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1952グアム島沖砲撃戦20

 日本海軍が採用した対空誘導噴進弾は、専用の誘導電波発振器を使用する大掛かりなものだった。捜索電探で捉えた後に誘導電波を照準を行った敵機に照射すると、その電波にそって噴進弾が誘導されて飛翔するというものだった。

 技術的には四七式射撃指揮装置でも噴進弾の誘導は可能であるはずだというが、今のところ対空誘導噴進弾を搭載した数少ない防空巡洋艦は専用の誘導電波発振器を用いて誘導を行っていた。


 だが、この専用機材が必要であった事が、日本海軍における誘導噴進弾の本格的な採用を躊躇わせる原因ともなっていた。

 誘導に必要な広い視界を確保する為には、発振器は艦橋やマスト頂部などに設置するのが望ましかったが、既存艦ではそれらの一等地は既に主砲や高角砲を管制する方位盤や射撃指揮装置、各種電探で占められていたからだ。

 それに各種の射撃指揮装置の場合は、着弾観測にも用いない限り発砲後即座に別目標の照準動作に移行することが可能であるのに対して、誘導電波発振器は誘導噴進弾が命中するまで機動する敵機に指向し続ける必要もあった。


 それでいて電波による誘導は特に開発初期は信頼性が低かった。目標の機動に追随して誘導電波発振器を高速で旋回させた場合に、噴進弾の電波受信範囲から外れてしまった事例も少なくなかった。

 要は誘導噴進弾の信頼性や実績が、既存の火砲を上回るほどの期待となって現れていなかったのだが、それは運用艦が少ないために乏しい実績が艦隊空誘導噴進弾の評価として独り歩きしているためとも言えた。



 厄介なことに、海空軍の各航空隊に広く配備されてB-36の迎撃に実績を上げつつある空対空戦闘用の誘導噴進弾に対して、艦載の誘導噴進弾の取り扱いが面倒であるという事実だけは既に実戦でも証明されていた。

 八雲が対艦誘導噴進弾の実運用試験を担当していたのに対して、対空誘導噴進弾は本来の防空巡洋艦としての任務を後続に譲った形の石狩型で試験が行われていたのだが、開戦直後のグアム島沖海戦における同艦の活躍は、連合艦隊にとって些か期待外れなものだったのだ。


 改装工事後は試験内容の進捗と共に初期故障の多かった噴進弾弾体の実用性も増していったのだが、石狩型の誘導弾搭載に関する改造内容は最初から実用性を犠牲とした極端なものだった。

 船首尾線に沿って配置されていた高角砲塔を1基のみ残すように大幅に削減する一方で、三基ずつの連装誘導噴進弾発射器と誘導電波発振器が据え付けられていたからだ。

 おそらく対空誘導噴進弾の同時発射時における効果的な誘導試験などに用いる為のものだったのだろうが、建造当初から艦隊の要望を満たす程ではなかったとまで評価されていた石狩型の管制能力に対して、新兵器である誘導噴進弾の同時発射は管理しきれるものではなくなっていた。


 改装後の石狩型は、諸元表上では計6発もの対空誘導噴進弾を同時に発射可能であるにも関わらず、誘導電波発振器の数から実際に誘導可能なのは3発だった。

 しかも、誘導電波発振器自体の信頼性や、標的の回避機動などによって捜索電探の支援が欠かせない状況も発生することから、実戦においては同時誘導は2発程度が限度であったようだ。


 先のグアム島沖海戦でも石狩型から放たれた誘導噴進弾によってB-36の撃墜が確認されていたが、単に照準が失敗していたというよりも、洋上からでも迷走したとしか言いようがない弾体も多かったようだった。

 だから、今回の作戦における編成では、2隻の石狩型は戦隊を分離してそれぞれ別の輪形陣に配置されていた。輪形陣の対空戦闘を統括する米代型からの指示で誘導噴進弾の発射を行わせるのだという話だった。



 しかし、高い管制能力を持つ米代型が既存の高角砲を主兵装とする一方で、防空巡洋艦としては機能が限定的と言われながらも、改装工事後の鈴谷型は米代型には今のところ搭載されていない対空誘導噴進弾発射機を備えていた。


 第二次欧州大戦後の軍縮雰囲気による予算圧縮を受けて、一度は予備艦指定を受けていた鈴谷と熊野の防空巡洋艦改装工事は後回しにされていた。改装工事後の本格的な出動は、それこそ昨年度のグアム島沖海戦だったのではないか。

 皮肉な事に、この改装時期の遅れが、鈴谷型の個艦装備を米代型のそれよりも進化した最新鋭のものとさせていた。

 改装計画当初は、高角砲も従来型のものを搭載する予定だったらしいが、実際には八雲で試験を行っていた新型砲塔が載せられていたし、石狩型の実績を受けて後部甲板に弾庫と共に増設された対空誘導噴進弾は無理をせずに連装一基のみとされていたからだ。



 実用性という意味では、捜索用電探と高射装置、誘導電波発振器をバランス良く備えた鈴谷型は、従来型の砲兵装による近接防空戦闘能力と対空誘導噴進弾の母艦としての遠距離戦闘能力を兼ね備えた姿としては最適解なのかもしれなかった。

 高高度を飛行するB-36を輪形陣の懐に飛び込まれる前に余裕を持って迎撃するには、輪形陣間の距離も飛び越えて遠距離まで自力で一気に飛翔する対空誘導噴進弾を使用するしかなかった。

 第11分艦隊を率いる左近允中将は、自分の手元にこれを装備した2隻の鈴谷型をおいて、随時指揮を委ねた他の輪形陣の援護を行わせる腹積もりなのではないだろうか。


 そう考えて、左近允中将が乗り込む鳥海が航行しているはずの海域に再び双眼鏡を向けた栗賀少佐の視界に、オレンジ色の閃光が海面に走るのが収まっていた。僅かに遅れて閃光はもう一箇所で発生していた。

 海面で発生していた閃光は、短時間のうちに薄黒い煙を後に引きながら上空に駆け上がっていった。閃光の発生から僅かに遅れて八雲のところまで轟音が海面を伝わってきていた。


 変化は2条の閃光だけではなかった。艦橋窓から輪形陣を組む僚艦を観察していた栗賀少佐の目前では、周囲に向けられていた八雲の主砲塔が、消え去った閃光を追いかけるように、明確な意思を持って揃って砲身を彼方に向けて掲げ始めていた。

 射撃指揮装置の指示で旋回する主砲塔が回り切る前に、緊張した声で見張り員と電話伝令の報告が上がっていた。栗賀少佐が目撃した鈴谷と熊野による対空誘導噴進弾の射撃開始を告げるものだった。



 気がつくと、上空で戦闘機隊による射撃が行われている事を示していた明滅する光は、逆に間遠になっていた。航空機が行われる空域がこれ以上艦隊に接近することはなさそうだった。

 分艦隊司令部は、同士討ちを避けるために各隊の交戦域を作戦前に明確に定めていた。誘導噴進弾を抱えた艦上攻撃機を含む戦闘機隊は、艦隊による対空射撃の誤射を避けるためと、敵機を遠距離で阻止するために艦隊から離れた空域に誘導されていた。

 防空巡洋艦や前衛の哨戒艦による戦闘機隊の艦隊前方への誘導と指揮は、日本海軍では第二次欧州大戦から始められていたが、数が少ないとはいえ艦載兵器として対空誘導噴進弾が実用化した事から、艦隊周辺に設けられた進入禁止空域は広がっていたのだ。


 艦隊に対空戦闘が命じられた場合、その範囲に在空する航空機全てが対空射撃の目標とされる可能性があった。勿論優先すべき標的は高空のB-36だったが、戦闘機隊の迎撃を受け、対空誘導噴進弾の射撃をくぐり抜ける敵機を識別する余裕は無かった。

 飛行形態の違いからB-36と友軍迎撃機の区別位はつきそうなものだが、実際には遠距離から電探照準を行う場合は悠長に敵味方の識別を行っている余裕がないのではないか。



 発艦作業のために一時的に風上に向かっていた空母を中核とした第11分艦隊の輪形陣は、この時までに概ね艦隊に向けて北上する米航空隊に側面を晒すように転舵していた。

 長大な船体側面を晒すことになるから対水上電探による探知は容易であるだろうが、どのみちこんなに巨大な複数の輪形陣を見逃す程米軍の搭乗員の練度が低いとは思えなかった。

 それよりも船体の首尾線にそって配置された防空火器や各種電探の射界を確保する事の方が重要だった。



 ―――それにしても妙なことになったものだ……

 四七式射撃指揮装置の照準修正を受けているのか、敵機が襲来する方向に向けられた主砲の砲身は微妙に揺れ動いていた。その動きを見つめながら栗賀少佐は七年程前の事を思い出していた。

 当時から随分と艦橋内の機材は入れ替わってしまったが、七年前も栗賀少佐はこの艦橋で指揮を取っていた。その頃から自分を取り巻く環境は大きく変わってしまったが、少佐の航海長という職務は何一つ変わらなかった。


 実験艦として八雲には次々と開発中の機材が載せられていったが、操舵周りの機器にはほとんど変更は無かった。栗賀少佐個人にとってそれを喜ぶべきなのかどうかは分からなかった。

 操舵周りが変化していないからこそ、アドミラル・ヒッパー級の操艦に長けた自分が今でも八雲の航海長を務められているという安堵と共に、日本海軍にとってプリンツ・オイゲンの航海機能は評価や調査の対象にも値しないという意味でもあるのではないかという曖昧な不安感も抱いていたからだ。



 艦隊で対空誘導噴進弾を装備する艦の数からしても、遠距離で完全にB-36を阻止する事が出来るとは思えなかった。長10センチ砲は初速が高いから射程も射高も優れていたが、B-36が誘導爆弾を使用する際には高高度を常用しているようだから、射撃機会は一瞬の事と覚悟すべきだった。

 これからすぐに八雲も激しい対空戦闘に突入するはずなのに、航海長である栗賀少佐以上の八雲幹部が艦橋に入ってくる気配は無かった。艦橋要員も緊張した雰囲気であったが、艦長の不在に疑問を持っている様子は伺えなかった。


 乗員達から八雲のヌシと言われている栗賀少佐に比べれば左程でもないが、村松大佐の八雲勤務は長かった。乗艦当初は副長であったのだが、大佐昇任後に前任者が退役してそのまま艦長に任命されていたのだ。

 日本海軍における高級佐官の配置としては異例のことであったようだが、村松大佐は元々重巡洋艦の通信長から遣欧艦隊の通信参謀に命じられていた生粋の通信科将校だったから、様々な新兵器の実験艦として運用されていた八雲の指揮艦としてふさわしいと考えられていたのではないか。

 最近の新兵器は誘導噴進弾や射撃指揮装置など電波を使用する弱電機器が多かったから、砲術科や水雷科などの兵装に直接携わる科の将校よりも、通信科出身で最新技術に明るいと判断されたと考えれば自然だった。



 村松大佐は元々戦術長兼任の副長として八雲の勤務を開始していた。従来は聞き慣れない戦術長という日本海軍独自の役職は、中央指揮所の指揮官であると共に、艦長や副長が指揮を取れなくなった場合に指揮権を継承する第三位の序列に位置していた。

 電探室と同様の電探表示面や状況を図示する態勢表示盤などの機材に加えて、艦内電話を通じた見張員などからの情報が集約される中央指揮所は、機能を発揮している間は装甲の奥深くに居ながらにして周囲の状況を正確に把握することが可能だった。


 八雲の中央指揮所は、度重なる改装工事で機能どころか設置場所まで変化していたが、元々中央指揮所の指揮官であった村松大佐は、艦長就任後も中央指揮所で指揮を取る事が多かった。

 日本海軍でも最近では艦長の配置は融通が効くから、艦橋ではなく中央指揮所で電子的な情報に頼るものが増えていたのだ。それに八雲の戦術長は新任でまだ頼りないから、村松大佐としては気になるという点もあるのだろう。


 その代わりに八雲艦橋に在室する最上級士官は航海長である栗賀少佐ということになったのだが、仮に村松大佐や戦術長が中央指揮所で指揮を取れない事態となったとしても、果たして栗賀少佐の指揮権を八雲の乗員達がすんなりと認めるかどうかは分からなかった。

八雲型重巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cayakumo.html

石狩型防空巡洋艦改装型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/clisikarikai.html

米代型防空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/clyonesiro.html

鈴谷型防空巡洋艦改装型の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/clsuzuyakai.html

高雄型重巡洋艦鳥海の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cachokai1943.html

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