1952グアム島沖砲撃戦17
大出力ピストンエンジンであるハ42からターボプロップエンジンに換装された四四式艦戦二型は、自重が五百キロ程増加してしまっていた。
タービンエンジン本体はピストンエンジンと比べて重量があるわけではないのだが、関連する艤装の追加や燃料タンクの大型化が図られたことで、それだけ重量が増大してしまったようだ。
だが、三トン級の四四式艦戦は元々従来の艦上戦闘機からすると重量級の機体だったし、エンジン出力は一挙に千馬力程も増大していたから、速度面や搭載量は大幅に性能が向上していた。
ただし、飛行性能が向上した一方で、運用上の支障も少なからず生じていた。ピストンエンジン単発機の配置を大きく変更することなくターボプロップエンジンを小手先で換装した歪みが運用面に現れていたのだ。
ターボプロップエンジンは、タービンエンジンの回転力をプロペラに伝達して推進力に転換しているとはいえ、燃焼で生じた排気がすべてプロペラの回転に寄与しているわけではなかった。
すべてのタービン翼を回転させた後も排気に残された高温高圧の流れは、エンジンから勢いよく排出されていた。四四式艦戦二型では、機首直後、つまり操縦席の真横近くに設けられた排出口からジェットエンジン搭載機のようにエンジン排気が排出されていたのである。
第二次欧州大戦中盤頃から、ピストンエンジンの大出力化に伴って以前からエンジン排気の工夫による利用が始まっていたが、これはジェットエンジンの様に直接排気を推力として使用しているわけではなかった。
ピストンエンジンの大出力化は、主に気筒数の増大や複列化によって行われていたが、いずれも限度があった。大戦終盤に就役した大出力エンジンが大口径のものを原型とするようになっていたのは、純粋な排気量の増大を行う為でもあったのだろう。
だが、大口径化したエンジンを、絞り込まれた機体の機首に単純に据え付けるてしまうと問題が生じていた。機体正面から見ると、エンジン後端に直結する防火壁周辺で急激に断面積が減少する事になるからだ。
第二次欧州大戦前から、日本でも実機寸法の模型で試験が可能となった大型で高速の風洞実験設備が建設されていたのだが、これにより得られる詳細な実験結果などからも、機体表面の顕著な段差が機体表面に乱流を作り出して抵抗となることから、飛行性能に悪影響を及ぼすことが分かっていた。
この解決策として用いられたのがエンジン排気を利用するやり方だった。単純に捨て去るだけだった排気を機体段差に沿って流す事で、乱流を吹き飛ばすとともに、断面積を最小限としたエンジンカウリング内部を排気で負圧にして冷却空気の流入増大をも図っていたのだ。
ピストンエンジンの場合は排気はあくまでも補助的な使い方だったが、講和によって流入したドイツ空軍情報の中には奇妙な機体が存在していた。通常の空冷エンジンを搭載した単発戦闘機であるFw190を原型としながらも機首にジェットエンジンを搭載するという破天荒なものだった。
もちろんそのままではジェットエンジンが推力を発揮する事は出来なかった。排気が流れるべきエンジン後方には操縦席を始めとする胴体部が存在するからだ。
この案では、エンジン排気は左右に振り分けられた上で胴体の左右側から排出されるという配置計画であったらしいが、それで十分な推力を得られたかどうかは分からなかった。ドイツ講和に伴う混乱時に技術情報が散逸した結果、どこまで計画が進んでいたのかさえ不明だった。
実機が製造されたかどうかも分からなかったが、四四式艦戦二型ではこの単発ジェットエンジン機の構想案の様に、ターボプロップエンジンの余剰排気を胴体左右に排出する計画で当初進められていた。
同時期には英国でもターボプロップエンジンを搭載したウェストランド・ワイバーン単発攻撃機の設計が進められていたが、同じ単発機でも四四式の場合は排気をより積極的に使用する計画になっていた。
実際には、新規設計のワイバーンとは異なり、ピストンエンジン搭載の機体構造設計を出来るだけ維持して製造設備を転用する事で、製造費用を圧縮するのが主な目的だったのだろう。
しかし、安易な排出口の設置は四四式艦戦二型の試作機において無視出来ない問題を発生させていた。
大出力エンジンから回転力を引き出すために生じるトルクを管理する為、原型機からプロペラは二重反転化して前方視界を遮る程だったが、それでもエンジン排気の余剰エネルギーは膨大だった。そのために高速高温の排気が流れる胴体左右は過酷な環境下に晒される事となったようだ。
従来のピストンエンジン機も、防火壁後部の排気に接する胴体左右は耐熱性を考慮されていたのだが、操縦席への影響を防ぐ為にターボプロップエンジン機ではそれ以上に防護は頑丈になっていた。
しかも、耐熱鋼や塗装を使用したところで、飛行中に生じた高温自体を防ぐ事は出来なかった。着陸直後に不意に機体に触れた搭乗員の火傷が増えていたから、エンジンが停止しても直ぐには操縦席から降りられないとまで言われたくらいだった。
単なる笑い話では済まなかった。これでは不時着時の緊急脱出でさえも難しいのではないかと言われていたらしいのだ。
結局、機体構造には大きく手を加えないとの当初の設計方針から逸脱して、エンジン排気の一部は機首下部から排出された後に、胴体下部に増設されたダクトを通して、操縦席の更に後部からも排出されるようになっていた。
この措置によって高温のガス流が分散されたことで、胴体前部の排出口付近はピストンエンジンから排出されるガスの量、温度と同程度になっていた。これでようやく実用性が確保されたと認められたのだった。
だが、問題の解決は別の問題を招いていた。一等地とも言える胴体下部が排気関係の機材で占領されていたのだが、従来は艦上戦闘機でも胴体下部は嵩張る機材を懸架する為に空けられていたからだ。
大戦中から増槽や爆弾用の懸架機材は統一が図られていた。日本海陸軍だけではなく、日本製機材を供与された国際連盟軍参加諸国軍でも機材を流用する為だ。
むしろ各機種ごとに最適化された専用の兵装、機材を生産する余裕がない事が汎用性の追求に走らせる原因だったとも言えるが、従来はいずれの機種でも胴体下部は大容量の増槽や対艦兵装の搭載に使用されていた。
四四式艦戦二型でこの箇所が実質的に使用出来なくなった事は、運用面での制限をもたらしていた。
原型機から頑丈な翼面下部にも懸架装置が取り付け可能だったのだが、更に大重量の増槽を両翼に取り付けることを想定して、翼面内の燃料配管が二型では大口径化していた。
翼取り付けの増槽は、胴体取り付け用のものより若干小型のものが想定されていたが、それでも離陸直後など燃料を消費していない状況では特に左右翼面に重量物が移動してロール率は悪化するらしい。
それに増槽の取り付けによって、これまで主に翼下に取り付けられていた高速噴進弾などの搭載量が減少するのも航空隊からは不評だった。
胴体下部にも懸架装置自体は取り付けられるのだが、排気管が追加された胴体下部と地面との余裕がないものだから嵩張る機材は積込めなかったし、発射時にプロペラと干渉する可能性があるから高速噴進弾などの搭載には制限があった。
結局、四四式艦戦二型は性能諸元上の搭載量はエンジン出力の向上で増大しているものの、現実には諸元表に記載された一杯の重量で離陸するには、搭載機材を選別しなければならないという矛盾が生じていた。
このような不具合がありながらも四四式艦戦二型が大々的に生産されるようになったのは、これしか搭載できない空母があるということに加えて、実際には艦上戦闘機では大重量の兵装を抱えて運用することが少なかったからだ。
多用される高速噴進弾に関しては、翼下でも多連装で使用できる専用の懸架装置が開発されていたが、大重量で嵩張る魚雷などを単座の戦闘機が懸架するのは元々日本海軍の想定には無かったのだ。
艦上戦闘機はそれでいいとしても、対艦兵装を運用する艦上攻撃機が搭載機材を制限される事は、艦隊航空隊にとっては許容出来なかった。
ピストンエンジンを搭載した単発機でも、ターボプロップエンジンへの換装が可能である事自体は証明されたが、四四式艦攻にそれが適用されることは無かった。
胴体直下に搭載するしかない大重量の魚雷や対艦噴進弾、それに外装式の大型電探などの機材が運用出来なければ、艦上攻撃機としての機能を発揮出来ないからだ。
こうした問題が発生したのは、機首にエンジンを詰め込んだ単発機のみの事だった。両翼にエンジンナセルを設けた多発機の場合は、ターボプロップエンジンへの換装は比較的容易らしい。
エンジンナセルの形状が多少変わったところで、その後方は広がっているからエンジンから直接高温の排気を向けても何の支障も無かったからだ。
それに高翼機の場合は地上との間隔が十分にあるから、プロペラ径の拡大などで推力増大を吸収するのも容易だった。プロペラ旋回域が操縦員の視野に入る事も少ないから、四四式艦戦二型の様に二重反転プロペラとしても視界悪化の苦情も出なかった。
おそらくは、四四式艦攻の後継となる攻撃機は、多発の哨戒機を原型とする派生型となるか、あるいはターボプロップエンジンを飛び越してジェットエンジンを搭載することになるのではないか。
―――要は、時代から取り残された四四式艦攻だけが貧乏籤を引かされている、ということか……
そう考えながら、垣花飛曹長は誘導噴進弾を腹に抱えた愛機を、ようやく指定された高度まで持ち上げていた。
四四式艦攻のエンジン出力には十分な余裕がある筈だったが、重量物の噴進弾を抱えている状態では上昇率は低下していた。最後は咳込むエンジンをなだめすかしながら予定高度に達していたのだ。
垣花飛曹長は目をこらして周囲を見渡していた。友軍戦闘機隊は更に高度をとっているか、垣花飛曹長達が迎撃を命じられたものとは違う敵機群の阻止に向かっているはずだった。
彼らの後方には長距離捜索電探装備の哨戒機が待機していた。哨戒機からの情報を元にした艦隊司令部からの指示によれば、垣花飛曹長達の前方から接近してくるB-36編隊とは別に艦隊中心に向かう小型機と思われる反応があるらしい。
おそらくはグアム島近海を遊弋中の米空母から発艦した部隊だろう。B-36編隊と共同で我が艦隊を襲撃しようというのだ。
日本空軍も、第11分艦隊の行動に合わせて硫黄島方面に戦力を展開していた。こちらは以前は軽爆扱いをされていたような五一式爆撃機を主力とする部隊だったが、増槽を追加して艦隊と共にグアム島を襲撃する計画になっていた。
だが、まずは艦隊単独でB-36の猛攻を阻止しなければならなかった。第11分艦隊はグアム島への攻撃の前に自らを守らなければならないのだ。
周囲を確認していた垣花飛曹長の視線が機首前方で止まっていた。同時に次々と編隊内無線からの報告が聞こえていた。
四四式艦攻隊は、予定通りB-36編隊を正面に捉えていた。この海戦における初撃は、四四式艦攻からの噴進弾攻撃になりそうだった。
四四式艦上攻撃機流星の設定は下記アドレスで公開中です。
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四四式艦上戦闘機二型(烈風改)の設定は下記アドレスで公開中です。
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四四式艦上戦闘機(烈風)の設定は下記アドレスで公開中です。
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五一式爆撃機/イングリッシュ・エレクトリック キャンベラJ型の設定は下記アドレスで公開中です。
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