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1952グアム島沖砲撃戦11

 就役から2年経ってようやくペンキの匂いも薄れてきた。普段はそんな冗談すら飛び交っていた空母カウペンスの艦橋は、今は緊張した空気が充満していた。

 その緊張を作り出している一人でもあるビール中尉は、見張り員から逐次報告される吹き流しの向きを聞き取りながら、必死で羅針儀に張り付いてその向きを読み取っていた。

 当直航海士としてビール中尉はカウペンスの舵をとっていたのだが、いつも以上に今は正確に風上に艦首を向けなければならなかった。緊張しているのは中尉だけではなく、小刻みに指示を出される操舵員が舵輪を握る腕にも汗が浮かんでいた。


 カウペンスの艦橋は狭かった。しかも、今は搭載機の連続発艦が行われているものだから、配置についている乗員の数は通常航海時よりも格段に多くなっていた。

 初期計画ではプリンストン級の航海艦橋は露天で上部にはキャンパスのカバーが掛けられるだけだったというが、最終的には太平洋の荒波が容赦なくかかってくるような状況を考慮して閉囲艦橋とされたらしい。

 その代わり直接風雨を感じ取りながら舵を取ることはできなくなっていた。普段はありがたい鋼鉄製天蓋の存在を今のビール中尉は呪いたくなっていた。

 尤も、カウペンスの艦橋が実際に露天艦橋であったとしても、この状況でビール中尉が冷静に舵を取れたかどうかは分からなかった。艦橋のすぐ脇にある飛行甲板からは、絶え間ない轟音を後に残しながら次々とジェットエンジンを搭載した艦上戦闘機であるF6Uが発艦していったからだった。



 プリンストン級航空母艦の2番艦としてカウペンスが就役したのは、この戦争が始まる直前のことだった。プリンストン級は3隻が揃って同じ年に就役していたから、ようやく就役が開始された商船を原型とする簡易な護衛空母を除けば、米海軍でも最新鋭の空母だった。

 というよりも、ボノム・リシャール級とプリンストン級は、間にアンティータム級を挟んでいるにも関わらず就役時期が近かった。3級9隻は1948年から50年までの僅かな間に相次いで就役していたからだ。


 第二次欧州大戦における空母部隊の活躍が米海軍の艦隊航空戦力増強を促したと言われているが、計画時期からすると航空機行政に熱心だったパイロット出身のカーチス大統領の影響も大きかったはずだ。

 1940年代半ばに就役していたワスプ級及びその改良型とも呼ばれるエセックス級が艦隊主力たる戦艦部隊や巡洋艦部隊に随伴する防空艦として考えられていたのに対して、ボノム・リシャール級以後の3級はいずれも大戦中の英日海軍のように空母機動部隊を編成するのを前提としていたからだ。

 ただし、短期間のうちに就役した3級は完全に新規の設計というわけではなかった。高速化したアイオワ級戦艦に随伴するために船体長の延長などを行いつつもエセックス級が基本的にはワスプ級の設計を踏襲したように、何かしらの原型が存在していたのだ。



 そもそも米海軍において空母建造の優先順位はさほど高くはなかった。カーチス政権下でボノム・リシャール以下の3級が建造されるまでには紆余曲折の経緯が存在していたのだ。

 米海軍で初めて水上機母艦から改造されたラングレーが一万トン級の軽空母でしか無かったのに対して、コロラド級空母は一挙に基準排水量で三万トンを越え、搭載機数も当時としては多い50機以上となっていたのだが、排水量の大きさは単に同級が廃棄予定の戦艦から改装されたからだった。

 しかも、当時の米海軍がコロラド級を建造したのは、単に軍縮条約規定で戦艦からの空母改造が認められたからにすぎないという声もあった。第一次欧州大戦に参戦しなかった米海軍では、外洋における航空機運用の戦訓が無かったから、空母に対する定見そのものが部内に蓄積されていなかったのだ。

 16インチ砲戦艦として建造されていたコロラド級は、英海軍のフューリアスのように多段式空母として再就役していた。ワスプ級に続くこの形状は搭載機の連続発進を行うためと説明されることも多いが、実際には先行する英海軍の改造空母を外観だけ真似たというのが真相であるらしい。


 米海軍航空関係者にとって一応の満足作となったのは30年代末に就役したヨークラウン級だったが、海軍の主流であった砲術科将校からの評価は低かった。

 当時の米海軍は乏しい予算を戦艦建造に集中しなければならず、戦艦並の巨体となったヨークタウン級の建造は遅れており、ルーズベルト政権では公共投資としての巡洋艦建造に予算が回されていたこともあって、同級3隻が揃って洋上に展開するまで5年近くもかかっていたのだ。

 その後も米空母の不遇は続いていた。ワスプ級及びエセックス級は、要はコロラド級の高速化を目指した防空空母であったのだが、戦艦を原型としたコロラド級と比べると、速力の要求を小型化で達成した歪な軽空母でしか無かったというのが一部航空関係者の厳しい意見だった。




 第二次欧州大戦において活躍した英日空母の脅威からようやくカーチス政権下で対空母戦闘用の空母と言える航空決戦用の空母建造が承認されたのだが、今度は航空関係者の内部で論争が巻き起こっていた。

 以前から存在していた議題だったが、高速の軽空母を多数建造するべきか、大型空母を少数建造するべきかといった問題だった。


 これにはいずれも一長一短があった。大型空母は航空機運用は楽になるし搭載機数も多くなるはずだった。その一方で、空母一隻が被弾した際にそれにより無力化される機数も大きくなるということを意味していた。

 軽空母はその逆だった。仮に双方の搭載機数を大型空母と揃えたとすると、軽空母一隻が戦線から脱落しても残存する僚艦で戦闘を継続できるのではないか。


 それに軽空母の場合は、搭載機数は少ないが小回りが効くから戦力の調整はしやすく、小規模な紛争であれば単艦で運用することも可能だった。

 英日に備えつつも、モンロー主義を掲げて中南米諸国への政治介入作戦を常に考慮しなければならない米海軍にとっては、小規模でも後進国相手に見栄えのする使い勝手の良い戦力は魅力的だった。


 外部からの圧力には協調出来ても、米海軍の航空関係者も一枚岩ではなかった。厄介な事に海軍内で主流の砲術科などはコロラド級やワスプ級に連なる防空戦闘艦に近い軽空母案を推していた。いざとなれば、建造隻数を減らして費用を圧縮できるからだ。

 初期計画は迷走していたが、最終的にはそれぞれを建造するという案が採択されていた。その結果大型のボノム・リシャール級3隻と軽空母のアンティータム級、プリンストン級合計6隻が建造されていたのだ。



 部内の論争を棚上げして玉虫色の計画となった理由はいくつかあったようだが、海軍外部からの圧力に対抗した為というのが有力な理由であるらしい。空母計画時に入隊したビール中尉は詳細は知らなかったが、陸軍航空隊から海軍航空行政そのものへの干渉があったという話だった。


 軍縮条約時期から陸軍航空隊は航空要塞という思想を掲げていた。この時期に全金属化や大出力エンジンの出現等で格段に進化した重爆撃機を主力とするものだったが、この要塞という言葉は巨大化しつつあった重爆撃機の機体そのものを差していた訳ではなかった。

 高性能化した事で洋上深く進出する事が可能となった重爆撃機は、高空から大重量の爆弾を投下することで戦艦すら撃沈する事が可能になった、と宣伝されていた。


 実際には、洋上を自在に疾駆する上に損害復旧に全力を発揮できる万全の状態を保っている戦艦を現実的に投入可能な爆撃機数で撃沈するには、最近になってようやく実用化された誘導爆弾でもない限り難しかった。

 ところが、陸軍航空隊は早くから重爆撃機群によって米国の安全保障を担うことが出来ると内外に宣伝していた。つまり航空要塞構想とは、大陸周辺の広い海域を哨戒して、発見した敵艦隊を洋上で撃滅できる重爆撃機の運用そのものを指していたと言えるのだろう。


 B-18の制式化以降、陸軍航空隊は乏しい予算の中で重爆撃機隊を拡大し続けていたが、海軍が機動部隊用空母を認可されたのと同時期に、彼らも画期的な性能を持つ巨人機であるB-36を手に入れていた。

 この巨人機によって実用性を増した航空要塞構想を掲げる陸軍航空隊に対抗するために、海軍は空母建造を急いだのではないか。当時のカーチス大統領が興味を示したのは航空行政であって、兵器開発そのものではなかったからだ。

 重爆撃機の開発によって得られた経験や技術は、民間用の大型機開発にも転用出来る部分が多いだろうから、直に飛ぶわけではない空母の建造よりもカーチス大統領に訴えかける力は強いと思われたのだ。



 実際の建造は殆どの期間がマッカーサー政権になってからの事だったが、3級の空母は可能な限り設計を転用して早期に建造を開始することが優先されていた。

 最も大型のボノム・リシャール級はヨークタウン級を原型としていた。航空機運用を考慮して大きく設計を変更する案もあったらしいが、実際には建造期間、費用圧縮などの観点から、個々の航空艤装を刷新する程度に留まっていた。

 要はボノム・リシャール級は、ヨークタウン級建造から10年近くが経って陳腐化した装備を更新したものと言ってよいのだろうが、航空関係者から評価の高いヨークタウン級を原型としただけあって信頼性は高かった。


 だが、大型空母であるボノム・リシャール級に対して、意外なことに対案となる軽空母の方が設計案は難航していた。

 米海軍がそれまで保有した空母の中で軽空母案に近いのは排水量だけを見ればワスプ級、エセックス級だったが、射出甲板を備えて連続発艦能力を高めた同級は、空母同士の航空決戦用向けとは航空関係者には認められなかったのだ。

 大重量の攻撃機でも発艦可能な高速軽空母という性能上の要求と同時に建造期間短縮という命題を与えられた米海軍の技術陣が最後に飛びついたのは、ルーズベルト政権の遺産だった。


 病死したルーズベルト大統領の任期は長かった。世界中が第二次欧州大戦に巻き込まれていく中で、大恐慌からの回復と中立の維持という困難な舵取りを強いられる政権に連続性を持たせるため、だったらしい。

 ルーズベルト政権当時は少年だったビール中尉には政治上のあれこれはよく分からなかったが、実際には政治家達の駆け引きの結果らしい。


 理由はどうであれルーズベルト政権はその長い任期の中で海軍の建造予算を大幅に増大させていたのだが、その大半は巡洋艦の建造に充てられていた。

 主力艦として整備されていた戦艦は除くにしても、第一次欧州大戦に備えて建造されていた旧式艦でやりくりしていた駆逐艦と比べると、その建造数はアンバランスに多かった。

 入隊前後のビール中尉はスマートな巡洋艦の姿に憧れたものだったが、ルーズベルト政権下の米海軍が民間造船所が主力となって巡洋艦ばかりを建造していたのは、単に公共投資という側面が強かった。


 その反動としてカーチス政権では新規の巡洋艦建造は見送られていた。建造数が削減されたのはデモイン級重巡洋艦からだったが、実際には建造が中止されたクリーブランド級軽巡洋艦やボルチモア級重巡洋艦も何隻か存在していた。

 工事中止のタイミングが違うものだから艤装段階は別れていたのだが、アンティータム級とプリンストン級はこの未完成の巡洋艦を再利用したものであったのだ。

コロラド級空母の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvcolorado.html

ワスプ級空母の設定は下記アドレスで公開中です。

http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/cvwasp.html

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