1952グアム島沖砲撃戦10
米陸軍航空隊が戦略爆撃の拠点としているのはグアム島を中核とするマリアナ諸島だった。
開戦前から拠点として整備されていた米領グアム島だけではなく、今では日本の委任統治領であるサイパン島やテニアン島も占領されてグアム島を補佐する外郭航空基地へと改造されているのが確認されていた。
開戦以後、幾度も日本軍はグアム島に攻撃を加えていた。旧陸軍航空隊が基本戦術としていた高速爆撃機による航空撃滅戦に加えて、海軍の潜水艦隊も投入されていた。
以前の第6艦隊から独立した艦隊司令部を持つ潜水艦部隊として再編成された潜水艦隊は、北米大陸からミッドウェー、ハワイ間航路の遮断を一部の大型潜水艦を投入して行っていたが、同時にグアム島周辺においても旧式艦や小型艦まで総動員して貨物船を狙った通商破壊戦を実施していた。
米国にとって太平洋方面で生じている最大の懸念は、長大な補給線の維持にあるのではないか。
上陸した国際連盟軍と現地米軍との間で激戦が続く米領フィリピンは当然の事だが、戦略爆撃の頻度からするとグアム島のB-36が消費する物資の量も膨大なものである筈だった。
彼らの本土から遠く離れた海域に浮かぶグアム島に超重爆撃機部隊が必要とする全ての物資を持ち込むのは一大事業だった。推測ではなかった。占領下のハワイ王国で間諜となって残留する王国軍関係者等から送られてくる情報がそれを裏付けていたのだ。
そもそも太平洋中央部の孤島であるミッドウェー島だけでは戦時中に輸送量が増大する補給線の中間結節点としての機能が不十分となるために米軍はハワイ王国を侵略したのだろう。
民間人労働者を装った現地間諜からの情報も参照しつつ、潜水艦隊はミッドウェー、ハワイの東西にそれぞれ設けた襲撃海域で船団を攻撃していた。
そもそも、日本海軍の潜水艦はかつては各艦隊に分散して配属されていた。これを集約して第6艦隊を設けたわけだが、第二次欧州大戦後にそれを更に潜水艦隊として再編制を行ったのは、艦隊の指揮機能を抜本的に強化する為でもあった。
連合艦隊麾下の第1から第3艦隊は、第二次欧州大戦前後からは管理部隊の性質が強くなっていた。先日の戦闘で第3艦隊が直接第16戦隊に敵空母機動部隊の追尾を命じたのは異例のことだったのだ。
連合艦隊司令部や、その指揮下に臨機に編成された分艦隊に実働部隊を差し出すのが現在の各艦隊に期待された役割と言えたのだが、潜水艦隊は連合艦隊指揮下にありながらも実施部隊の性質も持っていた。
各分艦隊などに潜水艦を配属させる場合もありうるのだが、通商破壊作戦などの場合は潜水艦隊は独自の戦略を持って動いていた。というよりも、第一次欧州大戦以後急速に発展した潜水艦の性能や特性からして水上艦隊と共に行動させるのは難しくなっていたと言えるのだろう。
潜水艦の発展と競うようにして対潜戦術も進化が続いていた。第二次欧州大戦後に接収されたドイツ潜水艦隊の記録でも、次第にレーダーを用いた航空機による哨戒等から逃れる為に潜水行動時間が伸びる傾向が確認されていた。
元々潜水艦は部隊としてまとまった行動を取るのが難しかったが、戦術的にも数隻の潜水隊で連携して行動する意味が薄れていた。長時間の潜航を強いられるようになった潜水艦は単艦行動が基本となっていたのだ。
潜水艦隊の再編制と同時に潜水艦の設計思想も変化していた。第二次欧州大戦中には建造期間の短い量産型とも言われる海中型の呂号潜水艦が数多く建造されていたのだが、戦後は太平洋における長期間の行動を考慮した大型の巡洋潜水艦に建造の主力が戻っていたのだ。
それに加えて、開戦以後は特殊な動力を用いた主機関を採用した大型潜水艦も運用が始まっていたから、旧式艦の除隊や予備艦指定によって実働艦の数が減っていったにも関わらず潜水艦隊の合計排水量は増大して行く傾向にあった。
潜水艦隊では、艦隊の再編制に加えて実質的な指揮系統の単純化にも手を付けていた。それまでは第6艦隊司令部の下に潜水戦隊、潜水隊と続いて各潜水艦に続く指揮系統が設けられていたのだが、現在では数隻単位の潜水艦を束ねた潜水隊はもはや不要の存在になっていた。
そこで、規定の上では中、少佐が任命される潜水艦長職の階級を引き上げて、これまでは潜水隊司令に充てられていた大佐も潜水艦長に含めると共に、潜水隊司令の職をほぼ兼任とすることで骨抜きとしていた。
潜水隊は実質的に廃止されていた。管理上は今でも存在しているのだが、単に潜水隊に配属された艦の中で最先任の潜水艦長が兼任するのみで、航海中は各潜水艦が潜水隊司令から命令を受けることは無くなっていた。
これまで潜水隊司令が行っていたような事務作業等も潜水戦隊司令部が行っていた。救難艦を兼ねた潜水母艦が与えられた潜水戦隊司令部は、実際に各潜水艦の指揮を取る存在となっていた。各方面に赴いて前線指揮を取ることになるのだが、もちろん潜水母艦が積極的に交戦する可能性は低かった。
第6艦隊時代には、潜水戦隊や艦隊の専用旗艦が要求された時期もあった。潜水艦ではなく、水上艦である大淀型軽巡洋艦が潜水艦の作戦を支援するために艦隊旗艦として整備されていたのだ。
軍縮条約改正による日本海軍の保有枠増大分で建造された大淀型は、利根型軽巡洋艦と同じく航空艤装を増強した水上機の運用に特化した艦だった。一時期は米海軍のアーカム級のように飛行甲板を備えた航空巡洋艦として建造される案もあったらしい。
ただし、空母部隊への随伴が想定された利根型が空母の目となることを期待されたのに対して、特徴的な水上機格納庫を装備した大淀型は潜水艦隊の目となる筈だった。
長大な航続距離の水上偵察機を装備して敵艦隊の情報を収集しつつ、有力な自衛火力と通信機能で最前線に留まりながら潜水艦隊に情報を送り続けるのだ。
だが、大淀型が実際に潜水艦の指揮をとったことは無かった。搭載予定の水上偵察機が開発中止となったことも理由の一つだったが、実際には僅かな間に生じた潜水艦運用の変化が潜水艦隊旗艦そのものの必要性を喪失させていた。
大淀型自体は本来の想定とは異なるが有用に使用されていた。純粋な水上戦闘艦というよりも、水上機を満載するはずだった格納庫や潜水艦隊旗艦用に整備された卓越した通信機能が買われていたのだ。
第二次欧州大戦終盤には、前線で指揮を取る第1航空艦隊の旗艦として格納庫を中央指揮所を含む旗艦設備に転用されていたし、現在では格納庫に水上機ではなく噴進弾を搭載して打撃艦として運用されていた筈だった。
大淀型の艦隊旗艦としての機能は艦隊内で機動運用してこそ生きるものだったが、就役した頃には潜水艦隊に必要となった司令部機能は艦上では収まらない所まで肥大していた。
第二次欧州大戦中に欧州に派遣された潜水艦の指揮は、各方面の要地に停泊した潜水母艦から行われていた。潜水母艦は通信機能や対空捜索レーダーを活かして前線要港の防空戦闘指揮を取ることもあったが、港湾部を離れて戦闘を行った例はほとんど無かった。
帰還した潜水艦への整備補給などの母艦機能に加えて、潜水母艦は各艦からの情報を集積、分析して通商破壊戦に活かしていたのだ。
1箇所に固まる敵艦隊ではなく、広大な海域に散らばった情報を取り扱う通商破壊戦に必要な事務量は膨大なものであり、居住区や給食設備が充実した潜水母艦ではなく水上戦闘艦である軽巡洋艦では無理が生じていたのではないか。
従来の漸減邀撃戦術に組み込まれた集団で敵艦隊を襲撃する潜航可能な魚雷艇ともいえる艦隊型潜水艦の任務から、第二次欧州大戦前後から始まっていた広い範囲で単艦で運用される通商破壊戦への移行は、潜水隊の機能を喪失させる一方で、その上位である潜水戦隊や艦隊の機能強化を促していたのだ。
再編制後の潜水艦隊司令部における組織構成や機能に関しては、大戦終結後に接収されたドイツ海軍潜水艦隊のそれも参考にされていた。
大西洋を越えて一時はインド洋まで作戦範囲を広げていたドイツ海軍の通商破壊作戦を支えていたのは陸上に置かれた潜水艦隊司令部の充実した指揮機能であると考えられていたからだった。
もはや艦上に収容可能な規模を遥かに越えた潜水艦隊司令部には旗艦は与えられなかった。陸上施設でなければ広大な太平洋に散開する各潜水艦の指揮など不可能になっていたのだ。
米海軍の対潜部隊が予想以上に貧弱であった為か、潜水艦隊によって太平洋全域で行われているに等しい通商破壊戦は大きな戦果を上げているようだが、同時に艦隊はグアム島への直接攻撃も行っていた。
一部の巡洋潜水艦は、水上機を搭載する為に格納庫を設けていた。この旧式化した巡洋潜水艦や大型の特殊潜水艦の格納庫に強引に搭載した噴進弾をグアム島に打ち込んでいたのだ。
ふと荘口中将は顔を上げていた。栗田大将が声をかけていたのだが、大将は思った以上に深刻そうな顔をしていた。
「例の……潜水艦隊から提案のあった作戦だが、空軍の方は用意は出来ているんだね」
荘口中将も釣られたように思案顔で頷いていた。
今回行われるグアム島攻撃作戦は大規模かつ急速に進められたものだった。帝都に大規模な空襲を受けた事でグアム島の脅威を再確認してしまった政府からの突き上げによるものだからだ。
連合艦隊は、開戦以後積み重なっている損害の回復途上で作戦成功に自信が持てない状況だったが、宮内省からの内々の要請まであったとなると無視する事は出来なかった。
そんな状況の中で潜水艦隊司令部から提案された作戦案はささやかなものだった。それ故に作戦計画に取り入れること自体は難しくはなかったのだが、海軍単独では実行は難しかった。
潜水艦隊の要望を解決する為にはグアム島への航空攻撃が必要なのだが、栗田大将は空母部隊によるグアム島空襲は実際には難しいだろうと考えていた。連合艦隊主力を投入したグアム島への襲撃という作戦計画において、空母航空隊は従来以上に戦闘機の搭載比率を向上させていたからだ。
フィリピン上陸作戦の陽動でもあったが、開戦直後にもグアム島への攻勢が行われていた。その時は艦隊にも大きな損害が発生していた。
米軍の重爆撃機から投下された誘導爆弾や航空雷撃によって空母翔鶴や重巡2隻など有力な艦艇が沈められたほか、長期間の修理を余儀なくされた損傷艦も多かったのだ。ある意味で米艦隊以上にグアム島の重爆撃機部隊は脅威だった。そして今回の作戦ではその重爆撃機自体が標的でもあるのだ。
連合艦隊は空母の戦闘機搭載比率を高めて防空能力を増強することで、この脅威に対処しようとしていた。
あわよくば重爆撃機の空中撃破を狙っているのかもしれないが、戦闘機隊の陣容強化は同時に空母が有する打撃力の低下を招いていた。戦闘機の増載は、限りある空母の格納庫から攻撃機を減らすことで達成されていたからだ。
露天繋止機の増加で空母の搭載機数自体を水増しする方法もあるが、どのみち攻撃隊を出撃させるには飛行甲板上で整列させねばならないのだから露天繋止が可能な範囲にも限度があった。
おそらくは栗田大将はグアム島への攻撃は、空母機動部隊によって米航空戦力を凌いだ後で行われる艦砲射撃になるだろうと考えているのではないか。
潜水艦隊による提案がその支えとなるのかどうか、荘口中将は栗田大将の顔を覗き込みながらそれを考え続けていた。
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