1952グアム島沖砲撃戦6
横須賀の連合艦隊司令部は、広大な敷地内で今でも拡張が続いていた。しかも開戦以後の防諜体制の強化等で部外者の立ち入りを制限している区画も多く、何度も訪問している荘口中将も困惑する事が多かった。
それ以上に米軍の爆撃で破壊された痕跡も多かった。上位の連合艦隊司令部ではなく隷下の艦隊司令部や横須賀鎮守府の施設も多いから、案内のものがいなければ何処かに迷い込んでいたことだろう。
連合艦隊司令部が本格的に陸上に移ったのは第二次欧州大戦時のことだった。第一次欧州大戦時からその傾向があったのだが、実質的に日本海軍の実戦部隊である連合艦隊の展開域が全世界に広がった事で、旗艦に増設された司令部施設では膨大な事務処理が追いつかなくなっていたのだ。
第二次欧州大戦ではそれに加えて、遥か欧州においては現地の司令部に指揮統制の権限を大部分委譲していた。通信技術の進歩で短時間の内に地球の反対側の情勢が流れてくる時代であっても、後方の司令部で刻一刻と変化する現地の詳細を把握するのは難しかったからだ。
今回の戦争でも、連合艦隊の一部は欧州や、その途上の海域に展開していた。カリブ海に続いて欧州でも米国やソ連との戦端が開かれていたから、同盟国支援の為に日本海軍は戦力を割かざるを得なかったのだ。
―――だが、いくら設備の整った陸上の施設で指揮統制や管理上の支援を行ったとしても、連合艦隊司令長官の双肩にかかる重圧は相当なものなのだろう……
荘口中将は、憔悴した様子の栗田大将の顔を伺いながらそう考えていた。
栗田大将はすでに60は越しているはずだった。何事もなければ連合艦隊司令長官の座を後進に譲って退役していたかもしれなかった。
すでに荘口中将の用事はほとんど済んでいた。空海軍合同で行われる今回の作戦の打ち合わせも、大半は事務作業に長けた作戦参謀達だけで進められていたからだ。
航空総軍司令官の代理として参謀長の荘口中将が横須賀に出向いてきたのは、半ば儀礼的なものだった。
長官室の窓からは紅くなりだした陽が差していた。防諜や空襲時の抗堪性を考慮すれば、長官室も地下の防空壕に配置した方が向いているはずだった。
実際に連合艦隊司令部用に世界各地から集められた情報が集約された最新鋭の地下司令部が建設されている筈だが、来客の為に地上の長官室を使ったのだろう。
室内をよく見ると、長官室の調度はそれなりな高級品だったが、書類等は殆どなかった。やはり開戦以後は、栗田大将も執務は地下司令部でとっているようだ。あるいは、大将も地下の雰囲気に嫌気が差していたのかもしれない。
航空総軍からの書類を確認した栗田大将は、さほど興味無さそうに判を押していた。すでに作戦計画は進められていた。同じ内容の書類は以前にも目にしていたのだろう。
荘口中将も、同じ内容の文章を見ながら言った。
「やはり、今回の作戦には新戦艦……水戸の参加は叶いませんか……」
就役したばかりの戦艦の艦名を聞いた栗田大将の眉が一瞬しかめられていた。新戦艦の名前に連合艦隊司令長官が難色を示したという噂は本当だったのかもしれない。荘口中将はそう考えていた。
日本海軍の戦艦における命名規則は、明治の黎明期以後は律令制における国名と定められていたのだが、最近になって徳川幕府時代における有力藩名もこれに加えられていた。
有力藩名の中には旧国名と一致している為にすでに使用されている名前もあったから、これは実質的には水戸の名を使用したかったからだと噂するものも少なくなかった。
明治の維新において勤皇派源流の一つであったとされながらも、今一影の薄い水戸閥関係者の働きかけが影であったらしい。
維新に功のあった薩摩や旧徳川御三家である尾張や紀伊は旧国名と同一であった為に艦名の使用実績があったが、国名である常陸はあっても水戸の名が使用されることは無かったからだ。
子供じみた理由であるように思えるが、旧水戸藩は隠然たる勢力を有していたから、その意向は完全には無視できなかった。関係者の念願叶って旧藩名が命名基準に加えられた後に建造された新戦艦の名称となった水戸だったが、肝心の水戸出身である栗田大将はその艦名に不満を抱いていたようだ。
京都動乱時に活躍した水戸藩士の孫だという栗田大将は自分に厳しい性格と聞くから、連合艦隊司令長官である時期に自分に阿るような艦名と取られるのを嫌ったのだろう。
荘口中将は気まずい思いで視線を書類に落としたが、栗田大将は淡々とした口調で言った。
「水戸は就役から間もない。乗員の練度も実戦に耐えうる段階にないと判断した。例の新型射撃指揮装置や中央指揮所を最初から採用した為に乗員配置も既存戦艦と随分と変わっていると聞くから、そう簡単にはいかんかもしれないな」
栗田大将に頷きながら、荘口中将は今回のグアム島への攻勢自体が拙速に過ぎると改めて感じていた。
だが、二人には戦略爆撃を行うグアム島に対する攻勢という作戦計画を止めることは出来なかった。彼ら自身の誤断が今回の作戦を強制させたと言えなくもないからだ。
最初に入った凶報は、三陸沖を警戒していた戦時標準規格船を改造した特設哨戒艦旭光丸の喪失だった。油断だと言えた。三陸沖深くまで単艦で進出していた旭光丸は、潜水艦から雷撃を受けたとの報告を最後に消息を断っていたからだ。
日本本土周辺は、有事の際でも近海輸送に船団を組むことはなかった。欧州や中東等に向かう長距離船団と違って、航行距離の短い近海輸送では船団を構築する為の待ち時間が輸送費全体に占める割合が大きくなり過ぎるからだ。
昨今は、近海輸送でも荷役が迅速に終了するコンテナ化が進んでいたが、不定期の輸送が多い近海輸送はすべてをコンテナ化する事は出来ないだろう。船団を組む時間も、割り当てる護衛艦の余裕もなかった。
護送船団方式を取らない代わりに、日本本土周辺、特に防潜網などによる聖域化が不可能な太平洋周縁部には対潜哨戒機による定期的な捜索が行われていた。
オホーツク海から日本海に至る海域への敵潜侵入を防ぐ為に、北の千島列島や南の琉球諸島、台湾等には海防艦や護衛駆逐艦等の対潜戦闘に特化した艦艇が防備部隊として配備されていた。
本州近海で大洋等の対潜哨戒機が敵潜を発見した場合も各地に配備された対潜艦艇部隊がいつでも呼び出せる筈だった。
その対潜網のすきを突くようにして旭光丸は撃沈されていた。旭光丸からの最後の無線連絡を航空総軍から転送された防備部隊は、切歯扼腕して直ちに隷下の部隊を出撃させていた。
旭光丸が撃沈された理由はこの時点ではよく分からなかった。対潜哨戒機による哨戒飛行の規則性を読み取られた可能性もあるし、単に沿岸航路の安全を目的として行われていた哨戒範囲から旭光丸が外洋に踏み込みすぎていたのかもしれない。
いずれにせよ本土近海に敵潜が潜んでいるのは確かだったが、対潜哨戒機部隊はともかく、航空総軍等では敵潜の再探知にはさほど期待はしていなかった。
旭光丸の代わりに対空長距離捜索レーダーを搭載した貴重な空中指揮官機を三陸沖まで展開しなければならなかったから、航空総軍がその手当で大童になっていたことは否定出来無かった。
それに対潜哨戒機はともかく、鈍足の対潜艦艇が三陸沖海域まで進出する頃には敵潜は遥か彼方に去っているのではないかと考えられていたのだ。海域に最初に進出できる艦艇は大湊から出港するもののはずだから、現場まで距離が有ると考えられていたのだ。
実際には兵部省海上保安局に移管されていた海上護衛総隊指揮下にある護衛艦艇が、近海を航行中に急遽現場を命じられていたのだが、何重も指揮系統の隔たりが有る航空総軍がそれを知ることは無かった。
だが、この時点で状況を正確に把握出来ていたものはいなかった。次の報は、離陸したばかりの対潜哨戒機からのものだった。
旭光丸が消息を断った海域に最初に向かった対潜哨戒機は、多数の救命艇を最初に確認していた。敵潜から発射された魚雷が少なかったのか、あるいは命中箇所の問題だったのか、撃沈された旭光丸から脱出できた乗員はかなり多かったようだ。
対潜哨戒機からの連絡はそれだけではなかった。考えようによっては吉報と言っても良いものだった。旭光丸が撃沈された周辺の海域から、暗号化されていたとはいえ長時間の無線通信を感知したのだ。
その頃になって、ようやく航空総軍司令部は敵潜の本来の目的を察知していた。この時、グアム島から発進して日本本土に向けて接近するB-36重爆撃機の編隊が確認されていた。
ここしばらく大規模な爆撃は無かったのだが、その間に戦力を補充していたのか、久々に大規模な編隊が確認されていた。
おそらく、敵潜はこのB-36編隊と連動していたのだろう。先行して日本本土周辺の気象状況を確認していた潜水艦と運悪く旭光丸は接敵してしまったのではないか。
あるいは、米軍としてはもっと積極的に潜水艦を爆撃隊乗員の救助回収にも投入する計画だったのかもしれない。B-36の長大な航続距離ならば、本土上空で何らかの支障が生じても三陸沖まで飛び続けることも出来るのではないか。
敵潜からの電波は、気象状況に加えて、不時着用海域の位置を知らせるものという可能性もあったのだ。
いずれにせよ、失態を犯した海上護衛総隊にしてみれば思わぬ好機だった。
大湊をおっとり刀で出港した後続の鈍足の対潜艦艇では海域に到着するまで丸一日程もかかってしまうはずだから、本来はB-36の爆撃機編隊が日本本土に到達する迄に間に合うはずもないだが、三陸沖を南下中だった海防艦数隻が急遽この海域まで数時間の位置に遷移していた。
状況からして敵潜はB-36が日本本土から去るまで近海にとどまらざるを得ないはずだから、その間に対潜哨戒機が敵潜との接触を続けていられれば水上艦との連携で撃破するのは難しくないはずだった。
だが、二回目の凶報は急行中の対潜艦艇が接敵するどころか、B-36編隊が硫黄島から発進した偵察機と接触した辺りで航空総軍司令部に飛び込んでいた。今度は敵潜を制圧するべく哨戒中だった対潜哨戒機大洋が連絡を断ったのだ。
当初は、磁気探知機による捜索を行う為に飛行高度を下げた大洋が、通信基地から見て水平線の向こう側に隠れた可能性もあったのだが、実際にはこのとき既に洋上の敵艦隊から発艦した戦闘機隊が周辺空域を跋扈していたのだ。
一式陸上攻撃機を原型として開発された対潜哨戒機である大洋は、原型機譲りの航続距離や充実した対潜機材を有する一方で、未知の海域を敵艦隊に向かって長駆進攻する陸上攻撃機と違って、友軍艦隊や制圧地域など友軍の援護が得られやすい環境で運用するのが前提だった。
その為に大洋が装備する自衛火器は乏しかったのだが、どのみちあとから判明した敵戦闘機隊の規模からすれば、現場海域を飛行していた大洋は一瞬のうちに撃墜されてしまっていたのだろう。
水戸型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
http://rockwood.web.fc2.com/kasou/settei/bbmito.html
紀伊型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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常陸型戦艦の設定は下記アドレスで公開中です。
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