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1952グアム島沖砲撃戦12

 ルーズベルト政権下で大量建造されたボルチモア級重巡洋艦とクリーブランド級軽巡洋艦は、数的には現在の米海軍の主力と言っても良い存在だったし、単艦としてみても極めて有力な戦闘艦だった。

 それまでのウイタチ級重巡洋艦やブルックリン級軽巡洋艦、アーカム級航空巡洋艦が軍縮条約の規定を遵守して基準排水量一万トンの制限で建造されていたのに対して、第二次欧州大戦勃発により軍縮条約が無力化されたために両級とも余裕をもたせた排水量となっていたからだ。


 軍縮条約の縛りが無くなったことで建造出来たボルチモア級重巡洋艦もクリブーランド級軽巡洋艦も、その時点での米海軍が理想とする形として考えていた巡洋艦だと言えた。

 その後は発射速度の向上を目指した次世代艦としてルーズベルト政権最末期に計画されたデモイン級重巡洋艦も建造されていたが、カーチス政権の軍備計画見直しによって3隻で建造が打ち切られていたし、主砲威力ではボルチモア級重巡洋艦との差異はほとんど無かった。



 このように有力な艦艇であった一方で、巡洋艦の大量建造は米海軍にとっては有り難迷惑でもあった。カーチス政権からマッカーサー政権までの間に新鋭駆逐艦が建造されるまでの一時期は、戦艦の護衛にすら軽巡洋艦があてられるという不自然な状況が続いていたからだ。

 1万トン級巡洋艦の乗員定数は千人を軽く超えるが、これは駆逐艦の乗員の3倍から5倍程度にもなっていた。その一方で中立を保っていた米国では、公共投資の一環としての軍備拡張には熱心でも、兵員数の増大には無関心だった。

 結果的に一時期の米海軍では、定数割れや実質的な予備艦におかれていた巡洋艦が多かった一方で、艦隊の馬車馬となるべき駆逐艦が不足するというアンバランスが生じていた。


 この戦争では、開戦に前後して行われた予備役招集と新規徴募で増大した兵員数で乗員定数は満たされるようになったものの、駆逐艦の不足は続いていた。第一次欧州大戦時に建造された旧式駆逐艦が今でも再整備の上で前線に投入されているほどだった。

 そのような状況下だったから、カーチス政権下でデモイン級以前に建造が中止されていたボルチモア級重巡洋艦、クリブーランド級軽巡洋艦の最末期建造艦も存在していた。

 カーチス政権が軍備の再検討を行っている間も、民間造船所の方はドックを占拠する未成艦の建造再開を望んでいたのだが、海軍はこれ以上の巡洋艦は受け取りを拒否していた。

 契約違反による訴訟騒動になりかけていたこの建造中止艦に最終的に目をつけたのが軽空母建造案に悩んでいた航空関係者達だった。



 建造が中止された時点で、各艦の工期はバラバラだった。基礎工事のみで船穀部材を船台上で無為に錆びさせているものもあれば、上部構造物の一部まで載せられて官給品の兵装搭載を待つばかりの艦もあったようだ。

 まず海軍は各造船所における建造中止状況を確認すると、程度の良いものからボルチモア級とクリーブランド級3隻ずつの未成艦を選択していた。これがアンティータム級とプリンストン級の母体となったわけだが、選択基準は各工事の進捗具合によって定まっていった。

 むしろ工事状況が最終的な両級の設計に少なからぬ影響を及ぼしていたようだ。工事が開始された直後に中止された為にほとんど進展の無い艦は対象外だったが、逆に上部構造物を載せ終えていたものも除外されていたのだ。


 軽空母の母体に選ばれた6隻は、船体部分の工事が終了する前後のものばかりだった。中には中止命令後に最低限の工事を終えてドックから引き出されて係留されていたものもあった。

 工賃の高いドックを空ける為だったのだろうが、皮肉なことに実際にはその造船所はルーズベルト政権後の造船不況に巻き込まれて受注が途絶えており、ドックは空だったようだ。


 その空いていたドックに再び巡洋艦の船体が引き込まれると、船体部の残工事と浮揚中の細かな損傷の復旧工事が行われていた。他の艦も同様に工事が再開されていたが、その内容は以前とは大きく異なるものだった。

 この段階で上部構造物が残されていた場合は漏れなく撤去されていた。それに砲塔下部が据えられるはずだった船体内部の基部構造も撤去されて、航空機用弾薬庫や燃料タンクなどの空母に必要な区画に徹底的に改装されていた。


 船体内部の工事が進められる一方で、外観はほとんど変化が無かった。その段階ではドックの外から見ても工事内容の詳細は伺えなかった筈だった。

 本格的な空母への改造工事は上部甲板以上で行われていた。上部甲板を床面として船体周囲を覆う格納庫壁面が組み上げられると、その天蓋となる飛行甲板が載せられ、最後に飛行甲板右舷に申し訳の様な薄い島型艦橋が配置されていた。


 完成したアンティータム級とプリンストン級は、固有の兵装は貧弱だったが、改造空母とはいえ航空艤装は充実していた。やや先行するボノム・リシャール級と搭載機数を除く航空機運用能力を同等とするためだった。

 それに、飛行甲板はもちろん格納庫も船体形状一杯まで拡張されていた。その点では後部にしか飛行甲板を持たない航空巡洋艦や、射出甲板を装備する為に格納庫面積を犠牲としたワスプ級よりも航空機運用能力は高かった。



 計画当初の混乱はあったものの、未成艦の船体を流用出来た為かアンティータム級とプリンストン級は、ボノム・リシャール級にやや遅れる程度の年度に相次いで就役していた。

 就役後の訓練期間を含めて今回の戦争における開戦に辛うじて間に合っていた両級だったが、実運用となると些かの問題が発生していた。計画上は十分であった筈の航空機運用能力が、実際には不足気味だった。

 搭載機数の少なさは原案の段階から折込済だったのだが、艦載機、特に艦上戦闘機の高性能化が想定以上に進んでしまっていたのだ。


 軽空母案の計画が始まっていた頃に運用されていた米海軍の艦上戦闘機は、大出力のピストンエンジンを搭載したF14Cだった。同機は大重量級の重戦闘機であり、この5トン級戦闘機に対応した航空艤装は、6トン級に重量化した複合動力機のF15Cでも耐えられる筈だった。

 F15Cと同時期にF5Uも艦上戦闘機として制式化していたが、特異な形状で短距離離着陸能力を高めた同機は、飛行甲板の短い航空巡洋艦や将来的には水上機の代わりに通常形式の巡洋艦に搭載することも視野に入れて開発されたものだったから、同機を艦上戦闘機の主力とすることは考えられなかった。


 問題が発生したのは、F5Uと同じくチャンスヴォート・コンヴェア社が開発したF6Uだった。開発時期はほとんど変わらなかったが、開戦直前に制式化された同機は形状だけではなくF5Uとは全く性格が異なる機体だった。

 F5Uが胴体と一体化した円盤翼構造と巨大な2基のプロペラが生み出す推力によって短距離着陸を可能としていたのに対して、F6Uの離着陸性能は劣悪だった。翼構造はF5Uと比べれば常識的なものであったのだが、F6Uは米海軍初の完全ジェットエンジン搭載機であったからだ。

 速度の伸びに優れる一方で、ジェットエンジンは加速性能が悪いらしい。それがF6Uに固有の問題なのか、エンジンの問題なのかはビール中尉も知らなかったが、開発中にF6Uのエンジンが初期計画からより大出力のものに換装されたのは確かなようだ。



 米海軍の艦載機開発はそれ程積極的なものではなかったから、ジェットエンジンとレシプロエンジンの両方を搭載した複合動力機であるF15Cを除けば、F6Uは今の所米海軍では唯一のジェットエンジン搭載機だった。

 F14C、F15Cと続けて艦上戦闘機を制式採用されていたカーチス社もF6Uと同時期に完全ジェットエンジン戦闘機を開発していたが、グラマン社と同社が合併後初の戦闘機となった陸軍向けのF-87は、重爆撃機に随伴する長距離戦闘機だった。


 F14CやF15Cはそれぞれ海軍機仕様を省かれて陸軍でも採用されていたが、同じように陸軍機であるF-87を海軍機に転用するのは難しいようだった。それにF-87は大型の双発複座機だったから、元々艦上戦闘機として運用するのは困難だったのではないか。

 チャンスヴォート・コンヴェア社は既にF6Uに代わる機体を開発中だというが、同社は陸軍航空隊の戦略爆撃において主力となっているB-36の製造や改良に集中させられているという噂もあるから、そう簡単に次世代機が出現するとは思えなかった。


 何にせよ現在の米空母はF6Uを運用しなければならなかったのだが、従来機と異なる特性から運用には工夫や追加の機材が必要だった。

 アンティータム級やプリンストン級のような軽空母でも、計画当初から飛行甲板前方には油圧式のカタパルトが設けられていたのだが、このカタパルトは本来は大重量の兵装を搭載した艦上攻撃機を運用する為のものだった。

 これまでは重量級の戦闘機でもカタパルトの補助無しで発艦は可能だったのだが、F6Uの編隊を短時間で発艦させようとするとカタパルトの使用は必要不可欠となってしまっていた。


 F6Uが搭載したジェットエンジンは、大出力ではあったものの初期加速が鈍いものだから、攻撃隊を構成するのは一苦労だった。

 特に飛行甲板前方に配列した場合は、ジェットエンジン後部に燃料を噴霧して加速するアフターバーナーを使用した上で、更に強引にカタパルトで放りあげてやらないと、爆装した状態で発艦するのは難しかった。



 実戦投入されたカウペンスから攻撃隊が発艦する時は、飛行甲板は変則的な配列が行われていた。最初にF6Uが発艦するのだが、同機の運用実績からカウペンスの飛行甲板には開戦以後に慌ただしくカタパルト直後で待機する機体を保護する為に金属板が追加されていた。

 レシプロエンジンを搭載した機体なら特に大きな問題は起きないが、F6Uがアフターバーナーまで使用して全力でエンジンを更かした場合、高温のジェットの流れが待機中の機体を直撃して火災事故などを発生させてしまっていたのだ。

 本来であればブラスト・ディフレクターと呼ばれる保護板は甲板下に収容すべきなのだろうが、戦時中にそのような大掛かりな改造工事を行う余裕はなかったから、保護板といっても実際にはトラックの車台に斜めに金属板が取り付けられた自走式のものだった。


 F6Uが発艦するたびにこのトラックが移動して後続機を保護するのは、傍から見ていても危なっかしい光景だった。

 元々飛行甲板には大重量化する一方の航空機移動などに車両が配置されていたのだが、この車両の追加によって数少ないプリンストン級の搭載機数は更に圧迫されることになってしまっていたのだ。



 だが、ビール中尉を悩ませているのは配列の先頭機ではなかった。というよりもグアム島を狙って南下する日本海軍の空母機動部隊に向かう攻撃隊は、大部分が発艦を終えていた。

 F6Uに続いてBTMモーラー攻撃機までが完全に発艦を終えていたのだが、攻撃隊に参加するBTMの背後には追加の機体が既に待機していたのだった。

アーカム級航空巡洋艦の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cfarkham.html

ワスプ級空母の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvwasp.html

F14Cの設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/f14c.html

F15Cの設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/f15c.html

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