1952グアム島沖砲撃戦16
グアム島を目指す今回の戦闘において、日本海軍の勝利条件は敵艦隊の殲滅ではなかった。我が本土を狙うB-36を無力化して戦略爆撃を阻止するのが最終的な目的だったからだ。
同時に攻勢の主力となる第11分艦隊にとって最大の脅威となるのも、B-36から投弾される誘導爆弾だった。一トン級の大型徹甲爆弾のようだったから、高高度から投下された場合の威力は重力加速度も加わって戦艦主砲弾並みになるからだ。
各艦隊から抽出した60隻以上の戦闘艦からなる第11分艦隊の司令官に任命された左近允中将の元には更に2つの分艦隊司令部が配置されていた。第11分艦隊司令部の下に空母を主力とする第21分艦隊と戦艦を主力とする第31分艦隊が編成される形となっていたのだ
空母と直掩の駆逐隊からなる航空戦隊に防空巡洋艦をつけた空母機動部隊と、純粋な水上戦闘部隊を運用上分けた形になるのだが、今のところ左近允中将は2つの分艦隊を一体で運用していた。
艦隊前方で電探による哨戒を行っていた駆逐艦や哨戒機から艦隊に接近する大型機編隊を発見したとの報告があった時点で、左近允中将は艦隊の南下を中断して2つの分艦隊が一体となった輪形陣を急ぎ構築させていたのだ。
小笠原諸島とマリアナ諸島を結ぶ線上の海域に構築された輪形陣は、航空戦隊毎に4個が構築されていた。それぞれ2隻の艦隊型空母を中心として、第31分艦隊主力の戦艦や重巡洋艦を含む水上艦で周囲を固めていた。
そして左近允中将は艦隊に防備を固めさせつつも、間合いを取らせながら直援戦闘機だけではなく接敵までに上がれるだけの機体を出撃させて防空戦闘に専念させる作戦を立てていた。まずは防空戦闘でB-36の数を減らす事を優先していたのだろう。
戦場となった海域は、周辺に展開する日本軍最南端の拠点となっている硫黄島と、米軍の拠点となっているグアム島や占領下のマリアナ諸島間の、南北千五百キロ程度の海域に限られていた。
この距離は微妙なものだった。双発機などの大型機であれば両島間を往復できるのだが、よほど足が長い機体でないと単発機では往復の巡航に加えて上空で戦闘を継続するのは困難だった。
このような状況では、自然と航空戦で有利となるのは敵艦隊を自陣に引き付けた方になっていた。自在に海上を移動する航空基地となる空母艦載機に加えて、航続距離の短い迎撃戦闘機なども戦闘に加入させられるからだ。
それに開戦前から米軍の拠点として整備されていたグアム島や、急増とは言えサイパン島やテニアン島に複数の航空基地を増設した米軍に対して、硫黄島は一応は有人島であったとは言え、面積が狭く基地化には限度があった。
後方の小笠原諸島中核となる父島や母島も基地化が進んでいたが、こちらは険しい地形が多く、滑走路に適した平地が確保できないという問題から中継基地としての機能しか持っていなかった。
第11分艦隊は、有力な基地航空隊の援護を欠く状況で単独で米軍の航空攻撃からまずはその身を守ろうとしていたのだが、最終的な目標がB-36である以上その巣窟となっているグアム島に接近しないわけにはいかなかったのだ。
―――要は後の先ということか……
防御を固める戦法をとるらしい第11分艦隊司令部の判断に、垣花飛曹長は大昔の尋常小学校で倣ったような気がする剣道用語を思い出していた。
いつの間にか垣花飛曹長達の周囲に見えている友軍機は各空母から出撃した四四式艦攻ばかりになっていた。他の戦闘機隊はジェットエンジンの大出力を活かして高度を上げていったのだろう。
純粋なジェットエンジンではなく、ターボプロップエンジンを備えた烈風改の姿も、僅かな間に遠くになっていた。
四四式艦戦が制式化された当初は、四四式艦攻が装備しているブリストル・セントーラスエンジンと同格となる大出力のピストンエンジンを備えていた。元々は爆撃機等の大型機向けに設計されていた大口径の火星エンジンを原型として大出力化したエンジンだった。
7年前に両機が相次いで制式化されていた当時に、配管が複雑に捻じくれて繋がったセントーラスやハ42などの大出力エンジンを初めて見た垣花飛曹長はこんな怪物を積み込む戦闘機が本当に要るのかとさえ思ったのだが、四四式艦戦は実際にはそのハ42エンジンすらも投げ捨てて、さらなる大出力エンジンを積み込んでいた。
それが、ついに三千馬力級に達したターボプロップエンジンだった。
エンジンをすげ替えた事による四四式艦戦の見た目の変化は、生産中に液冷エンジンと空冷エンジンを型式によって変更して搭載した零式艦戦や二式艦爆に近いものだったが、実際に四四式艦戦二型の機首に収められたエンジンは、冷却方式どころか原理からして違っていた。
技術的な詳細までは垣花飛曹長も知らないが、ターボプロップエンジンというのはジェットエンジンの回転力でプロペラを回すものらしい。高速の排気流ではなく、プロペラの回転を推力とするジェットエンジン、ということになるようだ。
当初は純粋なジェットエンジンから派生したターボプロップエンジンの実験機という意味合いの強かった四四式艦戦二型だったが、このエンジンには利点が多かった。気筒内の爆発を回転源とするピストンエンジンよりも軽量であるし、出力も大きかったからだ。
ジェットエンジン搭載機が制式化した後も、燃費の悪さからなる航続距離の悪化や失速速度の高さからなる発着艦の難しさなどから、海軍航空隊は四四式艦戦を手放すことが出来なかった。
流石に昨今では旧式化が進んでいたから、純粋な戦闘機ではなく半ば攻撃機となる戦闘爆撃機として使用されていたが、ジェットエンジンと比べると低速域の性能に優れるというターボプロップエンジンに換装すれば更なる機体寿命の延長も可能ではないかと考えられていたのだ。
日本海軍で今も四四式艦戦の運用を行っているのは大型の正規空母だけではなかった。
斜め飛行甲板や油圧式射出機の増強で大鳳型や翔鶴型といった大型空母は安定して高速のジェットエンジン機を運用可能となったのだが、日本海軍には船団護衛用の海防空母などジェット機の運用が最初から不可能と考えられていた小型の空母もあったのだ。
海防空母は戦時標準規格船の設計を流用して建造される簡易な空母であったのだが、段階的に戦訓を取り入れて発展していた結果、最後に建造された浦賀型などは、数は少なくとも射出機や着艦制止装置等の航空艤装は正規空母と同型のものを搭載する有力な艦となっていた。
本来、日本海軍は有事の際に不足する正規空母を補う為に、優秀船舶建造助成施設法の対象となっている優良商船を徴用して艦隊型空母に準ずる改造空母として運用する計画だった。
ところが、第二次欧州大戦初期においては徴用予定だった有力な客船の多くが出師準備が発令された時点で日本本土を離れていた。正式参戦前の欧州からの難民ユダヤ人輸送計画や、その後の緊急兵員輸送等に駆り出されていたからだ。
しかも、参戦後に拿捕されたドイツ商船を対象とした改造空母の運用実績も芳しいものではなかった。1隻ごとに異なる改造計画は非効率であったし、再就役後の性能も不揃いだったから艦隊側でも運用が難しかったのだ。
結局、商船改造空母でまともに前線で使用されたのは、開戦前の最後に計画されていた隼鷹型の2隻の位のものだった。
日本帝国を代表する高速豪華客船橿原丸級として就役するはずだったこの2隻は、建造途中で揃って特設航空母艦として改造された結果、速度はやや劣るものに蒼龍型に準ずる中型空母として再就役していたからだ。
中途半端な存在となってしまっていた商船改造空母の代わりに、艤装が充実した海防空母の一部は欧州戦線の最前線に投入されていた。開戦前に建造されていた優良客船から改造された空母よりも速度は遅いが、艤装の統一によって扱いやすかったのだろう。
海防空母当初からの搭載機である対潜哨戒機を用いた艦隊外周の対潜警戒の他に、電探哨戒機と艦上戦闘機を搭載した対空警戒などが主な任務であったが、大戦中盤以降は四四式艦戦の搭載量を活かして上陸部隊支援の対地攻撃に従事する事もあったようだ。
今回の戦争でも、予備艦から復帰した海防空母が船団護衛やフィリピン攻略支援等にあたっていたのだが、母艦の能力は変わらないものの搭載機の刷新には苦労しているらしい。
海防空母からジェットエンジン機を運用するのは難しかった。苦労して射出機を最新のものに更新して発艦させたとしても、飛行甲板長に余裕がないから着艦時は事故が多発するのではないか。
大戦中から採用されていた飛行甲板を斜めに延長する形状に改造するのも難しかった。海防空母では船体寸法に余裕がないから斜めにしても十分な角度が取れないのだ。
船体首尾線に斜めに飛行甲板を延長する斜め甲板は、隼鷹型から採用された右舷側に張り出した煙突を内包した艦橋構造物が採用の切欠となっていた。
重量物である艦橋構造物と取り合いを取るために左舷側に設けられた張り出し部分を、単なる露天繋止機の待機場所などではなく着艦区域の延長として使用するものだったからだ。
つまり、飛行甲板を斜めに配置することで、従来の船首尾方向と一致したものと傾斜したもので擬似的に2つの飛行甲板を形成するというものであったから、傾斜角が短ければ船首尾方向の飛行甲板長が確保できずに運用上支障が出るのだ。
日本海軍では、最初に斜め飛行甲板を採用した隼鷹型を除くと、高速の正規空母として建造されていた蒼龍型が斜め飛行甲板を採用する下限、つまりはジェットエンジンを搭載した機体を運用する限界と考えているようだった。
実は大戦中に海防空母の主力機だった東海に変わる艦上対潜哨戒機も現在開発が進められているらしい。今年度には制式化されるというが、捜索電探などの電子兵装を満載した機体はかなりの大型機になるという噂だった。
当初は陸上機として開発が進められていた双発の東海は、二式艦上哨戒機として採用された時点でも艦載機としては大柄な機体だったから、これ以上大型となると海防空母の狭い飛行甲板から運用するのは不可能となってしまうのではないか。
対潜哨戒だけならば、東海の後継機として航続距離の短さや捜索範囲の縮小を我慢すれば制式化されたばかりの対潜回転翼機を搭載するという手段も残されていた。
実際、回転翼機の母艦として改装された海防空母も有るようだったが、垂直離着陸が可能な回転翼機であれば全通甲板を持たない水上機母艦などでも運用は可能だった。
既に第二次欧州大戦末期には、水上機母艦の射出機などを撤去して甲板を広げて回転翼機を運用する艦もあったのだ。
それに、陸軍では対潜回転翼機の後部をすげ替えて噴進弾や機銃などを装備した対地攻撃機が採用されていたものの、これはどちらかと言えば直協機以外の航空機の運用権限を空軍に移管した事による苦肉の策ともいえた。
空母艦載機としては回転翼機を攻撃機に転用するという案は航続距離が短すぎて使えないだろう。
搭載量の大きい四四式艦戦のターボプロップ化は、そうした小規模な母艦でも運用可能という限られた範囲では有用性が高いと判断されたようだったが、運用上の問題点を持ちつつも意外なほどの使い勝手の良さから生産が大規模に行われることとなっていたのだ。
だが、ターボプロップ化で手軽に単発機が大出力化出来るのであれば、むしろ現状では艦隊航空隊唯一の攻撃機となっている四四式艦攻こそ改造対象となりそうなものだったが、実際には単発機のターボプロップ化は様々な制限を招いていた。
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