1952グアム島沖砲撃戦23
井手大尉が事前に警告していたように、飛龍への着艦は瑞鶴へのそれとは感覚的に異なっていた。
軍縮条約の無効化を見越して計画されていた翔鶴型の船体寸法は、巡洋戦艦を原型とする天城型と大差ないものだった。というよりも翔鶴型によって日本海軍は艦隊型正規空母の標準的な性能を定めたと言えるのではないか。
翔鶴型の基本的な飛行甲板の寸法は、最新鋭空母である瑞鳳型ともほぼ同格といえるものだった。航空艤装も改装工事で同型のものが搭載されているから、発着艦動作に関しては翔鶴型以降の艦隊型空母に大きな差異はなかった。
その一方で、第二次欧州大戦中の地中海戦線で僚艦赤城を失った天城は、旧式化も考慮されて大戦集結後は航空戦隊に編入されずに実質的に練習艦として運用されていた。単艦で日本本土に駐留する航空隊の発着艦訓練支援を行っていたのだ。
同様の任務にこれまで投入されていたのは、世界初の純粋な空母と言われる鳳翔だった。建造時期では天城と殆ど変わらないが、まだ海のものとも山のものともつかなかった空母黎明期に建造された鳳翔は、第二次欧州大戦開戦時には既に補助的な空母でしかなかった。
鳳翔の排水量は1万トン程度で、第二次欧州大戦開戦時には搭載機の大型化で搭載定数は補用機を含めても20機程度でしかないから、最前線に投入できるようなものではなくなっていたのだ。
だから二線級の練習空母として鳳翔が運用されていたのだろうが、そこから巡洋戦艦を原型とする4万トン級の大型空母である天城が練習空母となったのだから格段の進化があったといえるだろう。
天城型が練習艦に転用されたのは、第二次欧州大戦後に日本海軍の艦隊航空における主力となった大鳳型に船体寸法が類似していた為でもあったのだろう。
格納庫内などは最低限の装備しか刷新されていないのに、天城は斜め飛行甲板の増設や着艦制動装置の更新を行うことで、発着艦動作に関しては新鋭空母同様の性能を保っていたのだ。
陸上配置が多かった垣花飛曹長達の航空隊も、幾度となく本土近海を航行中の天城に飛来して訓練を行っていた。だから短時間で艦型の似た瑞鶴にも慣れていたのだが、飛龍の場合はむしろ天城で繰り返した着艦動作の記憶によって着艦動作が阻害されていた。
最初に感じたのは角度の違和感だった。それも当然だった。船体寸法に余裕のない飛龍は、艦橋と反対側に設けられた張り出し部分が大型空母程大きく出来なかったから、船首尾線に対する斜め飛行甲板の角度が浅かったからだ。
以前は、母艦の針路に対して斜行しながら着艦しなければならない斜め飛行甲板への着艦作業を煩わしく感じたものだったが、皮肉な事にそのやり方に一旦慣れてしまうと、飛龍のように船首尾線との角度が浅い場合に他の空母との感覚が違って困惑することになってしまっていたのだ。
おかげで、垣花飛曹長は航空隊内でも古参の搭乗員らしからぬ無様な着艦を行う羽目になっていた。危うく着艦制動索を掴みそこねて、滑走制止柵に飛び込んでしまうところだったのだ。
飛行甲板の制動索は複数配置されていた。着艦機はそのどれかに機尾から下ろしたフックを引っ掛ければよいわけだが、2番目か3番目の中頃に配置された索を上手く捉えるのが熟練搭乗員の証と言われていた。極端な位置に配置されている索を掴むと制動距離や制動力が大きくなってしまうからだ。
実際に最後の制動索を掴んだ垣花飛曹長達の四四式艦攻は、普段以上の制動力が掛かって急停止していた。制止位置から滑走制止柵まで距離がないものだから、制動力を飛行甲板の後部に配置された制止索よりも高めてあるのだろう。
だが無様な着艦で赤面しているような暇は垣花飛曹長にはなかった。慌ただしく制動索を外した甲板員の合図通りにフックを上げると、早々と下げられた着艦制止柵を乗り越えて、飛行甲板前部の着艦機収容区画に移動していたからだ。
四四式艦攻から外された制動索は、勢いよく甲板下に配置されている油圧装置の力で巻き取られていった。やはり飛龍の着艦制動装置は、制動力が高いだけではなく巻取り速度も早い最新の物に換装されているようだった。
尤も、着艦制動装置は最新のものでも、飛龍の飛行甲板は実際に降り立ってみると旧弊な箇所も目立っていた。垣花飛曹長達が乗り越えた着艦制止柵もそうだった。
制動索を掴みそこねて着艦に失敗した機体を、前方の着艦機収容区画に飛び込む前に破損覚悟で最後に受け止めるのが頑丈な着艦制止柵だったが、大型空母では廃止が相次いでいた。
斜め飛行甲板の実現で、着艦に失敗した機体も制止柵に突入する事なく再度上昇して着艦をやり直せるからだ。
それに、昨今ではジェットエンジン搭載機の増加で顕になった発艦機から出る高温高圧の排気流が問題となっていた。
だから従来は着艦制止柵が配置されていた箇所には、射出機上でエンジン出力を上げたジェット機から排出される高温の排気を上空に向けて反らす起倒式の排気反射板が新たに設けられるようになっていた。
飛龍で着艦制止柵が廃止されなかったのは、斜め飛行甲板の角度が浅くて、着艦に失敗した機体がそのまま前方の着艦機収容区画に突入する危険性が残っていたからではないか。それを見ても垣花飛曹長は飛龍の近代化改装が中途半端という印象を拭い去れなかった。
飛龍の前部エレベーターは何度も警告音を立てて全力で稼働しているようだが、着艦してそのまま飛行甲板前側の着艦機収容区画に係止されている機体も多かった。この様子では格納庫内部も混雑して足の踏み場もないのではないか。
瑞鶴から発艦した機体の中で、燃料消費の激しいジェット戦闘機などは優先して他の輪形陣に配置された大鳳型や瑞鳳型への着艦を指示されていたようだが、垣花飛曹長達四四式艦攻の増加だけでも中型空母の飛龍には相当な負担となっている筈だった。
飛龍には3基のエレベーターが配置されていたが、そのいずれもが飛行甲板の内側に埋め込まれた従来式のものだった。
大鳳型も当初は翔鶴型と同様に埋込式のエレベーターが配置されていたのだが、先行して舷側エレベーターを採用した浦賀型海防空母などにおける使用実績が良好であったことから、早くも2番艦である白鳳から飛行甲板を有効に活用できる舷側エレベーターが採用されていた。
確か1番艦の大鵬も改装工事で舷側エレベーターに改められていたはずだが、飛龍は瑞鶴と同様に改装工事後もエレベーターは従来式のままだったようだ。
おそらくは、当初から舷側エレベーターの採用も検討されていた大鳳型と違って、建造時期が古い空母は船体の構造が舷側配置を不可能とさせていたのだろう。
だが、3基も備えられた飛龍のエレベーターの中で活用されていたのは、着艦機収容区画内にある前部エレベーターの1基だけだった。後部エレベーターはもちろん、中部エレベーターまで着艦区画内に含まれていたから、飛行甲板の一部として固定されていたままだったからだ。
実は蒼龍型の後に建造された翔鶴型では飛行甲板と格納庫を繋ぐエレベーターは前後部の2基に減らされていた。それまで建造されていた空母の運用実績から、艦橋近くの中央部エレベーターは実際には使用機会が少ないことが判明していたからだ。
現在の飛龍がそうである様に連続して着艦作業がある場合は、斜め飛行甲板の有無に関わらず着艦区画を確保する為に、前部エレベーターしか使用できなかった。軽空母の場合は前部エレベーターすら固定して収容区画内に着艦機を滞留させなければ着艦に必要な距離が足りない位だった。
着艦機収容区画で一旦待機した着艦機は、空き次第前部エレベーターで格納庫に下げられる事になるが、多段式格納庫の場合はエレベーターの行き来が増えて飛行甲板の作業に滞りが出る場合も少なくなかった。
結局平時の訓練においても使い勝手の悪い中央部のエレベーターは使用されることなく、実戦で攻撃隊を配列する場合も前後部の2基のみで行う事が多かったのだ。
それに日本海軍の艦隊型空母では、翔鶴型から飛行甲板に急降下爆撃に耐久出来る程度の装甲が施されていたが、喫水線から高い位置にある飛行甲板に重量のある装甲板を配置する為に、エレベーターや格納庫の配置も根本から見直されていた。
重心を下げる為に格納庫が単段化される一方で装甲板の効率も考慮した結果、翔鶴型では中央部のエレベーターを廃止して前後部エレベーター間隔も広げられていた。
船体構造と一体化した飛行甲板の下一杯に広げられた格納庫は装甲が施された前後部エレベーター間の外側にも繋がっていたが、実際にはこの空間は補用機などを格納するのに使用されていたから、普段は装甲で守られた広大な空間を整備や補給作業に使用できたのだ。
更に新鋭空母では、格納庫外壁の一部を開放することで発着艦作業で飛行甲板が使用されていても格納庫から搭載機を移動出来る舷側エレベーターが配置されていたから、日本海軍空母における発着艦機の移動作業はわずか十年で格段に進化していたと言えるだろう。
裏を返せば、近代化改装を行ったとしても飛龍は急速に旧式化が進んで艦載機の運用面から取り残されようとしていたのだ。
―――この戦局において、旧式化した飛龍1隻で何が出来るのだろう……
ようやくエンジンを止めた四四式艦攻のプロペラが慣性で回り続けているのを見つめながら、垣花飛曹長はそう考えていた。
第4航空戦隊の主力となっていたのは瑞鶴だった。垣花飛曹長達の母艦であったその瑞鶴が撃沈されたとなっては、戦隊の戦力は半減以上に消耗していると考えるべきではないか。
元々昨年度の戦闘で翔鶴が撃沈された後に第4航空戦隊が再編成されたのは、限定的には大鳳型並の戦力となる瑞鶴を補助するために飛龍を編入したものといえるのではないか。
今回の戦闘で航空戦隊に配属された航空隊の撃墜機が少なかったとしても、飛行甲板が狭い飛龍からでは一斉に発艦できる攻撃隊の機数が少ないから、攻勢的に使用するのは限度があったのだ。
飛龍1隻となった航空戦隊は運用可能な搭載機数の点でも大きく減少していたが、上空から見た艦隊の様子からすると護衛艦艇の減少で単独では輪形陣を維持するのも難しいのではないか。
輪形陣に敵重爆撃機の誘導爆弾で撃沈されたという瑞鶴から脱出した生存者を救出した艦艇が合流したとしても、救助者を満載した状態では十全に戦えないだろう。
現実的に考えれば残り3つの輪形陣に飛龍を合流させるのが自然だった。輪形陣を大型化して更なる空襲に備えなければ翔鶴を一撃のものに撃破したという米重爆の攻勢に耐えられるとは思えなかった。
垣花飛曹長がそう考えている間に、井出大尉は飛龍の甲板士官に呼び出されて何処かに去っていった。艦攻隊の分隊長である井出大尉は航空隊の幹部だから、生き残った司令部要員にでも招集されたのだろう。
井手大尉に続いて愛機を降りた垣花飛曹長も手持ち無沙汰とはならなかった。四四式艦攻を移動する手伝いに駆り出されていたからだ。
運用する機体の重量化に伴って、大型空母では飛行甲板でも牽引車を使用するのが常識となっていたが、飛龍では作業用車両を載せる余裕がないのかもしれない。
新兵時代の頃を思い出しながら汗だくとなってエレベーターで愛機を格納庫に降ろした垣花飛曹長は、想像とはやや違っていた飛龍格納庫内の様子に首を傾げていた。
格納庫内部では整備員が総出で四四式艦攻の点検整備と並行して見慣れない兵装の搭載作業を行っていた。そこには僚艦を撃沈されたという悲壮感は全く感じられなかった。
四四式艦上攻撃機流星の設定は下記アドレスで公開中です。
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