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1952グアム島沖砲撃戦15

 四四式艦攻が装備する対空誘導噴進弾の運動性能はそれほど高くは無かった。搭載された噴進機関に詰め込まれた燃料もそれほど多くはないから加速時間は限られるし、対艦兵装である大型噴進弾と比べても最終的な速度はそれほど変わらないと考えられる程だった。

 これは標的を鈍重な重爆撃機と想定して開発されていたためだったが、仮に高い機動性を有していたとしても、投弾した母機と目標である敵重爆撃機が自在に回避起動を行う状況では、最終的にこの両機を結びつけるように機動する噴進弾を操縦するのは困難だったのだ。



 誘導噴進弾の操縦性が悪いのは、誘導系を外部に置いているからだ。航空隊に対空誘導噴進弾が配備された時に行われた座学でそのような説明を受けたのだが、実際に噴進弾を操縦する偵察員達はともかく、操縦員達は白けた顔を見合わせていた。

 実際に開発にあたった技術将校の説明は専門的で理論的な話が多く、運用面の問題などは開発初期から試験に駆り出されていた実験航空隊の隊員達から聞いたほうが早かったのだ。


 座学の教官となった技術将校は、将来的には誘導系を噴進弾内部に組み込む事でより正確な操縦が可能となるという話もしていたのだが、垣花飛曹長達には眉唾物の話だった。

 そして米空母艦載機が襲来したあの日は、将来の話ではなく今現在の誘導噴進弾の機動性に皆が文句をつける羽目になっていた。普段は的確な迎撃位置に誘導される筈の艦攻隊は、不利な位置からの投弾を強いられたからだ。



 航空総軍司令部からの指示は混乱していた。離陸前に与えられた情報とは全く異なる空域に誘導されたのだが、それも二転三転する始末だった。

 以前はそれが当たり前だったのだが、最後には艦攻隊は自分たちの判断で射点を定めようとしていた。無線で女子通信隊員にそう宣告した井手大尉は、中隊全機を率いて針路を変更していた。

 厄介な事に、最近では航空総軍司令部から正確な情報を受け取るのが前提となっていた為に、艦攻隊には外装式の長距離捜索電探を備えた索敵機は随伴していなかった。最後の針路は勘で修正するしかなかったのだ。


 だが、井手大尉が指示する通りに飛ばしている間に、垣花飛曹長は新しい針路は離陸前に説明されたB-36編隊の位置を正確に追いかけるものだと気がついていた。

 離陸後に航空総軍司令部が指示していた敵機群の位置を無視していたと言っても良い。あるいは、米艦載機の襲来で混乱する前の数値から計算を差し戻したと考えるべきなのかもしれなかった。



 結果的に言えば井手大尉の判断は、ほぼ正解だった。艦攻隊が再発見した時のB-36編隊の位置は、当初の予想通りの針路を延長した先にあったのだ。

 だが、艦攻隊が航空総軍司令部の判断を無視して針路を変更したのは遅かったようだった。垣花飛曹長達の四四式艦攻が会敵した時には、B-36編隊をほぼ真横から追尾する不利な態勢になってしまっていたからだ。

 相手が重爆撃機とはいえ、大出力エンジンを6基も備えたB-36と、対空誘導噴進弾という空気抵抗を抱えた四四式艦攻との間の速度差は殆どなかった。投弾後で燃料も消費した状態であればB-36に追いつけない位だった。


 状況を確認した井手大尉は、躊躇う事なく即座に噴進弾の発射を中隊各機に命じていた。垣花飛曹長の目にも、投弾後しばらく落下した噴進弾が点火後に白煙を引いてB-36に向けて突進していくのが見えていた。

 周囲には接敵した空軍機の姿もあったが、その数は少なかった。B-36は悠々と進撃していたから、むしろ誤射の恐れなく誘導弾の操作を出来たのではないか。


 しかも、この日は垣花飛曹長達も噴進弾発射後に退避することなく加速していた。重荷を下ろした四四式艦攻の速度ならば今のB-36を追尾出来ると井手大尉が言ったからだ。

 おそらくは性能諸元の最高速度ならB-36は四四式艦攻よりも優速である筈だったが、大重量の爆弾とグアム島への帰還に使用する分の莫大な燃料を抱えている上に、この時はB-36は収納式の自衛機銃を引き出して空気抵抗を増大させていたから、四四式艦攻でも戦闘は可能だった。

 航空総軍司令部が混乱する中で、的確にB-36編隊に取り付いていた迎撃機の数は少なかった。元々身軽な艦爆の任務には補助戦闘機としての運用も含まれていたから、艦攻隊の本来の任務ではないが機銃を装備した四四式艦攻ならば代用戦闘機位にはなるはずだった。



 だが、いくら身軽になったとはいえB-36と四四式艦攻には優位な速度差はなかった。誘導噴進弾が着弾した時も、垣花飛曹長は顔を強張らせながら普段は意識することもない機銃の引き金を指で探していた。

 四四式艦攻に装備された機銃は、第二次欧州大戦中から日本海陸軍で実質的に標準的な大口径機銃となった長銃身のエリコン20ミリ機銃だった。この機銃は新鋭戦闘機にも未だ搭載が続いている弾道特性と威力のバランスが取れた優秀なものだったが、垣花飛曹長達の射撃は最初から腰が引けていた。


 艦攻隊が射撃を開始したのは、B-36が有効射程に入る遥か前だった。空前の巨人機であるB-36との相対距離を誤ったか、恐怖にかられて隊の誰かが射撃を開始してしまったのが周囲に伝染してしまったらしい。

 垣花飛曹長もあまり人のことは言えなかった。低伸する筈の20ミリ機銃から放たれた曳光弾は、B-36編隊のはるか手前でお辞儀をするように脱落していったのだ。

 その後、小隊単位に別れた艦攻隊は何度かB-36に接近して射撃を行っていたが、命中弾を得られた感覚は無かった。猛烈なB-36の自衛射撃を恐れて艦攻隊は逃げ回っていたようなものだった。



 尤も、命中精度が低かったのは、垣花飛曹長達が逃げ腰だからというだけでは無かった。新鋭戦闘機にはジャイロ安定化された射撃管制用の照準器が備わっていた。敵速がわかれば自動で見越し射撃用の照準を表示してくれるらしい。

 だが、電子兵装などが段階的に強化された一方で、四四式艦攻の機銃周りの装備は第二次欧州大戦中から変化が無かった。元々、空対空戦闘に関しては補助的な運用しか考慮されていなかったということだろう。

 制式化後に更新された操縦員用の爆撃照準器は、急降下爆撃時でも高い命中率に寄与していたが、機銃の射撃照準に用いるには不具合も多かったのだ。


 結局全弾を撃ち尽くした艦攻隊は、B-36を虚しく見送りながら帰還するしかなかった。激しい戦闘機動中に機銃が故障したものを除くすべての機体が20ミリ機銃弾も空にして帰還していたが、やり尽くしたという感覚は無かった。

 帰還した基地からでも、帝都の方角が消火しきれない火災で煌々と照らし出されていたのが見えたからだ。



 垣花飛曹長達には後悔する時間は与えられなかった。直後から航空隊では積極的な空対空戦闘の訓練が行われる様になったからだ。

 空戦訓練の使用機材は四四式艦攻だけではなく、旧式化して返納されるまでの間に航空隊の雑用機として使用されていた艦上戦闘機まで引っ張り出されていた。


 艦攻操縦員には畑違いとも言える訓練だったが、誰も文句は言えなかった。焼かれた帝都が無言のうちに彼らを責め立てていたのだ。

 ところが、この空中戦戦闘の訓練も中途半端なところで切り上げられていた。付け焼き刃の訓練効果を疑問に思ったものが航空隊幹部にいたのかと思ったが、実際には空母への移動が命じられていたのだ。



 垣花飛曹長達の航空隊は、本来は航空戦隊の指揮下に入る艦載機部隊として編制されていた。ただし、第二次欧州大戦開戦前のように固有の母艦に固定して配置されるものではなかった。

 空母や陸上の航空基地と航空機部隊を分離する流れは、海陸軍問わずに先の大戦中にもう始まっていた。陸上基地部隊の場合は欧州戦線への派遣によって基地部隊との関係が希薄になっていたし、艦載機部隊でも分離した方が都合が良かった。

 航空隊を空地分離する場合、柔軟な部隊の再編成や戦略的な機動が可能だった。海軍の基地隊や陸軍の飛行場大隊といった飛行場を管理する部隊のみを配置しておいたところに後方から航空機部隊のみを送り込むことで急速に戦力化ができるのだ。

 このような運用は、特にシベリア―ロシア帝国支援のために有事の際に大陸に渡らなければならない陸軍航空隊で空地分離が進んだ理由であったが、戦時中の再編成作業にも有用だった。


 例えば、母艦が損傷してもそれに搭載される航空隊が無事であれば、別の戦線に転属するのは容易だった。逆に航空機のみが消耗した場合は、航空隊を後方から送り込むのだが、大戦中の戦訓から航空戦力の消耗は戦前の想定を超えるものであると認識されるようになっていた。

 防空火力の増大や戦闘機部隊の比率上昇などによって、航空機と母艦の損害に差異が生じるようになっていたことが、航空戦隊などでも空地分離の重要性を認識させるようになっていたのだ。



 最前線で航空戦隊の戦力を維持する為には、母艦が無事でも航空隊が損耗した場合に備えて予備の航空隊が必要であるというのが艦隊航空関係者の結論だった。

 このもう一つの航空隊は、単なる補充兵をかき集めた二線級の部隊ではなかった。母艦航空隊が消耗した際に空母に乗り込むのだから、陸上航空隊では不要の発着艦技能の習得は不可欠だったのだ。

 大戦中から船団護衛用の海防空母や旧式化した鳳翔などが内地で発着艦技能を磨く為の練習艦として運用されていたが、戦後はこれに代わって天城が練習空母に指定されていた。

 未成の巡洋戦艦から改造された天城型空母は欧州戦線でも活躍していたが、同型艦である赤城を撃沈されて航空戦隊を組む僚艦も無くなった事から練習艦に転用されていたのだ。


 それに陸上にいる間の航空隊は訓練ばかりを行うとは限らなかった。母艦航空隊に一時的に分隊などの単位で増強されるために派遣される事もあるし、基地航空隊同様に陸上から運用される場合もあるからだ。

 特に対潜哨戒機等の特殊な機体と母艦航空隊を除いた海軍基地航空隊が、陸軍航空隊と合流して空軍として独立した後は、母艦予備航空隊に指定された部隊は海軍独自の航空戦力として重宝されていた。

 本土への戦略爆撃において、垣花飛曹長達が航空総軍司令部の指揮下に入って迎撃任務についていたのもその一環ということなのだろう。



 そのような経緯があるから航空隊が母艦に異動すること自体はありうるのだが、違和感は残った。最近は航空戦隊は大規模な出動を行っていなかったからだ。

 定期的な航空隊の入れ替え時期にしても妙だったのだが、整備下士官が噂を聞きつけてきた事で真相が判明していた。


 連合艦隊の総力を上げた反抗作戦が計画されているという噂は以前からあった。大規模な作戦を控えて戦力を温存していた連合艦隊が、今回の大空襲を受けてグアム島に攻め込むと言うのだ。

 ところが、その大作戦の尖兵となる筈だった母艦航空隊の一部に無益な損害が生じていた。垣花飛曹長達と交代する航空隊は、例の米艦隊艦載機部隊と交戦していたのだ。

 集中して投入されていた敵艦上戦闘機に撃墜破された機体も多かったというから、航空隊付の整備部隊だけでは追いつかずに基地部隊を含めて損害復旧に忙殺されているらしい。


 母艦航空隊も空母が長時間の寄港や整備を行う間は陸上基地に仮住まいしていた。以前は艀に乗せて陸上まで輸送されていたが、最近では寄港前に発艦させて自力で陸上の基地まで移動する方が多かった。

 陸上基地に移動後は練度維持を目的とした訓練や休息を行うのだが、その航空隊は陸上にいる間に出撃して損害を受けたらしい。



 急遽行われた航空隊入れ替えだったが、垣花飛曹長達古株の艦攻乗り達は勇躍して指定された空母瑞鶴に移動を開始していた。

 ようやく艦攻らしい仕事が回ってきた期待していたのだが、この戦争で日米空母機動部隊が衝突する二度目の海戦となった今回の戦闘でも、四四式艦攻は陸上にいた時と同じく対空誘導噴進弾を抱えて発艦していたのだった。

四四式艦上攻撃機流星の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/b7n.html

天城型空母の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvamagi.html

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