機銃分や後部席の重量を廃して軽量化出来るという想定だったのだが、実際には自衛戦闘が可能な機銃座は必要不可欠なものだったようだ。
BTMなど単座機も翼内に機銃を装備していたのだが当然射界は前方に固定されていた。だから単座機の死角となる後方から狙われたのならば、爆装で鈍重になっている場合は回避すら満足にできずに次々と撃破されていったとしても不思議ではなかった。
攻撃機隊だけではなく、戦闘機隊ですら未帰還機は少なくなかったが、雑多な機種が投入された戦闘機の損失原因は、攻撃機隊のそれとは若干異なるようだった。
戦闘機隊の場合は、撃墜というよりも墜落というのが相応しいものが多かったらしい。燃料切れや損傷で艦隊近くで機体を放棄して脱出したものをビール中尉も目撃していた。
海軍兵学校を出てから巡洋艦の航海士を続けていたビール中尉は航空戦は門外漢だったが、犬の喧嘩の様にぐるぐると回り続ける戦闘機同士の格闘戦は、意外と勝敗がつかないものらしい。
機体の性能や技量にもよるのだろうが、戦闘機同士の戦闘でも損害の大半は奇襲などによる初撃で決まるという話だった。
今回の戦闘では、カウペンス等から発進した戦闘機隊は、陸軍航空隊の重爆撃機の援護機として出撃していた。B-36はレーダーなどの電子機器も充実しているようだし、作戦前に最低限の意思疎通が可能な様にB-36の一部には海軍仕様の無線機も載せられていた。
日本人達が索敵をどうしていたかは分からないが、奴等もレーダーを積んだ機体を持っているという話だったし、そもそも艦隊付近であれば出力の大きい艦載レーダーによる支援もあった筈だ。
こうして双方が電子の目を持っていた上に、今日はカウペンスが航行していた海域も全体的に晴天だった。結果的にお互いが隠れる場所もなく、奇襲が成立することなく戦闘を繰り広げた結果、皮肉な事に格闘戦を行っていた彼我の戦闘機には撃墜機は少なくなっていたというのが真相だったようだ。
それに大出力のジェットエンジンだけではなく、従来のレシプロエンジンであっても、戦闘中は激しい機動を行う為に出力を上げることで、燃料消費量は巡航時よりも途端に跳ね上がっていた。
双方ともあっという間に燃料切れが起こるものだから、航空戦で次々と撃墜したり、されたりするのは稀にしか生じないようだ。そんなことになる前に戦闘を切り上げなければ母艦までたどり着けなくなるのだ。
今日の戦闘でも、戦闘そのものではなく予想以上に燃料を消費して帰還分まで使い果たしてしまった機体や、撃墜されなくとも損傷が激しく着艦後に投棄された機体も多かったようだ。
艦隊周辺では、空母が風向きに合わせて船首を立てて着艦機の収容を行っている間に、小回りの効く駆逐艦等が墜落機から脱出した乗員を救助していたし、日本艦隊との間に広がる海域で力尽きた乗員を救助する為に、危険を犯して占領下のサイパン島から飛行艇も出動していた。
カウペンスの士官室にも、いずれは負傷して医務室行きになったり、他艦に救助された操縦士達が戻って来るはずだった。
―――だが、駆逐艦に救助された奴らは何人が帰って来れるか……
ビール中尉は、暗然たる思いを抱いていた。
日本人達はただ殴られるサンドバックには甘んじていなかった。
BTM隊の大損害で早々と攻撃力を失った米空母部隊は、それでもB-36がグアムから出撃するたびに護衛機を放っていたのだが、日本軍はB-36による攻撃の合間を縫うようにして執拗に攻撃隊をサイパン島沖に展開するアジア艦隊に向けて送り込んでいたのだ。
ビール中尉が操艦を続けていたカウペンスも、日中は幾度も高角砲を放っていた。それだけ艦隊深部に日本軍機の侵入を許したということなのだろうが、米海軍標準とも言える5インチ高角砲弾が有効打を与えている気配はなかったようだ。
周囲の艦に合わせて行動するカウペンスの舵を見誤らないように集中して操艦を行わなければならなかったから、ビール中尉は上空を確認する余裕は無かったが、日本軍機もB-36の様に高高度からの投弾を行っていたらしい。
新鋭戦艦など一部は長砲身の5インチ砲を備えていたが、標準的な38口径5インチ砲では初速が低くて日本軍機の投弾高度に対して十分な射高が望めなかったのだろう。
日本人がどんな兵装を使ったのかはよく分からなかった。投下高度と命中弾の数からしてB-36の様に誘導爆弾を使用したのは間違いないと思われるのだが、その原理などは不明だった。
アジア艦隊と同様に日本軍も戦闘機隊の数は多かった。だから艦隊前方の中高度で戦闘機同士が混戦に入っている間に日本軍の攻撃機は高高度に上昇して投弾していたのだが、その直後に翼を翻して逃走していたのだ。
投弾直後は損害を恐れるあまりに、日本人達が逃げ腰の攻撃となったのだろうと思われていた。その時点で日本艦隊は既にB-36隊によって損害を被っていたからだ。米艦隊に一撃を加えたという国内向けの証拠作りの為に攻撃を行ったのではないかとビール中尉などは考えていたほどだ。
艦隊旗艦から対空射撃を行っていた各艦に向けて回避行動自由の指示が出たのはその直後だった。高高度から投下された爆弾は、最終速度は高いが海面落着まで時間がかかるから、操艦によって回避することが可能な筈だった。
カウペンスも、艦橋側面の窓から上空の様子を伺っていた艦長が操艦を宣言していた。唐突にビール中尉は仕事を失ったのだが、無意識の内に艦隊の様子を見渡していた中尉は、護衛についていた駆逐艦に何かが突き刺さるのを見た気がしていた。
爆弾の終末速度は高いはずだから、その光景は幻影だったのかもしれないが、実際に日本軍が投下した爆弾は意外な程に落下速度は低かったらしい。
ところが、余裕を持って回避した筈の艦を追いかける様にして爆弾の軌道が捻じ曲げられたと主張する声も多かった。その証拠に高高度からの水平爆撃にも関わらず、艦隊で爆弾が命中した艦は少なくなかったのだ。
その場から遁走していた筈の日本員達がどうやって艦隊に爆弾を誘導していたのかは未だに不明だったが、奇妙な事に日本人は艦隊戦の原則を破り捨てていたらしい。
日本艦隊を襲撃した陸軍航空隊のB-36は、真っ先に日本人達の空母や戦艦などの大型艦を狙っていた。貴重な誘導爆弾や投弾機会を最大限に活かす為だ。
ところが、アジア艦隊に配属された大型艦の中で、日本軍機の爆撃で撃沈された艦は無かった。至近弾等で損害を受けた艦もあったが、カウペンスの様に空襲を無傷で切り抜けた大型艦も多かった。
その代わり、損害は艦隊外周で護衛にあたっていた駆逐艦などに集中していた。だから今日の航空戦で撃沈された米艦艇の数は多いが、損害の大小で言えば貴重な大型空母を沈められた日本軍の方が圧倒的に不利ではないか。
だが、この閑散としたカウペンス士官室の光景を眺めている内に、ビール中尉の中からは彼我の損害に対する楽観的な思いは消え失せてしまっていた。
―――日本人共は、効率的に操縦士達を殺傷して艦隊航空戦力を将来的に渡って無力化する為に、卑怯にも救助艦となった駆逐艦を優先的に狙っていたのではないか……
既に日は沈んでいたが、カウペンスや僚艦の格納庫内では予備機の準備や損傷機の修理が夜を徹して行われていた。だが、駆逐艦と共に沈んだ操縦士が帰還してくれなければ、準備した予備機も無駄になるのだ。
ビール中尉が夕食のプレートを無意味にフォークで掻き回しながらそんな事を考えていると、士官室入口辺りからざわめきが聞こえていた。
乗員救助を続けていた飛行艇が接近する日本艦隊を発見したらしい。混乱しながらも、アジア艦隊司令部は、空母や一部損傷艦の退避と水上戦闘艦による夜戦の準備を始めているようだ。
唖然としたビール中尉は、先程までの自分の考えをまた否定していた。日本人は血に飢えた蛮族に違いない。単に彼らは長期的な視野から搭乗員を抹殺する為に駆逐艦を集中的に狙ったのではなかったのだ。
日本人が得意とする夜戦の為に、艦隊を護衛する数少ない駆逐艦を狙ったのに違いなかった。それがビール中尉の最終的な結論だった。
大鳳型空母の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvtaiho.html