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1952グアム島沖砲撃戦21

 外部の見張所に配置されている見張員を含めて、八雲艦橋で勤務する乗員の多くは目立たない青褐色の第三種軍装を着用していた。


 第一次欧州大戦を契機に採用された日本海軍の第三種軍装は、当時は陸戦衣や略装などとも呼ばれていたらしい。実際にそのような使われ方をしていたからだろう。

 もう30年以上も前のことだから当時を知るものは現役士官の中でも少なくなっていたが、本土近海における防衛を主任務としていた日本海軍が遥か欧州まで本格的な派兵を行った事で生じた問題に対応するための諸措置の一つ、であったらしい。

 当時は、日本海軍もオスマン帝国と対峙する中東戦線を皮切りに欧州に陸戦部隊を派遣していたから、日本陸軍に遅れて目立たない色の軍衣を急遽制定していたのだろう。


 だが、今では扱いが容易な軍衣として第三種軍装は広く浸透していた。当初の目的であった陸戦隊や地上勤務者向けというだけではなく、艦隊勤務者も大半は第三種軍装を着込むようになっていた。

 むしろ、以前は略装と呼ばれていた第三種軍装こそ今となっては海軍で常用される軍衣となっており、第一種軍装や第二種軍装を式典等の際にのみ着用する「礼服」と受け取るものも増えているようだ。



 ところが、艦長が不在でも決して少なくない乗員が勤務する八雲艦橋の中で、最近は白服と俗称される純白の第二種軍装を栗賀少佐だけは隙なく着込んでいた。

 第一種軍装が冬季用途とされているのに対して、第二種軍装は夏季用の軍衣とされていた。ただし、日本本土における夏季を想定して制定されていたものだから、そこから二千キロも南下した気温の高いこの海域では既に夏季用としても適していなかった。

 開襟の第三種軍装はそうした防熱服という側面も有していたのだが、今日だけではなく栗賀少佐は滲む汗も構わずに第二種軍装を脱ぐ事はなかった。他の士官は多くが第一、第二種軍装を行李の奥で眠らせていたが、逆に栗賀少佐は第三種軍装をしまい込んでいたのだ。


 栗賀少佐が第二種軍装を着込んでいたのは単に好みというだけではなかった。昨今では日本陸軍の軍衣とも見分けが付きにくい第三種軍装とは異なり、第一、第二種軍装であれば遠くからでも海軍士官である事が一目瞭然であるからだ。

 日本人離れした長身で金髪碧眼の栗賀少佐の外見は、軍衣を脱いでしまうと日本海軍の士官には見えなかった。付き合いの長い八雲乗員なら見間違うはずはないが、いつの間にか目立つ第一、第二種軍装を艦内でも着込むのが少佐の習慣となっていたのだ。



 7年前、まだプリンツ・オイゲンと呼ばれていたこの艦の航海長であった頃は、栗賀少佐はドイツ海軍の士官であるクリューガー少佐と呼ばれていた。

 それが日本海軍士官の栗賀少佐となったきっかけは、言うまでもなく講和後に数少ない稼働艦としてプリンツ・オイゲンが日本海軍に賠償艦として引き渡された事だった。

 ドイツ海軍に関する技術調査として各種の試験を日本本土で行う為に、プリンツ・オイゲンの旧乗員や海軍の技術者が徴用されて何人か乗艦することになったが、その際に旧乗員の最上級者として日本までの回航支援を命じられたのがクリューガー少佐だった。


 だが、来日からさほど日を待たずに、クリューガー少佐は日本行きを命じたドイツ海軍から退役した扱いになっていた。少佐だけではなく、旧潜水艦隊などの海軍軍人が軍縮によって一斉に放り出されていたのだ。

 しかし、幸いな事、と言ってよいのかどうかは分からないが、日本人には扱い辛いプリンツ・オイゲン改め重巡洋艦八雲の運用に欠かせない人員と認識されていたクリューガー少佐は、少佐待遇の運用顧問という立場で日本海軍の軍属として雇用されていた。



 更にそれからしばらくして、家族を呼び寄せると共にクリューガー少佐は正式に日本に帰化していた。少し無理があったが、元のドイツ人としての名前から栗賀という名を名乗る様になったのもその時だった。

 プリンツ・オイゲンの回航に立ち会った元乗員の中で、栗賀少佐の様に日本海軍に移籍できたものはいなかった。栗賀少佐の異例の移籍と少佐待遇という軍属時代の扱いの継続が認められたのは、八雲前艦長の強いコネがあったからだ。

 第二次欧州大戦中に予備役から招集されていた吉野大佐は、階級の割には老齢だった。だから海軍兵学校同期は将官となっていたものも多かった。そうした繋がりで栗賀少佐の八雲航海長就任という異例の人事をねじ込んでいたのだろう


 ただし、プリンツ・オイゲン時代に栗賀少佐の部下だった旧ドイツ海軍将兵には、ドイツ海軍の技術を伝授し終えて八雲を下艦した後も、日本海軍の軍属や日本本土や満州で職を見つけて帰化していたものは多かった。

 運用術ではなく技術面の支援を行うために顧問として来日したヴェルナー技術大尉などは、疲弊した祖国を立て直すと言って許可が得られた直後に早々とドイツに帰国していたが、栗賀少佐の様に家族を呼び寄せた帰化組には祖国に未練はなかった。



 高度技術者であるヴェルナー技術大尉などはともかく、今更ドイツに帰国してもしばらく本国を離れていた元海軍軍人にまともな職が探せるとは思えなかった。

 国際連盟から共産主義勢力に対する盾として一定規模の部隊を維持する事を求められた陸軍や、爆撃機等の廃棄しか求められずに防空専門部隊として再編成された空軍と比べると、ドイツ海軍に昔年の面影は無かったからだ。


 戦時中に実質的な主力だった潜水艦隊は完全に解体されていたし、唯一残された大型艦と言える戦艦テルピッツは、英国で行われた長期間の修理工事後も本国に母港もなく、実質的に英国本国艦隊の傭兵という特異な役割を負っていた。


 今のドイツ海軍は、供与された形の改造空母を中核とした小規模な対潜部隊しか持たなかった。第一、バルト海を失った今のドイツには、オランダ近くの僅かな距離しか大洋に接する沿岸は残されていなかった。

 それだけではない。その僅かな距離の沿岸部もソ連占領地帯に隣接しているのだから、平時の商港としてはともかく到底艦隊の母港として安全に使用できるものではなかったのだ。



 ドイツ本国がそんな状態だから、帰国してもドイツ海軍に再入隊するのは難しかった。終戦間際に組織的に行われた北東部からの避難民流入によって、南部に限られた現在のドイツは人口過剰状態にあると言われて久かったから、海軍に限らずドイツ国内で職を求めるのも難しいだろう。

 祖国を離れて諸外国に移民する道を選んでいたドイツ人も多かったはずだが、満州やオランダ領東インド諸島などへの集団移住ではなく、南アフリカやオーストラリアなどの白人居住地域への移住ですらなく、実質的に日本人のみしかいないこの国に移住する道を選んだものは少なかっただろう。


 八雲の運用顧問という立場で日本海軍の軍属として雇用された時から、栗賀少佐は周囲からの奇異な視線を覚悟していたのだが、八雲を降りても意外な程に日本人達は少佐に好意的であったか、唯の外国人として奇異な目で見られるのかのどちらかだった。

 聞いていた程には日本人達は排斥的ではないのかと考えた栗賀少佐や一部のプリンツ・オイゲン元乗員達は、安心して家族を荒廃したドイツから豊かな日本本土に呼び寄せたのだが、そうして本格的に居住してみると、彼らは家族からドイツ人として周りから白い目で見られていると訴えられていたのだった。


 家族達から問い詰められて困惑した栗賀少佐達は、親しくなった八雲乗員に最初に相談していたのだが、彼らの推測は奇妙なものだった。おそらくは、栗賀少佐達を一目見てドイツ人と考えたものは少なかっただろうというのだ。

 唖然とする栗賀少佐達に、純粋な日本人である乗員達は苦笑しながら続けた。以前から日本海軍では技術供与などで英国海軍の関係者などが来訪する事は少なくなかった。だから単に栗賀少佐達を英国人かロシア人とでも間違えただけなのだろうというのだ。


 シンガポールや香港等に駐留する英艦隊が訓練や親善訪問で日本各地に寄港する機会は少なくなかったし、第二次欧州大戦開戦後は空爆等の被害から逃れる為に疎開してきた英国技術陣の姿を見る事も横須賀等では珍しくなかったようだ。

 それに加えて米国の援助でソ連海軍が勢力を拡大するのに対抗する為か、最近ではシベリアーロシア帝国も内戦勃発以後壊滅状態にあった海軍の整備に力を入れ始めていた。

 日本海軍の援助で編成中のロシア艦隊も、日本近海で共同訓練を行っているようだから、軍港であれば英国人やロシア人の姿を見かける機会は多いらしい。



 栗賀少佐達は唖然としつつも納得し始めていた。最初はドイツ人と英国人、ロシア人の区別がつかない筈もないだろうと考えたものの、よく考えてみれば自分達も最初は同じアジア系の人種である中国人と日本人の区別がつかなかったのだ。

 だが、忙しく海軍基地に出入りする自分達はともかく、流石に日本人達もその地で暮らすようになった家族がドイツ人であることは自然と周囲に伝わっていたのだろう。


 ドイツ空軍と爆撃の応酬を繰り広げていた英国などのように、日本人が直接ドイツから爆撃などを受けたわけではないのだろうが、第二次欧州大戦に日本が参戦する頃には、欧州から追放されたユダヤ人辺りからの情報を元に盛んに日本国内でドイツの非道が報道されていたらしい。

 ヴィシー政権が支配していたマダガスカル島追放時の護衛という名目で日本海軍は欧州入りを果たしていたから、日本人に好意的なユダヤ人には事欠かなかったはずだ。

 戦後は一転して食糧難などのドイツに同情的な報道が行われたことで、一般的な日本人の対独世論は軟化していたが、軍港の街でドイツ人に向けられる視線は複雑なものがあったようだ。あるいは、ドイツとの戦闘で肉親を失ったものも少なくなかったのではないか。



 栗賀少佐は頭を抱えていた。自分一人ならどうにでも処する事も出来るが、もしかするととんでもない環境に愛する家族を放り込んでしまったのかもしれないと考えていたのだ。

 根本的な原因がドイツ民族に対するものであるとすれば、自分達が国籍を変えたところで解決できるものでも無かった。ドイツ人であることは止められても、ドイツ民族である事は生まれた時点でどうしようもないからだ。


 ところが、家族をどうやって守っていくか真剣に悩んでいる栗賀少佐達に対して、その八雲乗員はあっさりと言った。それが海軍の軍装を着たままのこれみよがしな帰宅という案だった。

 軍属として雇用されていた時期から、栗賀少佐達には作業着として階級章の無い第三種軍装が支給されていたのだが、大半のものは目立たない様に構内で私服に着替えてから帰宅していた。

 その習慣を廃して軍装、それも出来れば目立つ第一、第二種軍装を見せつけたほうが良いだろう、そう言った八雲乗員の言葉に半信半疑ながら栗賀少佐は従ったのだが、その効果は劇的なものだった。



 ―――結局、人種に関わりなく皆、制服を見て態度を変えるのだな……

 当たり前、といえば当たり前かもしれないが、馬鹿馬鹿しい話だった。制服を見せることだけで、栗賀少佐達は得体のしれないドイツ人から海軍軍人という立場に変わっていた。そして軍港の住民達は海軍の遠回しな証明であっさりと彼らに対する態度を変えていたのだ。

 それまで袖を通していた第三種軍装をしまい込んだ栗賀少佐は、それ以後ずっと第一、第二軍装を着込むようになっていた。

 どのみち帰化した栗賀少佐が航海長などという責任ある立場を全うできるのは、元ドイツ海軍艦である八雲の存在があればこそだった。本来は地上勤務用の第三種軍装を着るときは、用が済んで日本海軍を追われる日のことかもしれなかった。



 傍から見れば世界共通で海軍軍人らしく見える軍衣を着込みながらも、今のところ仕事がない栗賀少佐はずっとそんな事を考えていた。

 単なる逃避かもしれなかった。今は中央指揮所の艦長が舵をとっていたが、どのみち空母を中心とした輪形陣を組んでいる間は、八雲にも行動の自由はないから、鳥海や2空母の機動に合わせるしかないのだ。


 栗賀少佐の目に再び閃光が入ってきていた。防空巡洋艦による噴進弾の発射ではなかった。輪形陣を組む重巡洋艦の8インチ主砲による対空射撃が開始されたのだ。

 すぐに海面に反響しながら砲声も伝わってくるだろうが、八雲の主砲もまもなく火蓋を切るはずだった。その時に備えて栗賀少佐は上空を睨みつけていた。意識したわけではなかったが、その姿はやはり傍目にはいかにも海軍軍人らしいものだった。

八雲型重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cayakumo.html

シャルンホルスト級空母の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvscharnhorst.html

ビスマルク級戦艦テルピッツの設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbtirpitz.html

高雄型重巡洋艦鳥海の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cachokai1943.html

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